第5話 水の都と時を渡る夢(5)
翌日から、ユーゴたちは万引き常習犯の少年たちを捜し始めた。マウロの店の本が隠された場所を突き止める手がかりは、今のところ彼らだけだ。そして、それだけ大量の本を隠す場所を用意できるとなれば、複数人の大人が関わっているはず。本を仕入れるための手駒として、コストの安い小さなギャングを使っているのだろう。カーラとグイドにも、彼らを見かけたら教えてほしいと頼んであった。快く引き受けてくれ、周辺の店や知り合いにも呼び掛けが広がっているはずだ。
そして二日後の昼、彼らから連絡を受けた。カステッロ地区にある古書店の前に、三、四人がたむろしているという。
急いで向かったが、店の前に少年たちの姿はなかった。もう店内に入ったのだろうか。ユーゴがショーウィンドウを覗くふりをして窺うと、レジから一番遠い本棚の陰に、数日前見た少年たちのうち三人がいた。ユーゴたちと話したあの赤毛の少年も混じっている。
店主たちには、彼らが盗みを働いてもよっぽど高価な商品でない限り泳がせてくれと頼んである。本を買い取る人間を突き止めるためだ。
ユーゴは店の前のワゴンに入った投げ売りの古書を、適当に手に取る。開いて中を見て戻す、というのをゆっくり繰り返していると、少年たちが動いた。体の小さな少年を二人が挟み、壁を作る。数秒経って、彼らは少し緊張した顔で、店のドアの方へと歩いていく。小柄な少年がレジの方をちらりと見て、後ろにいた一人が慌てて前を向かせていた。
「盗みましたね」
横に並んだルチアーノが囁く。ユーゴは頷き、まだ追いかけずに視線だけを彼らに向けた。
三人は店を出て、何事か喋りながら歩いていく。二ブロックほど進んだところで、やや太った一人の少年がどこかに電話をかけていた。再び歩きだしたところで、尾行を開始する。
彼らはそのまま立ち止まることなく移動し、気づけば人通りの多いサン・マルコ広場まで来ていた。一人は広場の端にあるカフェの壁にもたれ、もう一人は段差を見つけて腰を下ろす。小柄な少年はきょろきょろと、落ち着かなそうに周囲を見ていた。
「誰かを待っているみたいだな」
二人は物陰から、彼らを見張った。肩を回しているユーゴを見て、ルチアーノが不思議そうに首を傾げる。
「何をしているんですか?」
「万引き犯が来たら、投げ技で捕まえてやろうかと」
「それは話題になりそうですね。明日の新聞に『サン・マルコ広場で一本!』、とか」
そこまでやると、目立ち過ぎだとアダムズ局長に怒られるかもしれない。ユーゴは気を取り直し、三人組の少年に意識を戻した。
一人の若い男が現れたのは、それから三十分後のことだった。黒髪を後ろで括り、サングラスをかけている。見た目はその辺にいるイタリアの若者だ。彼は少年たちに軽く手を上げて近づいていった。
赤毛の小柄な少年が、トートバッグの中から本を出し、その男に見せる。彼はサングラスを上げて本を見ると、ポケットから財布を出した。差し出された数枚の札を、太った少年がさっと手を伸ばして受け取る。ユーゴはその一部始終を、自分のスマートフォンのカメラで撮影した。
取引はほんの一分ほどで終わり、彼らはそれぞれその場を離れた。次に追うのは、もちろん若い男の方だ。彼は人の多い広場を慣れた様子で進み、一軒のカフェの前で足を止めた。
手近なテラス席についたのを確認して、ユーゴたちもその店に移動した。幸い、彼のすぐ近くのテーブルが空いていた。
ユーゴたちがコーヒーを啜っていると、黒髪の男がスマートフォンを耳に当てた。二人はコーヒーに集中しているふりをして、彼の声に耳を澄ませる。
「――ああ、オレだ。一つ、土産ができたんだ」
男は陽気に、本のタイトルを告げた。先ほど受け取った本のことだろう。
「それで、運び出す時間は八時だったよな。……え? もう島にいるのか? 相変わらず慎重だな」
男はからかうように言った。
「大丈夫だよ、あの時はちょうど機転が利く奴がいて、うまく切り抜けたんだ。……わかったって。ちゃんと注意するよ。――ああ、また後で」
席を立った男を追おうとするユーゴを、ルチアーノが制した。
「追う必要はありません。今の会話で、集合時間も場所もわかりましたから」
「時間はともかく、場所の方は『島』としか言っていなかったぞ」
ヴェネツィアには本島以外にいくつも島があるはずだ。ユーゴが反論すると、ルチアーノはこう返した。
「目星はついています。本を盗んだ少年たちを追った時の、グイドの話を覚えていますか?」
「ああ、本だけが消えて、怪しい奴もいなかったんだったな」
「『怪しい奴は』、ということは、怪しくない人はいたかもしれません。例えば、僕らが出会った葬儀屋とか」
「葬儀屋がその場にいたとして、どう――」
その時、稲妻が走るように答えが閃いた。
「偽の葬儀屋と、偽の棺か。ちょうどその場に居合わせて、彼らが持っていた本を棺の中に……」
男が機転の利く奴がいて、と言ったのがその話だったのかもしれない。グイドも、さすがに棺の中まで見せてほしいとは言えなかっただろう。
「その意味では、棺ほど何かを隠すのに優れた物はないな」
「葬儀屋に成りすまして向かう先は、墓場の島、サン・ミケーレ島しかありません。……どうです、場所も絞れたでしょう」
墓地と教会しかない島。夜はぐっと人が少なくなるだろう。本を隠す場所としても申し分ない。
「まさか、あのエルメーテという青年も……」
「さあ、そこまではわかりませんね。本物の葬儀屋が関わっているのか、まったくの偽物なのか」
しかしそれも、今夜島にやって来る者たちを捕まえればわかることだ。
「あそこは船でしか出入りできません。逃げるのは簡単じゃないはずですよ」
「運が向いてきたな。しかし、古書の調査をしているはずがどうしてこうも厄介ごとにばかりぶつかるのか……」
「事件を呼ぶ体質だと思って、諦めることですね」
それはルチアーノにも当てはまるのではと思ったが、ユーゴは懸命にも口を噤んだ。
電話によれば、犯人グループの一人は既にサン・ミケーレ島に到着しているようだ。今すぐ向かいたいところだが、万全の態勢で臨むため、地元警察にも協力を依頼することにした。
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