第3話 荷物

 王城から飛び去ったコーレは、町外れの広場に下ろしてもらいそこでグラウと別れた。目的地のすぐ近くだ。グラウは『おふくろさんとお師匠さんによろしくな』といって飛び去った。

 コーレはまずは育ての母の家に行き、元気で暮らしていることを確かめてすぐに出た。引き止められてしまうと何かと話が長くなる。折角の自由な時間を思い出話とお説教で潰したくはない。「また来るから」と言って通りに出た。


 天気は良く、午前中の陽射しは心地よい。行き交う人たちと「よう」「おはよう」と気分よく挨拶をかわしながら歩く。見知った子供達が「コーレ! 遊ぼうよ!」とまつわりついてくるが、頭を撫でて「すまん、また今度な」とかわす。「ちぇっ」と残念そうに走っていくのを見送ってまた歩き出すと、すぐに目指すマクシミリアン師の家についた。このところ留守がちだった師匠だが、今日は在宅の様だ。

 扉を開け、大きな声で挨拶しながらずんずんと勝手に中に入っていく。


「師匠、おはようございます! 何か仕事ありませんか?」


 マクシミリアン師は仕事机に向かって何やら書き物をしていたが、コーレの声を聞くと羽根ペンを置いて振り返った。


「コーレ、相変わらずだな。王城での教育はあまり効果なしか?」

「いや、あっちではちゃんとやってますから」

「疑わしいもんだな。だが、まあいいだろう。今日はきっと来ると思って待っていた。ひとつ頼まれてくれ」


 師匠は小うるさいことをあれこれ言わずにいてくれるのでありがたい。


「いいですよ。何ですか」

「例によってのもの運びだ。馬車で届くんだが、あいにく今から用事があって受け取りに行けない。お前、代わりに行ってここまで運んで欲しいんだ。ちょっと面倒な荷物だが、引き受けてくれるか?」

「いいですよ。どうせ時間つぶしの憂さ晴らしだ、ちょっと面倒なぐらいでちょうどいいです」

「ほう、それは頼もしい。さすがに王城で教育を受けているだけはあるな」

「いや、さっきと言ってることが違いません? それに、その教育のせいで憂さが溜まってるんだけど。で、面倒って、どんな荷物です?」

「白色の綺麗な布包みで、中身が柔らかい。取り扱いに気をつけてくれ」

「そっと運べということですか?」

「いや、それは大丈夫だ。柔らかいが、強い」

「柔らかくて強くて取り扱い注意? 何ですかそれは。謎掛けですか?」

「まあ、そのようなものだ。ここへ持ってきてくれ。午後第二の鐘までに、とある商会まで内密に届けることになっているんでな」

「とある商会? こっそり? なんで?」

「そりゃあ、周囲に知られたくない訳ありの商談の荷物だからだ。察しろ」

「ふーん。何から何までよくわかんないけど、まあ、いいや」

「ああ、受け取ればすぐにわかるさ。ブラウズベルグ王国からの馬車だから、急いでくれ」

「えっ、じゃあ、もう着いてるかもしれないじゃないですか。受け取る相手は何という人ですか?」

「ビアンカ。まあ、行けばすぐにわかる。じゃあ、頼んだぞ」

「わかりました。行ってきます」


 コーレは大声でそう言って師匠の家を飛び出した。

 大陸の離れた場所にあるブラウズベルグ王国からいくつかの国を通ってこのフェルスヴァント王国へと人と荷物を運ぶ定期便の発着場所は、王都の、師匠の家とは反対側の街外れの広場だ。着く時間は午前の第五鐘の時間ということになってはいるが、馬車のことで、道中の具合で朝早くなったり昼を過ぎたりする。ことによると、もうとっくに着いているかもしれない。急いだほうがいい。


 コーレは広場へ走ろうとした。そういう時は往々にして邪魔が入りがちだ。もう昼前で、人通りが少しずつ多くなってきている。走りにくい大通りを避けて、裏道や路地を伝うことにした。運び屋の仕事で勝手知ったる王都の街だ、迷うことはありえない。

 軽い駆け足で気分よく広場まで近づいたところで大通りに戻ろうと角を曲がった時、走って来た子供にぶつかられた。


「わっ」


 転びそうになった相手の手をとっさに掴んで引き起こすと、見知った顔だった。


「マルコ、大丈夫か?」

「ありがと……って、コーレ兄ちゃんか」


 マルコは十歳ぐらいの男の子だ。いつも元気に街を走り回っている。気立てが良くて人懐こいので、街の大人達に可愛がられている。コーレも良く知っていて、以前は暇な時に一緒に遊んでやったりしたものだ。


「気をつけろよ。走ると危ないぞ。って、俺も他人ひとのことは言えないけど。ごめんな」

「僕もごめん。急いでたんだ」

「どうしたんだ?」

「ちょうどいいや、この人を助けてやってよ」


 マルコは自分の後ろを振り返った。そこにはコーレより少し年上そうな娘が大きく息をつきながら立っている。上等そうな上着もスカートも真っ白だ。ふわふわくるくるした色の薄い長い髪に、ラピスラズリのような青い目。貴族か金持ちのお嬢さんだろうか。育ちの良い娘さんが一人でいるのは変だけど。


「この人は?」

「何だか知らないけど、変な黒い連中に追いかけられてたんだ。それで、着いてきなって言って、ここまで走って来たんだ」


 そう言ってマルコは得意そうに娘を見上げる。コーレもそっちを見て尋ねた。


「どうしたんだ? 何で、誰に追いかけられてるんだ?」


 すると、娘はすまなさそうに頭を下げて事情を話し始めた。


「御迷惑をお掛けして申し訳ありません。私、ブラウズベルグ王国の商人の娘で、重要な秘密の商談のためにこの国に来たのです。馬車が早く着き過ぎて待ち合わせまでかなり時間があったので、それまで街中を見物していたら、お供とはぐれてしまって。彼女を探して歩いていたら、怪しい集団に襲われたのです」

「そいつらは何者だ?」

「多分、私の商談がまとまるとまずい者の手先かと。逃げ出したところを、この子が助けてくださったのです」


 コーレは娘が喋る間はずっとその顔を見ていたが、表情に怪しげなところはない。顔色は赤いが、悪漢に追い掛けられてずっと走っていたのならそんなものだろう。それに、マルコは元はいじめられっ子で、性格の悪い奴には敏感だ。こいつが助けようとしたのなら、善人だと思っていいだろう。


「わかった。で、どうすればいいんだ?」

「商談の仲介の方のところへ、連れて行っていただけませんでしょうか」

「名前は?」

「マクシミリアンという方です。元は王家に仕える賢者であったとか。御存じですか?」


 知ってるも何も。ひょっとすると。


 コーレは娘の姿をもう一度見回した。服の色は上下ともに白。白の布包み。中身は柔らかい秘密の荷物。


「俺の師匠だ。もしかして、あんたの名前は『ビアンカ』じゃないか?」


 いきなり名前を言い当てられて、娘が驚いた。


「ええ、そうですが、なぜ私の名を?」

「俺はコーレだ。師匠、じゃなかった、あんたが今言ったマクシミリアン師から、あんたを迎えに行くように言われたんだ」

「まあ、そうでしたか」


 コーレはマルコに向いた。


「マルコ、ありがとな。あとは引き受けた」


 礼を言ったが、マルコは渋い顔をした。


「コーレ、そうは行かないみたいだよ」


 その音が消えないうちに、通りの向こうに一人の男が現れると、こちらを見るなりやにわに叫んだ。


「いたぞ、こっちだ!」


 呼び声に応じて足音が響き、さらに数人の男が現れる。どいつもこいつも帽子も服も靴も、午前中の陽の光の中なのに上から下まで艶の無い黒ずくめ、『私達は不審者の集団です』と言わんばかりの格好をして、広くもない道を塞ごうと一杯に広がってこちらの様子を見ている。


 コーレはマルコに囁いた。


「あいつらか?」

「うん」


 囁き返してくるマルコに「わかった」と頷き、首元から笛を取り出して手の中に忍ばせる。


「マルコ、一つ頼みがある」

「何?」

「お前の家、屋根に出られたよな?」

「いつもの手、だね?」

「ああ」

「わかった。コーレ、ひとつ貸しだよ」

「貸し?」


 問い返して顔を見ると、マルコはニヤニヤ笑っている。


「こんな綺麗な女の人にいいところを見せて恩を売る絶好機を譲るんだからね。高くつくと思ってよ」


 綺麗な女の人? つい娘の顔を見る。そんなこと気にもしなかったが、確かに目鼻立ちがはっきりして整った、美人だ。だから助けると言う訳では全くないのだが。


「わかった。必ず返すから頼む」

「引き受けた!」


 答えるなり、マルコは自分の家の方に走って行った。

 それを見て、黒い不審者達がこちらにじりっじりっと近寄ってくる。コーレはそちらに向き直りながら、娘にだけ聞こえるように囁いた。


「えっと、ビアンカ、まだ走れるか?」

「ええ、走るのは得意です。ここまでも走ってきましたもの」

「そうか。いつでも走り出せるようにしておいてくれ。もうひとつ、高い所は嫌いか?」

「高い所? いいえ、大好きです。眺めが良いですもの」

「それは好都合」


 その間にも、悪漢連中はじりじりと詰め寄ってくる。十ヤードほどのところで立ち止まると先頭の男が「おい、そこの若造」と居丈高に甲高い声を掛けてきた。


「その娘をこちらに渡せ。そして家に帰って寝台でボロ毛布に潜って寝て、全てを忘れろ。そうすれば、お前のことは見逃してやる」

「そうしなければ?」

「後悔することになる」


 威し文句と共に、残りの男達が一斉に上着の中に手を突っ込んだ。恐らく武器を仕込んでいるのだろう。


「で、あんたの言葉が本当のことになるという保証は?」

「試してみればわかるさ」


 男が片側の口角を気味悪く挙げながら言う。周囲の連中も一歩進んで男に並び、わらい顔を見せる。

 コーレは無表情で言ってやった。


「どうやら後悔することになりそうだな」

「ほう…… いいだろう、好きなようにすることだな。こちらも、任務のついでに余興を楽しめるというものだ。存分に後悔させてやる。あの世でな」


 男は相変わらず気味の悪い顔で言う。だが、コーレも同じようにニタリと嗤い、不審そうに見返した男に言い返す。


「いや、あんたらがだ」

「何だと?」

「あんたらが後悔すると言ってるんだ。この人は運び屋の俺が預かった荷物だ。届け先以外に渡すわけには行かない。どうしても欲しいなら奪い取って見せることだな。後悔することになるだろうがな」

「良かろう。警告はした。そうさせてもらおう。掛かれ!」


 男の合図で周囲の手下が前に走り出そうとする。その刹那、コーレは笛を思い切り吹き鳴らした。

 大人には聞こえない笛の音に、悪漢どもは一歩踏み出したところで訝しげに足を止める。それと同時に、そこかしこの路地で野良犬どもが一斉に鳴き始めた。ワンワンギャンギャンわめきながら、コーレ達がいる通りに次々に飛び出してくる。それと同時に周囲の家の子供達が「なになになに?」と叫んで一斉に窓を開けて顔を出した。赤ん坊が急に泣き出して、驚いた母親の声も沢山聞こえる。悪漢どもが周囲を見回して思わず怯む。今だ。


「行くぞ!」


 コーレはビアンカの手を引き、身を翻して走り出した。


「はい!」


 ビアンカも手を引かれるままに走る。慌てたり怯えたりするどころか楽しそうに、コーレより前に出る勢いだ。逆に引っ張られそうになり手を放すと、両手でスカートの裾を引き上げ、さらに勢いよく足を高く上げて楽しそうに走っている。得意と言ったのは嘘じゃなさそうだ。むしろコーレの方が遅れがちだ。

 後ろの方では、悪漢どもが追いかけてくる。そのまた後ろを野良犬に追われながら。喰い付かれかけて転んでいる奴もいるようだ。追跡しているのかされているのかわからないが、必死なのは確かだろう。


「こっちだ!」

「はい!」


 角を曲がり、通りを変え、また走る。路地に入り、突き抜けてまた通りに出る。通行人にぶつかりそうになり、「ごめんよ!」と叫びながら体をひねって横をかすめ過ぎる。ビアンカの方は踊るような体のさばきで、軽く躱している。

 また走る。だんだん息が切れてくるが、なんだか可笑しくなってくる。こらえきれずに「ははは」と笑い声を上げると、横でビアンカも楽しそうに笑っている。笑うとますます息が苦しくなって走る速度が落ちるが、もう終点は近い。

 また道を変えると行き止まりが見えた。ビアンカが物問いたそうにこちらをちらっと見るが構わない。追跡者がこちらに曲がる頃に、奥の方で戸が開いて男の子が手招きしながら叫ぶ。マルコだ。


「コーレ、こっち! 早く!」

「ありがとよ!」


 叫びながら、飛び込む。中で揺り椅子に座って編み物をしていたマルコのお婆さんが相好を崩して「コーレ、別嬪べっぴんさん、いらっしゃい」と言う前を「エッバ婆ちゃん、こんちは!」「初めまして、失礼いたします!」と口々に叫んで通り過ぎ、階段を駆け上って屋根裏部屋を目指す。天窓を開けて屋根の上に出て、ビアンカの手をつかんで引っ張り上げる。通りを見下ろすと、素早く扉を閉じたマルコに閉め出され、野良犬と格闘していた連中が二人に気付いて「あそこだ! 上だ!」と叫んでいる。それに向けてわざとらしく煽るように手を振ってから、屋根から屋根へと飛び移って大通り沿いに出れば、連中も下の道を追い掛けてくる。右往左往をし始めたのは屋根に上る方法を探しているのだろう、首領の男が建物の外壁の梯子を見つけて、何人かを引き連れて昇り出した。


「これからどうするのですか?」


 ビアンカが尋ねてくる。不安がるどころか、わくわくが隠せないという弾んだ声だ。本当に肝っ玉の据わった娘だ。


「あっちを見てな。すぐに俺の相棒が来る」


 空を指差してもう一度笛を吹くと、娘が首を捻った。


「相棒?」

「ああ。頼みになる幼馴染さ。ほら、来た」


 コーレが指差す方を見ると、白い雲の隙間に小さな点が現れた。点はみるみるうちに大きくなり羽ばたく大きな翼が見える。


「鳥?」

「どうかな?」


 飛来する生き物がさらに大きくなると、頭に伸びた片側だけの角、吊り上がった目、頬の傷痕、大きな口に尖った牙、四肢の先の鋭い爪、そして全身を覆うしなやかで艶やかな灰色の鱗が見えてきた。

 通りではその姿に気付いた連中がなにやら叫んでいるがもう遅い。


「竜」


 ビアンカが呟く。


「怖いか?」


 尋ねると、首を力強く横に振った。


「いいえ、怖くありません」

「本当か?」

「ええ。貴方の『相棒』なんでしょう?」

「ああ、そうだ」

「貴方は怖くない、良い人ですから。だったら貴方の『相棒』も、怖くない良い人に決まっていますわ」

「違いない」


 コーレが笑うと、ビアンカも嬉しそうに笑った。

 地上では、グラウの姿を見た悪漢連中が慌てふためいて物陰に隠れようとしている。首領が梯子からそれに向けて叱咤しているが、誰も聞こうとしていない。首領の後で梯子を昇っていた数人も慌てて飛び降りて逃げている。


「ちょっと失礼」


 コーレはそう声を掛けて、ビアンカを抱き上げた。


「すまないが、つかまっていてくれ」

「はい!」


 ビアンカが嬉しそうにコーレの首に手を回す。間合いをはかって通りへと空中に跳び出せば、グラウの背中が軽々と受け止める。


 梯子のてっぺん近くでこちらにむかって片手を振り回してたわごとを叫んでいる首領の横を通り過ぎざまに、グラウが翼の端でそいつをちょんとつついた。体勢を崩した男は足を滑らせて、梯子に片手で必死にぶら下がり「助けてくれー」と悲鳴を上げる無様を曝している。いい気味だと思ったら、腕の中のビアンカもそっちに向かって「ざまぁ見なさい!」と大声を上げた。こいつ、本当に商人のお嬢さんか? まあ、いいか。


「後悔したのはどっちかな?!」


 さっきまで偉そうに格好を付けていた黒ずくめの男に、コーレも大声で叫んだ。男の「憶えてろー」という情けない声を背に聞いて、コーレも、ビアンカも、そしてグラウも思わず笑い出した。声が揃ったのに気づいて、また可笑しくなって笑い合う。三人とも、腹の底からの笑い声だった。

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