第8話 水族館・後編〜綺羅々との出会い〜

「今、音がしませんでした?」

「ああ……。! 卵にヒビが入っておる!」


 ヒビはあっという間に卵全てに広がると黄金色の光を放ち始めた。


「これは! 生まれる!」

「佑羅様そうなんですか!? わっ、思ったよりもまぶしい……!」


 観客達には光は見えていないようで、特に騒いだりする様子は見られない。

 イルカショーは終わり、次はシャチのショーが始まりますというアナウンスが流れている。


「光が収まっていくな……」


 そして2人の目の前に現れたのは、小さな赤子だった。見た目は人間の赤子に近いのだが、手足のあちこちに銀色の鱗があり、更に本来耳がある場所にはヒレのような銀色の何かがある。


「あれ、人間ですか?」

「これは……人魚神にんぎょしんだな」

「人魚? この子がですか? ちゃんと足がありますけど……」


 人魚といえば普通は上半身が人間で下半身が魚な見た目がメジャーだろう。しかし赤子の上半身も下半身も形自体は人間のそれと変わらない。


「人魚神と言っても種類は様々でな、人魚姫のような人魚神もいれば人面魚みたいな者もいる」

「へえ……なるほど……会ってみたいかも」

「わしの知り合いには結構人魚神がいるぞ? なんなら婚儀にも来ていたからな」


 知らなかった……! と胸の中で叫ぶみのりへ、佑羅はこの子の名前を付けてやらんとな。と語った。


「名前……」

「こやつはわしらが育てるからな。あ、ちなみにおなごのようだ」

「えっ、良いんですか!? そんな勝手に……」

「水槽内にあったという事は、こやつに両親は存在せんからの」


 佑羅の言葉にそうなの!? と驚くみのり。だが佑羅はよくある事のように表情を変えない。


「しいていえば、こやつの両親はあの水槽だったという事だな」

「……自然発生ですか」

「ああ。神とはそういうものよ。交合して産まれるだけでなく、信仰や自然からも生まれてくる」


 彼らの超常的な部分に改めてみのりは驚きと得体の知れなさなどが入り交じった複雑な感情を抱く。


「さて、名前を付けよう。みのり」

「私で良いんですか?」

「ああ、勿論」

「じゃあ……綺羅々という名前にします」


 ふむふむと咀嚼するように首を縦に振った佑羅はにこりと満面の笑みを浮かべた。


「良い名前だ。美しい」

「あ、ありがとうございます」

「綺羅々は我らの大事な子。今日から大事に育てていかんとな」


 綺羅々はまだ宙をふわふわと浮いているままだ。卵自体は小さかったのに、彼女の身体は人間の赤子と変わらないくらいの大きさがある。佑羅はひょいっと綺羅々の身体を掴むとお~よしよしと赤ちゃん抱っこしてあやし始めた。

 目の前のプールでは2頭のシャチが、イルカ担当トレーナーと同じ柄のウエットスーツを着用しているシャチ担当トレーナーの元で待機している。


「服を買わないとですね……裸だと寒いでしょうし」

「これでも使おうかの」


 佑羅がジーンズの右ポケットからバスタオルを取り出した。小さなポケットからそんな大きなバスタオルが入っていたの?! とみのりは驚くも神様だものね……。とその言葉を飲み込む。

 佑羅はバスタオルで器用に綺羅々の身体を包んだ。


「どうじゃろうか? おくるみみたいになっとるか?」

「はい、良い感じだと思います。ただおむつはどうするんですか……?」

「ああそうだったわ。とりあえず水族館におむつは……」

「売ってないと思いますね……」


 ここで佑羅はガタッと席から立ち上がった。


「すまん、買うてくるわ。ええっと、ドラッグストア? に売っとるんだったか」

「えっ?!」


 そして佑羅と彼が抱いている綺羅々の姿は一瞬で消えた。テレポーテーションでも使ったと言わんばかりの速さである。


(大丈夫かな……まあ、佑羅様を信じるしかないか)


 10分後。みのりの隣の席に再び佑羅と綺羅々が現れた。ちょうどシャチのショーが終了したタイミングでもある。


「あったんですね」


 佑羅の手には紙おむつが入った白いビニール袋が握られている。


「ああ、あったぞ! いやあ、よかったよかった」

「ミルクは大丈夫なんでしょうか?」

「人魚神はお乳は必要とはせんから大丈夫だな。確かあいつらは水を飲むとかなんとか言ってた気がするが……」

「水なら自販機に売ってますし、それで大丈夫そうですかね?」


 みのりからの問いに佑羅はそれなら良い。と答えた。


「すまんのう、ショー終わってしもうた……」


 眠る綺羅々を抱っこしながら謝る佑羅に対し、みのりは仕方ないですよ。と声をかける。


「ショーはちょっと見れたので気にしないでください。ただ綺羅々の事はびっくりしてます……だって私、子供の面倒だなんて見た事が無いので。私が母親だなんて出来るんでしょうか……」

「いや、出来る。だってわしと女房達がついておるのだから」


 佑羅の発言には確固たる自信が顔をのぞかせていた。それをくみ取ったみのりはふうっと息を吐く。


「そうですよね、あなたも女房の皆さんも……いるんでした。私はひとりぼっちではないですよね」

「そうだそうだ。みのりは孤独ではない。わし達がついておる。ずっとな」


 ふっと笑う佑羅に同じような笑みを返すみのり。そんな彼女へ対し佑羅はそういう笑顔がそなたには一番似合うておる。と語る。


「……そなたは笑顔が一番だ」

「正直に言いますと笑顔はまだ慣れません。そういう機会が殆ど無かったので」

「徐々にでええ。いきなりは難しかろう」


 なぜかみのりの両目から涙がこぼれてきた。


「……す、すみません……なんで泣くんだろう、私……」

「ひょっとして嬉し涙というものではないか? ここにそなたが泣くのを止める者はおらん。涙が枯れ果てるまで泣けば良い」

「……っ! あ、ありがとう、ございます……!」


 綺羅々を抱っこしながら佑羅はみのりを抱き寄せ、頭をこつんと当てた。


「わしはそなたを一生守り続ける。わしはそなたを愛しておるからな」

「ありがとう、ございます、佑羅様……!」


 お昼になったので2人は一度トイレ内のおむつ交換場所で綺羅々におむつを履かせてから、水族館内にあるレストランで食事を取る事に決めた。綺羅々はすうすうと寝息を立てながら眠ったままで、周りで大きな音が起こっても一切動じない。

 巨大な水槽側の席についた2人は共に日替わり定食を、追加で佑羅はフライドポテトとナゲットを注文した。


「この子、泣かないですね」

「人魚神の赤子は穏やかでめったに泣かないと聞く。それに綺羅々は肝が据わっておるようだの」

「性格もあるんですね……すごい子ね。成長したらどのような神様になるんでしょうか?」

「きっと美しい人魚神になるに違いない。女の人魚神は美女ぞろいで神々の中でも特に有名なんよ」


 佑羅曰く神々の中では三大美女神なるものがあって、それぞれ人魚神、雪や氷をつかさどる神である雪氷神せっぴょうじんそして狐の神である狐神が該当するのだとか。

 またそこに龍神を加えて四大美女神とする事もあるそうだ。


「確かに佑羅様は綺麗ですもんね」

「はははっ! なんだかみのりから言われると嬉しいのう。もっともっと言われたいと思ってしまう」

(地味な私とは大違いだ。キラキラしているもの)

「みのりもとても美しいぞ? ずっと眺めていたいほどだ」


 佑羅の言葉にみのりはやめてください……。と顔を赤くするが笑顔がほんの少しだけはみ出ていた。


「そなたはやっぱり笑顔が一番よ」


 にかっと笑いながら答える佑羅の顔が、みのりの心臓は少しだけうさぎのように跳ねたのだった。


「お待たせしました。フライドポテトとナゲットになります」


 黒い服を着用したウエイターの手により机の上にことっとフライドポテトとナゲットが置かれる。フライドポテトはファストフード店のような細長いものでケチャップとマヨネーズが添えられていた。ナゲットもファストフード店で提供されるような見た目をしている。


「みのり。よかったらつまむか?」

「では、失礼します」


 ぱくっとフライドポテト1本を何もつけずにつまんでみると、熱さと塩気とじゃがいもの甘みが口の中に広がった。


「おいしいですね。これは病みつきになってしまいそうです」


 ナゲットも熱々でジューシーな味わいをしている。

 その後、日替わり定食も届いたので2人は品々に目を輝かせながら食事を楽しみ始めた。


(日替わり定食のメインは生姜焼きね。お父さんの弁当用によく作っていたな……)


 生姜焼きは食べやすいようにひと口サイズにカットされていた。生姜焼きの他の品は、白みそ仕立てのわかめ入りお味噌汁に生姜焼きのそばに盛り付けられたキャベツの千切りとポテトサラダである。

 どれも美味しく食べた2人はお腹いっぱいになってしまい、しばらく水槽を眺めていた。


(これは海水魚の水槽。あっナンヨウハギが結構いる。正面から見た顔は面白い顔つきね)

「みのり、そやつも飼うか?」

「神域にもナンヨウハギ生息してるんですか?」

「うむ。当然だ。何度か釣った事あるぞ」


 みのりはどうしようかと悩んだ。なぜなら自分はこんなおねだりに縁がほぼ無かったからである。

 だが佑羅がそう言うなら……と思ったみのりは意を決してあの、と口を開いた。


「飼ってみたいです。ナンヨウハギ」

「おっ申してくれたか。では帰ったら早速用意しよう!」


 はははっ! と笑う佑羅に対し、彼が抱っこしていた綺羅々がいきなりぱっと目を開いた。


「おっ綺羅々が目を開いたぞ! 起きたのか?!」

「こ、声が大きいですよ……!」


 綺羅々は泣いたりするどころか何も表情を変えずにただ目を開いているだけ。視点も定まっていないようだ。


「どこを見ているんでしょうか?」

「わからんのう……む、水槽を見ているのか? 少しだけ目の向きが変わったぞ?」

 

 確かに綺羅々の目線は佑羅の言う通り水槽に向いている。だが、水槽の何に向いているかまではわからない。


「水槽全体を眺めているんでしょうか」

「そうかもしれないな。いずれにせよ水は良い。落ち着く」

(龍ヶ池……も落ち着くのかな?)


 レストランを後にし、売店へ向かうと佑羅はシャチやイルカのぬいぐるみを興味深そうに見る。


「あのぬいぐるみ、欲しいか? 可愛いぞ?」


 だが、シャチもイルカもどちらも大きめのサイズで値段も少々お高めである。みのりは確かに欲しい気持ちはあったが値段を考えると遠慮してしまった。


「遠慮せんでもええ。ぬいぐるみは良いぞ」

「でも……本当にいいんですか? 両方買ったらより値段が」

「気にするな。みのりが欲しいと思ったものは全部わしが買うてやる」


 屈託のない笑顔で語る佑羅を見たみのりはじゃあ、お願いします……。と不器用ながら甘えたのだった。

 他にもお弁当箱やマグカップなども購入すると、値段はすごい事になってしまったが佑羅は笑顔を浮かべたままである。


「いやあ、土産を買うと良いのう。旅行をしている気分になるわい。3人でまたこの水族館に行きたい」

「佑羅様……」


 水族館から出て帰り道につこうとしている3人。みのりとすやすや眠る綺羅々に優しい目を向ける佑羅の顔は、傾きつつある太陽と同じくらい温かさを放っている。


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