第2話 龍神との出会い

「ごめんください。迎えに参りました」


 沼尻家の者達が派手な着物を着て淵沼家の玄関先にやってきた。いつものようにTシャツと半ズボン姿のみのりが顔を出すと、あなたは? と沼尻家の者達から尋ねられる。


「あの……私が生贄になりました、淵沼みのりです」

「いや、生贄はもみじちゃんのはずだけど?」

「流石に龍神様がアンタみたいなブスな子相手する訳ないじゃない! ほら、邪魔だから出てって!」


 沼尻家の者達からお呼びじゃないと口々に言われるみのりだったが、黒い着物を着た当主が来ると沼尻家の者達は静かになった。


「みのりはね、自ら生贄になると志願してくれたんですよ。それにもみじは大事な娘だからたとえ龍神様が相手でもおいそれと出せません」


 にこやかに笑う当主に絶句した沼尻家の者達は、渋々みのりへどうぞ来てください。と声を掛ける。


「じゃあねみのり。龍神様に嫌われても絶対戻って来ないでよね」

「もみじさん……さようなら」

「ふん」

(やっと屋敷から出られる。死ねば楽になれてお母さんとも会える)


 みのりは沼尻家の者達に囲まれるようにして徒歩で移動していく。

「今日からあなたはこの小屋で生活してもらいます」


 龍ヶ池のほとりにあるのは、キャンプ場でよく見かけるような小屋だった。周囲には沼尻家の者と思わしき中年くらいの男性達が警備にあたっている。


「トイレも小屋の中にあります。食事は1日3回、持ってきますから。そしてこれに着替えてください」


 みのりに手渡されたのは巫女装束と新品の下着だった。間近に見る巫女装束にみのりは目を丸くさせながら見つめる。


「ありがとうございます」

「では、どうぞ」


 小屋の扉が開かれる。中の間取りは部屋と窓がそれぞれひとつと小さめのユニットバスだけ。みのりが中に入るとすぐさまぎい……と扉は閉められた。


「……着替えよう」


 着替え終わったみのりは改めて部屋の周囲に目を通す。


「家具は……この棚だけか」


 棚には本がいくつか収納されている。どれも古本で神々についてや信仰・昔話や伝説が記されたものだ。

 そのうちの1冊を手に取り、ぱらぱらとページをめくってみる。


「上一宮町の山あいには人が足を踏み入れる前から狗神の群れが生息していた。狗神に気に入られた娘は結婚する事で一族に繁栄をもたらす事がある……か」


 上一宮町は水渡村の隣町。スーパーやコンビニもあり水渡村と比べると活気のある町だ。

 

(神様、ねえ……神様はどうして私を助けてくれないんだろう)


 みのりは神という存在に対して否定的ではないが、いるならなぜ自分を助けてくれないのか。と言語化しづらい複雑な感情を昔から抱いていた。

 

「狗神の群れは水渡村の龍ヶ池に住まう龍神とは長年対立関係にあった、と……へえ、神様も戦争するのね」


 本を読んでいるとすぐに昼食の時間が訪れる。昼食は沼尻家の者と思わしき、紫がかったピンク色の着物姿の女性が朱塗りの膳に乗せて運んできた。

 白米に揚げた白身魚の上から野菜のあんかけがかかったもの、なますに香のものと汁物が鮮やかな食器に盛り付けられた状態で並んでいる。


「どうぞお召し上がりください」

「ありがとうございます」

(豪華ね。死ぬ前にはせめて豪華なものを食べてほしいって事かしら。それとも太らせた方が龍神様はお喜びになるとか?)


 食事はどれも美味しい。やや味付けが濃い目で机が無い状態で食べなければならない面倒くささはあるが、膳は高めだし味もまずくはない。

 みのりが食事を食べ終わった10分後くらいに先ほど昼食を運んできた女性がまたやってきて、昼食を回収していった。


(龍神祭までこんな調子が続くんだろうな)


 夜。みのりが窓から月が浮かぶ夜空を見上げていた時、扉が開いて沼尻家の男性達が布団を持ってきてくれた。新品のふかふかした布団にくるまって寝るとなぜかみのりは朝までぐっすり眠れたのである。

 朝。朝食を食べ終わり扉が開くと外から小中学生らしき少女達の声が聞こえてきた。


「ねえ、そろそろ龍神祭だよね。楽しみだなあ」

「選ばれた人は龍神様と結婚するんだってね」

「うらやましいなあ。私も早く結婚してこんな村出ていきたいよ」

「神様と結婚したら幸せが保障されるんだもんね。私も人間の男の人よりかは神様と結婚したいよ」


 龍神と結婚するのではなく、生贄になるという事を彼女達は知らないようだ。みのりは今すぐにでも外へ出て彼女達へ真実を教えてやりたいという気持ちが一瞬湧いたが、すぐに上から蓋をするように我慢する。


(あの子達は何にも知らないままの方が……いいのかもしれない)


 昼。壁にもたれかかって三角座りをした状態で本を読んでいたみのりは、窓の外から誰か――と叫ぶ男性の声に気づく。


「何?」


 立ち上がって外の景色を見てみると、池のほとりで白いTシャツに黒いジーンズを着用した白髪ウルフカットな若い男性がうつぶせに倒れている姿があった。


(……なんかチャラそうな人。でも助けた方が良いよね)


 みのりが右手の拳で扉をどんどんと叩くとすぐに見張りの者が扉を開けてくれた。


「なんでしょうか?」

「池のほとりに若い男性がいます、助けたいのですが……」

「わ、わかりました……」


 見張りのひとりが現場へと向かい、若い男性に話を聞いた。


「いかがなさいましたか?」

「は、腹が減ったんじゃ。なんか食いもんないか?」

「ここからしばらく歩いていくとスーパーがありますけど……」

「無理じゃ! 耐えきれんし金もねえ!」


 するとこのタイミングで紺色の着物姿の女性がみのりへ昼食を運んできた。


「おい! それもろうてええか?」

「きゃあっ! あなた急に何ですか?! あげるわけないでしょ! これは大事な食事なんですから!」

「頼む! 半分だけでもええ! わしにくれ!」


 問答を聞いていたみのりは小屋のぎりぎり前まで歩み寄ると、すみません……! と女性に声をかけた。


「いいですよそれ。その人に全部食べさせてあげてください」

「なっ……いいんですか?! あなたの大事な大事な食事ですよ?!」


 みのりは女性へ向けてふっと穏やかに笑う。彼女が笑ったのは久しぶりの出来事であった。


「どうせ死ぬんだから、1食くらい抜いても同じですよね?」


 女性はみのりの願い通り、膳を若い男性に差し出した。


「あ、ありがとうございます……うんまっ! 炊き込みご飯も美味しいし和風のつくね? みたいなやつも美味しい!」

「あの、それはハンバーグですよ」


 女性がそうばくばくと飯をかきこむ彼へと教えてあげると、彼はそうかそうか! と笑いながら答えた。


「いんやあ、めっちゃうまい! 箸が止まらん! あ、そこの若い女の子! ありがとうな! この恩は絶対忘れん!」


 みのりに感謝し心の底から美味しそうに食べる若い男性を、みのりは不思議そうに見つめていた。


(チャラそうだから悪い人かと思ってたけど、そうでもなさそう)


 若い男性はぺろっと食事を余す事無く平らげると、ごちそうさま! と手を合わせて大きな声であいさつした。女性が二度とここへ来てはなりませんよ! と注意すると彼は龍神祭にまた来る! と言っていずこかへと去っていく。


「はあ、全く。変な人でしたね。みのりさん本当に良かったんですか?」

「はい。さっきも言った通りどうせ死ぬんだから構わないって思ったので」

 みのりの言葉に女性は気まずそうにして目線を雑草が生い茂る地面へと向けた。


「もう、覚悟は出来ていらっしゃるのですね」


 彼女からの問いかけに対し、みのりははい。ときっぱりとした声音で答える。


「これまで数人生贄となった女の子を見てきましたけど全員、死にたくないと言ってました。生贄として捧げられる時も皆抵抗してましたけど……あなたのような人を見たのは初めてです」

「そうですか」

「……淵沼家でも扱いがよっぽど良くなかったのですね。あそこは嫌な人達だらけだから同情します」


 淵沼家を良く思わない者もいるという事を知ったみのりは、ふうん……。と小さく鼻を鳴らしたのだった。

 龍神祭当日。水渡村には村民が集結していた。秘祭というだけあって村の外には全国各地から人々が訪れているが皆村の入り口で、警備員達の手により留め置かれている。


「これより先は入らないでください!」

「生贄の存在って本当ですか!?」


 いくら神々と人間が長きに渡り共生してきたとはいえ、本来生贄を捧げるのは立派な殺人罪である。それに龍神祭が秘祭扱いされている最大の要因でもあるのだ。


「だめです! 皆さん帰ってください!」


 警備員は村民。絶対村に入らせないように身体を張り続ける。

 そして小屋の中では、化粧をして赤い花の髪飾りをつけ、絢爛豪華な赤い打掛に金色の帯姿に身を包んだみのりが正座をしてその時を待ち続けていた。


「……はぁ」


 いよいよ終わる。楽になれる。胸の中で呟くと扉がゆっくりと開かれた。


「お待たせしました。お外にどうぞ」

「はい」


 沼尻家の者達によって導かれながら、みのりは龍ヶ池のほとりの小さな桟橋に歩み出て、先端に到着した。

 着飾った彼女を後ろから村民達が、今か今かとみのりからすれば針のような視線で見つめていた。勿論、もみじと当主に父親の姿もある。


「では……」


 本来ならここで、生贄は背中を突き落とされ龍ヶ池の底へと沈んでいく。しかし、みのりは自ら池の中へと飛び込んだのだった。


「そなたはわしが死なさんよ」


 池の中で呼吸が出来ない苦しみに耐えながら沈んでいくみのりを、白く長い髪に金色の瞳、和装と中華風の着物が織り交ざったかのような服装に身を包んだ若い男が抱きとめた。


「……?」

(あなたは?)


 若い男性の腰には、銀色の鱗で覆われた龍のような尻尾が生えている。鱗は水の中で煌めいてまるで星のようだ。

 彼はみのりをお姫様抱っこした状態で水中から浮上し、更に池の上に浮かびあがる。


「おおおおおおおっ?!」


 祭りを見ていた一同が皆、目をまん丸にさせて若い男性とみのりに視線を向けた。目の前で龍のような尻尾の生えた若い男性がみのりを抱いて空中浮遊しているとなれば、誰だって驚くのも無理はない。


「ふう、この龍神たるわしに生贄をよこしてくれてありがたい。が、こやつは我が妻として迎え入れる事とする!」

「えっ」

「なんだって?!」

「龍神様が生贄の女の子を妻に迎えるだって?!」


 村人達の間では混乱が駆け巡る。しかしもみじだけはいつものような、不機嫌極まりないといった表情を浮かべていた。

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