第4話 花売りの初恋(4)
朝食を終えて二人が向かった先は、昨日訪ねた「HAY WASTELAND books」だった。点字で書かれていたリリーという女性について、もしかすると手がかりがあるかもしれない。
店主のハロルドに事情を話すと、彼は記憶を探るように宙を見ながら言った。
「リリーというと何人か思い浮かぶが、アドキンズなんて苗字は……」
すると、傍らで本を並べていた三十代くらいの女性が口を挟んだ。
「あら、リリー・アドキンズなら知っているわよ。近くにある花屋さんの、娘さん」
「店を訪ねたら会えますか?」
ユーゴが勢い込んで尋ねると、女性店員はあっさり頷いた。
「お店が開いている時間なら店先にいるはずよ。綺麗なブロンドで、いつも薄い色のサングラスをかけているからすぐにわかると思うわ」
「サングラスというと、もしかしてその女性は……」
「ええ、生まれた時からほとんど目が見えないの。だから、その本は彼女に贈られたものなんじゃないかしら」
花屋までの道を教えてもらった二人は、歩いて店まで向かった。街中を歩くと、確かに古書店が多く、本の街であることがわかる。
「それにしても、この街はどうしてこうも書店が多いんだ? 交通の便も悪いし、流通の拠点というわけでもなさそうだが」
「始まりは、一人の書店主です。名前はリチャード・ブース。彼は故郷が廃れていくのを見て、ヘイ・オン・ワイを本の街としてPRすることで経済を発展させようと思いついたんです。彼の戦略は見事に成功し、消防署跡にできた書店を皮切りに書店が増え続け、一九七〇年代には本の街として知られるようになりました」
今ではヘイ・フェスティバルの効果もあり、世界中から何十万人もの観光客が集う街になったそうだ。
ルチアーノは歩きながら、目に入る古書店を指さしてユーゴに説明した。
「あそこはイギリスで唯一の、詩集専門の古書店です。それから、あちらは探偵小説が揃っている店で、床には殺人現場でおなじみの“人型”が描かれているんです。そういえば、郊外に、『バスカヴィル・ホール』という名前のホテルがあるそうですよ」
「その名前はしばらく聞きたくないな。ホームズシリーズもごめんだ」
ユーゴがうんざりした顔をすると、ルチアーノは愉快そうに笑った。他にも、入り口に標識が掲げられていて、「読書家」のみ入店可能という店もあった。この街は本当に、本を中心に回っているのだ。ユーゴたちが通らなかった道にも、きっとたくさんの書店が並んでいたのだろう。
「この道の奥のようですね。『Flower Fairies』、と書いてあります」
「店名からしてもっとメルヘンチックかと思ったが、普通の花屋だな」
「たぶん、シシリー・メアリー・バーカーの『花の妖精』からとっているのだと思います。イギリスの挿絵画家で、特に有名なのは彼女が創作した花の妖精の絵ですね。花をモチーフにした衣装と蝶やトンボのような羽の、可愛らしい子どもの姿をした妖精です」
ルチアーノは彼女の絵をスマートフォンで検索し、ユーゴに見せた。花の種類ごとにそれぞれ妖精がいて、どれも愛らしく美しい色使いだった。ユーゴも、どこかで見かけた気がする。
店の前には花の詰まったワゴンがあり、その傍らの木製の椅子に女性が腰かけていた。近づいて彼女の姿を見た時、ユーゴはたった今見た花の妖精を思い浮かべた。ひらひらと裾の翻る、花柄のワンピース。日を浴びて輝く金色の髪。花に囲まれる彼女はまるで、あの絵から抜け出してきたかのようだった。
金髪に、薄い色のサングラス。彼女がリリー・アドキンズだ。
店先にはちょうど腰の曲がった老女がいて、彼女と話していた。リリーは頷いて椅子から立つと、ワゴンの中に手を伸ばし、花を選び取っていく。指先で形を確かめ、時には匂いを嗅いで。
「これでどうかしら。爽やかな匂いだから、お部屋のどこに置いても邪魔にならないわ」
それからリリーは店の奥を向いて、声をかけた。
「マム、色を整えてくれるかしら?」
奥から、返事と共にエプロン姿の女性が顔を出す。ややふっくらとしているが、リリーと横顔が似ていた。
母親の手で彩りを増した花束を、老女は嬉しそうに抱えて帰っていった。それを見届けて、ユーゴたちはリリーに近づいた。彼女は足音を聞き、こちらに顔を向けた。
「いらっしゃいませ。お祝いのお花ですか?」
ユーゴはルチアーノと思わず顔を見合わせた。
「なぜ、そう思われたんですか?」
「足音が二つだから、二人で一緒にお花を贈るのかと思ったの。それに、男性が花屋に来る目的は、贈り物が一番多いわ」
「我々が男性だということまで、わかったんですね」
「ええ、匂いと足音の重さです」
ユーゴは思わず感嘆のため息をついた。まだ二十代前半に見えるが、物腰もとても落ち着いている。
「実は、今日はあなたにお尋ねしたいことがあって来たんです。以前、この本をお持ちではありませんでしたか?」
ユーゴは「TRAVELS IN EUROPE」をリリーに渡した。彼女は表紙を探り、中の紙の質感を確かめるように、何度か指でなぞった。それだけで、彼女にはわかったようだった。
「昨年まで、この本は私のところにありました。……今度は私が聞いてもいい?」
もちろんとユーゴが答えると、彼女は言った。
「この本はどこで見つかったの? それから、どうしてこの本が私のものだとわかったの?」
「大英図書館で、置き去りにされていました。あなたのものかもしれないと気づいたのは、点字であなたの名前が本に書かれていたからです」
「大英図書館……?」
考え込むように呟いたリリーを見て、ユーゴは尋ねた。
「この本がどのような経緯であなたのところに来て、その後あなたの手を離れていったのか、知っていることを教えていただけませんか?」
リリーは不安げな表情を浮かべていた。言うべきかどうか、迷っているようにも見える。
「お話すると、あなたたちに危険が及ぶかもしれないので……」
彼女は怯えの滲む声で言う。迷っていたのは、ユーゴたちを案じてのことだったのだ。ユーゴはできるだけ優しく、心配はいらないと告げた。
「私はインターポールの捜査官です。安心してください」
それを聞いたリリーは、はっと顔を上げた。
「インターポール……お巡りさんのようなものよね」
それから彼女は、ユーゴに訴えかけるように言った。
「全部話すから、お願い、あの人を助けてください」
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