第7話 茶会という名の見合い

 王城からそう遠くない空き地に降り立ち、コーレはグラウと別れて歩いて王城に戻った。裏門の衛兵はどこか遠い眼でコーレを迎えたが、何も言わずに通してくれた。いつもの事なので、もう慣れっこになっているのかもしれない。

 出入り業者用の通用口から城内に入り、多くの人間が忙しく立ち働いている広大な厨房を通り抜けて廊下に出る。そこにも多くの奉公人が慌ただしく行き来している。この辺りは王子が歩いているような場所ではないのだが、誰もコーレに話し掛けたり咎め立てしたりはしてこない。どうやらくだんの賓客の到着が少し遅れたらしく、予定が狂っててんやわんやになっているらしい。コーレも自分の部屋に急ぐことにした。


 部屋の前には傅役のクラウス子爵がコーレの帰りを待って右往左往していた。廊下の向こうにコーレの姿を見つけるや否や、急ぎ足で近寄って来た。貴族の体面を保つために走らずに早歩きなのだが、ぎくしゃくとしたその動きは失敗作の木ゴーレムに魔力を無理やりに目一杯まで注いだようだと、コーレは笑ってしまいそうになった。

 だが、子爵閣下の御尊顔を見ると、笑いが許されるような御機嫌ではないことがすぐにわかった。コーレも真面目な顔を取り繕った。


「殿下!」

「わかっている。叱言は後で聞かせてもらう。その時は何も言わずに聞くから、これまでの分も含めて思う存分にしてくれ。来賓は陛下への御謁見中か?」

「いえ、それはもう済みました。今は王太子殿下御夫妻と御面会されています。御面会が終わりましたら御夫妻がお茶席にお連れ下さいますので、どうか御到着までに先にお出で下さい」

「わかった。今すぐに着替えて直接に庭園に行く。来賓は女性だな?」

「お気付きでしたか」

「ああ。これからは、きちんと応対する。もうこれまでのような無作法をしてお前達に恥をかかせはしないから安心せよ」

「おお!」


 コーレは頷いて見せた。その真剣な声に子爵は驚いた。

 この殿下は、これまでは貴族の令嬢方に会ってもろくに受け答えもせず、わざと嫌われようと、鼻の穴をほじったり尻をぼりぼり掻いたりして相手を呆れさせていたのだが。自分から態度を改めると言い出すとは思ってもみなかった。今日、何かがあったのであろうか。何にせよ、こんな喜ばしいことはない。


「しかるべく、何卒、しかるべくお願い申し上げます」

「うむ。任せておけ」


 頭を深く下げる子爵に、コーレはつっと近づくとその耳元に口を寄せた。


「それより、陛下に内密にお報せせねばならないことがある。お前自身が伝令にたって、直接お伝えしてくれ。今すぐ、大至急だ」

「大至急、陛下に直接? 何事ですかな?」


 訝しがる子爵に、コーレは内相領で見たこととハルピュイア退治を手短に伝えた。


「なんですと?! 内相が? 真ですか?」

「しっ。声が高い。お前にこんな嘘を言ってどうする。陛下は、今、どちらだ?」

「実は、御謁見の後、教会の総本部に御微行です。本日は亡き御友人の御命日ですので。ちょうど裏門を出られた頃かと」

「その事、内相は?」

「陛下の御幸先は各大臣に知らせることになっておりますので」

「それはまずい。急いでくれ」

「承知しました。陛下はマクシミリアン師の所に立ち寄られて御同行される御予定ですので、馬を駆れば教会に到着されるまでに間に合うかと」

「師匠と?」

「はい、故人は陛下と共に師に学ばれた方ですので」

「そうか。いずれにせよ、急いでくれ」

「お任せください。殿下も、お茶席にお遅れなきよう、お急ぎください。くれぐれもよろしくお願いいたします。御前、失礼いたします」


 まだコーレを信用しきれていないのだろう、何度も念を押してから、子爵は先程以上にぎくしゃくと急ぎ、驚くほどの速度で去って行った。本当に器用なものだと感心している場合ではない。コーレも自室に入って支度を急いだ。


 今日一日風に吹かれてぼさぼさになった髪に油を付け、手早く綺麗に撫でつける。寝台の上に準備しておいた肩章付きの礼装に着替え、飾緒と勲章を着ける。腰には着け慣れない剣帯を帯び、扱い慣れない長剣を装備する。もっとも、素人が刃物を持つと危ないだけだと、真剣を持つことは剣術師範から禁止されている。柄には金剛石が嵌められているが、剣身は木製だ。最後に軍帽を被って鏡を見る。そこには、いつもの運び屋のコーレから見慣れないホルツコーレ殿下に変貌した自分の姿があった。

 一度大きく深呼吸をして気持ちを切り替え、中身も王子に入れ替えてから、茶席の会場である庭園へと急いだ。



 その庭園は王城とは別棟になっている建物の中庭になっており、一つだけしかない入り口の門には警備の近衛兵が一人で立っている。視線を送って軽く頷くと、兵は恭しく頭を下げて門を開いた。


「有難う」

「はっ」


 門を潜って中庭に入る。この庭は結構な広さがある。四方の壁沿いには花壇が設えてあるが、植えられている花は背が低く、量も控え目だ。それ以外は平らな石畳となっており、中央に黒檀製で一本足の楕円形の卓と四脚の腰掛が用意されている。コーレはそのひとつに軽く腰を下ろして待つことにした。

 何気なく周囲を見回す。門以外の出入り口は無い。今度は上を見上げてみる。周囲の建物の背はとても高いが、この時間でも日射しが石畳の半分近くはある。そして、その壁には窓が一つも設けられていない。庭の様子が覗かれないようにするためだ。そう、この庭園は、秘密の会合用に作られたものなのだ。

 つまり、今日の賓客とのお茶会というのは、コーレを客に秘密裏に引き合わせるために設定されたのだ。どんな種類の客かは想像するまでもない。ブラウズベルグ王国の姫君との縁組のため、早い話がお見合いである。


 コーレは、午前中に傅役にこの茶会のことを聞かされた時には、これまでに仕組まれてきた諸侯の令嬢との縁繋ぎの場と同じように軽く考えていた。適当に相手をし、みっともなく振る舞えば自然と破談になるだろうと。だが、今はもうそんなつもりはなかった。


 しばらく待つと、やがて木製の門が開かれる重々しい音が再び響き、コーレは立ち上がった。王太子殿下御夫妻と賓客への敬意を示すため、軍帽を取った右手を胸に当てて深く頭を下げる。門が閉まり、複数の靴音がカツ、カツ、コツ、コツとゆっくり近づいて来る。やがて足音はコーレのすぐ前で止まった。頭を下げたままのコーレの視界に、王太子の軍服とその妃の薄赤色のドレス、そして柔らかそうな純白のドレスの足元が入って来た。


「ホルツコーレ殿下、待たせたね」


 王太子の声は温和で人懐こさを感じさせる。「いえ」と短く返すと、その声の向きがコーレを離れた。


「これが国王陛下の秘蔵っ子のホルツコーレ殿下です。私にとっても、たった一人の大切な、頼もしい弟です。どうぞセラスティア殿下もホルツコーレ殿下をよろしくお願いいたします」

「承りました」


 大国の王女らしい、つんとお高く取り澄ました返事が聞こえた。どこか作ったような声音がなぜか耳馴染んで感じられるのは、自分も王族の暮しに慣れてきたからだろうか。コーレが少し苦い思いを味わっているうちに、王太子殿下の紹介の言葉が続いた。


「ホルツコーレ殿下、こちらはブラウズベルグ王国より同国国王陛下の秘使として参られたセラスティア・ブラウズベルグ王女殿下であられる。殿下はお国の第三王女で、今回は友好と和平増進の大務を担われている。挨拶をお受けいただくように」

「はい」


 コーレは頭を下げて油光りする髪を見せたままで声を低く重々しく作って返事をした。ブラウズベルグ王国は大国である。相手はその国王の名代として来ているのだ。実情は見合いとはいえ、いきなり馴れ馴れしい態度を取るわけには行かない。


「王女殿下、当国へようこそいらっしゃいました。私は名をホルツコーレと申します」


 コーレが話し始めると、王女がはっと身を引き、衣擦れの音がした。王太子夫妻がそちらを振り向く気配もする。何かあったのだろうか。訝しく思ったが、コーレはそのまま挨拶を続けた。


「不肖の若輩ではありますが、いずれは国王陛下、王太子殿下をお支えし、御仁政の一端を担える者となるべく修行中の身であります。どうぞお見知りおきのほどを。よろしければ、コーレとお呼びいただければと思います。 ……殿下?」


 挨拶を終えても、王女は何も言わない。自分は何かまずいことを言ってしまったのか? 思わず頭が少し上がると、白い手袋をした手が閉じたままの扇をぐっと握り締めるのが見え、また慌てて頭を下げる。


「ふふ、セラスティアさま、どうされました?」


 王太子妃の楽し気な問いに「失礼いたしました、何もございません」と答えた王女の声は、コーレに向けられた。


「ホルツコーレ殿下、どうかお顔をお上げください」


 さっきとは異なる軽く明るく親し気なその声と調子は、紛れもない、コーレが今日何度も聞き何度も応えたものだった。


「……ビアンカ?」

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