第7話 水族館・前編

(あんな風に骨を取ってたんだ!)


 じっくり眺めていると後ろから佑羅のみのりぃ、ご飯のお供は何にするかぁ? という声が聞こえてきたので、みのりは早歩きで戻ったのだった。


「あの、ふりかけありますか?」

「どのようなふりかけかの?」

「卵と海苔のやつがあればお願いします。よく食べていたので」

「ほれ、ちょうどわしの分のお膳にあった」


 朝食は麦ご飯にわかめと太葱入りのお味噌汁に香の物と卵焼きにウインナーを焼いたものにほうれん草の和え物といったメニューである。

 みのりは佑羅からもらったふりかけを麦ご飯の上にパサパサとかけてから頂きます。と手を合わせた。


「どうかな……」


 黒い漆塗りのお箸を取り、ほうれん草の和え物から頂く。


「これって柚子ポン酢ですか?」

「さようでございます。奥様」

「酸味が効いていて美味しいですね」

「お褒めにあずかり光栄に存じます。奥様……」


 ウインナーは大きめのものが3本で、かじるとぱきっとした気持ち良い音と食感がする。


(こういうウインナー好きだわ。焼くのも良いけど茹でたりおでんにしても美味しい)


 佑羅はウインナーをかじった後、麦ご飯をかきこみながら何かを思いついたかのように目を大きく見開いた。


「佑羅様?」

「みのり。明日水族館にいかないか?」

「明日ですか? 私は……大丈夫ですけど佑羅様は忙しくないのですか?」


 みのりが彼を心配していると、佑羅はごくんと飲み込んでから大丈夫だ! と元気よく答える。


「予定もないし、何かあればすぐ我が妻たるみのりを優先するに決まっておろう」

「しかし……」

「気にするな。わしはそなたを愛しているのだから」


 はっきりと言い切った佑羅を見て少し恥ずかしくなったみのりは、恥ずかしさを打ち消そうと湯呑みに入ったほうじ茶を飲んだ。


「わ、わかりました。明日行きましょう。それで格好はどうするんですか? 尻尾があったら……」

「尻尾は確かに邪魔になるのぅ。だから以前みのりの目の前に現れた時のような姿に変身する」

(あの時は……チャラそうな見た目だったわね)


 地味な自分が神様とはいえチャラそうな見た目の男を連れていたらどう見えるだろうか? などと考えていたみのりへ、佑羅は出発は今日の深夜になるなといつもの陽気な口調で語り掛けた。


「えっ深夜!?」

「だって日中は龍ヶ池に人がいるだろう? だから深夜の方が助かる」

「ああ、確かに……」


 あれから一度も水渡村に戻っていないみのりは、もう出来れば村の者には出会いたくないと考えていた。


「人間の住まう領域に出る為には、龍ヶ池から出る必要があってな」

「なるほど……」

「わかってくれるな?」

「勿論です。仕方ないものは仕方ないでしょうから」


 それから朝食を食べつつ日程をつめていく2人を女房達は微笑ましい目で見ていたのだった。


◇ ◇ ◇


「みのり、準備は出来たか?」


 深夜丑三つ時。佑羅が用意した黒地に花がらの模様が入ったワンピースに黒いローファーを着用したみのりは、白地にロゴが入ったTシャツと黒いジーンズ姿の佑羅に手を引かれていた。


「はい、大丈夫です」


 みのりはバッグをギュッと握り締める。


「では行こう。女房達よ、留守を頼んだぞ」

「はい、いってらっしゃいませ」


 こうして2人は龍神宮を後にすると、佑羅が発したシャボン玉のような膜に覆われて龍ヶ池の水の中から水上へと浮上する。


「ふむ、誰もおらんように見えるな」


 真っ暗闇に覆われた付近には人どころか物音さえしないでいる。


「みのり、わしに捕まっていろ。空を飛ぶ」

「は、はい……」


 みのりは佑羅の右腕にしっかりと抱き着くと2人は星々が彩る夜空の空高くへと舞い上がる。かなりのスピードが出ているがみのりは不思議と怖くはなかった。


「あれだな」


 佑羅が空の下を指差すと、そこにはビル群からネオンの光がきらきらと輝いていた。


「わあっ……綺麗!」


 みのりは空の上と下を交互に眺める。どこもかしこも宝石箱をひっくり返したかのような煌めきに心が弾んでいた。


「これぞ人間達の創り出した世界だな」

「佑羅様……」

「神々とは違う人間の文明が生み出した景色と言えよう。妖しくもあり美しくもある」


 ちょうど空の下は飲み屋街になっていた。妖しげな看板を光らせているホテルやクラブもあちこち見えている。


「わ……」

「みのり、降り立ってみるか?」

「そうですね……ああ、その……喉が渇いてしまったのでどこか自販機があればいいのですが……」

「わかった。降りてみてみよう」


 ふんわりと降下し、ネオンから少し離れた暗がりの地面に到着する。


「はぐれないように、しっかりとつかまっておくのだぞ」

「はい……!」


 すると2人の目の前に黒いスーツ姿に黒いレイヤー入りショートヘアとピアスだらけな如何にもチャラそうな男達が現れた。2人共みのりに狙いを定めている。


「おっとお姉ちゃん俺らと楽しまない?」

「いい店紹介するよ」


 2人がみのりの肩に触れようと指を伸ばした瞬間、佑羅はぱちんと指を鳴らす。


「ぐわあああああっ!?」


 2人の足元から龍のような水の渦が現れ、2人をどこかへと吹っ飛ばした。

 吹っ飛ばした水の渦はしゅるしゅると地面の中に引っ込むようにして姿を消す。


「ゆ、佑羅様……」

「大丈夫か? みのり」

「はい、ありがとうございます……」

「わしの大事な妻をあのような汚らわしい男どもに触らせる訳がない。恥を知れ」


 にやりと不気味に笑う顔と怒りに満ち溢れた言葉を放つ佑羅を見たみのりは怒っているな……。と感じたのだった。


「す、すみません……なんか、その……」

「みのりは悪くない。だから謝らんでええ」


 みのりの頭をぽんぽんと撫でる佑羅の顔と口調は、いつもの陽気なそれへと戻っていた。

 

(元に戻ってる……良かった)

「さあ、飲み物を買いに行こう。わしの手を握っておれ」

「はい、佑羅様」

 

 リンゴジュースを近くの自販機で購入した後は、佑羅が以前から気になっていたカラオケボックスで夜明けまで時間を過ごす。

 2人共歌える歌はないが、それでもリンゴジュースを飲んだり佑羅が軽食を注文したり、テレビ台の下にあったタンバリンを使って謎の踊りを始めた佑羅をみのりが眺めていたりすると、あっという間に朝が来る。


「お腹空きましたね……」


 カラオケボックスから退店した後、2人は朝食を買いにコンビニに訪れていた。


「ところで佑羅様は、どこからお金を得ているのですか?」


 棚に並んだサンドイッチを見つめているみのりは佑羅に質問してみる。


「土地代だな。領地台ともいう。これがわしの主な収入源である」

「土地代は……龍神宮一体の事ですか?」

「ああ。所有する土地……領地が広ければ広いほどな。そして神域では人間が住まう領域と同じ貨幣が使われている」


 詳しく深堀りするとまず佑羅が所有する領地はなんと水渡村2つ分。所有する領地内にはいくつか神々が暮らす集落があり、そこからお金を集めているのだ。


「ちなみに以前、初めてお会いした時に腹が減ったと喚いてた時はなんだったんですか?」


 みのりの質問に対し、佑羅はギクッとあからさまにバツの悪そうな顔をした。


「財布……落としてしまったんじゃ」

「え」

「気がつけば無くなっとった……部屋に貯めておいた金があったから良かったが……あれが全財産だったら三日三晩飯が食えんかったわ」


 みのりは神様でも財布を落とす事があるのね。と心の中で呟きながら、ハムとマヨネーズのサンドイッチを棚から取った。


「ま、まあ、そんな事はありますよ。私なんか財布を隠された事しょっちゅうですから」

「ああ、どうせ犯人はあのケバい性悪女か?」

「えっ、もみじさんの事もわかるんですね……」

「ははっわしは神様だからな」


 購入したサンドイッチとサラダは、店内のイートインスペースで早速頂き、街中をぶらぶら時間稼ぎしてからいよいよ水族館へ向かう。


「電車に乗るんだな」

「私、久しぶりです」


 2人は券を購入してから朝のラッシュから少し落ち着いたばかりの電車に乗り込む。

 電車の座席に腰掛けてすぐ、電車は発進した。


「おお、揺れるなあ」

「佑羅様、電車は初めてですか?」

「乗った事はあるが、まだ今日で2回目だ。乗り慣れてはおらんな」


 電車から降りて自動改札機を通り抜け、後は看板に従って水族館へと歩いていく。

 潮騒の匂いがほんの少しだけ、みのりの鼻腔を刺激する。


「おはようございます。何名様ですか?」

「大人2名です」

「はい、大人2名様でございますね。料金は合計で2800円となります」


 券売所で券を購入し、建物の中へと入ると最初に飛び込んできたのは巨大な熱帯魚の水槽だった。


「……ここ、前に来た時と変わっていませんね。懐かしい」

「ふむ、そうなのか。おお! 鯉みたいな魚がおる!」

「それはシルバーアロワナですね」


 水槽内の熱帯魚は大きなものと小さなものがうまく混在していた。


「あの、銀と赤い魚は……ふむ、ピラルクーと言うのか」

「好きなんですか?」

「気に入ったのう。龍神宮で買いたいくらいだ!」

 

 その時。佑羅は水槽内にあるものを見つけた。


「お? 神魚卵しんぎょのたまごがあるではないか」

「どれですか?」

「あの金色の卵よ。流木の下にある」


 佑羅の指差す先には金色のうずらの卵くらいのサイズな卵が、水流に揺られながら存在していた。


「あそこにいたままだと、孵化出来んぞ。あのままずっと石ころに似た存在になってしまう」


 いつもとは打って変わった真剣な目つきを見せる佑羅に、みのりはごくりと唾を飲み込んだ。


「ど、どうするんですか? 佑羅様……」

「勿論水槽から出す。みのり、危ないから下がっておれ」


 ぽんぽんとみのりの頭を撫でた佑羅。みのりはこくりと首を縦に振ると数歩後ろに下がった。


「ほおれ、出ておいで」


 佑羅が水槽へ右手をかざすと、水流が床から現れ、水槽を取り囲んだ。


「お、おい! 何だあれは!」

「すごい! 大道芸人みたい!」

「いや、あれは……何かの神様なんじゃないか……?」


 周囲にいた観客達はこぞって佑羅の姿をスマホに収めようとする。が、スマホには彼の姿は映らない。


「ど、どう言う事だ?!」


 観客達がうろたえている中、水槽から水と共に飛び出た神魚卵は佑羅の左手のひらにぽとりと落ちる。


「よし。これで大丈夫だな。みのり、早く行くぞ」

「は、はい」


 水も消え、観客達はぽかんとしながら2人を見つめている。その視線をみのりは少しだけ痛いと感じていたが、佑羅と共にその場を離れると次第に痛さは無くなっていった。


「そろそろイルカのショーがあるみたいですね」

「もうそんな時間か。では一緒に見ていくとするか」

「はい、佑羅様」


 イルカのショーが行われるプールはとても広々としていた。奥のプールから登場したグレー色のイルカ達あいさつ代わりと言わんばかりの大きな垂直ジャンプを見せる。


「すごい……!」


 彼らが見せたジャンプはちょっとした家くらいの高さに匹敵する。そこまで飛べるのか。と腕組みしながら感心していた。

 ジャンプの後は、黒地に縦の白いラインの入ったウエットスーツに身を包むイルカ担当トレーナーによる生態解説やアップテンポな曲調に合わせたジャンプや芸が披露される。


「なあ、みのり。わし、こいつ飼ってみたい」

「え……?」


 いきなりの佑羅の言葉にみのりは若干引いていた。


「いやいや、どうやって飼育するんですか……」

「神域なら、イルカはたくさんいるぞ? 神々はよく飼育している」

(そういえば空の上をクジラが泳いでたりしてるものね)


 イルカ担当トレーナー達が綺麗なフォームでプールに飛び込んだ。するとイルカに押し上げられ、天高く飛ぶ。


「ロケットジャンプです!」


 おお――! と割れんばかりの歓声が起こった。みのりと佑羅の目線も釘付けとなっている。

 すると、佑羅が持っていた神魚卵にヒビが入った。

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