第4話 結婚前

「ほれ、例えば……この物語は面白いぞ? 戦記物というそうな」


 タブレット画面には龍神の歴史と白い色でタイトルが記されている書籍が表示されている。あらすじを読む限り日本各地の龍神達が人間の娘と恋に落ちたり、神々との戦いや人間に災厄や豊穣をもたらしたとする内容の話が記されているようだ。


「これ、龍神様の事も載ってたりするんですか?」

「わしは佑羅と呼べばよい。ああ、そうだな。わしと狗神の戦いが少しだけ載っていた」

「へえ……えっと、じゃあ龍……佑羅、様はその戦いに勝ったのですか?」


 みのりからの問いに佑羅は自信満々で大きく頷いた。


「勿論! わしは龍神。高位の神である以上、簡単には負けんよ。それにわしはこれまで派手に負けた事は一度も無いからのう!」


 ははははっ! と腰に手をやりながら自信たっぷりに笑う佑羅を見てみのりは本当に強い神様なんのね……。と胸の中でひっそりとつぶやいた。


「そうなんですね……強いのはうらやましい」


 みのりの脳裏には、もみじに虐げられ、当主や父親からも良くない扱いを受け続けてきた日々がよぎる。

 機嫌を損ねたもみじに髪を引っ張られ、怒号を浴びせられ、腹部を蹴られたりした毎日。当主からも暴言を吐かれ、父親はそれをかばわず、みのりに我慢を強いるだけ……それにまだみのりの身体中に痣や傷がうっすらとだが残っている。


「……みのり。もう心配せんでええ。わしがみのりを守る。永遠にな」

「佑羅様……」

「ああ、わしはそなたを愛しているからのう。それくらい朝飯前よ」


 ふふん。と鼻を鳴らす佑羅にみのりはへえ……。と小さな声を出した。


「優しいのですね」

「惚れた女には甘いのがわし……いや、神というものよ」


 不思議そうに見つめているみのりに、佑羅はああ、そうだなぁ。と天を見上げながら何かを思いついたような声を出した。


「あさって婚儀を挙げよう。神々を呼んで大々的に祝おうではないか。のう?」

「へ? 出会ったばかりなのに……?」


 まだまだ実感が湧いていないみのりは、いやいや待ってください……! と佑羅に声を掛けるも佑羅は婚儀の仕方はどうだったかの? と近くにいた女房に相談し始めていた。


「いやいや……! だから待ってください……! いきなり婚儀だなんて」

「神と人間の結婚にはよくある事だぞ?」

「そうなんですか?」 


 佑羅の話をまとめると、神に嫁いだ花嫁達にはみのりのような恵まれない境遇を持っていた者も少なくないのだとか。


「駆け落ちはよくある事だ。神域まで到達すれば人間の手は及ばんからな」

「へえ……これまで捧げられてきた生贄の皆さんは、佑羅様に嫁ぎたいとは思わなかったのですか?」


 みのりからの問いに、女房達は皆首を横にふる。


「死にたくなかったのが答えでございますね」

「わたしは……実の所お慕いしていた方がおりました。戦地で病死したと聞きましたが」

「私にはそのつもりは無かったですね」

(……良かった。のかな?)


 佑羅は女房達にあさっての婚儀に向けて準備に入るようにと命じると、みのりが待ってください。と制止した。


「あの、私に何か手伝える事はありますか?」

「そなたは大事なわしの花嫁なのだ。傷つける訳にもいかんしゆっくりと休めば良い」

「わ、わかりました……」

「だが、そなたの気持ちは確かに受け取ったぞ。ありがとうな」


 佑羅がみのりを抱き寄せると、彼女の頭を優しく手で包み込むようにして撫でる。


(わ……)

 

 みのりには若い男に優しく抱き締められる経験は無かったので、徐々に顔が赤くなっていく。自分でもこれは大丈夫なのか? と思う位だ。


「みのり、大丈夫か? 顔が赤くなってるぞ? 熱でもあるのか?」


 気がついた佑羅がみのりの額に手を当てた。


「や、佑羅様。これは違います。これは……その」

「熱はない……その? なんだ?」

「……やっぱり恥ずかしいのでやめておきます」

「むっ、そう言われたら逆に気になるぞ」


 みのりの顔はまるで茹でダコのように真っ赤になる。佑羅はそんなみのりに構わず、額へ口づけを落とした。


「!」

「ふふっ、みのりは可愛いのう」

「か、からかうのはやめてください。私は可愛くないですから」

「本当の事だぞ? からかっておらんし嘘もついておらぬぞ?」


 恥ずかしい……。とみのりは顔を両手で押さえてみるも熱は消えてくれなかったのだった。


◇ ◇ ◇


 一方、水渡村は龍神祭が途中で中止となり混乱を極めていた。


「淵沼家の娘が神の妻に!?」

「しかも婿養子が不倫して生まれた不義の子が選ばれただと!?」


 村の有力者達はこぞって、なぜこうなったのかと議論し合う。そんな彼らとは距離を置いていたのが淵沼家の当主とその娘もみじだった。


「ママ! なんでアイツが龍神に気に入られてんのよ!」

「私もわからないのよ……だってこれまでこのような事が起きた記録は無いし」


 当主は笑顔こそ浮かべていたが、額には冷や汗が一筋流れていた。


「ムカつく! 龍神にふさわしいのはみのりじゃなくてあーしの方じゃないの!?」


 もみじは胸を張り自分の方に指を指す。近くにいた村民達はこぞってもみじちゃんこそふさわしいよな! と声をあげた。


「そうだそうだ! もみじちゃんを選ばないなんて龍神様ももったいないよな!」

「だよね! あーし可愛いもんね!」


 もみじ達のやり取りを見ていた当主はそうよね。と返しながら脳内では不満と考えがつらつらと浮かんでは消えていっている。


(なぜあの子が選ばれたと言うの? もしかして生贄だから龍神様は同情された? 神は恩義を大事にすると聞くしあの子が何かしたのかもしれない……)


 その時。当主はある事に気がつく。


「……もみじを生贄として送り込めば、龍神様も気に入ってくださるんじゃないかしら?」

 

 早速、当主はもみじに提案してみる事にした。


「ねえ、もみじ。あなたが生贄になって龍神様の元に行けばいいんじゃないかしら?」


 しかしもみじはぎっ! と目つきに厳しさが増えた。これは何かを拒否する時の彼女の表情である事は当主は痛い位に理解している。


「嫌だよ! あーしが生贄とかダサいし絶対やだ! 花嫁じゃないと嫌つってんの!」

「ほら、生贄になれば龍神様も同情してくれるかもしれないじゃない?」

「でも死んじゃうじゃん」


 もみじの言葉に当主は何も言えなくなった。


「ママ、あーしが生贄になるのはやだかんね。神様の花嫁の方が何億倍ましだから」

「もみじ……ごめんなさいね。あなたなら神様ときっと結ばれて幸せになれるわ」

「ほんと!? ママ大好き!」


 機嫌をよくしたもみじは当主に抱きついた。満面の笑みを浮かべるもみじに当主はにっこりと笑ってみせる。


(どうしてみのりが選ばれたのか。あともしかしたら龍神様は2度と生贄を取らないかもしれない……これは村の者達と話し合う必要があるわね)


◇ ◇ ◇


 婚儀の前夜。みのりはベッドで横になっているが瞳は開いたままだった。


(眠れない……)


 みのりは龍神宮に来てから眠れない状態が続いている。みのりはベッドから起き上がると、近くで待機していた女房から声を掛けられる。


「奥様。いかがなさいましたか?」

「眠れなくて……」


 すると女房はよっこらせ。と立ち上がる。


「温かいお飲みものをご用意いたしましょう。何がよろしゅうございますか?」

「……お白湯で」

「かしこまりました。奥様。ご用意いたします」


 女房が持ってきたお白湯は、マグカップに入っていた。茶色いマグカップはどこか不格好で手作りの雰囲気がある。


「……これ、誰かが作ったものですか?」

「龍神様が人間の姿である工房を訪れた時に作ったものでございますね」

「へえ……佑羅様の手作りなんだ」


 ごつごつした粗っぽい感触は、既製品とは違う暖かさを醸し出していた。


「いただきます……温かい」


 お白湯を飲み身体を温めたみのりは、ベッドに戻り布団をかぶる。


(眠れそうな気がしてきた)


 その後、熟睡しているみのりの元を佑羅が訪れた。


「……よく眠っているようで何よりだ」

「ええ、龍神様。良かったです」

「ああ、人間の健康には睡眠と食事と運動が大事らしいからのぅ」


 去っていく佑羅は中庭から、夜空を見上げる。

 神域には人間の住まう領域と同じように、昼と夜が存在する。だが夜空はいつも満点の星空と満月がデフォルトで、それぞれ居を構える神々の気分で月の形が変わるのだとか。

 例えば佑羅が三日月が見たいと思えば龍神宮からは三日月が見えるが、他の住居に住まう神が半月が見たいと望めばその住居からは半月が見える……といった具合である。


「満月は良いのう。明るい」


 月をひとしきり眺めた佑羅は、後ろ手を組んで尻尾を左右に振りながら自室へと戻っていった。すると彼の目の前に手紙がふわふわと現れる。


「なんじゃなんじゃこんな時間に……ああ、婚儀の参加辞退の知らせか?」


 手紙にはその日は重要な儀式がある為、留守にはできないので婚儀には来れない。だが祝いの品はちゃんと送りますのでご安心を。といった内容の文章が記されていた。

 ちなみに差出人は佑羅と同じく龍神である。


「まあ、仕方ないのう……返信でも書いて送っておこうか」


 自室へと到着した佑羅は早速文机と向き合い、手紙を筆ペンで書き始めた。この筆ペンは彼がお忍びで人間が住まう領域内にある文房具店で購入したもの。わざわざ墨を用意しなくても書ける所が気に入っているのだ。


「これでよし……と」


 手紙が乾くのを待ってから、折りたたんで天へ向けて放り投げると手紙はふわふわと宙に浮かんで、クラゲのように漂いながら宛先へと進み始めた。

 佑羅の自室はみのりのそれよりも狭く、それに漆塗りの棚にはあちこちで買ってきたものが所狭しと並んでいる。


「……みのりを迎えた事だ。この部屋をみのりに見られたら怒られるかもしれんし、迷惑をかけるような事があってはならん。片付けもせねばならんの。よし、寝ている間にやってしまうとしよう」


 彼の自室で待機していた女房2人が片づけを手伝うと言ったが佑羅は大丈夫だ。と丁重に断る。

 まずはいらないものといるものの2つに分けるのだが、これが佑羅の想定を超えた作業量だった。


「わし、こんなに色々買い込んでいたのか……?」


 ややショックを受けながらいるものといらないものに区別しながら、どさどさと雑誌にガラクタにとものを木の床に置いていく佑羅。


「ふう……ため込むのは良くないのぅ」


 その時、佑羅が持っていたブリキのロボット風おもちゃが手から滑って木の床の上に落ちた。どん! という大きな音は、就寝中のみのりを起こしてしまう程のものだったのである。


「ん?」


 目を覚ましたみのりは近くにいた女房に何かありました? と質問してみる。


「わかりません……ちょっと確認してきます」

(……もしかして佑羅様に何かあった?)

 

 みのりはベッドから起き上がると、速歩きで女房の後をついていった。彼女の心の中には佑羅に何かあったのではないかという不安が紙の上に垂らした墨汁のように広がっていく。


「……え?」


 するとせっせと自室の片づけをする佑羅の姿がみのりの目に飛び込んできた。みのりは信じられない! というような顔つきをしながら早歩きで佑羅の元へと向かう。


「…なっ何してるんですか! こんな夜更けに片付けだなんて!」

「ああ、みのりに迷惑をかける前にさっさと片付けてしまおうと思ってな」

「いやいや、こっちが寝ている時にびっくりしますよ……!」

「それはすまなかった」


 丁寧に頭を下げて詫びる佑羅に、みのりは神様なのにそこまでするんだ……。と佑羅達には聞こえないように小さな声でつぶやく。


「なら、私も手伝います。皆でやればすぐに済むと思うので……」

「……ほんまか? 申し訳ないが手伝ってもらおうかの……」


 ちょっとしょんぼりとした佑羅に、みのりはちょっとイライラしすぎて言い過ぎたかな……。と反省する。


「……すみません、言い過ぎてしまいました」

「? なにがじゃ?」

「さっきの会話です……すみません、あなたには悪気はないのは分かっていますが……その、佑羅様に何かあったのではないかと」

「いや、謝るでない」


 ぎゅっとみのりを抱きしめる佑羅の尾は、ぶんぶんと子犬のように左右に揺れている。


「すまなかったな……心配させてしまって」

「あ、いえ……何もなくて、良かった、です……」


 片づけは皆が協力したおかげで数十分ほどで終了したのだった。そしていよいよ朝が訪れる。

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