第8話 茶会の主賓と招かれざる客

 口から飛び出た名を呼ぶ声と同時に跳ねるように起こされたコーレの頭。その目の前の王女は、ドレスに揃えた純白の短いベールを持ち上げてその顔を見せた。


「コーレさん」


 そこにあったのは、今日、コーレがグラウの背中で沢山見た笑顔だった。

 見つめ合ったまま何も言えなくなった二人を見守っていた王太子が、柔らかい声を掛けた。


「二人は今日を共に過ごしたそうだね」

「なぜ、御存じなのですか?」


 驚きの声のまま問い返すコーレに、王太子はすぐには答えなかった。


「まあ、まずは座るとしようか。落ち着いて話そう」


 そう言うと、腰掛を引いて妃を座らせ、自分もその隣の席に着いた。コーレも急いでセラスティア王女、すなわちビアンカのために腰掛を引いて座らせた後に自分も着席した。


「お茶の前に、重要なことを済ませておこう。ホルツコーレ殿下、君に伝えておかなければならないことがある。セラスティア殿下も一緒にお聴きください。今からの話は極秘だからそのつもりで聞いて欲しい」


 そう言って、王太子は話を始めた。もう十何年か以前に、第三王子の母である国王の側室の生家の者が王太子と第二王子の毒殺を試みたこと、別の側室であったコーレの母親が王家の会食の席で王太子への御膳を怪しみ毒見を申し出て毒に斃れ、忠義の臣として手厚く葬られたこと。首謀者と第三王子の母は秘かに誅殺され、第三王子は騒動の中で何者かに連れ去られて行方が知れぬこと。

 そして近年アルリア国が軍備拡張の不穏な動きを見せ、属国であったベイリー国を吸収したこと、さらにその圧力を受けてこれまで自国の友好国であったデュール国がアルリアの影響下に入ったこと、国内にもアルリアと秘かに通じている貴族がいるらしいこと。

 このような事情を鑑みて、自国としてはこれまで中立を保っていたブラウズベルグ国と手を携えることが世界の平和に必要と考え秘密裏に交渉を重ね、同盟に合意し、その証として両国間で姻戚関係を結ぶ必要が生じたこと。


「それで白羽の矢が立ったのがセラスティア王女殿下とホルツコーレ殿下、君達だったわけだ。だが、その結婚が不幸なものとなっては、両国の友好にもひびが入る。そこで、最終的な合意の前にあらかじめ君達に会ってもらい、相性を確認しようということになった。そのために同盟受諾の秘使という名目で王女殿下に来ていただいたということだ。

 ちなみにこの交渉には君の師匠であるマクシミリアン師に間に立ってもらっている。ブラウズベルグ王国の宮廷賢者は彼の弟弟子だからね。

 ホルツコーレ殿下、いや、もうこの場ではコーレと呼んだ方が良いかな? コーレ、君を幼い頃から教え育んだマクシミリアン師が、王女殿下には何も知らせずに君の普段の姿を少しでもお見せした方が良いと国王陛下に進言したのだ。それで、御到着後の案内を君に頼んだわけだ。予定外の事が起きて、随分と長い案内になったようだけどね」

「では、ビアンカ…… 王女殿下への刺客も、その敵に通じている貴族が?」

「多分そうだろうね。まだ元凶はつかめずにいるのだが、恐らくは。我々も秘かに調査を進めているので、いずれは明らかになるだろう」


 王太子とコーレが顔を厳しくして頷き合うのを見て、王太子妃が「コホン」と柔らかく咳払いをしてから口を挟んだ。


「そちらは宰相閣下が対処しておられますわよね。殿下、穏やかでない話は今日のお席には馴染みませんわ。まずは本来の目的を果たしませんこと?」

「ああ、そうだったな」


 妃にたしなめられて王太子は眉根の皺を解き、柔和な笑顔に戻った。


「では、セラスティア殿下、コーレの事をお聞きいただけますでしょうか? もちろん仲人口、しかも身内の言うことだから話半分に聞いていただいて構いません」

「いえ、喜んで聴かせていただきます。何でもお話しください」

「結構」


 王太子も「オホン」と咳払いを一つして喉のさわりを払うと、柔らかい顔のままで静かな、それでも力のこもりを感じさせる声で語り始めた。


「まずはコーレの生まれ育ちについて。彼が町育ちなのは御存じですね? それについては、国王陛下のお考えによるものなのです。

 御承知のように、我々王家の者は、どうしても貴族に囲まれて国民とは離れた暮しをせざるを得ません。一日の時間には限りがあります。日々の務めを果たすだけでも足りぬぐらいで、国民に深く交わりその実情を知ることは到底できません。ですが、まつりごとが民から乖離しては、国が栄えるはずもありません。民の実情を知ることは、国王陛下が政治をなさる上で、必要欠くべからざることなのです。

 そこで国王陛下はコーレの母君が先の政変に関わったと偽り、まだ幼いコーレも放逐すると装って王城から出したのです。そして王都の町中で乳母と二人で暮らさせ、街の人々と触れ合いながら生きていくように手配されました。実際にはコーレを貴族の派閥争いから遠ざけて守るという意味もあったのですが。

 結果として、家族から離れて暮らさざるを得なくなったことについては、コーレには気の毒でした。ですが、それは王家の宿命で、仕方がないことなのです。私も乳母によって育てられて、母である王妃殿下のことは殆ど憶えていませんから。

 コーレ、その辺りの経緯については国王陛下もいずれ君に直接にお話しされるだろう」


 そこまで語ると王太子はまた咳払いをしてから、声の調子を明るく変えた。


「それはさておいて、コーレは国王陛下の期待通りに育ってくれました。国王陛下の導師でもあったマクシミリアン師の下で学び、町人まちびとと同じ言葉をしゃべり、同じものを食べ。彼らの間で働き、友人を作り、共に遊んだ。彼は街の人々を助け、そして彼らに愛されてきました。第二王子が病で亡くなって国王陛下が彼を王城に戻さざるを得なくなってからも、相変わらず民人に親しく交わっています。

 彼は町や村々で見聞きしたことを、国王陛下や私たちに活き活きと話してくれます。物価高は生じていないか、不景気は起きていないか、不作や飢饉の兆しはないか。もちろん、役人たちもそのようなことは調べています。ですが、そのようなことをいち早く感じ取るのは市井の民人です。権力を持つ役人には構えて隠すようなことでも、コーレには話してくれるのです。彼は人々の心の内懐に入り、本音をそのまま伝えてくれるのです。

 コーレはとても頼りになる男です。国王陛下も私も、特に民情を知ることについては、彼を頼みにしているのです」

「他にも、このようなものもありますわ」


 王太子妃が口を挟み、左の手首に巻いている、ドレスの色に合わせた緋色の飾り紐をビアンカに見せた。


「これは夫が私に下さったのですが、元は城下の娘たちの間で流行していたものですの。ホルツコーレ殿下がそれを知り、贈り物にしてはどうかと夫に教えて下さいましたの。参賀の場にこれを着けて行きましたら、市民の皆さんが親しみを感じて下さったようで、皆でこの飾りをつけた手を振ってくださいました。それを見て、今では貴族令嬢の間でも流行っているのですよ」

「そうなのですね。とても素敵です」

「ありがとうございます。そう、市民に我々の事を近く感じてもらうのは大切ですからね。このような、我々の気付かないちょっとしたことが、国の安定のために大きな意味を持ってくるのです。ホルツコーレ殿下は市井からそのようなさまざまなものを持ち帰るために、王城の壁を軽々と飛び越えてくれるのです。……これは比喩ではないかもしれませんね」

「ええ、本当に軽々と。そのお姿が目に浮かびます」


 セラスティア王女が王太子妃に相槌を打ち、「ほほほ」「ふふふ」と控えめな笑声を交わす。


「その度に傅役のクラウス子爵は胃を抱えてうずくまっているようだけどね」

「まあ」「お気の毒ですこと」


 王太子が冗談を重ね、また一同の笑いが増したところでコーレの方に向いた。


「さて、今度はセラスティア殿下のお話だね。コーレ、王女殿下の見目麗しさについては今さら言うまでもないだろう。王女殿下の横に立つ者は、その幸運を他の男達からさぞや羨まれるだろう。そう思わないかな?」

「いえ、全くその通りだと思います」


 コーレが真剣な顔で頷けば、ビアンカが頬を染めて俯いた。


「その上に、君と同様に良く学び、民のことを愛し、政を考え、そしてその他にも、これはブラウズベルグ王国の武術師範からの言葉らしいが、」


 そう王太子が語る途中のことだった。

 建物の外で「何者だ!」と近衛兵が誰何する声が上がった。それに答える代わりに闘争と呻き声、そして誰かが倒れたらしい音が短く響いた。


「何だ、あの音は?」


 王太子が怪しみ、一同が身構える間もなく、庭園の門が激しい音と共に開かれた。

 全員が席から立ち上がると、数人の黒服の男達が駆けこんで来た。


「何事か!」


 王太子が一喝したが、男達はそのまま門の前に立ちふさがるように横列を作り、一歩、二歩と進んでくる。

 王太子が妃を、コーレがビアンカを背に庇って前に出たところで、門から一人の中年の男が小太りの体を揺らしながら、さらに数人を引き連れて入ってきた。


「内相? これはどうしたことだ? なぜ勝手に入って来た? その者達はどういうつもりだ?」


 王太子が刺々しい声で入って来た中年の男を咎める。内相と呼ばれたその男は、お道化た態度で揉み手をしながら薄笑いを返した。


「おお、殿下方、これは失敬。しかしながら、一大事が出来しゅったいいたしまして、止む無く参りました」

「一大事?」


 胡乱気な目で見返されても、内相は気に留める様子もない。


「左様、一大事でございます。王家の方々のお命を狙う刺客がこちらに入り込んだようでございましてな」

「刺客?」

「いかにも。ほれ、そこに」


 右手を挙げて太く短い指で差した先は、ビアンカだった。


「信用ならざるブラウズベルグが和平の使者と称して刺客を我が国に送り込んだとさる国から通報がありましてな。すなわちセラスティア王女を名乗るその女です」

「王女の来訪は国王陛下が申し込まれてのことだ。戯言を言うな」

「残念ながら戯言ではございませんでな。通報を受けて王太子殿下御夫妻をお護りせんと我々が駆け付けた時には既に手遅れ、御夫妻はその女に惨殺されておりました。いやはや、無念であります」

「何だと?」

「その女と引き込んだホルツコーレ殿下とを捕縛しようとしたところ、激しく抵抗を受けて止む無く誅殺した、というのが外部に知らされる真実です。戯言でなくて申し訳ありません。ははははは」


 内相は好き勝手な筋書きを一方的に語り、不気味な笑い声を響かせたのちに、嬉しそうに付け加えた。


「ああ、御参考までに申し上げると、もう一隊が教会本部の国王陛下のもとに駆け付けておりますが、そちらでも無残にもその女の手の者に掛かった陛下の御遺体を発見することになっております」

「そのような杜撰な試みが上手くいくとでも思っているのか?」

「思っておりますとも。現に、近衛将軍に陛下への刺客を知らせたところ、慌てて当直兵の殆どを引き連れて教会の方に急行しました。お蔭でここはお留守になっておりますからな。残念ながら、当分の間、救いの手は来ませんぞ」

「そうやって我々を消して、自ら王位に就こうとでも?」

「いえいえ。そんな不遜なことは考えておりませんが、他国に身をお寄せになっておられる王家御縁のお方の中には私の施政方針に御賛同下さる方もおられますからな。引き継ぎ手の無い空席の玉座へとお迎えすれば、その国との協力に舵を切り、さらに国を富ませる事はできるでしょう」

「このような騒ぎを起こして、思い通りに事が治まると思っているのか? 我らを害しても、王家の血を遠く引く者はおのれと思惑の異なる貴族の中にもいるぞ?」

「歯向かう者がおれば抑えつけるまで。わが領には、指図一つで誰でもどこでも踏みにじれるような、貴方方の思いもよらぬ戦力が整っておりますからな。さて、もういいでしょう。虚弱の王太子殿下と剣術師範が匙を投げたホルツコーレ殿下とでは、我が手の者には何の歯ごたえも無い。ホルツコーレ殿下の友なる竜を呼ばれても間に合いますまい。もはや、そこの刺客と運命を共にするしかないでしょう。お覚悟を」

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