第9話 不穏

「はい、また来ましょう。佑羅様」


 みのりは心の底から彼と綺羅々とまた水族館を楽しみたい。今度は綺羅々が成長してから行ってみるのも良いかも……。などと考えていた。


(私、佑羅様と綺羅々。そして女房の皆。これからもずっと皆で楽しく暮らしたい。そう思う)

「ふむ、みのりが今考えている事は……」

「佑羅様。私から話させてください。私は……今、とても心が温かいです」


 みのりの言葉に佑羅はそうか。と言ってそれ以上は何も言わなかった。


「ん?」


 突如、綺羅々の身体が金色に光り出し、宙に浮く。金色の光だけでなく、水流も地面から生み出され、綺羅々の身体をツタのように覆い始めた。


「え、綺羅々? どうしたの?」

「みのり……! これはまさか……! 危ないから下がっておれ!」

「えっ?! な、なにが起こるって言うんです?!」

 

 金色の光がみのりの背格好くらいまで大きくなっては、みのりの半分くらいの大きさにまで縮小していくのを何度か繰り返す。そして金色の光は徐々に楕円形から人間の形に変わっていった。


「あの、これって……どういう事ですか? 光が大きくなっているように見えるんですが」

「……これは急速成長だ。人魚神でこれを見るのは初めてだわ……あ、もう終わるようだぞ」


 黄金の光がぱんっ! と爆発を遂げたのでみのりと佑羅は思いっきり目を閉じる。

 すると目の前にいたのは……幼稚園年長くらいの子供だった。金色の瞳にみのりとよく似た肩甲骨くらいの黒い髪をしているが、鱗の位置は変わっていない。


「……パパ、ママ。どうしたの?」


 いきなり話し始めた綺羅々に対し、みのりは驚きの余り腰を抜かしてその場に座り込んでしまった。


「しゃ、しゃべった……!」

「おおう、いざこうして見てみると驚きが勝るのう……みのり大丈夫か? 立てるか?」

「ママ大丈夫? 立てる?」


 2人から心配されたみのりは、大丈夫……。と返しながら佑羅の手を借りてゆっくりと立ち上がるのが精いっぱいだった。


(状況が読み込めない……!)


◇ ◇ ◇


「まあ! 人魚神の娘が?!」


 龍神宮に帰宅後、歴代の生贄でもある女房達はこぞって、綺羅々の存在にあんぐりと開けた口を袖で隠しながら驚いていた。


(まあ驚くのも無理は無いよね……! ていうか娘という実感はあんまりないなあ……妹って感じ?)


 佑羅とみのりが経緯を説明しても、女房達の驚きがおさまる気配はない。だが同時に嬉しさも感じつつあるように見て取れる。

 気が付いたみのりは皆さん、綺羅々が仲間に加わって嬉しいですか? と質問してみた。


「はい、もちろんです! 龍神宮が明るくなるのはとても喜ばしい事でございますから」

「人魚神の子供初めて見ました……! なんだかおふたりのお子さんのように思えてしまいます」

(いやいや、そんな……お子さんでは……そう言われるとなんか照れ臭いわね)


 みのりがほんの少し顔を赤らめていると、綺羅々が彼女の顔を覗き込んできた。


「ママ、大丈夫? お熱でもあるの?」

「ね、熱? は無いと思うけど……」

(照れくさいからだなんて綺羅々には言えないなあ……佑羅様にもだけど)

「いや、みのりはな……その……」


 言い出そうとした佑羅に対し、みのりはちょっ、やめてください……! と声を出して制止する。


「ちょっと……」


 と、言い出した所でみのりは身体に異変が生じているのを知覚する。


(あれ? なんかふらふらする……)


 みのりはその場にぱたん! と力なく倒れてしまった。それとほぼ同時に佑羅と女房達はすぐさまみのりの側に駆け寄る。


「みのり!」


 佑羅が慌ててみのりの額を触ると、みのりの額はいつの間にか熱くなっていた。


「熱がある。よし、今から下げねばな……」


 佑羅がみのりの額に両手でバツ印を作るようにして重ねると、彼の手の周囲に少量の水が空気中から現れて穏やかにたゆたう。


「この者の熱を下げよ」


 佑羅の詠唱に連鎖するように、水がみのりの身体を駆け巡るようにして覆い、次第に消えていく。


「ん……」


 気を失っていたみのりがゆっくりと目を覚ました。女房達からわっ! と声が沸き起こる。


「大丈夫か? みのり」

「あ、あれ……私、なんか……」

「熱はもう下がった。安心せよと言いたい所だが、しばらくは休んだ方がいいかもしれんな」

「……すみません」


 力なく謝るみのりに、佑羅は謝らなくて良い。と優しい口調で語った。


「みのり。佑羅……。みのりと佑羅」


 彼らの名前をぼんやりと呟く綺羅々。みのりは意味が理解できているか否かまだ曖昧に見える彼女に向けて口を開く。


「私の事はみのり。で良いよ。綺羅々」

「……! じゃあ、あなたはみのりって呼ぶ。佑羅は?」

「わしも呼び捨てで結構。呼び慣れておるからな」


 綺羅々はわかった。と首を縦に振る。そんな彼女に女房達が近づいた。


「綺羅々様。私達と一緒に遊びませんか?」

「おもちゃなどありますよ?」


 綺羅々は女房達とみのりと佑羅の2人を交互に見つめている。


「……みのり、まだしんどそう」

(……熱は下がった感じがするけど、疲れはあるわね……)

「綺羅々、よくわかったね」

「だってそんな感じしたから」


 綺羅々の言葉に、みのりはどこか佑羅らしさを感じながらごめんね。と反射的に謝罪した。


「みのりは人間?」

「うん。私はただの人間だよ。佑羅様は龍神様であなたは人間神」

「人間は神と体力が違う。休んだ方が良いよ」


 もうそんな知識が備わっているんだ……。とみのりは感心しながら、綺羅々に対してありがとう。と告げた。


「わしも綺羅々と同じ意見よ。みのり、今日はゆっくり休め。ぬいぐるみも一緒にな」

「気遣いありがとうございます」


 自室のベッドにて、シャチの巨大なぬいぐるみを抱きながらみのりは一旦は眠りについたのだった。

 

「……ん」


 彼女が再び目を覚ましたのは、夜中の事である。


(お腹が空いちゃった……こんな時間だし、何かつまめるものでもあったらいいけど……)

「奥様。何か御用でございますか?」

「あの、お腹が空きまして……」


 女房が軽食とがっつりしたものどちらが良いですか? と尋ねて来たので、みのりは軽食の方と答えた。


「あ、良かったら私作って食べますよ」

「奥様、よろしいのですか?」

「料理しないと腕がなまってしまいますし」


 苦笑いを浮かべたみのりに、女房は確かにそうでございますわね。と朗らかな笑みを見せた。


「あ、皆さんにも作りましょうか?」

「そんな……奥様、私は大丈夫ですよ」


 今、みのりの自室にて夜勤に入っている女房は2人。両者とも首を左右に振って断ろうとしたが最終的にはぜひ食べたいと受け入れる。


(……サンドイッチでも作ろうかな)


 厨房に入ったみのりは、たまたまいた厨房担当の女房の力を借りてに材料を揃え手早くサンドイッチを作っていく。


(ハムマヨと、ツナマヨと、卵サンドにしよう。どれもマヨネーズ使ってるけど……たまにはいっか)


 出来上がったサンドイッチを自室に持っていく途中、作務衣風の寝間着姿で廊下をぺたぺたと歩く綺羅々と遭遇する。


「綺羅々……起きてたの?」

「さっき起きたの。佑羅の寝言がすごくて寝れない」

(寝言? なんて言ってるんだろう)


 試しに佑羅が眠っている部屋のそばで耳を澄ましてみる。


「……みのり……」

(私の名前言っちゃってる……ちょっと恥ずかしくなってきたな)


 踵を返し、自室に戻ろうとするみのりの寝間着の袖を綺羅々がグイッと掴んだ。


「みのり、何それ」

「サンドイッチ作ったの。……1個食べてみる?」

「うん」


 綺羅々が選んだのはツナマヨのサンドイッチ。四角形に切られたそれを口にいれると、やや驚いたような目つきを見せた。


「おいしいね」

「そう? 良かった」

「これは人間の食べ物?」

「うん。私がよく作って食べてたの。片手で食べられるから便利なんだよね」


 へえ……と興味があるのか無いのかわからないような反応を示しながらも、完食した綺羅々はまた食べてみたいとこぼす。


「じゃあ、明日の朝ご飯でも食べる?」

「明日はいい。お腹いっぱいだし……」

「綺羅々、食べたい時が来たらいつでも言って。私作るから」


 みのりの言葉に大きく首を縦に振った綺羅々は、少し迷う仕草を見せたあとそのまま佑羅の部屋へと消えていった。


(……なんだか座敷わらしみたいね、綺羅々の後ろ姿……)


 自室に戻ったみのりは女房達にサンドイッチを振る舞うと、また床につく。

 朝ご飯は少し遅めで良いかなと考えながら目を閉じたのだった。


◇ ◇ ◇


 みのりが佑羅や綺羅々などと楽しい時間を過ごしている間水渡村では村の名家の当主達が揃って何度も会議を行っていた。

 彼らは今後佑羅に生贄を捧げたらむしろ逆上してしまうのではないか? とか、なぜみのりが彼の花嫁に迎えられたのかなどを話し合っている。


「とにかく! みのりが龍神様の花嫁になるのは納得いかない!」


 会議にはもみじの姿もある。彼女は未だにみのりが佑羅に選ばれ娶られた事に対して納得が行ってなかった。


「神様と結婚したら一生幸せになれるんでしょ!? だったらみのりよりあーしの方がふさわしいじゃん!」


 みのりの姿を見なくて良くなったのは、もみじからすれば嬉しい事ではあるが、それと同時に彼女が神様の花嫁に選ばれるのはあり得ないのだ。


「龍神様をもう一度呼べないの!? 呼んで話してわからせてやる!」


 喚くもみじに沼尻家の当主などが、まあまあ。と言いながらたしなめる。が、それがもみじの逆鱗に触れた。


「まあまあ。って……! あんたらそれしか言えない訳!?」

「ま、まあ、もみじちゃん落ち着いて」

「落ち着いていられるかよ! っざけんな!」

 

 もみじの怒りは更にヒートアップした。気持ち悪いくらいの優しい笑顔を向ける男達に座布団を投げつけると、ちっ……。とわかりやすい舌打ちをする。


「ほんっと、使えねえやつらだらけだな! アンタらそれでも名家の当主かよ。あーしの為ならなんだってする覚悟あんだろ!?」


 水渡村で一番偉いのはこの自分だと言わんばかりのもみじの態度。だが両親は止める気配は無かった。

 止めたら更に酷い事になるのが分かりきっているからである。


「よし、儀式をして龍神様を龍ヶ池に招こうではないか」


 名家の当主のひとりの提案に、周囲からはそれでいいだろうなどの声が挙がる。

 そして、もみじに目線が向けられた。


「……本当に出来るんでしょうね?」

「はい、必ずやり遂げてみせます」

「いやあ、それはやめておいた方がいいんじゃないか? 間違って龍神様のお怒りに触れたら、この村が一大事よ」


 またしても意見が割れ、わいわい騒ぎ始める村の当主達に、もみじはちょっと! と大きな声を張り上げた。


「どんな手を使ってもあーしは龍神様と絶対結婚してみせるから! みのりだけが幸せになるなんて許さない!」


 そんなもみじ達を外から見ている神がひとり、いた。


「へえ。あの騒ぎは面白そうだなあ。なんなら便乗させてもらうとするかね。でもってあのお嬢さんは俺が貰おう」


 黒いコートに白いスキニー風のズボンと人間の青年とよく似た見た目だが、灰色のマニッシュヘアとぴょこんとした狗の耳。そして赤い瞳はぎらりと不気味に光っている。


「もみじちゃんね。名前は覚えたし早速アタックしてみよ」


 会議が終わり屋敷から出て来るもみじに、彼は目を付けた。それと同時に狗の耳は頭の中に引っ込むようにして消える。


「ねえ、君可愛いよね。ちょっとお話しできたらなと思うんだけど良いかな?」

「はあ?」


 と言いながらも品定めするような目を見せるもみじを見て、彼は手ごたえを感じ始めていた。


「……じゃあ、ウチくる?」

「てか君年齢的に高校生だよね。学校はどうしてんの?」


 わざと心配する彼へ、もみじはちっと舌打ちを鳴らす。


「ああ……今日は村の会議に出るからって言って早退させてもらったの。今日はさぼりじゃねえから」


 口をとがらせている割には友好的なもみじへ、彼は更にもう一押し加えようと動く。


「じゃあ君んちお邪魔したいなあ。いい?」

「ねえ、ママ。いいっしょ?」


 当主がいいわよ。といつも通りの甘い声音で返事をすると、もみじは彼へ家へ来なと口角をあげながら言った。


「じゃあお邪魔させていただきまぁす」


 にやりと笑う彼の正体を、もみじ達は知る由も無かった。

 そう。彼こそが佑羅と長年敵対関係にあった狗神のひとり・木蓮もくれんである。


「ねえ、アンタ名前なんて言うの? あーしは淵沼もみじ。もみじちゃんとかみっちゃんて呼んでいいよ」


 もみじから話しかけられた木蓮は少しだけ間を置くと、木野です。とだけ返したのだった。


「へえ、木野ねえ。良い名前じゃん」

「おっ褒めてくれてありがと。みっちゃんも可愛い名前だね」

「そうっしょ? あーし可愛いから」


 もみじの自慢げな笑顔と木蓮の不気味な笑顔が交錯していく。


◇ ◇ ◇


「気持ちいい風ですね」


 龍神宮の敷地内にある巨大な池の上を船に乗ったみのりがそう口に出した。みのりは後ろから佑羅に抱きしめられている状態である。

 恥ずかしさはあるがどこか安心する気持ちもあるみのりに、佑羅はふふっと彼女の耳元で笑みを浮かべた。


「だいぶ綺羅々の泳ぎも手慣れた感じになってきたのう」


 池は透明度が非常に高く、魚やエビなどの生物や池の底に沈む木の枝などがはっきりと見通せる。そんな池の中を黒いラッシュガードの水着を着た綺羅々が気持ちよさそうに平泳ぎしていた。

 最初佑羅が泳ぎを教えた時は手足が動いていなかったが、すぐに飲み込み上達していっている。

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