第1話 ある古書泥棒の告白(4)
ダミアンの店には、徒歩十分ほどで行けるという。このまま訪ねてみようとルチアーノが言い出し、もちろんユーゴも同行することにした。盗まれた「ウェルギリウス著作集」を目にした彼がどんな態度をとるか、ユーゴには未知数だったが、ルチアーノはあまり危険を感じてはいないようだった。
「いっそ彼が犯人の方が、話が早く進んで良いのでは?」
「素直に売りつけた相手を話せばな」
犯罪者は、特に捕まる前の彼らは、意地でも罪を認めようとしない。逮捕されたい人間などいないから当然だが、自白させるのは相当骨が折れる。
「まあそこは、捜査官であるあなたの腕の見せ所でしょうね」
ルチアーノが煽るような目を向けてくる。ユーゴは大げさに、ため息をついてみせた。
カフェを出ると、一番日差しの高い時間帯だった。眩しさに目を細めるユーゴを尻目に、ルチアーノは色の薄いサングラスをかけている。細身のジャケットとパンツに包まれた、すらりと伸びた手足。古書ディーラーよりはファッションモデルかセレブ実業家の方がそれらしい肩書だと、ユーゴは思った。
「君と会う前に、一軒立ち寄った古書店があったんだが」
ユーゴはルチアーノと並んで歩きながら、芸術分野専門の古書店だと説明した。
「ああ、テッドの店ですね。いつも派手なシャツの」
彼は古書店主になる前、ミュージカルの演出をやっていた時期があるのだという。演者かと思ったが、裏方だったか。
「彼は君のことを、dunghillの中のjewel(宝石)だと言っていた」
「それなら、鶴の方が良いですね。石は自由に動けないですから」
「『掃き溜めに鶴』、か」
日本語のことわざを懐かしく感じながら、相槌を打つ。
「それにしても、古書業界をdunghill――フンの山だなんて、ずいぶんな言いようじゃないか。確かに本の売れない時代にはなったが、そこまで卑下することもないだろう」
「彼が言いたかったのは、盗品や詐欺が横行し、それが常習化しているということかもしれません。この街にも小金稼ぎに図書館などから古書を盗む泥棒がいて、持ち込まれた店も、気づかぬふりで買い取ることもあります。危ない橋ですが、すぐ買い手がつけば手放せますし、儲かりますからね」
「気づいているのに買い取るのか? 犯罪の片棒を担ぐのと同じじゃないか!」
ユーゴは憤慨したが、ルチアーノは涼しい顔をして言った。
「それでも店主たちは同じことを続けると思いますよ。古書は人の手を渡っていくものですが、博物館や図書館の蔵書になれば、閉館にでもならない限り出回らない。売る側にしたら、商品が減るばかりなんです」
「そこから盗み出す泥棒は、むしろ商売をやりやすくしてくれるというのか? それがまかり通っているのなら、ずいぶんと腐った世界だな」
「他の盗みに比べて捕まりにくいというのも、そうなった原因の一つでしょうね。盗品はすぐ泥棒の手を離れますから、現場を押さえないと逮捕は難しいんです。店という閉じられた場所での売買なんて、尚更見つかりません。警察もずっと張り込むわけにいかないでしょうし、そもそも本泥棒に割く時間も人員もないのだと思います」
「そりゃあ、殺人や交通事故より切実ではないかもしれないが……」
それでも、犯罪は犯罪だ。納得はできない。ルチアーノはそんなユーゴを愉快そうに見てから、さらなる爆弾を落とした。
「実は、これから会いに行くダミアンも、盗本を売りさばいているんです」
「なんだって?」
思わず大声を上げると、近くを歩いていた男性が何事かというように振り向いた。ユーゴは声のトーンを落として、ルチアーノに言う。
「父親の本を盗んだのは、もうそいつで決まりじゃないか!」
「おや、先入観を持つのは見込み捜査といって、良くない慣習だと聞きますよ?」
ユーゴはからかいの言葉に、舌打ちで答えた。そうこうしているうちに、目的の店の前に到着したようだった。
「さっきはああ言いましたけど、あなたがインターポールの人間だと聞いたら警戒されそうなので、店には僕一人で入ります。携帯電話を通話中にしておけば、音は拾えるはず……ああ、番号を聞いていませんでしたね」
ルチアーノは流れるように段取りを決め、ユーゴと連絡先を交換した。主導権を握られているのは気になるが、ここは知り合いである彼に任せることにしよう。まだルチアーノを完全に信用したわけではないが、リアルタイムの通話なら細工はできない。問題はないだろう。
自然な足取りで古書店へと入っていくルチアーノを見送り、ユーゴは近くの建物のシャッターに寄りかかる。タブレット端末で何かを調べているように装いつつ、通話中になっている電話を耳に当てた。
靴音と衣擦れの音が聞こえた後、男性の声がした。
「やあ、ルチアーノ。この間君から仕入れたアメリカーナ、好評で八割方売れてしまったよ。今日は何かあったかい?」
親し気な声だ。この男がダミアンだろうか。
「それは良かった。ところで、今日は見ていただきたいものがあるんです。売り物ではありませんが、ぜひあなたに」
ルチアーノは件の古書を自分のバッグに入れていた。バッグの留め金を外し、中から本を取り出す音が聞こえる。
「アルド版の、ウェルギリウス著作集です。ここに、お父上の作られた蔵書印もあります。……覚えていますか?」
数秒間の間があった。ページを捲るような音が聞こえる。ややあって、場違いに明るくダミアンが声を上げた。
「やあ、驚いたな。オレが二十年前に盗んだ本じゃないか!」
ユーゴは思わず吹き出した。会話はまだ続いているので、慌てて聞き耳を立てる。ここからルチアーノはどう出るか。
「今すぐこの本の返却はできませんが、見つかったことは現在のご当主にもお伝えするつもりです。これから兄上のハワード・トンプソン氏を訪ねようと思いますが、よろしいですか?」
「勝手にすればいいさ。今さら本が出てきたって、ハワードは俺を許さないだろうからね。しかし、たまにはあの堅苦しい家に帰ってみるのも一興だな」
どうやらルチアーノは、トンプソン家の豪邸を訪ねることに決めたらしい。もちろんユーゴには一言の相談もなかった。後で文句を言わねば。
ダミアンは従業員に店を任せて出かけるつもりのようだ。二人が連れ立って店を出てくるのを見て、ユーゴは通話を切った。
「実は、今は彼がこの本の所有権を持っているんです。一緒にお邪魔しても良いですか」
「もちろんさ。といっても、兄が歓迎する保証はできないが」
ユーゴはダミアンに名乗り、握手を交わした。声は若く感じたが、五十歳前後といったところだろう。背はあまり高くないものの、がっしりとした体つきだ。
ユーゴたちはタクシーに乗り込み、トンプソン邸に向かった。ダミアンが助手席、ユーゴとルチアーノは後部座席に収まる。ルチアーノは日本語で、ユーゴに囁いた。
「九〇分ほどかかりますが、交通費は経費で落ちますよね?」
「長いな。……まあ、どうにかする」
どうやらユーゴが立て替えることになりそうだ。ちゃっかりしている。
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