第6話 帰り道

 コーレ達はできるだけ早く王都に戻るために、帰途は最短距離を通ることになった。グラウも少し速度を上げて先を急ぐ。ビアンカは往路と打って変わって、あまり喋らなくなった。ハルピュイア退治にあまり貢献できなかったことでまだ怒っているのだろうか。コーレがあれこれと話し掛けると笑顔で返事をするので、もうそれを気にしているわけではなさそうだ。だが話が途切れると真顔に戻ってしまう。


 来る時にも通った王子のクローバー畑が遠くに見えると、ビアンカは口を引き結んでそちらを真剣な眼差しで見つめた。


「黙り込んで、どうした?」


 コーレが声を掛けてみると、ビアンカは急いで笑顔を取り戻して答えた。だがそのぎこちなさは、作りものであることを示している。


「いえ、別に。今日のことを思い起こしていました。楽しかったな、と」

「それならいいんだけど」


 コーレが応じると、今まで黙っていたグラウが静かに口を挟んできた。


『何かあるなら、言ってしまった方がいいんじゃないか。ため込むと心に良くない』


 ビアンカは「ふうっ」と深い息を吐き、口だけで微笑んで返事をした。


「グラウさんには敵いませんね。来るときにあの畑のお話に出てきた王子様の事を少し考えていたのですが」

「王子が、どうかしたか?」

「どんな方なのですか? もし御存じのことがあれば、お教えいただければと思いまして」

「どんなって」


 コーレとしては実は自分の事なのだから、言いにくい。というか、何を言えば良いのかわからない。思わず言葉に詰まると、ビアンカは慌てて取り繕おうとした。


「あの、深い意味は無いのです。単に御評判をお聞きしたいだけで。言いにくければ、結構ですので。お国の偉い方の事なので、言えないこととかあるでしょうし」

「いや、別に言えないこととかは無いけど」


 それでも言いづらいことには変わりはない。自慢するようなことも無い。かと言って自分の悪口を言うのも変なものだ。


「まあ、普通の男だと思う。特別に秀でていることも無いし、かと言って、ダメ人間と言う訳でもないと思うし」


 ごまかすように当たり障りのないことを言おうとしたら、グラウがこちらをちらっと見て『そうでもないだろう』と否定してきた。


「グラウさんは御存じですの?」

『ああ、少しはな。聞きたいか?』

「よろしければ、ぜひ」

『わかった。コーレ、お前は人の噂話とかは好きじゃないんだろうから、口を挟まずに黙ってろ。いいな?』

「……わかったよ」

『まず、悪い所を言おうか』

「はい」


 ビアンカは真剣な顔に戻って耳を傾ける。グラウはその様子をちらりと見てから語り始めた。


『あの王子は、弱い者に優しすぎる。弱っている生き物を、暴れて自分が傷つけられるのを省みずに助けたり、いじめられている子供を庇って友達との間を取り持ってやったり、疲れて歩けなくなった年寄りを背負って目的地まで連れていってやったり』

「それが悪い所ですの?」


 ビアンカが訝しそうに尋ねると、グラウは小さく頷いてみせた。


『ああ。誰でも助けられ過ぎると、自分で生きる力が弱くなるだろう?』

「それはそうですわね」

『今のところはまだそこまでではないが、このままだといずれやり過ぎるだろう。それから、真面目過ぎる。課業など、疲れたら休めばいいものを、言われたものを全部真剣にやろうとする。そのあげくに疲れ切り、耐えられなくなって逃げ出している。それでは、本末転倒だ』

「ですが、最初から真面目に取り組もうとしないのよりは、よほどましなのでは」

『それはそうだが、自分の器を知りすべきこととの折り合いをつけて、できないことはできないときちんと伝えることができないようでは、周囲の者がかえって困るだろう。王子への周囲からの期待と言うのは過大になるものだ。断られなければ、まわりはついあれもこれもと欲張りたくなってしまうものだから』

「なるほど、それは良くわかります」

『それは良かった。それから、責任を背負い込み過ぎるというのもある。さっきの畑のように亡くなった兄王子がやろうとしていたことを難しいと承知で引き継ごうとしたり、ああ、そうだ、竜同士の決闘の立会人を引き受けたこともあったな』

「竜の? 凄いですわね。本当ですの?」

『ああ、その場に俺も居合わせたから間違いない。片方の仲間が卑怯にも横から手出しをしようとした時に、その前に立ちふさがって邪魔をさせなかった。なまなかな覚悟ではできないことだ。それ以来、あの王子は竜の中でも一目置かれている』

「大した胆力の持ち主ですのね」

『ああ。だが、本来は竜の揉め事は竜族の中で片付けるべきことだ。それに人が介入しては、下手をすれば竜族と人間族との間に争乱を引き起こしかねない。余計な責任というものだ』

「確かにそうかも知れませんね。では、良い所は?」


 ビアンカが尋ねると、グラウは楽しそうな声で答えた。


『今言った全てだ。弱い者に優しく、物事に真面目に取り組み、責任を果たそうと懸命に努力する。だから、人となりを知っている者には信頼され、慕われてもいる』

「そうですね。いかにも、人に好かれそうに聞こえます」

『ただ、行儀が悪いらしく、女性にはもてないようだがな。ははは』

「まあ。ふふ」


 グラウが冗談めかして話を締めて笑うと、ビアンカも笑いをこぼした。そして言葉を続けた。


「まるで、コーレさんのようですわね。マルコさんに信頼され、良く知らない私を助け、グラウさんのような強い竜とも仲が良くて」

『俺の場合は、仲が良いというより幼い頃からの腐れ縁かもしれないけどな』

「いいえ。私には大の仲良しにしか見えません。ふふ」


 また笑いをこぼした後に、乙女は聞き取れないような小声で呟いた。


「王子が、グラウさんの言葉通り、コーレさんのような素敵な方だと良いのですが」

「何だって?」


 コーレが聞き返すと、「いえ、何でもありません」と急いで打ち消した。そして静かに続けた。


「いつまでもこうやって三人で飛んでいられればいいのにな、と。それだけです」

「ああ、そうだな。俺も同じ思いだ」

『同感だ』


 またビアンカの表情が消え、それきり黙り込んでしまったのを見て、コーレもグラウも、もう何も話しかけられなかった。グラウの翼が風を切る音だけを聞きながら、静かに師匠の家へと向かった。

 近くの広場に音も無く着地する。コーレが先に立ってグラウの背から飛び降りて手を差し出す。その手を取って地面に降りると、ビアンカはグラウの顔の前に立って深く頭を下げた。


「グラウさん、有難うございました。お助けいただいたこと、そして楽しく空の旅にお連れいただいたこと、私、この胸の奥深くに、宝物として大切にしまっておきます。今日の日を、きっと死ぬまで何度も思い起こすでしょう」

『ああ。俺も楽しかった。助けたのは俺ではなく、こいつだがな』


 グラウはそう言うと目顔で俺の方を差した。すると娘もコーレの方に向き直ってまた頭を下げた。


「もちろんです。コーレさん、危ない所をお助け下さり、ありがとうございました。グラウさんのお背中の上でお教えいただいたことも、忘れません。きっと、これから先、役立てさせていただきます」

「ああ、元気でな。それから、例の魔物の件だけど、俺からしかるべきところに報告するから、黙っていてくれないか?」

「はい、もちろんです。お国のことですから、外国から来た私がどうこう言うべきではないので。それに……」

「それに? 何だ?」

「きっと、こういう言い方はお嫌いだと思うのですが」

「いや、構わないから言ってくれ」

「はい。コーレさんのお手柄を横取りするようなことはできないと思いまして」

「そうだな」


コーレは苦笑いをしてしまった。


「手柄か。そんなこと、考えもしなかったけどな」

「はい、コーレさんならきっとそうだろうと思いました。私のことも命懸けで助けて下さったのに、恩着せがましいことを何も言わない方ですもの。お気を悪くされるようなことを言って、ごめんなさい」

「いや、全然気にしていないから、そっちも気にしないでくれ。商売、頑張れよ」

「はい。お二人も、どうかお元気で」


 冒険の途中とは打って変わって殊勝な態度とどこか元気の無い声だ。コーレが掛けた励ましの言葉も、どこか虚ろに響いて空中に消え去っていった。


「じゃあ、行こうか」

「はい」


 見送るグラウを後ろに残し、コーレは師匠の家までビアンカを案内した。

 師匠はコーレたちを見ると頷いただけで何も言わずに迎え入れた。コーレはビアンカを空の旅に連れて行った経緯だけを手短に告げ、内相領の魔物の事は伏せておいた。引退している師匠を面倒事に巻き込むわけには行かない。師匠は何も問い返さずに頷くだけだった。

 コーレは娘に目顔で別れを告げると、そっと扉を閉めた。家の中ではお嬢様の無事に安堵したお供の者の野太く高い声が響いているのを聞きながら、広場で待つグラウの所に戻った。


 グラウと頷き合い、その背に黙って乗る。


『なんだか、背中が軽いな』


 二度、三度と翼をはためかせて空中に浮きあがるなり、グラウがぽつりと言った。


「気のせいだろう」


 あんな軽そうな娘、乗っていてもいなくても、グラウの逞しい巨体にとってはほとんど変わりはないだろう。だろうけれども。


『いや、軽い気がする』

「そうかもな。でも、今日のところは気のせいということにしておいてくれないか。頼む」

『わかった。今日のところはな』


 そろそろ王城に戻らなければならない。それはわかっていたが、コーレはもう少しだけ空にいたかった。彼もまた今日の旅の事を嚙み締めたかったのだろう。グラウも同じ気分のようで、すぐには城に向かわず、街の上空を旋回し始めた。

 暫しの間、二人とも黙っていたが、ようやく気持ちが落ち着いたのだろう、コーレが口を開いた。


「グラウ、お前、俺の事あんなふうに思ってくれてたんだな」

『あ?』

「さっき、彼女に言ってくれたことさ」

『ああ、あれか』

「ちょっと褒めすぎじゃないか?」

『ちょっとだけな。ほとんどは本心だ』

「そうか。ありがとな」

『ああ。ついでだ。お前に言っておきたいことがある。聞いてもらえるか?』

「何だ?」


 改まった物言いに驚いて聞き返すと、グラウは少し言いよどんだ後に語り始めた。


『俺は竜だ。竜の一生は長い。人間の何倍、十何倍、ひょっとすると何十倍もな。だが、あの時にお前が助けてくれなかったら、俺の命はそこらを走り回っているウサギより短くなるところだった。群れに戻るための決闘の時もそうだ。今、俺がいるのは全てお前のお蔭だ。だから、俺はお前の命が尽きるまで、いや、お前の子や孫、お前の血筋が消え去るまで見守ると決めている。俺はお前と一緒にいる。だから、思い切り生きてみたらいいんじゃないか。お前自身が決めたままにだ』

「……わかった。ありがとう」


 コーレが真剣な声で感謝すると、グラウは照れ臭そうに『ふっ』と笑った。首を曲げて顔をコーレから隠したが、赤くなっているのが雰囲気でわかる。


『俺の柄にもないことを、ちょっと話し過ぎたな。それもあのお嬢さんのせいかな』

「そういうことにしておくか。さて、そろそろ城へ戻ることにするよ。クラウス子爵がやきもきし出す頃だろう」

『今日の残りは、閣下の言うことを聞いて真面目に過ごすことだな』

「わかってる。お客さんには愛想よくしてお相手するよ。あともうひとつ頼み事があるんだけど」

『残りの魔物の事だろう? 任せておけ』

「いつもすまない。頼む」

『おやすい御用だ』

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