第5話 国境の領

 前方に見えていた丘陵の頂上に立つ大きな雲を避けて尾根を越えると、景観が大きく変わった。畑の数は減り、大きな町が見える。このあたりはギリヤール内相の領地だ。その向こう、大きな川を挟んだ向こう岸はもうデュール国になる。そちらにも町があり、こちら側の町から川にかかる橋を通って広い街道が続いている。


「国境まで来ちゃったな。こんなところまで来たのは初めてだ」

「グラウさんもですか?」

『ああ。ここらは竜の群れの住処の峰々からはずいぶん遠い。一族の連中もここまでは滅多に来ない。何の用も無いからな』

「では、下の住民の方々、グラウさんの姿を見て驚いているのではありませんか? ほら、こちらを見上げている人がいます」

「じゃあ、騒ぎになる前にそろそろ帰るか。グラウ、頼む」


 声を掛けたが、グラウは進路を変えなかった。


『コーレ、ちょっと待て。あれは何だ?』

「あれって、どれだ?」

『あそこの妙な建物の中の広場だ。少し近づくぞ』


 グラウが進路を変え、高度を下げる。その方向を見ると、町から離れた荒れ地に、高い壁に囲まれた広場がある。石造りに見える壁は砦のように堅固で、周囲からの視線を完全に遮っているが、この上空からは丸見えだ。

 その中庭に頑丈そうな大きな檻が沢山あり、その中で何かが蠢いている。人と形が似ているものもいるが、二階、三階まで届きそうなその大きさは、人ではあり得ない。人と獣が混ざったような異形のものもいる。


「……魔物、でしょうか」


 ビアンカが呟いた。その声の色の無さが、驚きを表している。


「ああ。多分な」

「……まさか、お国では、魔物の捕獲や飼育を認めておられるのですか?」

「そんなわけはない。そもそも、魔物が棲むゼルツァメヴェルトはここからは遥か彼方だ。こんなところにまで何匹も出てくる訳が無い。魔境に少しは近い王都ですら、魔物を見たことのある者は殆どいないはずだ」

『いや、俺も人間にとっては魔物だろうが』


 皮肉な笑いを込めてグラウが言う。コーレとビアンカは思わず顔を見合わせてしまった。


「確かにそうだな」

「お話しをしていると、グラウさんが偉大なる峰アインホルニゲ々の灰色のグラウェクニッヒ片角の王デルトレルギッフェルだということを、つい忘れてしまいますわね」

「憶えてたのか」

『頼む、それは忘れたままでいてくれ』


 そう言って三人で笑う。だが、眼下に見えるのは笑い事ではない事態だ。


『それはさておき、どこでどうやって手に入れたのかはわからないが、この領の領主が国に隠れて魔物を使役しようとしている、ということだろうな』

「魔物を使って何をしようというのでしょうか。そもそも、こんなことを長く隠し通せると思っているのでしょうか?」

『いや、魔物もわめきもすれば咆えもする。壁越しでも、怪しいものの存在はいずれ周囲に洩れるだろう。そうなれば、領外に伝わるのも時間の問題だ』

「だとすると、すぐにでもあれを使って何かを始めるはずだということか」

『もしも国王に命じられての事であれば、対外用ということも考えられる。だが、国として戦争準備を始めたようなことはないのだろう?』

「ああ」

『だとすれば、その可能性は低い。対外用でないならば……』


 それぞれに頭の中で推論を組み立てていると、ビアンカがいち早く結論を出したようだ。


「すぐにでも、しかるべきところに知らせた方が良いのではないでしょうか?」


 静かな声で提案してくる。


『それがいいだろうな。王都に戻るか?』

「ああ。だが、真っ直ぐには戻れないかもな」


 見下ろす壁の中でも、人が動いている。こちらを見上げている者もおれば、檻に取り付いている者もいる。やがて檻が解き放たれると何匹かの魔物が引き出され、人が騎乗した後に飛び立った。


「どうやら、俺達が目障りだったようだな」

「そのようですわね」


 飛び立ったのは三匹。遠目には鷲のように見えるが、人を背負える大きさの鷲がいるはずもない。

 少し近づいて来ると、上半身は鳥の羽根がない剥き出しの肌であることが分かった。


『ハルピュイアのようだな』


 グラウが呟く。貪欲で残忍なことで有名な魔物だ。


「どうしますか?」

「グラウ、逃げ切れるか?」

『無理だろうな』

「お前よりハルピュイアの方が速いのか?」

『何を言っているんだ? 竜があんな低俗な魔物に負けるわけがないだろう』

「じゃあ、なぜ?」

『お前たちが乗っているからな。速く飛び過ぎると、お前たちを振り落としてしまう。向こうは装具で体を固定しているようだから、気にせず速度を出せるだろう。どうする?』

「取りあえず遠ざかって、相手がどういうつもりか様子を見てみよう」

『わかった』


 グラウは少し速度を上げて、元の来た方へと進路を変えた。だが、相手は追跡を止めない。それどころか少しずつ差を詰めてくる。


「どうやら、見逃がしてはくれないようですね」

「できれば無駄な揉め事は避けたいけど、多分、あちらさんはそういう気分ではないのだろうな」

「ええ。極秘とすべき存在を見られたことに気付いているでしょうから」

「じゃあ、仕方ないな」

『では、どうする?』

「向こうがそのつもりなら、戦うしかないだろう」

『わかった』


 もう一度後ろを見ると、三匹のハルピュイアがじりじりと近づいて来る。今は人の女性に似た体付きもわかるぐらいの距離だ。


『随分速いな』


 そう言うと、グラウが長い首を曲げて近付いてくる魔物の姿をじっと見つめた。


『どうやら、召喚された魔物のようだな。沢山飼われている理由もそれだな』

「わかるのか?」

『ああ。片眼が緑色に明滅しているだろう? あれは、魔核が光っているんだ』

「『魔核』?」

『魔物の召喚には『魔石』が必要だ。召喚魔法を使える魔術師だけが、ある種の宝石に魔力を込めて魔石を作ることができる。召喚に成功すると、それがそのまま魔物の魔核になるんだ』

「魔物が魔素を溜めるという、あの魔核か?」

『ああ、そうだ。だから、知能の低い種類の魔物は、召喚された個体だけが魔法を使える』

「つまり、あいつらは魔法が使えるということか。随分とありがたい知らせだな」

『安心しろ、ハルピュイアは大した攻撃魔法は使えないらしい。知り合いの竜に聞いた話では、せいぜい突風を送ってくるぐらいだそうだ。むしろ、足爪や嘴で襲う方を好む。魔法は、獲物に襲い掛かる時に一気に速度を上げるのに使うのがもっぱらだと言っていた』

「どうやら、その気満々のようですわね」


 話し合ううちにも、ハルピュイア達との距離は詰まってくる。見ていると、縦一列であったものが、左右に一匹ずつ離れ出した。


「取り囲むつもりのようだな」

『俺だけなら何匹で取り囲まれてもどうということもないが、お前たちを乗せて三匹同時に襲い掛かられると厄介だな。一匹ずつ相手をするか、せめて二匹に減らしたいところだが』

「けど、相手もばらばらになろうとはしないだろう」


 どうするかとコーレとグラウが首を捻ったところに、ビアンカが口を挟んだ。


「あの、いいですか?」

「何か考えがあるのか?」

「はい、召喚された魔物も乗り手も生き物ですから、能力や性格はそれぞれに個体差というか、違いがあると思うのです」

「それはそうだろうな」

「そこで、こうしてはいかがでしょうか」


 そこまで言うと、ビアンカは声を潜めて考えを話し出した。敵に聞こえるような距離でもないのだが、気分の問題かもしれない。


「思い切り、相手を煽ってやれば、中には怒りで我を忘れるものもいるでしょう、うまくいけば飛び出してくるものもいるかもしれませんし、少なくとも一匹ぐらいは冷静を失うでしょう」


 上手くいくかどうかはわからないが、失敗しても別にどうということはない。ちょっと気まずい、恥ずかしい思いをするだけだろう。


「やってみてもいいんじゃないか」

『よかろう』

「では、お任せください!」


 返事するなりグラウが速度を落とした。みるみるハルピュイアとの距離が詰まる。

 するとビアンカが鞍の上に立ち上がった。敵に向けて背中を見せたかと思うといきなりスカートを片手でまくり上げ、もう片手で自分の尻を二度、三度と叩いてみせた。そして今度は真っ直ぐ向き直って、顔を突き出し舌を大きく出して両手の指で下瞼を引っ張る。つまり、お尻ペンペン、アッカンベーだ。


 ……うら若い乙女が何をやっているんだ。本当に良い所のお嬢さんなのか? どんな教育を受けているんだ? コーレが呆気に取られていると、ビアンカが楽しそうに言った。


「庶民出のばあやに教わりましたの。どうしても気に入らない相手には、これをやればいいと。後はばあやがどうにでもいたしますからって」

「……そうか」


 コーレは呆れたものの、効果はてきめんだったらしい。グラウが速度を上げて逃げ出す素振りをすると、ハルピュイアの横列に乱れが出た。左端の一匹が残りの二匹を置き去りにし、首を上下に激しく振りながら突出して迫ってきた。顔が赤くなって牙を剥き出しにしている。速度も随分上がって、その分揺れるのだろう、乗っている騎士は魔鳥の首に両腕で必死にしがみついている。頭を下げて腕で口を押さえていて、魔鳥に指示を出せそうな様子ではない。見ていると、どうやら我慢しきれなかった様で顔を背けて下を向いた。汚いなあ。地上に誰かいたらとんでもない災難だ。


「……うまくいったみたいだな」

「来ましたわね!」

『おう。コーレ、良く見て、合図を頼む。しっかりつかまっていろよ!』


 返事をしてグラウがさらに速度を上げる。コーレはビアンカが鞍に座り直して取っ手をしっかり握るのを確認して、迫ってくるハルピュイアを見た。もう、怒りに燃えて明滅する目もはっきり見える。今は体躯を伸ばし両足を揃えて後ろに突き出し、首も嘴も真っ直ぐに伸ばしている。数十ヤード、すぐそこだ。その時、ハルピュイアの目が明るい緑色に輝いた。


「来るぞ!」


 コーレの声に反応してグラウが大きな翼を風に立てた。巨躯がふわりと浮上する。最大威力の風魔法で増速したハルピュイアは目前で目標が消え、慌てて上昇しようとする。だが、魔法が消えたところに無理に上を向いたために勢いを失い失速した。

 そこにグラウが尾を鞭のようにしならせて一振りを頭に食らわせる。その一撃は大きな破壊音と共にハルピュイアの頭ごと魔核を砕き、一瞬の緑色の輝光の中に四散させた。頭部を失った鳥の魔物は羽をぶるぶるふるわせながら墜落していき、すぐに見えなくなった。


 あと二匹。


 グラウが旋回して方向転換すると、残りの二匹が高さを変えて左右に分かれているのが見えた。左の敵はこちらと同じ高さで、右はかなり上昇している。三方からの包囲攻撃が不可能になったので、一匹がこちらの相手をする間にもう一匹が有利な上方から突撃しようというのだろう。

 だがグラウは右側の敵には目もくれず、左の魔鳥の方に真っ直ぐ向かった。


『ビアンカ、吐火ブレスを準備する間は俺は前が見えにくい。あいつの目が光ったら、さっきのコーレのように合図をしてくれ』

「わかりました。右は?」

『コーレ、そっちは頼む』

「任せとけ」


 コーレが返事をすると、グラウは正面の敵に向かって突き進んだ。首を曲げて頭をやや持ち上げる。少し開いた口の中から紅赤色の光が漏れ始め、グラウの顔を包む。

 敵もそれに気付いただろうが、逃げるともう一匹との連携が乱れると思ったのか、勇敢にも真っ直ぐに向かってくる。彼我の距離が百ヤードを切った時、ビアンカが叫んだ。


「今です!」


 ハルピュイアの目が光り、今度はこちら向きに風の塊を送り出す。グラウはそれに構わず、勢いよく首を突き出して大きく開けた顎門あぎとの間から、緋紅の光弾を送り出した。

 正面から撃ち合われた二つの魔力は互いを目指して突き進む。速度はハルピュイアの風弾の方が速く、グラウの眼前二十ヤードまで迫った。だが、威力は竜吐弾の方が圧倒的に優っていた。真紅の火の球は風の魔法を打ち抜いて粉砕し、さらにそれを撃った魔鳥の方へと突き進む。ハルピュイアは急いで逃げようとするが、竜の火弾は減衰して消えるまでは使い手の意のままに進路を変えて追跡する。魔鳥は風弾で魔力を使い切った後で加速もできず、数度の旋回の後に追いつかれ、火弾が胴体に吸い込まれると同時に辺りは明るい光に包まれる。撃たれた鳥は全身が火に変わり、瞬く間に灰となって消えた。


「もう一匹は?」


 空中に散っていく白い灰からビアンカが視線を外して捜すと、最後の一匹は右下方にいた。その片方の羽があり得ない角度に曲がっている。あれではもうまともに動くわけが無い。もう片方を必死に羽ばたかせているが浮力は足らずバランスも取れず、螺旋を描きながら徐々に速度を上げて落ちていく。

 グラウがそれに向けてもう一度火弾を放つと、最後のハルピュイアは一声甲高く悲鳴を上げ、赤く燃え、そして白く散っていった。


 それを見て、ビアンカが叫んだ。


「どういうことですか?」


 そしてコーレを振り返った。


「なぜ?」


 コーレは肩をすくめてみせた。


「さあな。多分、片羽だけ何か壁みたいなものにぶつかったんじゃないか」


 そして付け加えた。


「まあ、詮索はしないでくれ。さっき約束したよな?」


 だが、ビアンカは納得しなかった。


「それはわかっています! そういうことではありません! 私はお二人に不満です!」

「え?」『何がだ?』


 口々に問い返すと、ビアンカは赤らんだ頬を膨らませながら怒りに満ちた声を出した。


「相手は三匹、私たちも三人。ならば、一人一匹ずつじゃないですか! なぜ、私の分は無いのですか? とどめまで勝手に差しちゃうなんて!」


 コーレもグラウも口をぽかんと開けてしまった。グラウが長い首を曲げて振り返り、コーレと顔を見合わせた後に二人してビアンカに向き直る。


「あー、なんか、すまない」『いや、それは、勝手なことをして悪かったな』

「そうですよ! 私もお二人の仲間にしていただけたと思っていたのに! 仲間外れにされるのは嫌です!」


 変わらぬビアンカの剣幕に押されて、コーレもグラウもたじたじと腰が引けてしまう。


「わかった、悪かった」『そういうつもりではなかったんだ、許してくれ』

「では、次は私の番ですからね。いいですか?」

「わかった、わかった」『いいとも。約束しよう、な、コーレ?』「おう、約束する」


 口々に答えると納得したようで、「では、そういうことで。約束ですからね」と念を押してから矛を収めた。さらなる追手が来るかどうか、というかビアンカ用に次の獲物がいそうかどうかの様子を見るためにしばらくその辺りを旋回したが、飛べる魔物はもう品切れだったようで、何も来なかった。


 だが地上の魔物もそのままにしておくわけには行かないし、顛末をしかるべき筋に報告しなければならない。それに時間もかなり経ったので、王都に帰還することになった。

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