第3話 神域・龍神宮

「龍神様! あの、ちょっといいですか……?」


 みのりが彼をちらりと遠慮がちに見た。


「うむ、どうした? みのり? あとわしの事は佑羅ゆらと呼ぶと良い」

「わ、えっと、なんで私……私が選ばれたんですか? それに私まだ18歳で……あっ中卒ではあるんですけど……」


 驚きと緊張が織り交ざった精神状態となっているみのりは、どもりながら佑羅に声をかけるのがやっとだった。


「それはあとでゆっくりと話そう。ここはちと人が多すぎてかなわん。場所を移したい」

「は、はい……」

 

 佑羅は実りと共にゆっくりと池の中へと沈んでいく。どぼんと身が全て水の中に入ると、みのりは自分がなぜか水中で息が出来ている事に気が付いた。


「い、息が出来てる。こ、これは……? 私、もしかして死んじゃった?」

「わしと一緒におれば人の身であるそなたも水中で息ができる。さあ、神域……龍神宮へと参ろう」


 2人が沈んでいくと池の底から白い光が現れ、2人を飲み込んでいく。そしてみのりが目を覚ました先にあったのは水渡村とは全く違う景色だった。

 青い空には雲と共に大きな鯉のような白い魚が泳いでおり桜の木々があちこちに花を咲かせ、中央には寝殿造風の巨大な建物がそびえたっている。


「ようこそ、我が妻よ。我ら人ならざる者が住まう神域そして龍神宮へ」


 にこやかに笑う佑羅の顔と目の前に飛び込んでくる景色にみのりの目はすっかり奪われていた。


(ここが神域……水渡村とは違う。本当に別世界へと来た感じ……!)

 

 宮殿の前に到着すると、赤い巨大な門が開かれる。門の向こうには色鮮やかな十二単を着用した若い女性達が地面から10センチくらい浮いた状態で列をなしており、一斉にお辞儀をして出迎えてくれた。


「おかえりなさいませ、龍神様」

「おう、ただいま戻ったぞ。紹介する。こやつが我が妻・淵沼みのりだ」


 ここでもしれっと我が妻と言われた事で困惑の表情を浮かべるみのりだったが、十二単姿の若い女性達は疑う素振りを見せずに、みのりに対しても佑羅と同じように頭を下げるだけだ。


(とりあえず、挨拶しておこう……)

「えっと……はじめまして、淵沼みのりです。どうぞよろしくお願いします……」

(なんで私なんかが神様の妻になったんだろう……18歳になったから結婚は出来るんだっけ? でも全然分かんない……)


 戸惑うみのりだが、ここでようやくある事に気が付いた。


「あれ、着物が濡れていない。池の中に入ったはずなのに……」


 着物の袖を持ったり顔や髪に触れてみても、濡れた感触は一切残っていなかった。


「それはこの龍神宮に到着したからだな。みのり、その着物も十分に似合っていて可愛いが、うちにはもっと良い着物がたくさんあるぞ?」

「かわいい? 私が?」


 そんなのあり得ない。とでも言いたげなみのりの頭を佑羅は尻尾を左右に振りながら、右手でぽんぽんと撫でた。


「うむ。そなたはとっても可愛いではないか。まあ、その他にもそなたに惚れた理由はあるのだが、まずは飯にしよう。腹が空いただろう? ん?」

「あ、いや……大丈夫です」

「そうかそうか。腹は空いてないか。では着物を見てみるか? それともかんざしでも……」


 ここでみのりはま、待ってください! と自分でも驚く程の大きな声を出した。


「あの……私死ぬつもりだったんです! でもなんで……こんな事になってるんですか……?! いきなりあなたの妻になるって言われても訳がわからないんです……!」

「……みのり」

「っぅ……! す、すみません……すみません……」


 その場にしゃがみ込んだみのりの目からは涙があふれる。もみじに暴力を受けた訳ではないのに何で泣いているのか、自分でも分からなかった。

 そんなみのりに対し、佑羅は彼女の隣にしゃがみ込んで背中をさする。


「わしはな。そなたの優しさに惚れたんだ」

「え? ど、どういう事ですか……? わ、私達、会うのは、はっ初めてじゃあ……」

「いいや、違う。わしは龍神祭の前……人間の姿でそなたに会った」 

 

 みのりが佑羅の顔を見上げると、佑羅はみのりのあごの下に右人差し指を当てた。


「そなたがご馳走をわしにくれただろう?」

「あ! あの時の……!」

「そうだ。思い出してくれたか?」

(あのお腹空かせてたチャラそうな人……!)


 佑羅はにんまりと白い歯を見せて笑う。


「あの時は本当に助かった。そなたのおかげだ。そなたの優しさにわしは惚れた」

「あれは……どうせ死ぬなら1食くらい抜いても良いと思っただけですから」


 つん。と冷たい様子と困惑した様子の2つを見せるみのりに佑羅は良い良い。と笑うだけだ。


「そなたの優しさがわしを救った事を忘れないでくれ、な」

「は、はい……」

「よし! 辛気臭いのはわしには似合わん! 早速そなたの部屋へと案内しよう」


 佑羅は立ち上がって両太ももをぱん! と勢いよく叩くとみのりを勢いよく抱き上げて左肩に担ぐ。


「あっ! ちょっ、待ってください!」

「おっ、おんぶが良いか? それともお姫様抱っこなるものが良いか?」

「……おんぶでお願いします……」


 おんぶされて向かった部屋は、平安時代の姫君が暮らしていたかのような広々とした間取りだった。

 目の前には小さな池と赤い橋付きの中庭がある。


「この茶色い扉の先に厠と風呂がある」

「トイレですか?」

「そう。トイレだ。で、水色の几帳の先がベッド……架子床に似ているやつだな」


 水色の几帳の先には確かに、和風と中華風を織り交ぜたかのようなベッドがあった。


(ふかふかしてそう)


 他にも食事は1日3食用意する事などが、佑羅の口から説明された。


「みのり。わからぬ事はあるか?」

「あの、十二単を身にまとった人達はどのような人達なんでしょうか」

「彼女達はみのりと同じ、生贄になった者達の一部だ」

「え……?」


 彼女達はにこにこと笑いながらみのりと佑羅を見ている。


「生贄達は確かに死んだ。しかし彼女達の為にもどうにかしたいと考えたわしは……転生させ、龍神宮で生きるように命じたのだ」

「転生……」


 みのりは転生という言葉に驚き、目を丸くさせた。


「当時の記憶も、辛いと感じた者は消したしそうでない者はそのままにしておる」

「……」

「そしてわしの世話をしたいと言った者はこうして龍神宮で女房として暮らしておる。生贄達はこの地で幸せに暮らし続けるのだ」


 おおらかに語る佑羅と実際幸せそうにしている生贄達の姿を、みのりは交互に覗き込む。


「皆ここにいて幸せなんですか?」


 みのりの声掛けに、女房達は穏やかに口を開いた。


「はい。幸せです。労働時間もきっちり守られていますし残業もなく福利厚生もきちんとしています」

「この地は水渡村よりも穏やかで楽しいんです」

「辛い事は基本ないですね。お気に入りのお皿を割ってしまったくらいかしら」


 充実しているのがはっきりと見て取れる女房達に、みのりはふぅん……。と少しだけ口を尖らせた。


「むっ、腹が空いたな」


 ぐうううう……。という佑羅のお腹の音に、みのりは思わずくすっと笑った。


「あっ、みのり今笑ったな?」

「わ、笑ってませんよ?」

「笑った! 神であるわしの目はごまかせんぞ?」


 ひひっと笑いながらみのりの肩を抱く佑羅。彼の持つ豪快かつ太陽のような朗らかな明るい雰囲気に、みのりはどこか不思議な感触を覚えていたのだった。


(なんだろう……)


 みのりは佑羅と女房達の勧めもあり着替える事になった。

 彼女が選んだのは着物ではなく洋服。白いフリルがたくさんついたブラウスには黒いリボン。そして黒いスカートを履いた。このファッションはみのりが以前から憧れていたファッションである。


「かわいいぞみのり。髪型も整えてみようか。女房達よ、化粧道具を出してくるんだ」

「かしこまりました。龍神様」


 髪型はハーフアップにして、髪留めは佑羅が勧めたルビーがあしらわれたものをつける。

 

「本当に良いんですか? ルビーって結構高いと思うんですけど……」

「良い良い。わしからの気持ちだ」


 腕組みをしてうんうんと頷く佑羅を見て、みのりは頭の後ろに手を回し、髪留めのルビーを触る。


(ルビーだ……)

「みのり。宝石が欲しくなったらいつでも言ってくれ。わしがなんでも与えよう」


 佑羅の言葉にみのりはふるふる……。と小さく首を横にふる。


「あ……いえ、結構です」

「控えめじゃのう。人間は皆宝石が好きで、実物を見ると目の色を変えて欲しがるとも聞くがなあ」

(もみじさんならそうだろうけど)

 

 佑羅はみのりへ豪華な昼食を用意すると、一緒に食べようとねだってきた。


(いつもひとりだったから……大勢の人達と食事するなんて初めてだ)


 お膳にはタルタルソースが贅沢にかかったチキン南蛮など、みのりが好きな食べ物達がずらりと並んでいる。


(なんでわかったんだろう。唐揚げ好きだって)


 試しにみのりは佑羅に聞いてみた。すると佑羅はチキン南蛮をかじりながら笑う。


「当たり前じゃろ? わしは神様じゃぞ。我が妻の好物くらいわかっておる」

「そ、そうなんですか……なんでもお見通しなのですね」

「もちろん。そなたの境遇もな。だからあの時、抵抗しなかった」

「っ!」


 全て知っていたと知り、思わず螺鈿の装飾が施された黒い箸を落としたみのり。慌てて拾うと女房が代わりの箸を差し出してくれた。


「すみません……ありがとうございます」

「いえいえ。そちらは洗っておきますから新しいのをお使いください」


 へこへこと女房に頭を下げるみのりの姿を、佑羅は目を細めながら見ていた。


「とにかくだ。わしはそなたの事なら何でも知っている。だから遠慮はせんでええ」

「そっそう言われても……すぐには……」

「ゆっくりでええ。わしはずっと待っておる。焦らずみのりの歩調でええから」


 みのりはお善に目を移す。お吸い物にはみのりの顔がぼんやりと映し出されていた。


(ゆっくりでいい、か……)


 お吸い物に映り込むみのりのぼんやりとした顔には、笑みどころか感情が無かった。対する佑羅はずっと笑みを崩していない。


「龍神様は明るいお方なんですね」

「ははっ。わしはそういう性格よ。神々からもうるさいとか、世話焼きだとか言われる位にな」


 尻尾をびたびたと弾ませ、がははっと笑う佑羅に、みのりはふっと力が抜けたかのような笑みを見せる。


「そうですか……」

「おっ笑ったの。やっぱりそなたは笑顔が一番似合っとる」

「……そう、ですか……ありがとうございます?」

「疑問形でなくて良い。事実なのだから」


 女房達も穏やかに笑う。花のような笑顔に囲まれたみのりはもそもそと食事を全て平らげたのだった。


「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」


 みのりはお膳を持って立ち上がった瞬間、近くにいた女房達に制止される。


「奥様。お膳は私達が回収いたします」

「ですからどうぞごゆっくりしてくださいませ」

「えっ……いや、そんな、悪いですし……」

 

 みのりはいつも食事は自分で作って自分で後片付けをしていた。当然ながら時間やもみじと当主の機嫌が悪い日には、食事する間も無かった事だってある。

 だが女房からすれば新たなもうひとりの主人であるみのりには、そんな手間はかけさせてはいけないと考えていた。


「奥様、持っていきますよ」

(そう言われても、なんだか申し訳ない……)

「みのり、お膳は女房達が片付けするから遠慮せんで良いぞ」


 結局佑羅に押し切られる形でお膳を運んでもらったみのりはちょこんと座布団の上に座る。


「みのり、本でも読むか?」

「……そうですね。読んでみようかな……」

「じゃあわしが持ってくる。そこで待っているんだぞ」


 しばらくして佑羅が持って来たのは、古本から最近販売されたばかりの料理雑誌などの本だった。


「これ、どこで入手してきたんですか?」

「そらあれよ、わしが人間になって本屋で買うてきたもんよ。最近はタブレット? でも読めるんだってな」

(電子書籍の事かな?)


 佑羅が着物の袂から黒いタブレットを取り出すと、ぽちっとスイッチを押した。

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