第4話 花売りの初恋(7)
「ここは……何置き場だ?」
スマートフォンのライトで照らすと、倉庫にはスイカほどの大きさがある、丸い玉のようなものが転がっていた。
「これはもしかすると……」
ルチアーノが何か呟くが、ゆっくり話している時間はない。どうやら、ユーゴたちがここに逃げ込んだことはバレているようだった。
「どうする? 他にもいるようだが」
「捕まえてから考えればいいさ」
後は任せると言って、「冷たい声の男」はどこかへ行った。人数は減ったが、外灯の薄明かりで男がまだ銃を手にしているのが見えた。
「あれさえどうにかできれば……」
相手は一人。銃を奪ってしまえば、形勢逆転できるはずだ。
「じゃあ僕が気を引きます。適当なところで飛びかかってください」
暗がりの中、横にあったルチアーノの気配が遠ざかる。それからすぐ、ユーゴの左方向から身がすくむくらいの大音量のコール音が鳴った。
銃を持った男は、完全に音に気を取られている。ユーゴは躊躇なく地面をけり、男の襟元を掴んだ。驚いた顔を間近に見ながら、足を払って投げる。その拍子に思わず引き金を引いてしまったらしく、銃声が一発鳴り響いた。
次の瞬間、ユーゴの後方で、轟音と共に火柱が上がった。
「……え?」
ポカンと立ち尽くすユーゴの腕を、ルチアーノが強い力で引いた。
「何してるんです、死にますよ!」
訳も分からず倉庫の外に出ると、今度は地響きが鳴るくらいの大きな爆発が起きた。慌てて耳を塞ぎ伏せたが、熱風が押し寄せ、爆音が耳の中でしばらくこだましていた。
「一体何が起きたんだ……」
呆然とするユーゴに、花火ですよ、とルチアーノが言う。
「『Bonfire night』に使う予定だったものでしょう。たぶん全部燃えてしまったと思いますけど」
そして、呆れたようにユーゴを睨んだ。
「どうしてこうなるんですか?」
「いや、今のは事故のようなもので……俺のせい、なのか?」
これを“地雷を踏んだ”ことにカウントされるのは、理不尽ではなかろうか。
さすがにこれだけの騒ぎになれば、近隣の住民や消防車、パトカーも出てきた。窃盗犯たちも、右往左往している。
「こいつらは全員、本泥棒だ!」
ユーゴが叫ぶと、集まった者たちの目の色が変わった。さすがは本の街だ。あっという間に、逃げようとトラックに向かっていた男たちが捕らえられる。拳銃を持っていた男も、数人に取り押さえられていた。
しかし、トラックが一台、パトカーの脇を抜けて走り去ってしまった。
「おそらく、『冷たい声の男』でしょう」
「あと少しだったが、取り逃がしたか」
ユーゴは悔しさに舌打ちしたが、盗品と仲間は押さえた。いずれ身元がわかるだろう。
「……なあ、あんたたちは何者だ?」
ジュードはおずおずとユーゴたちに声をかけた。服の一部が焦げているが、彼もなんとか倉庫から逃げ出せたようだ。
「俺たちは仕事で古書を調査している。『TRAVELS IN EUROPE』を盗んだのは、君だな?」
ジュードは目を見開き、頷いた。
「ブックフェアで同じ本を見て、驚いたんだ。あれはあんたたちが仕組んだのか?」
「リリー・アドキンズの案だよ。君が点字を打った本を渡した相手だ」
ユーゴの言葉に、ジュードはさらに驚いたらしい。そこまで知られているとは思わなかったのだろう。
「リリーはその本を、脅されて渋々渡したんだ。君らを指揮していた男に」
「ああ、リシャールのことだな」
「冷たい声の男」は、リシャールという名らしい。
「あいつはあの本を売るつもりだったが、傷がついて良い値がつかなくなったとひどく怒っていた。オレに本を突っ返して、しばらく自分の下で働くように言ったんだ。逆らえば殺されると思って、素直に従ったよ」
「じゃあ、本は君の元に戻っていたのか」
しかしそれならなぜ、再びリリーに渡さなかったのだろう。彼女が本を取り戻したいと思っていたことは、彼も知っていたはずだ。ユーゴが問うと、ジュードは否定するように首を緩く振った。
「あの子はもうオレなんかに関わるべきじゃない。怖い目に遭って、彼女だってそう思ったはずだ」
「その後、本を誰かに渡したんですか?」
ルチアーノが尋ねる。
「未練が残るから、捨てようとしたんだ。その時に、『行き場のない本』を引き取ってくれる男がいると聞いて……。迷ったが、彼に渡すことに決めた」
これまでに聞いた話と同じだ。ユーゴとルチアーノは視線を交わした。
「その男の名は? どんな見た目だった?」
「三年前に会ったが、六十代くらいだった。少し太り気味で、陽気な男だったよ。自分のことは『アルキーヴィオ』とでも呼んでくれ、と」
「アルキーヴィオは、イタリア語で書庫という意味です」
「偽名だな。しかし、イタリア人というのはほぼ間違いなさそうだ」
「行き場のない本」を収集するイタリア人。彼が大英図書館に本を残したのだろうか。
「トラックに積んだ本は、どこまで運ぶ予定だったんだ?」
「イタリアの港だと聞いている。オレたちの仕事は船に積むところまでだったから、詳しい場所はリシャールしか知らない。しかし、あいつもしばらくは逃げるので精一杯だろう」
翌朝、ジュードは警察に出頭した。過去の窃盗の罪も告白したという。ユーゴは地元警察に事情を話し、署内でジュードと面会させてもらった。
「知っていることは、全て話したつもりだが」
「いや、それとは別件だ。君にとっては、余計なお世話かもしれない」
ジュードは不思議そうにユーゴを見上げた。
「俺たちが君のことを知ったのは、リリーが教えてくれたからなんだ。彼女は君を心配して、俺たちに助けを求めてきた」
「彼女が、そんなことを……?」
ジュードは信じられないというように、首を振った。
「罪を償ったら、一度会いに行ったらどうだ? 今もあの花屋で、店番をしている」
「オレは彼女を騙したんだ。盗品を渡して、怖い思いもさせた。足を洗おうとしたが、それもできなかった。今更、合わせる顔なんてない」
「でも、リシャールに言っていただろう。もう、こんな仕事はやめると」
「あの本を見たら、そう決心した時の気持ちを思い出したんだ。それで、ちゃんと稼いであの本を買い戻したら、もう一度リリーに会いに行けるんじゃないかって……」
店主には金が入る当てがあるように言ったが、実は目途などついていなかったのだという。
「でもやっぱり、オレには無理だ。頭も悪いし、愛想もない。オレにできることなんて、泥棒くらいだ」
ユーゴは自分の荷物から「TRAVELS IN EUROPE」を出し、テーブルに置いた。
「君はこの本の文章全てに、点字を打った。きっとものすごい根気と集中力が必要だったはずだ。これは、君が泥棒以外のこともできることの証明だと俺は思う」
それに、とユーゴは付け加えた。
「彼女にとっては、君が生きているだけで充分なんだよ」
ジュードは俯き、顔を覆った。すすり泣く嗚咽を聞きながら、今度こそうまくいくはずだと、ユーゴは信じた。
リリーに事の顛末を説明しに行っていたルチアーノから、彼女がユーゴにも感謝をしていたと聞いた。ジュードが訪ねて来るのを、楽しみに待っているという。
「お礼にと、これをいただきました」
ルチアーノは箱から小瓶を取り出し、ユーゴに見せた。香水瓶だ。
「彼女は鼻が利くので、香水作りの勉強もしているそうです。もちろん、材料には本物の花を使っていると言っていました」
ルチアーノはユーゴの近くで、香水をひと吹きした。
「花屋の前を通った時のような香りだな。色んな花の匂いがする」
「ええ、自分がいつも座っている場所の香りをイメージしたそうですよ」
彼女はこの香りに包まれて、ジュードを待ち続けるのだろう。何と声をかけようかと逡巡する彼の足音だけで、気づいてしまうかもしれない。
そんな日が一日でも早く来れば良いと、ユーゴは思った。
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