勇者の剣

どもです。

必要なもの

 瘴気に覆われた大地の先で、その城は来訪者を見下すように聳えていた。俺たちの間に生まれた緊張はピンと糸を張ったようで、唾を飲む音が聞こえた気がした。


 豪快に振るわれた大剣は襲い来る異形の生命を容易く両断する。戦士であるゼノンは並外れた剛力と技術を持ち合わせ、国内最強とさえ謳われている。魔物は尚もうぞうぞと這い回っているが、それだけだ。

「カハアァ……」

 歯も舌も、恐らくは声帯もない魔物が口のような空洞から音を出した。辛うじて人の形を保つ彼はボロボロの装備を着けている。同輩の冒険者だったんだろう。

「主よ、彼の者の瘴気をお祓いください」

 司教たるセシルの天法が光となって魔物を覆う。眼窩、口腔、その他あらゆる穴から瘴気が吹き出していくものの浄化には至らない。その気になれば力に物を言わせて瘴気に塗れた肉体ごと消しとばすことも出来るのだろうが、相手が魔物に変質した死人となれば躊躇ってしまうのが彼女だ。

 己の力不足に苦い顔をして、セシルはムゥトの方に振り返った。

 ムゥトは魔女だ。魔法と呼ばれる原理不明の術を使う魔女。世界には魔女狩りを国家規模で行なっている地域もあるらしいが、俺たちの国ではそうならなかった。

 ムゥトが居たからだ。たった一つの魔法で国を滅ぼせる彼女が相手では、機嫌を取るより他の選択肢など残っていなかった。

 指を動かせば魔法の風が吹く。ただそれだけで魔物が塵となって舞う。その気になれば舞い踊る塵の一つ一つをナイフに変えられる。それがムゥトだ。

 遥か彼方へと飛んでいく塵に黙祷を捧ぐ。哀れな魂を神様は拾ってくれるだろうか。セシルが話す神様ならきっと何一つ心配要らないんだろう。

 埋葬こそしてやれないが、必ず仇は討ってやる。

 俺たちが魔王を倒して魔物の跋扈を止めてみせる。

 そう固く握った拳は、しかしすぐに解けてしまった。

「俺が決意したところで意味なんてないだろうに」

 俺は斥候。勇者の血を引いているだけで、大した強さも持たない斥候だ。

 背嚢の重量が肩にのしかかる。小さな呟きが聞こえてしまったのか、セシルから視線を感じる。申し訳ないと思いつつも目は合わせられない。

 世界最優のパーティ【勇者の剣】において、俺はただの役立たずだ。

 それは変わらないことなんだ。


 魔王の城は巨大な建造物に見えていたが、どうやらそれは間違いだったらしい。

「地上はハリボテ、玉座どころか壁すらないとはな」

「超長距離からの攻撃を警戒してるのなら合理的ね。この階段周りはしっかりと魔法で防護してるみたいだし、魔王の居場所は地下で間違いないわ」

 隠し階段を暴いたムゥトはゼノンにもたれかかっている。魔王の本拠地を守るための幻術を解いたのだ、然しものムゥトと言えど疲弊するのも当然だろう。

 空っぽの最上階を目指して魔物と戦闘になった俺たちに補助天法バフをかけてくれたセシルもまた消耗している。そして多少の傷を負ったが天法で回復したゼノン、罠をいくつか解除して後はアシストに回った俺。

「俺が先行するよ」

「いいや、地下は恐らく入り組んだ構造になっているはずだ。魔物の奇襲を受けやすい先頭は俺が務める。エディは背後を警戒してくれ」

 尤もなことだ。ゼノンはまだまだ体力に余裕があるようだし、奇襲で即死しかねない俺が前に出るべきではない。ムゥトはどうでもよさそうに聞いているが、セシルはゼノンの意見に同意している。

「……分かった。どうか気を付けてくれよ」

 ゼノンは「任せろ」と言ってブレストプレートを叩く。俺よりずっと信頼できる太い腕と堅い鎧がぶつかって小さく音が響いた。

「それじゃ、私はゼノンの後ろね。頼りにしてるわよ」

「ムゥトが居るならコイツを振るう必要もなさそうだがな」

 劣等感が心のドアを叩く。溜め息が肺に溜まっているような気がした。

 俺だってゼノンのようにみんなを守りたい。ムゥトのように敵を屠りたい。セシルのようにみんなを癒したい。そんな感慨が例の如く声となり、そして奥底に封じ込められる。

 何も出来ないのは俺の怠慢で、努力不足なんだ。

 みんなに吐き出すのは間違っている。

「エディ、どうか私を守ってくださいね」

「ああ。全力で頑張るよ」

 笑って言葉を返した俺に、セシルは何か言いたげな顔だった。

 ムゥトが腰を上げた。それは出発の合図だ。カンテラに魔法の火を灯し階下の闇を切り裂く。ゼノンは大剣の腹で階段をよく確かめながら下っていく。

「行こうか」

「ええ、分かりました」

 司教杖バクルスを手にセシルがムゥトを追いかける。

 ここはもう魔王の本拠なんだから悩んでいる場合じゃない。俺が出来る限りの手を尽くして、無事に討伐できるよう支援する。それが俺に与えられた唯一の役回りなんだ。


 地下三階、アリーナには一体の鬼が待っていた。一つ目をぎょろりと動かし、その咆哮はビリビリと大気を震わせていた。人間の三倍ほどもある背丈が侵入者の俺たちを威圧していた。

「ガ、アァ……!」

 それが、今では死に瀕している。斬られた目玉を抑える手。血に塗れた全身。滅多矢鱈に振り回される大木の如き棍棒。それらすべてが鬼の体を掴み、黄泉へと誘う。

 ブオン、と横振りの一撃がくうを抉る。鬼を挟んだ向こう側で、ゼノンは余裕を持って後ろに下がり、その一撃を回避した。

 振り切られた棍棒が勢いを失うことなくこちらに向かってくる。力の限り床を蹴り飛ばし、後方の土を踏んだ。近くにはセシルが司教杖を構えていた。守るように剣を構えたが、その必要はないだろう。

「ゼノン!」

「分かってる!」

 大振りの代償に生まれた隙。

 鬼の巨体を線が区切った。それから数秒経って、手から棍棒が落ちた。足が動きを止めた。断末魔の咆哮を轟かせることすらなく、鬼は真っ二つにされて死んでいた。間違いなく絶命している。

 ――ほっとした、その瞬間だった。

 大きな闇が床に広がって、いや、穴が開いていたのだ。

「主よ、我らが休息をお許しください!」

 足場を失って即座に唱えられたのは、補助天法デバフの一つである【ストロール】。

 本来なら対象を鈍足にさせるため使うのだが、今回は違った。

 俺とセシルの落下速度が見る見るうちに落ちていく。体を捻って見下ろしてみたが、落下死を狙って深く作られているのだろう、まだまだ底が見えない。

 ふう、と息を吐いた。現在進行形でトラップにかけられていることを踏まえると奇妙だが、どうやら今この瞬間は魔王上に踏み込んでから一番に安全らしかった。

「まさか、ああまで大規模な落とし穴があったなんてな」

 嫌がらせにしかならないような俺の攻撃とゼノンの大剣で挟むようになっていたのがいけなかった。完全に火力役と支援役に分断された。

 罠の存在に気付くとしたら俺だったのに、どうして分かれなかったのか。

「エディ、反省は後にしましょう」

「……それもそうだな。セシルには、穴の底に居るかは分からないがアンデッドの浄化と、補助天法バフとデバフを頼む。俺が、前に出る」

「分かりました」

 セシルはそう言って頷き、懐から小瓶を取り出した。ムゥトに渡されていた天法をブーストさせる不思議な薬だろう。どうしてそんなものをムゥトが……いや、今はそんなこといいんだ。

 俺は背嚢から一メートルほどの包みを取り出した。

「怖くないか?」

「魔物の罠にかけられることなんてもう慣れていますよ」

 セシルがツンと言い放った。普段は目を見て話すセシルが視線を逸らしたということは、やっぱり俺の言いたいことが分かっているんだろう。

「俺に任せて、セシルは」

「それ以上は要りません。私はこれまで何度もお伝えしていますから」

 口を塞ぐ手は震えてなどいない。セシルは真っ直ぐに俺の方を見て、信頼に染まった紫水晶アメシストの光を見せつけるようにしていた。ただの親友としてだけでなく、仲間の一員として積み重なっていた確かな信用。

 胸の奥に溜まった澱のような嫉妬が浄化されていくようだった。

「任せました。私はあなたを信じています。ほら、また言いましたよ。もしかしてまだ私の言葉を信じられませんか?」

「……いや、もう大丈夫だ。ありがとう」

 手をやんわりと剥がしてそう言えば、セシルは拗ねたように頬を膨らませた。

「淡白ですね」

「落ち着いたら後でいくらでも感謝するよ」

 本当はセシルが思っているよりずっと俺は救われていた。だけど、それを一つ一つ伝えてしまえば穴の底に着いてしまうだろう。

 苦笑しつつ包みを開けた。

 切り替えたセシルの目が鋭く光る。

「勇者の剣、ですか」

「物に頼るのは情けないか?」

 次いで、セシルの鋭い目が俺の方に向いた。

「最善を尽くすあなたに情けないなんて思ったことは一度もありません。先ほどの言葉では足りませんでしたか?」

「冗談だよ。ありがとう、セシル」

 心に余裕が生まれていた。底に見える小さな光までそう遠くはないと分かっていて、それでも冗談を言えるだけの余裕があった。

 間違いなく、セシルのおかげだ。

「分かったならいいんです」

 今度の頬は膨らむのではなく赤くなっていた。

 ゼノンやムゥトはいない。セシルを守れるのは俺だけだ。


 いつのまにか、柄を握る手に力が入っていた。



 襲いくる魔物を一刀の下に斬り伏せる。天法にやられ弱っていた魔物たちは、驚くほど簡単に倒れて動けなくなっていく。

「主よ、彼の者に我らが光をお与えください!」

 天法の光に包まれた俺の体は格段に速く、そして力強く剣を振るうことが出来た。勇者の剣は恐ろしいまでの切れ味で魔物を切り裂いていく。

 たった一年で司教にまで上り詰めた才媛の天法と、前魔王を討ったと伝えられている勇者の剣。百を超える魔物の群れが既に半壊していると言えばこの二つの凄まじさが伝わるだろうか。

「セシル、まだいけそうか?」

「このペースなら桁を増やしても余裕です!」

 続いて唱えられた天法が魔物たちの動きを緩める。【ストロール】がかかってしまえば、反撃すら恐れず踏み出すことが出来る。

 袈裟斬りにして息を断つ。頸を刎ね飛ばして体に蹴りを入れた。イメージの通りに体が動く。最強ゼノンの動きは知っている。ずっと背後から見ていたんだから。

 斬って、斬って、斬って──指先の感覚がなくなった。

「エディ! 避けて!」

 細いムチのような何かが俺の体を打ち据えて、数メートル転がった。天法の鎧を超過したダメージが腹に残っている。守られているだけでは味わえない痛みだ。

「シャァァァァァ!」

 右前方。感覚のない指はそのままに剣を振るう。固い何かを弾いたようだった。感覚からして腹に当たったのではなく、刃に当たって尚斬れなかったか。

 魔物の群れが道を開けると、そこに居たのは夥しい数の骨蛇スケルトン。そしてそれに埋もれるようにこちらを睨んでいるのは、下半身が蛇人ラミアのようなスケルトン。

「スケルトンのメドゥーサか」

 剣を握る手がパキパキと音を立てる。石化の呪いを使うメドゥーサの危険性はよく知っている。術者が死んでさえいればセシルの天法で治療可能だということも。

 セシルが放つ天法は骨蛇の群れが一斉に瘴気を吐き出すことで防がれた。無制限に無効化できるわけでもないだろうが、それを待っているうちに二人分の石像が出来上がるだろう。

 淡い光が体を包む。暖かい何かが胸の奥に流れ込んでくるようだ。

 今、前に立って戦えるのは俺だけだ。セシルを守ることができるのは俺だけだ。

 決意を新たに、俺は蛇の群れに飛び込んだ。


 石になった腕では満足に力が入らない。だから、満足に入らなくてもいいくらいの速度で剣を振り回した。生まれた隙に放たれる石化の呪いはセシルが全て防いでくれる。

 セシルは強い。役立たずの俺でも、セシルの天法さえあれば悪名高いメドゥーサと渡り合える。そして、その首元に一筋の銀閃を煌めかせることさえ可能にしてみせた。

 メドゥーサだったものは骨の山へと変わり、浄化の光によって消え去った。

 処理を終えて、セシルはすぐさま石化の呪いを解き始める。

「なんとかなった、か」

「ええ。心臓に悪い戦いでした。一度罅割れてしまえばもう剣なんて一生握れなくなるんですよ。……これが最善だったということは、分かっていますが」

 セシルの言葉尻が弱くなる。俺も自分の腕が二度と動かなくなるのは怖かった。それでもセシルを守ることが出来るんだと思えば、それ以上に勇気が湧いてきたんだ。

 呪いが解けても石化した時の変な感覚は残っていた。

「早く二人と合流する必要があるな」

「私の力が及ばないばかりに、負担を強いてしまいますね」

「そんなことは」

 俺が戦えたのはセシルのおかげだ。負担がどうのと話すなら一番の負担は俺だ。もっと俺が上手く剣を扱えたなら、もっと力があったなら、もっと早く動けたなら、頼りきりになることもなかった。

 そう伝えようとして、異音がどこからか聞こえてきた。

 耳鳴りのような、けれど確かに存在する音。何かを劈くような音はどんどん俺たちの方に近づいている。

 落とし穴のための巨大な空間に風が吹いているのだろうか。そう思って見上げると、何か動くものが見えたような気がした。

「セシル、アレは――」

 ドン、と突き飛ばされる。天法によって祈りの光さえ纏って、セシルの腕が俺を強く押し出した。刹那の後、途方もない衝撃と共に床が崩れて、崩落に巻き込まれる。


 視界の端で、血を流すセシルの姿が見えた。



 街がすっぽり入りそうなほど巨大な空間に、どんな建物よりも大きな生物が存在した。口から火を吐き、その巨体で空を飛び、魔法すら弾く鱗を持った最強の生物。

 緋色のドラゴン。彼は魔王に従う魔物の中で一番に強く、一番に聡明で、一番に自信家だった。しかしその知性に溢れていた瞳は白く濁り、ツノは半ばから折れていた。

 彼の体と頭は二つに分かれてしまっていた。どれだけ強かろうと首を飛ばせば死ぬ。かつての勇者がそう言っていたように、彼は最強の生物であり、最強の生物でしかなかった。

 そして彼のすぐ横には燃え続ける炭がある。かつては王冠を被り、最強に一歩及ばないながらも多くの配下を引き連れていた魔物。

 キングトロール。種族の中でも段違いに再生力の高い彼は消えない炎によって永遠にその身を焦がされることとなった。胴と頭だけが残っている彼には動くことも、思考することすらも叶わない。

「骨が折れたな」

「そうね。それなりの相手だったわ」

 ゼノンが休むべく座り込むと、ムゥトは虚空から水筒を手に取って差し出した。礼を言ってぐびぐびと飲むゼノンの隣に座り、仄かに赤い顔で眺めるムゥト。

「二人きりね」

「ああ、探索中にこれはなんだかんだ初めてだな。俺とエディ、ムゥトとセシルの組み合わせなら何度か記憶にあるが、こんな形で分断されたのは初めてだ」

「……もっとこう、何かないの?」

 ゼノンは少し考えた後に口を開いた。

「愛してる」

「そうだけどそうじゃないわよ!」

 彼に乙女心はまだ早いようだ。ぷんすか怒るムゥトを宥めながら、このやりとりで自分の中に宿る不安が少し和らいだことを感じていた。

「ムゥトが一緒なら、あの二人がいなくても何とかなりそうだな」

 彼はこと戦いにおいてドラゴンさえ打ち倒すことができるほど強い。しかし、強さだけでは何も出来ないことを知っていた。これは極論だが、強さがあったとしても良心がなければ、歴史に名を刻む悪人さえ生まれてしまうだろう。

「あの二人のことは不安じゃないの?」

 ゼノンの言葉への照れ隠しに言った。だが、愚問だろう。

「あの二人を心配するならまず自分の心配をするさ。セシルが居れば死なない限り余程のことがなければ生き残れるだろうし、補助天法はピカイチだ。神様から愛されてる……のは俺たちも同じだが、一番愛されてるのはセシルだろ」

 この上なく正しい評価にムゥトは頷いた。自分の力が最も生き物を殺せるだろうことは譲らない。だが人を癒し瘴気を浄化する天法という分野において、自身の力などセシルの足元にも及ばない。

「それに、エディがいる」

 彼女は思わず笑ってしまった。ゼノンの発言がおかしかったわけではない、エディに相対するであろう魔物の運命を嘲笑ったのだ。とは言え、そんな被害者が生まれるかどうかは魔物次第だ。魔物がセシルを傷つけられるほどの強さを持っていれば、確実に哀れな死骸が一つ増えるだろうが。

 ムゥトが立ち上がると、ゼノンは意外そうな顔をした。

「もう少し休んでいくと思ったが」

「あの二人より先に行かないと、私たちは役立たずになるかもしれないわよ?」

「それもそうだな」

 先を急ぐ二人の目には、仲間への信頼だけが映っていた。


 衝撃と共に床を貫いたのは眩ゆいほどの輝きを放つ石像だった。ペストマスクのような鳥頭に男の体が生えているそれは、天地がひっくり返ったとしても趣味の良いものではない。

「おやおやおや。一人逃れたようですね」

 百メートルを優に超える落とし穴からの落下。それが彼の体に傷をつけることはなかった。しかし容易く壊れた床の一部は瓦礫の散弾と化して二人を打ち据えた。

 彼は内心思う。柔らかな床が直撃した程度で痛み悶えるとは、なんと脆い種族であることか、と。女は瓦礫の上で血を流しぐったりとしている。彼の常識に口があったのなら、演技ではないかと疑う声が部屋に響いていたことだろう。

「セシル!」

 自慢の体を見せびらかすように手を広げて彼は立ちはだかる。

 キィン、と音が鳴る。剣は石像にほんの少しの傷さえも刻むことなく止まっていた。続けて何度も同じ音が響く。通常の石よりも遥かに堅い体は、名に恥じぬ硬度で以て勇者と勇者の剣を阻んでいた。

「私の名前はプラチナムスタチュー。どうぞお見知りおきを」

 振るわれた剛腕が、石像に立ち向かった勇者の体を弾き飛ばした。



 どうして、俺の祖先は勇者なのだろう。



 寝具の中でいつも頭に浮かぶのは、決まってそんな文句だった。眠れないまま朝を迎えて、コーヒーを飲んで、それでもその問いに答えは出せなかった。


 衛兵の息子である彼は強い。チャンバラではいつも彼が勝つ。そしてエディのような弱い人間にも分け隔てなく接してくれる。少しばかり鈍感な嫌いはあったが、彼こそ正に勇者に相応しい人だと思っていた。

 魔女の弟子である彼女は強い。大人でさえ彼女の話にはよく耳を傾けて、彼女が調合する薬を農地に撒いたり、彼女の言葉で不必要に非効率的な労働は村から消えた。チャンバラをしている横で、彼女は既に大人一人を包めるくらいの炎を操っていた。

 村長の娘である彼女は強い。誰にでも優しいのは勿論のこと、自分に対して厳しすぎるくらいに努力を惜しまない人だった。埃かぶっていた聖書を引っ張り出して、神話や文化には村一番に聡明な彼女より物知りだった。

 エディは何も持っていなかった。同年代の彼ら三人に囲まれて、エディという凡人は村人たちの失望の目に晒されていた。直接言われなくたって分かっていた。彼は村人たちよりも、ずっとずっと自分に失望していたのだから。

 勇者の血は呪いでしかなかった。要領が悪く、知識は一般人より少し多い程度、剣の扱いは並だ。四人でパーティを組んで初めて魔物を倒した時、エディだけが何も出来なかった。ただ剣を握って逃げ惑うことが関の山だった。

 三人のことは大好きだった。だから分不相応を自覚しながらも誘いに乗った。貢献しようと身を粉にして働いた。だが、それはやろうと思えば他の三人にも出来ることだ。彼が居る必要はどこにもなかった。

 淡い恋心があった。悩みに寄り添ってくれる彼女に憧れ、いつのまにか恋をしていた。一方通行な恋だ。誰にでも優しい彼女に囚われてしまう、残酷な恋だった。

 いつも、いつもだ。彼は挫けそうなことばかりだった。肥大した劣等感や自身への失望がいつだってその心をトゲのように刺していた。

 だから、そのたびに思い出していた。心の拠り所たる父の言葉を。


「勇者は義務じゃない。知りもしねえ人を守るのは責務じゃない。だから、絶対に全力を出さなきゃならねえのはただ一つを除いて他にないんだよ」


 勇者の血は、人の血だ。

 勇者の剣は、人の剣だ。

 勇者の意思は、一人の人間の意思だ。


「仲間が傷つけられた時。人が勇者になるのは、仲間を守る時だけだ」


 仲間が居た。

 途轍もなく強い敵に傷つけられた。

 只人のままでは倒せない。

 ただの剣を携えているままでは倒せない。


 だから、エディは勇者に目覚める。

 その手に光り輝く勇者の剣を携えて、勇者がここに目覚める。


 倒れ伏したエディの姿がどこかに消えた。

 彼は首を傾げて、血塗れの彼女が天法でも使ったのかと振り返る。

「彼ヲ一体ドコニ……」

 予想通り、倒れている彼女が何かしていたようだ。

 彼は彼女の傍に祈るような姿勢で膝をついている。今生の終わりを知って次の生を神にでも祈っているのだろうか。殊勝なことだ、さっさと殺してやろう。

「サア、マヨエルコヒツジタチヨ。デシタカ?」

 一歩前に踏み出した。脆い瓦礫が積み重なっていたのだろうか、視点が少しだけ下に落ちた。感覚のない石像の体はこういった時に不便だった。

 一歩前に踏み出した。視界に一筋の線が走った。その線の上下で見えるものがズレている。何が起こっているのか分からないが、これも天法の効果だろうか。

「ミョウナジュツヲツカイマスネ。シカシ、ワタシハ」

「もう、黙ってくれ」

 彼が鞘で石像の胸を軽く押した。ゴトリ、とジェンガのように向こうへと抜ける。肩の部分がその穴に滑り落ちた。その衝撃で脇腹のパーツがポロポロと溢れていった。

「ド、ウシテ?」

 彼は最後まで何をされたか分からずに死んでいった。いや、死んでいないかもしれない。しかしもう彼の体はバラバラになって動かなくなった。それなら知ったことではない。エディにとっては、セシルの命こそ最優先だったのだから。

 彼が再び祈る。邪魔者が消え去って凪いだ彼の心が一つの現象を結び出す。小さな淡い光がセシルの体を包む。彼女のように一瞬で治すようなことは出来ないが、その十分の一程度なら絞り出すことが出来た。

「……エディ」

「セシル! もし出来るなら天法を使ってくれ。俺には治せないんだ」

 時間にして十分ほどでセシルは目を覚ました。意識を取り戻したセシルの目に映るのは、底知れない力を遂に目覚めさせたエディの姿。

「よかったです、エディ」

 セシルの抱擁に彼の体が硬直した。

「これでもう、あなたは自分が弱い人間だなんて思わない。あなたが自分の血を恨むこともない。本当に、良かったです。私では、それを癒せませんから……」

 力不足は己の方だと何度でもセシルは言う。自分が知る誰よりも直向きで友を愛している彼の苦しみを癒せないということは、セシルが抱える唯一の罪だった。

 セシルの体を数段強い光が覆う。

 血に濡れた服の下にはもう一つの傷跡も残っていない。ただ瓦礫の波に飲まれただけなのだから仕方のないことだろう。セシルはほんの少しだけ残念に思う。傷跡が一つでも残っていたら、エディに多少の責任を迫ることも出来たのだが。

 ムゥトの余計な入れ知恵は確実に役立っていた。エディがセシルの抱擁を押し除けることはなく、暫くの間両思いの二人は抱き合えていたのだから。


 石像が貫いた先の部屋は武器庫のようだった。十メートルを超える巨大な棍棒や剣などが安置されている。誰も居ないのは恐らく邀撃のために出払っているからだろう。そのほとんど全てがもはや亡き者と化しているのだが、二人は知る由もない。

 廊下を抜ければすぐに大きな音が聞こえてきた。辿っていけば、それはいつのまにやらすぐそこまで迫っていた玉座の間から聞こえるものだと分かる。二人は開いている大きな扉から目だけ出して覗いた。

 それは信じられない光景だった。

 魔王と思われる三メートル超の骸骨を前に、ゼノンは剣を杖にして膝をつき、ムゥトはその手前で倒れていた。

 セシルが思わず駆け出しそうになる一方で、彼の足は微動だにしなかった。

「嘘、だろ……」

 知らず知らずのうちに、彼は魔王が二人より弱いのだと思い込んでいた。

 ゼノンとムゥトは確かにドラゴンやキングトロールより強い。プラチナムスタチューなら一秒と保たずに塵と化すか二つのパーツに分かれることだろう。だが、そんな魔物とは隔絶した強さを魔王は持っていた。ある意味では初見殺しだろう、魔王の城を余裕で攻略できることは魔王の足元に届くことを意味しないのだ。

「エディ?」

 セシルの呼びかけに彼は答えなかった。

 彼の心の中にあるのはただ一つ、絶望だ。勇者の力を覚醒させたとは言え、未だ彼らを上回るほどの強さが自分にあるとは到底思えなかった。幼少の頃から一度も勝てない、そして自分以外の誰一人だって二人には勝てない。

 一人ならば、脇目も振らず飛び込んでいただろう。一人ならばまだ自分の参戦で変わることがあるかもしれない。だが、二人を同時に相手して打ち倒したあの魔王にはどう足掻いても勝てる気がしなかった。

「どう勝てって言うんだよ」

「エディ」

「あんな化け物、誰が倒せるんだ?」

「エディ!」

 グイ、と引っ張られて、彼はもう何も言わなかった。好きな人に面と向かって弱音を吐くほど男を捨ててはいなかった。それがどうしたという話ではあるのだが。

「あなたしか出来ないんです」

「俺にだって出来ない」

「あなたなら二人を救えます」

「魔王に殺されて終わりだ。俺は二人より強くない」

 扉の前に来るまでは、彼の手はずっと剣の柄に触れていた。しかしもうそれは無意味なことだ。親友の二人が魔王に殺され、何も出来ない自分だってすぐに殺されるだろう。エディは匙を投げていた。

「見捨てるんですか?」

「もう詰んでるんだ。俺に出来ることはもうない」

「私のことも、見捨てるんですね」

 セシルの言葉が、訳の分からないまま心に突き刺さった。

「俺がセシルを見捨てるなんて、ありえない」

「そうですか。きっとエディなら一人でも無事に帰れますよ。さようなら」

 玉座の間へと入ろうとするセシルの腕を掴んで止める。彼は大いに混乱していた。何より彼女に見限られるというのは随分と堪えたようだ。

「私は、二人を助けに行きます。生き残る可能性が少しでもあるのなら、私は二人を助けに行きます。でも、エディは違うんですよね?」

「俺は」

「勇者に目覚めて、魔王の前で、倒れている仲間が居て。あなたは逃げるんですね。仲間が仲間を助けに行こうとしているのに、それを放って一人だけで」

 弁明の余地はない。セシルが助けに行くことなど誰もが予測できた。親友であるはずのエディなら尚更だろう。親友の窮地は隣で支えなければ気が済まない、そんな彼女だからこそ三人に並び立てていた。

「勇者になっても弱いままですか、エディ」

 彼が下唇を噛み、壁に弱々しく拳を叩きつけた。セシルはそれ以上の言葉を言わなかった。もうエディは魔王に気圧されてなどいないから。

 元の彼に戻ったのなら、心を痛めてまで罵倒する必要もないのだから。

「行くよ。俺も二人を助けたい」

「分かってます。私が二人を治しますから、それまで保たせてください」

「無茶言うなよ。やるしかなくなるだろ」


 ゼノンの意識は魔法に蝕まれていた。更には破損した鎧の下から真っ赤な液体が無制限に流れ出ている。彼は残り滓のような気力だけで魔法による支配を全て無効化していた。不機嫌そうに鼻を鳴らすと、魔王はゼノンに魔法の炎を放つ。

 トドメの魔法が二つに斬り裂かれた。既にゼノンから興味を失っていた髑髏がありえない現象を前に一瞬の隙を見せる。

 ――それを見逃すほど俺の目は悪くない。

 だがその奇襲は咄嗟に掲げられた杖を大きく弾くだけに終わる。完全に隙を突いた攻撃すら通らないか。舌打ちをして、もう一度斬りかかった。

 脇腹。左肩。股を潜り抜けながら足首。高速で連ねる曲芸染みた攻撃はその尽くが杖による防御で防がれた。未だに魔王は魔法を使っていないが、俺はセシルに天法をかけてもらっている。魔王がいるのはどうやら壁を一枚隔てた先にある高みであるようだった。

「当代の勇者はこんなものか」

 魔王は一つ杖で虚空を撫でる。初めて発された言葉に飛び退いて、次の瞬間には攻撃を喰らって吹っ飛んだ。吹き飛ばされながら横目で確認してみたが、二人の治療はまだ終わっていない。余程の怪我なんだろう。

 右腕を庇った左腕が拉げていた。ケタケタとまた笑っている骸骨が不愉快だ。もう一度打って出る。光の軌跡が魔王の周りを飛び回る。壁を蹴り、天井を足場にして、それでも攻撃は一度も通らない。

 ポケットに入れていた小瓶の中身を飲む。ムゥト特製、天法にブーストがかかる薬だ。セシルとの間接キスだな、と他愛もない思考で頭を回し左腕を治す。

 今は少しでも思考能力が欲しい。骸骨に一糸だけでも報いたい。

 一撃通すことすら、可能不可能を考えるなら間違いなく不可能だ。俺が一人で渡り合えるはずもない。それでも、俺は思考を回す。大切な親友を守るために。

 魔王が杖を構えた。さっきの不気味な術をまた使うつもりなんだろうが、二度目はない。すり抜けざまに大きく弾いて杖を逸らす。間断なく攻める。

「ブラフも知らんのか?」

 強い死の予感が背筋を冷たく伝う。

 次の瞬間、俺は血漿をぶちまけながら三人の方に吹っ飛んでいた。

 そして、誰かの手が優しく俺を受け止めた。

「よっと。何分欲しい?」

「二分あれば治せます。補助天法を含めるなら三分ほど欲しいですが」

「五分稼ぐわよ。ゼノン、いける?」

「余裕だな」

 少し遠くで頼もしい親友の声がする。

 どうだ、俺だって戦えるんだぞ。今はやられたが、お前らに届くくらいの力を手に入れたんだ。これで俺も、前に立って戦える。足は引っ張らない。

「ああ、分かってる。さっさとその怪我治して肩並べようぜ」

「良かったわよ、魔王倒す前に間に合ってくれて。ずっと待ってたんだからね」

 心からの言葉だって、俺には分かった。

 俺の仲間はみんなとっくに俺を認めてくれていた。俺がこうして戦えるようになるって信じて待っていてくれた。「ありがとう」と言おうとして、目から溢れる涙のせいで言えなかった。

「エディ。泣かないでください。私たちがあなたを信じていたのは、私たちが優しいからではありません。あなたがちゃんと、凄い人だからです」

 セシルの天法が痛みを消していく。袋が破裂したようになっていた腹の傷が治り、臓器が治っていく感覚まであったが、気持ち悪いとは感じなかった。

「あなたは誰よりも優しくて、強くて、格好良くて。憧れていたんですよ、あなたに。朝早くから起きて私たちのために支度をして、夜遅くには鍛錬をする。芽が出ない努力の辛さは知っています。私たちにも向き不向きはありますから」

 俺がみんなの憧れか。夢みたいな話だ。

「本当に、あなたはずっと私の理想の通りだった。みんなのために真剣で、ほんの些細なことでも……もう、どうしてそんなに格好良いんですか」

 責めるようなことを言いながら、セシルの手が優しく俺の頭を撫でる。もう大丈夫だろうと思い起きあがろうとすれば、セシルは抱きつくようにして天法をかける。

「こんなに触れていないとダメか?」

「こんなに触れてないとダメです。あなたはつい先ほど、死にかけたんですよ」

 セシルが治さなければ、セシルの天法が失敗すれば、確かに俺は死んでいた。

「……死なないでください。お願いだから」

 魔王は多種多様な魔法と不可思議な能力で二人を追い詰めようとしている。しかしゼノンが不可思議な能力を大剣で弾き返し、ムゥトが全ての魔法に相反する魔法をぶつけて相殺させていた。

 いつ崩れるか分からない。俺も行かなければいけない。

「絶対に、死なないでね、エディ」

 泣きそうな声でそう言われれば、その通りにするしかないだろう。苦笑混じりに剣を抜いて構える。今までで一番強く補助天法バフがかかっているような気がした。

 全快した俺に一瞬だけ視線を向けた魔王にゼノンが斬り込んだ。膂力に優れるゼノンは杖を大きく弾いて、初めて魔王に回避行動を取らせた。

 だがそれは悪手だろう。ムゥトの魔法が作用し、飛び退いた魔王は一瞬にして俺の前へと転移する。初見の魔法に反応は遅れている。

「ぜやぁっ!」

 一撃。それで魔王の右腕を断ち切った。

 勇者の剣は瘴気に強い。そして瘴気の源である魔王に対しては特別強い。子供でも知っているような逸話だが、体感すると現実を疑うほど手応えがない。

 しかし魔王には見た目相応のダメージが入っているようだ。髑髏が苦しそうな顔を浮かべ、残る左腕で大きく杖を振りかぶった。

「主よ、彼の者の瘴気をお祓いください」

 閃光を集めたかのような眩しい光が魔王の杖に集まると、悍ましいほどの瘴気が弾け飛んで空に溶けていった。生半可なアンデッドでは微塵も残さず消えているのだろうが、魔王の存在が揺らいでいる様子は全く見られない。しかし忌々しそうにセシルを睨みつけ、杖を放り投げる。床に落ちた杖はサラサラと消えていった。

「二人ばかりに良い顔はさせないわよ」

「俺たちもいるからな」

 禍々しい闇色の剣を作り出し、魔王はゼノンと鍔迫り合う。

「もう一度のされたいか」

 そう言って、魔王は聞き取れない言語で何かを唱えた。


 世界から一瞬だけ音が消え――そして色が抜け落ちた。灰色の世界で魔王だけが元の色を維持している。それは彼が使える最上級の魔法。効果は時間の停止だ。

「フン。明らかに不利な状況でのみ使えるこの魔法……まさか一日に二度も使わされるとは思ってもいなかったが、同じことよ」

「そうね。そうかもしれないわ」

「な、んだと……どうして、ここにいられる」

「ええ、ええ、同じことね。結局あんたは私たちを倒せない」

 魔王は数多の魔法を試す。その全てが相反する魔法を重ねられてかき消えた。彼女はムゥト。数百年もの時を生きる魔女が初めてとった弟子である。

「だって、私たち全員、あんたより強いんだもの」

 仕方ないわよね、と小馬鹿にする彼女へと魔王が斬りかかった。

 時間は未だに止まったまま、それなら邪魔は入らない。そのはずだった。

「待てよ。俺を倒してからだろ?」

 ゼノンと魔王がまた鍔迫り合いの形になる。魔王はふざけるなと叫びたかった。自信満々に使っていた自作の魔法がたった一度見せただけで攻略されるなどプライドが許さなかった。

「貴様等……ッ!」

 パリン。一際大きな音を立てて、世界が剥がれ落ちた。


 怒りで頭に血が昇っている魔王の攻撃をいなし、ゼノンは飛び上がって魔王の頭に大剣を振り下ろした。斬撃が通ることはなかったが、ゼノンはニヤリと笑う。

「ムゥト! 今だ!」

「分かってるわよ!」

 玉座の間の壁や天井から凄まじい量の鎖が飛び出して魔王の身体中に巻き付いた。打ち下ろすような剣撃により床と目を合わせていた頭すら動かせないよう固定される。

 魔王が抵抗すればギチギチと鎖が震え始める。ムゥトの魔法は俺でも分かるくらいに強力なものだったが、魔王の瘴気はその魔法でさえも侵食するようだ。

 だからこそ、その光が必要だ。

「主よ、彼の者に我らが光をお与えください!」

「ぐ、ぐがあああ!」

 本来ならば補助天法バフとなる天法も、瘴気の源泉たる魔王にはダメージだ。

「なんだよ、お膳立てかよ、ゼノン!」

「それしかねえだろ、エディ!」

 壁を蹴り、反対の壁をまた蹴り上げ、更にはシャンデリアを蹴り落として、そして天井を足場にすればよく見える。俯いた魔王のうなじがよく見えている。

「どれだけ強かろうと首を飛ばせば死ぬ。そう言ったのは誰だったか!」

「ぐ、ぐおおおお! 小癪な……!」

 渾身の抵抗により鎖がいくつか千切れる。魔王の左腕が遂に解放され、闇色の剣が鎖を次々と断ち切っていく。だが俺は止まらない。天井を押し除けて、一直線に魔王へと向かう。信じているからだ。ゼノンなら、ムゥトなら、セシルなら、きっとどうにかしてくれるだろうと信じていたからだ。

「暴れんな、よッ!」

 俺を見上げた魔王の顎を今度は斬り上げた。振るわれようとしていた左腕に千切れた鎖がいくつも絡みつき、大蛇のように縫い止める。

 顎が上がっていれば首は斬れるが、今度は固定されていない。俺が魔王の下に着くまで十分の一秒もないだろうが、それだけあれば頭を起こすためには充分だろう。

「主よ、彼の者に休息をお与えください!」

 セシルなら、やってくれると信じていた。ありったけの光が魔王の首元に集まり、【ストロール】が最高の効果を発揮する。魔王の首はもはや動かない。

「うおおおらあああああ!」

 ありったけの力を剣に込めて、一閃した。


 髑髏が床に落ちる。二つの体から瘴気が大量に排出されたが、その全てはセシルが手繰る光によって浄化されてゆく。鎖の制御と並行して魔王の魔法を全て打ち消していたムゥトが額の汗を拭いながらへたり込んだ。

 魔王の体が完全に溶けて消えた。

 勇者の剣から光が消えていく。きっとこれはただ鋭いだけの剣だった。勇者の力はただの剣を勇者の剣にして、ただの人を勇者に変える。そういうものなんだ。

「エディ、やったな」

「ああ。遂に魔王を倒せたんだ」

 ゼノンが俺と肩を組む。何年もの間夢見ていたことだ。まさか初めてが魔王討伐の時になるとは思いもしなかったが、尊敬する親友と分かち合う勝利はとても甘美なものだった。魔王を倒したことよりもずっと嬉しかった。

「エディの信頼に応えるのは、どの魔物を倒すより骨が折れそうね」

「俺の期待以上の成果を出すくせに、よく言うよ」

 柔らかい笑みを浮かべているムゥトにそう言えば、機嫌良さそうに鼻を鳴らした。このパーティを作ったのはムゥトだ。四人の繋がりを大切に思う彼女こそが、俺をここまで引っ張ってきてくれた。感謝してもしきれない。

 そして、セシル。

「魔王を倒すなら、私たちの誰でもなくあなただと思っていました。それが現実になってこれ以上嬉しいことはありません。おめでとうございます、エディ」

 そう言って花が咲いたように可憐な笑顔を見せてくれる。心からの祝福だ。セシルの言葉に暖かな感情が心になだれ込む。しかし同時に、罪悪感が胸を刺す。

「でも、俺は……一度諦めた。倒れている二人を見て諦めたんだ」

 ゼノンとムゥトにも視線を向ける。

「こんな俺が誇っていいのか分からないんだ。俺は魔王を討伐した。勇者の血のおかげだ。結局、俺は血筋だけなんじゃないかと、そう思う」

 思わず俯く。俺は結局二人のようになれない。

「私には分かるわよ、諦めて、それからセシルに説得されたのよね」

「俺の予想通りなら、セシルは自分の命でも天秤にかけさせただろうな」

 つい顔を上げてしまった。普段と変わらず、微笑んでさえいるゼノンと視線が合う。

「お前たち二人のことなら分かるさ。セシルのため、到底不可能だと思うことに命を賭けたんだろう。勝てない相手に挑んだんだ。……諦めたお前の判断は正しいんだよ。だがお前はそれを覆した。お前は間違いなく、勇者だ」

 ゼノンには勇者への微かな憧れがあった。文字を追うことが嫌いなくせに、勇者の物語だけは熱心に読み込んでいた。その目が、今は誇らしさだけを映している。何よりも雄弁に、俺を紛れもない勇者だと思っているのだと語っていた。

「そうか。そう、なのか」

 俺が勇者。魔王を討ち取った勇者。

 ああ、それなら。それなら言うべきことはそうじゃなかった。

「セシル」

「はい」

「励ましてくれて、ありがとう。セシルのおかげで俺は動くことが出来た。俺が本当の意味で勇者になれたのは、仲間を守れたのは、セシルのおかげだ」

「あなたなら出来ると信じていましたから、当然です」

 自慢げな、それでいて少し照れくさそうなセシル。俺なら出来る、か。きっとそれは間違いじゃないんだろうが、決定的に抜け落ちた情報が一つだけある。


「なあ、みんな。ただの剣が勇者の剣になるために、必要なものは何だと思う?」

 俺が問いかけると、二人は頭を捻り、一人は全てを理解して黙っていた。

「俺は頑丈さに一票」

「剣のことは分からないけど、切れ味とか?」

 きっとそんなものは必要ない。瘴気の一切を寄せつけない勇者の剣は、魔物が相手なら絶対に折れず、そして刃が止まることもない。

「答えは仲間、ですよ」

 そうでしょう、とこちらを向くセシルに頷く。

「勇者の剣として魔王を討ったのは、俺だけじゃない」

 ゼノン。ムゥト。セシル。

 誰か一人でも欠けていれば、魔王は倒せなかった。

 俺が勇者になれたのは、俺の剣が勇者の剣になれたのは、三人が居たからこそだ。


「俺たちは、四人で【勇者の剣】だ。そうだろ?」

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