第1話 ある古書泥棒の告白(5)
トンプソン邸は、ニューヨーク市の東部、ロング・アイランドにあるという。高級住宅地と名高く、庭付き戸建ての多い落ち着いた地区だ。マンハッタンからワーズ島を経由し、イースト川を渡ってロング・アイランドへ。タクシーが目的地に近づくにつれ、街の喧騒が遠ざかり、道幅は広くなっていく。
「あんたもディーラーかい?」
ダミアンは助手席から振り返り、ユーゴに声をかけた。
「いえ、知人から調査を依頼され、一時的に管理しているだけです。調査はルチアーノに一任していますし、古書に詳しいわけでもありません」
ユーゴは予防線を張りつつ答える。座席から身を乗り出すようにして、ダミアンは無遠慮にユーゴをじろじろと眺めた。
「確かにディーラーのツラじゃないな。嘘も方便の世界だが、あんたは融通が利かなそうだ」
ダミアンは納得したようにひとりごち、歪な笑みを浮かべる。
「なああんた、図書館から本を“仕入れる”方法って、知ってるか?」
「それは、合法的に?」
ユーゴの問いに、ダミアンは笑みを深めた。
「図書館は稀覯本も多くて、書店より混雑していることが多い。オレらにとっちゃ仕事をしやすい環境なんだ」
「そんなに簡単なのか? 貴重な本なら、図書館側も普通は対策をとるだろう?」
ダミアンは上機嫌に頷く。
「利用する人数が多いぶん犯人を特定しにくいが、まあ簡単じゃあない。貴重な本は閉架の書庫にあるのが普通だから、司書に頼む必要がある。身分証を提示して利用登録もしなければならん。あんたなら、どうやる?」
ユーゴは少し思案してから答えた。
「司書から本を受け取った後、しばらく様子を窺って、司書の見ていない瞬間を狙って逃げる。すぐに気づかれるだろうが、逃げ足が速ければ成功だ。ただ、一回しか使えない方法だな。名前もできれば偽名を使いたいところだ」
ダミアンは賞賛の口笛を吹いた。
「素晴らしい。実際、そういう奴は多いよ。逃げおおせたらすぐに本をバラバラにして、状態の良い表紙に換えて売るんだ」
「品物の価値を高め、同時に証拠隠滅もできて一石二鳥だ」
皮肉を込めて、ユーゴは言う。
「最も古典的なのは、服の中に隠す方法だ。これは開架の図書館に限るが、ゆったりしたコートにポケットをいくつか作って、その中に入れるんだよ。貸し出し記録は残らないから、図書館側は無くなったことにすら気づかないこともある」
ダミアンはそんな風に“仕入れ”についての知識をいくつも披露した。もちろん聞いていて気分の良い内容ではないが、今後の調査には役立つかもしれない。ユーゴはそれなりに真面目に、耳を傾けた。
しかし一方で、ダミアンの態度には空回りしているような違和感があった。まるで自分の悪人ぶりをアピールしているかのようだ。彼の表情から理由を探ろうとしたが、結局意図が見えないまま到着してしまった。
「ふん、相変わらず仰々しいな」
タクシーを降りたダミアンが、豪邸を前にして吐き捨てる。映画の「グレート・ギャツビー」を思わせる、白亜の邸宅だ。アールデコ調と呼ばれる様式は現在の流行ではないが、歴史を重ねたぶん威容が感じられる。
ダミアンは門扉の横のインターホンを押した。ハスキーな声で応答があり、ほどなくして玄関のドアから女性の顔が覗いた。
「あらあら、どういう風の吹き回し?」
女性は七十に手が届きそうなくらいで、張りのあるシルバーヘアを団子に結っていた。ワンピースにエプロンの、クラシカルなメイド姿だ。大股で歩いてくる彼女を示し、ダミアンが言った。
「父の代から住み込みで働いている、デイジーだ」
デイジーはユーゴたちに向かい、品の良い会釈をした。
「兄貴はいるかい?」
「海の方までお散歩に。すぐに帰られると思いますよ。さあ、ご友人の皆様もどうぞ」
「勝手にオレを家に入れて良いのかい? ナターシャが嫌な顔をするだろう」
「奥様はブロードウェイでミュージカルをご覧です。ダミアン坊ちゃんは本当にいつも間が良いですわね」
デイジーは踵を返し、さっさと歩き出す。ダミアンは肩をすくめユーゴたちを見たが、少し嬉しそうでもあった。
屋敷の中は広々としており、こちらも映画のセットのようだった。重厚で高級そうな家具が、スペースに余裕をもって贅沢に配置されている。応接間に通されたユーゴたちは、紅茶を蒸らす間にデイジーの質問攻めにあった。ダミアンとはどういった関係か、なぜ訪ねて来たのか、などなど。
話が「ウェルギリウス著作集」に及ぶと、デイジーは少し気まずそうな顔をした。本が無くなったことは、彼女にとっても印象深い事件だったのだろう。しかしその本が今この場にあると聞いて、喜色満面になった。
「まさか見つかるなんて! 旦那様も亡き大旦那様も、お喜びになるでしょうねえ」
デイジーは黒縁メガネを外し、涙を拭う仕草をした。今までほとんど黙っていたユーゴだったが、思わず彼女に尋ねた。
「ダミアンのことは、怒っていないのですか?」
そこまで喜ぶのなら、本が無くなった時はかなりショックを受けたはずだ。その割に、盗んだダミアンへの態度はちょっと素行の悪い子どもを相手にするようで、愛情も感じられる。
「持ち主である大旦那様が、もういいとおっしゃいましたので。そのご意思に反して怒るのは、使用人として出過ぎた真似でしょう」
彼女の答えには、亡きトンプソン氏への敬意が見て取れた。
「もう二十年ほど前になりますわね。あの日は大旦那様のお誕生日で、色んな方がひっきりなしにお祝いに来ていました。ホールではパーティーを開いて、忙しい日でしたねえ。大旦那様はお疲れだったのか、パーティーの前からあまりお顔が優れなくて、旦那様もなんだか思い詰めた顔をしておられましたし、普通だったのはダミアン坊ちゃんくらい――」
「デイジー、紅茶を蒸らしすぎじゃないかい?」
ダミアンが遮るように声をかけた。
「あら、これは失礼しました」
しかしデイジーの口は紅茶をサーブした後も止まらなかった。
「でもねえ、本当におかしな日だったんですよ。大旦那様ご自慢の振り子時計も、その日に限って時間が狂うし。皆さんダミアン坊ちゃんが本を盗んだと言っていましたが、実はSF小説みたいに時間の狭間みたいなところに落ちたのではないかしら。だって坊ちゃん、あの日はパーティーの前から書斎のある二階には足を踏み入れてないでしょう? 私はホールの入り口近くにおりましたから、知っていますよ」
「デイジーが目を離した隙を狙ったのさ」
「行きも帰りもでございますか? それに、坊ちゃんが帰られた時にお見送りもしましたが、その時は手ぶらだったはずです。いくら小さな本とはいえ、ポケットにでも入れていたら気づきそうなものですよ」
ダミアンは反論を諦めたように、ゆるく首を振った。すると部屋の外から、古風なボーンという音が鳴り響いた。
「例の振り子時計ですか?」
ルチアーノが尋ねると、デイジーは嬉しそうに首肯した。隣のリビングにあるというので見せてもらうと、トンプソン氏のご自慢だっただけある、大きく立派なものだった。ダークブラウンの木材が艶やかだ。窓の中で、振り子が揺れているのが見える。
「大旦那様が毎朝、ねじを巻くのを日課にされていました。今でもきちんと動きますし、振り子時計にしては正確なんですよ」
「でも本が盗まれた日だけ、狂っていたんですね」
「ええ、不思議でしょう」
ルチアーノはデイジーに相槌を返したが、何かを思案している様子でもあった。
「そういえばダミアン坊ちゃんは、あの当時色々な仕事をされていましたねえ。レストランの接客から、宝石の買い付け、時計の修理屋まで。確かあの時も、大旦那様に申し上げたんです。ダミアン坊ちゃんに時計を見てもらったらどうかって。でも、『明日になれば直るさ』と言われましてね」
「オレなんかに大事な時計をいじられたくなかったのさ。当然の判断だよ」
デイジーは納得がいかない様子だったが、ダミアンがさっさと応接間に戻ったため話はそこで打ち切りになった。応接間に入る直前、ユーゴはルチアーノに耳打ちした。
「彼は昔の話をしたがらないな。盗みを働いた罪悪感のせいかもしれないが、むしろデイジーは彼を庇おうとしているのにそれも嫌がっている」
タクシー内での態度とも、矛盾する。彼は好んで悪事を働いているような口ぶりだった。父の書斎に忍び込んでうまく盗み出したのなら、それも武勇伝のように語りそうなものだが。
「ええ、僕も同感です。先ほどの話を聞いて、大体わかったような気がします」
「わかったって、何がだ?」
尋ねても答えはなく、ルチアーノは洗練された身のこなしでソファに腰かけた。わずかに前傾になり膝の上で手を組むと、ダミアンに視線を合わせて口を開く。
「本を盗んだのは、あなたじゃありませんね」
一瞬、時が止まったかのような静けさに包まれた。ダミアンが渇いた笑い声を上げる。
「今さら何を言うんだ。親父が大事にしていた物を盗む悪党なんて、オレ以外にいないじゃないか」
「では、どうやって盗んだのでしょう。目撃者がいる中で書斎に侵入し本を持ち出す方法があるなら、教えてほしいものです」
「それは企業秘密さ。タクシーの中で話したのは古典的な方法で、別の方法もある。いくら君でも、教えられないよ」
「なるほど、そうやって自分が『泥棒』だと印象づけるのが、タクシーでのパフォーマンスの意味だったわけですね」
ダミアンは意表を突かれたように固まった。畳みかけるように、ルチアーノは続ける。
「僕の考えでは、本が盗まれたのはパーティーの前です。お父様の様子がおかしかったのも、既に異変に気づいていたためでしょう。しかしパーティーが始まって人目も増え、犯人はひとまず『ある場所』に本を隠した。そしてパーティー後か翌日に、本を回収したんです。そしてその隠し場所は、あなたであれば絶対に選ばない場所でした」
「……試しに聞いてみよう。その場所というのは?」
一呼吸おいて、ルチアーノは答えた。
「振り子時計の中です」
「確かに、あれだけ大きな時計ならこの本くらいは隠せるな。覗き込まなければ見つからない」
ユーゴは先ほど見た時計を思い浮かべながら納得する。
「振り子時計は、振り子の振動数によって針の進むスピードが決まります。これは振り子の等時性を利用した方法ですが、実はちょっとしたことで振動数は変化するんです。よく聞くのは、場所の移動による重力の違いですね。海抜の低い場所や赤道から離れた場所は重力が大きく、そのぶん錘(おもり)が早く落ちて時計は進む傾向にあります。例えば時計の中に本を入れ、若干傾いたとしたら、それだけで動きが狂う可能性があるということです」
ルチアーノは黙ったままのダミアンに微笑みかけた。
「振り子時計の繊細さを知るあなたなら、そんな場所には隠さないでしょうね」
「でもリンフレスキ様、坊ちゃんでなかったとしたら、犯人は――」
デイジーはエプロンを両手で握りしめ、ルチアーノに問いかけた。
「私だよ」
初めて耳にする声が、応接間の入り口から聞こえた。振り向くと、軽装ながら高級感のある服に身を包んだ、初老の男性が立っていた。
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