第1話 生贄の少女
水渡村はとある県境近くに存在する周囲を山で囲まれた集落である。村内には小学校、中学校に小さな診療所と役所に無人駅はあるものの、食料品を販売しているスーパーのような施設は無い。ちなみに一番近くのスーパーまでは車で20分はかかるが、道中カーブが多い険しい山道を走っていかなければならないくらいだ。
また、高校も一番近くて隣町にあるものになるので、皆自転車かバス、電車で通学している。
そんな今どきの都会とは大きくかけ離れた水渡村に夜明けが訪れた。
「ふぁあ……」
水渡村の中でもトップクラスの大きさを誇る和風建築の屋敷内にある離れの一室にて、
(また朝が来た……)
淵沼家は水渡村の中でも1.2を争う名家で、昔から地主の一家としてこの地に根付いている。美人が多いと言われる名家でもあるこの家だが一方で、みのりを閉じ込める檻のような存在と化していた。
「よいしょ……」
年季の入った白と桃色の布団からごろんと起き上がると、布団を綺麗に畳み、ふすまを開けて中に布団をしまう。彼女のくりっとした瞳に光はあまり宿っていないようだ。
布団の収納が終われば着替え。無地の紫色のTシャツに中学時代の体操服である半ズボンを着用すると、母親譲りの黒いストレートロングな髪を結わえながら、はだしで屋敷の母屋へと向かう。
18歳になったばかりの彼女にとって中学生時代の体操服は、無くてはならない大切な私服のひとつだ。
(朝ご飯作らないと……)
みのりは重だるい足取りのまま、母屋の台所に入るとグレー色の冷蔵庫からほうれん草とわかめ、豆腐と味噌を取り出して味噌汁を作り始める。更に味噌汁作りと並行して玉子焼き用のフライパンも取り出し、卵2個を小さめのボールに割って溶いた。
「みのり。アンタ起きてたんだ」
声を聞いたみのりはびくっと肩を震わせながら声のした方へと振り向いた。みのりの後方にはダボッとした白いTシャツ姿に茶髪、ギャル風のモデルのような顔立ちの少女が、壁に左手をついた状態で立っている。
「もみじさん……」
「あーしの分のご飯いらないから。アンタの作った汚ねェ飯なんて誰が食べるかっつぅの」
眉間にしわを寄せて去っていく彼女の名前は淵沼もみじという。幼い頃から両親からかわいがられて育った彼女は、わがままで派手好きで男漁りに余念がない不良寄りの女子高生に成長した。
(はあ……また何かもみじさんに言われるんだろうか)
みのりともみじは異母姉妹の間柄である。2人の父親はもみじの母親という正妻もとい淵沼家の当主がいるにも関わらず、淵沼家の婿養子でもある父親の幼馴染で淵沼家の家政婦をしていた女性と不倫関係にあった。不倫により生まれたのがみのりである。
当初みのりは母親と一緒に生活していたが、幼少期に母親が不慮の事故により急逝してしまった。不倫の子という事で母方の祖父母はみのりを引き取りたがらず、結果父親の元へ引き取られる事となる。
「お父さんなんて大っ嫌い! アンタなんかこっちこないで!」
当時父親の不倫とみのりの存在に対し、当主以上に激怒し嫌悪感を露わにしたのがもみじだった。
もみじをたしなめるべく父親は彼女をかわいがるようになった。そしてみのりがもみじにいじめられるようになっても、父親ともみじの母親である当主は、もみじの行為を黙認し続けるようになっていく。
「アンタなんでここにいんのよ、パパとママに近づかないで!」
「……っごめんなさい。もみじさん」
不倫は悪。自分の大事な父親を奪った存在を許せないし、自分同等かそれ以上に愛される存在がいるのも気に食わない。もみじにはみのりへの嫌悪感だけでなく復讐心もあるのだ。
そして両親はもみじを高校に行かせたがみのりには行かせなかった。当主の顔をへこへこと覗きながら、もう中学校を卒業したんだからいいでしょ? とニコニコ気味が悪い笑みを浮かべながら答えた父親の顔は今でもみのりの脳裏に焼き付いている。
「おい、わかったら返事しろって言ってんの!」
「は、はい……」
「ったく、なんでパパとママはこんなやつを家に置いてんだよ、ほっんとムカつく!」
(私だって早くここから出ていきたい。でもそんなあてもないし自分で死ぬ事も出来ない)
どたどたと足音をあげながらもみじは去っていった。みのりからすれば、もみじから恫喝されるのは心が無意識のうちにすり減ってしまうものである。
時間が経ち朝食と働きに出ている父親の分の弁当が出来上がると、父親と当主が起床してきたのでおはようございます。と挨拶をした。
「……」
いつものように2人からの返事はない。父親は一瞬だけみのりを見たがすぐさまばつが悪そうに床へ視線を落とした。
みのりは手早く食卓の上に朝食を並べる。父親と当主2人の間には会話は無く、ただリビングである広間に置かれた薄型テレビが朝の情報番組を流しているだけだ。
「今日は全国的に晴れる予報となるでしょう……」
天気予報を伝えるお天気お姉さんの声と2人の咀嚼音が部屋中に響き渡る。その間みのりは当主様頼むから話しかけてこないでくれと願いながら、静かにフライパンなどを洗うなりして後片付けをしていた。
そうこうしている間に父親が黒い高級車で会社へと出勤し、もみじも高校へと出発していった。当主もピンクがかった白い着物に着替えたのちみのりに買い出しを命じてから水渡村の当主達が集う会議に出る為屋敷を去っていったので、屋敷内にはみのりと中年くらいの小柄で小太りな家政婦だけとなる。
「ほら、アンタぼさっとしないでさっさと買い出しに行きなさいよ――」
「はい、行ってきます」
「アンタの分のお茶入れといてあげるから。帰ってきたら飲みなさいね」
「ありがとうございます。助かります……」
家政婦は口が悪いだけで優しい人物ではあるしみのりをいじめるような真似はしない。しかしもみじがいる時はみのりに不用意に近づく事はしない。優しさと自己保身の達者さを兼ね備えた水渡村の村民らしい人物だ。
「行ってきます」
みのりは自転車でいつも通う隣町のスーパーへと向かって行った。
「ふう……」
スーパーの隣には産直市場もある。この辺は山間という事もあって山菜やキノコに川魚などの山の幸が並ぶ。反対に貝など海の幸は少な目だ。
「わ。蟲……」
山の幸の中には、蜂の子を煮たものなどの珍味も並ぶ。水渡村の者はこれを酒のつまみにする事がよくあり、当主もたしなんでいるくらいだ。
買い出しを済ませて屋敷に帰宅すると、正妻が戻ってきているのが見えたので、ただいま戻りました! と言葉を発する。
「ご当主様、今日は会議早めに終わったのでございますね」
「ええ、そうよ。今日は早く済んで良かったわ」
茶色い座布団に座り、扇子を顔の周りをぱたぱたと動かす当主の顔には、珍しくいら立ちなどの負の要素が見えないでいる。むしろ何か良い事があったのか少しだけ笑みも零れていた。
(今日は穏やかな顔つきをしてる気がする。何かあったのかな)
「ご当主様。お茶をどうぞ」
「ありがとう、いただくわ……はあ、やっぱりあなたが淹れるお茶が美味しいわ。
沼尻家は水渡村に住まう名家のひとつで、当主は現水渡村村長を務めている。水渡村の名家の当主達は週に一度、この沼尻家の屋敷に集って会議を行うのが通例だ。
「いやいや、ご当主様、おそれいります」
「お世辞じゃないわ、本当よ。あの奥様は若い後妻だからまだそういうのには慣れていないのよ。ほほほっ……」
ずずっとお茶を飲む当主を家政婦は緊張感を感じながら見つめていた。それはみのりも同様である。
すると当主はいきなりみのりの名前を呼ぶ。
「あなた、龍神祭は知っているわよね?」
「は、はい……」
龍神祭。それは水渡村で10年に一度行われる秘祭である。祭の内容は村の外部の人間には絶対に知らされないようになっているくらいだ。場所は水渡村にある龍ヶ池のほとりで行われ、龍ヶ池に住まうとされている神・龍神に供物をささげるのが祭の主な目的である。
(知らない子は龍神様と結婚出来ると思ってたりするけど、本当は違う)
そして供物は何なのかというと、村に住まう少女から選ばれたひとり。要は龍神祭は生贄を捧げる儀式なのだ。
(……っ!)
全てを察知したみのりの背中が逆立った。勿論みのりは龍神祭の生贄の事は幼少期に実の母親によって聞かされている為知っている。みのりとは対照的に当主はふふ……。と口角を釣り上げて不気味な笑いを浮かべていた。
「今年の祭りは楽しいものになりそうだわ」
こわばった表情を浮かべるみのりを無視して、お茶を飲み終えた当主は家政婦にお代わりを要求したのだった。
◇ ◇ ◇
「ただいまあ。お茶頂戴――!」
もみじが屋敷に戻って来たのは午後17時の事だった。彼女の隣には髪を茶髪に染め上げピアスを開けた如何にもな不良の男子高校生が突っ立っている。
みのりはまた男を連れてきたのか……。と心の中でため息を吐くと、台所へと足音を出さないように歩いていく。
「アンタぁ、今日の夕飯は私が作るから手伝わなくても大丈夫よ」
台所へ入るや否や家政婦がみのりに手伝わなくて大丈夫だと何度も言葉を発してきた。みのりは私が変わりますからもみじさんにお茶を出してください……。とお願いすると、どたどたと乱暴な足音が台所へと近づいてくる。
「ちょっと! お茶出せって言ってんの! さっさとしてよ!」
もみじが台所へ怒号を飛ばしてきたのでみのりと家政婦は慌ててお茶出しの用意に入る。
「みのり、アンタ持ってきて」
「はい……」
お茶をもみじの部屋に持っていき、部屋から去るとおい。と低い男の声がした。
「あの、なんでしょうか?」
みのりが困った顔で振り返るともみじが連れてきた不良の男子高校生が、廊下の壁にみのりを叩きつけるようにして壁ドンする。みのりの顔からは血の気が引いていった。
「うわ、淵沼よりこいつの方がかわいいわ。なんか簡単にヤれそうな顔してる」
「ひっ……」
みのりの顔は一瞬で硬く引き攣り、恐怖の色が浮かびあがる。指輪をはめた大きなごつごつした手が、みのりの顔に触れそうになった場面で、もみじが部屋の扉を開けた。
「ちょっと! 何してんのよ」
「あ? んだよ淵沼……いいとこだったのによ」
「……いいとこって……はあ!? アンタそいつに手出そうとしてたの!? 信じらんない!」
もみじはみのりの髪を掴むと顔を何度もぶつ。さすがの不良もドン引きしている状態だ。
「おい! それ以上はまずいって……!」
「いいんだよ! こいつはこうやってしねぇとあーしの言う事聞かねえから!」
痛いとも言えずぐったりと倒れ込むみのりの身体を髪を掴んで引き上げる。
「アンタ、そう言う寝取りが趣味なとこまで母親似なんだ? ほんと親子って感じ」
「っ……」
「ホントサイテーだわ。マジキショい。言っとくけど殺されないだけマシだかんな?」
みのりの髪を荒々しく掴むもみじへ、不良の男子高校生は嫌悪感を露わにした。
「おい……淵沼お前そんなやつだったのかよ。マジドン引きだわ……」
不良の言葉にもみじは、つい掴んでいたみのりの髪から手を離してしまう。
「別れようぜ。俺ら」
「は? アンタ何言って……」
「もう2度とこの家には来ねえよ。だいたい古い家嫌いなんだよ」
不良は足早にその場から去っていく。どうやら2人は付き合っていたらしいがみのりは知る訳が無い。
「アンタのせいで……!」
もみじがみのりの左脇腹を蹴り上げようとした瞬間、もみじ! と当主の声が響いた。
「ママ……!」
「やめなさいもみじ。あなたの気持ちはよくわかるけどこれ以上は……ね?」
妖しく笑う当主に対し、何かを察知したのかもみじは素直にみのりから離れた。
「2人ともリビングに来なさい。大事な話があるわ」
リビングに到着すると当主は座布団に座る。
「龍神祭。あなた達知ってるでしょ?」
「うん、知ってるよママ」
「それで今年は……淵沼家から生贄の娘を出す事が決まったの。もみじ、どうする?」
みのりは畳に目線を下ろした。これからもみじと当主が何を語るか既に予想がついているからだ。
「はっ、嫌に決まってんじゃん! だったらコイツにやらせたらどうよ、ママ?」
「そうね。あなたならそう言うと思ったわ。じゃあ決まりね」
「みのり、ママに返事は?」
「……はい」
わかってる。私は死んだ方がいいんだ。みのりの身体をネガティブな感情が駆け巡る。
「という訳で来週、例の小屋にみのりを移すわ。それまでの間、もみじはみのりには傷ひとつ付けないで頂戴。龍神様に返品されたら叶わないから」
「はぁいママ」
「もみじは本当に良い子ね。みのり良かったわね。ようやくここから出ていけるのだから」
何も言えないでいるみのりだったが、当主の言葉のおかげか苛立つもみじからは暴力を振るわれる事は無かった。
(やっぱり私死ぬんだ。怖い……けど、死んだら楽になれてお母さんとも会えるよね)
みのりは死への恐怖よりも今の辛い状態を終わらせたいという気持ちの方が強くなっていっている。
「みのり、返事は?」
当主から催促されると、みのりは影を落とした顔のまま精一杯作り笑いを浮かべる。
「はい。ありがとうございます」
みのりが感謝の言葉を放った事に対し、当主ともみじは少しだけ眉間に皺を寄せるが、すぐに元の調子へと戻った。
「はあ、せいせいする! ようやくコイツ死んでくれるんだもん!」
もみじが吐き捨てた言葉は、みのりの貧相で傷だらけの身体に当たって跳ね返される。いつもならみのりの心をぐしゃぐしゃにしてきたのに、死んで楽になれるなら……。と願い始めているみのりには効果は薄れているようだった。
(死ねば全て終わる)
諦めに似たような感情がみのりを優しく、包み込むようにして支配していく。
そして1週間後の朝が来た。
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