第3話 地下鉄とバスで(後編)

   

 方角の間違いに気づいた後は、すぐにバス停も見つかりました。

 それほど待たずにバスも到着。乗り込むと、ちょうど一人掛けの座席がいていたので、そこに座ります。


 私は今回、バスの路線図や大文字山の簡単な地図など、ネットで見つけてプリントアウトしたものを持参していました。

 おそらく半ば無意識のうちに、それらをカバンから出して確認していたようです。バスの路線図が目に入ったらしく、後ろの席の人から声をかけられました。

「このバス、銀閣寺道へ行くよね?(意訳)」


 先ほど「ちょうど一人掛けの座席が」と書きましたが、一人掛けとしては私のところが最後尾。その次からは二人用で、私の真後ろは、外国人の老夫婦でした。

 話しかけてきたのは旦那さんの方で、もちろん日本語ではありません。英語でした。

 後で気づいたのですが、旦那さんと奥さんの会話は英語ではなかったので、イタリアかフランスかドイツかわかりませんが、とにかく英語圏以外の方々だったのでしょうね。


 幸い私も英語ならば少しは会話できる……と自分では思っていたので「私も銀閣寺道で降りる」「ただし降りた後は銀閣寺でなく、その近くの山へ行く」と告げました。前者は「だから降りるのは一緒」、後者は「だから銀閣寺そのものまでは案内できない」と伝えたかったのですが……。

 そもそも上記の「自分では思っていた」が少し自惚れでした。私の英語力は、思った以上に低下していました。

 四年間アメリカで働いて一人暮らししていた経験はあるものの、それはもう十数年も昔の話ですからね。しかも当時それなりに英語がしゃべれていたのは、頭の中でも日本語でなく英語で考える習慣だったからに過ぎません。こうして日本で暮らしていると「頭の中」は日本語モードになっており、日本語で考えた言葉を英語に訳すというのは慣れていませんし、日常会話で使う英単語もかなり忘れています。

 一応「私も銀閣寺道で降りる」の方は伝わったようですが、後者は上手く伝わらなかった感じです。


 外国人夫婦は銀閣寺道で降りるので、もちろん銀閣寺へ行くのでしょう。確認の意味で尋ねてみると「銀閣寺と「F……』へ行く」という話。銀閣寺の方は聞き取れましたが、もうひとつの方は「Fで始まる地名」としかわかりませんでした。

 さらに聞いてみると、大雑把な地図を出してくれて、指差しながら説明してくれました。

「銀閣寺へ行ってから『F……』へ行くつもりだけど、妻は先に『F……』へ行きたがっている」

 銀閣寺の近辺から南下する道を示しながら『F……』と言うので、ようやく私も理解。確かに発音的には「Fで始まる地名」だけど、つづりはFじゃなかった! 「Philosopher’s Road」つまり哲学の道と言っていたのですね!

 これがわからなかったとは、本当に私の英語力は酷い……。


 なお、このエッセイを書くために改めてネットで確認すると、哲学の道の英語表記は「Philosopher's Walk」あるいは「Philosopher's Path」が一般的らしい。でも私が聞いた中には「Road」が含まれていましたし、一応「Philosopher’s Road」で引用符付きで検索してもきちんとヒットするので、その使い方もあるようです。


 ……話を戻して。

 後ろの外国人夫婦の意図も理解できたので、彼らと一緒に、銀閣寺道のバス停で下車しました。

 今出川通りと白川通りの交差点の辺りが、銀閣寺道のバス停です。今出川通りは東西に走る通りですが、この交差点より東は少し道が細くなるので、私の認識ではここまでが今出川通りで、この先は違う――銀閣寺へ行くための道――という感覚でした。

 名前が変わるにせよ変わらないにせよ、交差点はT字路でなく十字路なので、今出川通りからそのまま繋がっています。だからバス停を降りたら真っ直ぐ東へ向かえば良い……と思っていたのですが、私が乗っていたバスは交差点を右へ曲がり、ほんの少しだけ白川通りを南下したところで停まりました。

 これだと「真っ直ぐ東へ」ではなく「少しだけ北へ進み、交差点を曲がって東へ」になりますね。私は大丈夫ですが、この辺りの地理に疎い観光客ならばうっかり北や南へ真っ直ぐ行ってしまうかも。この状況ならば、先ほどの外国人夫婦にとって私は単なるお節介ではなく、道案内の手助けになれそうです。

 だから外国人夫婦の歩くペースに合わせて、今出川通りと白川通りの交差点へ。そこですぐに東へ曲がって……でも良いのですが、あえて交差点で信号を渡り、道路の北側を歩くようにしました。

 今出川通りのこの辺りは、通りの北側に沿って水路が流れているからです。哲学の道に沿って流れる琵琶湖疏水、そこからそのまま続いている水路です。


 今出川通りと白川通りの交差点から、銀閣寺へと向かう道路。この辺りはまだ「哲学の道」と呼ばれる範囲ではないにしても、道路の北側は、水路に沿って遊歩道のようになっています。このエッセイを書くために地図で確認してみると「白川疏水通り」が、その遊歩道の正式名称でしょうか。

 まあ名前はともかく、その水路に沿った遊歩道を歩いて行きました。それっぽい木も植えられていますし、雰囲気的には既に哲学の道。外国人夫婦の奥さんの方は――バスの中で聞いた旦那さんの話では――「銀閣寺より先に哲学の道へ行きたい」と言っていたそうですから、ちょうど良かったかもしれませんね。

 この遊歩道には途中、銀閣寺や哲学の道を矢印で示すような案内の立札もありました。それぞれ英語名も書かれていたので外国人の方々にも理解できるはずですが、横に添えられた「徒歩10分」みたいな部分は日本語のみ。立札の前で一応「ここに『あと10分』と書かれている」と伝えておきました。まあ「徒歩」や「分」はわからずとも「10」は万国共通でしょうし、これはちょっとお節介だったかな、とも思いましたが……。


 この遊歩道に沿って東へ行けば、銀閣寺へ向かうはず。それっぽいお店がずらりと並んで賑わっている道も、進む先に見えています。

 外国人夫婦の旦那さんからは「これをこのまま行けば銀閣寺に着くのか?」とも聞かれましたが、私はちょっと自信がありませんでした。真っ直ぐ行けば銀閣寺へ突き当たるような気もするし、突き当たりを右へ曲がるような気もするし、その点きちんと覚えていなかったのです。

 考えてみれば、京都に住んでいた頃、その近くにある大文字山は頻繁に訪れたくせに、銀閣寺そのものは一度も行ったことがなかったのですね。子供の頃に家族旅行で京都観光をした際、銀閣寺へ行ったのが最初で最後でした。

 とりあえず「真っ直ぐ行けば銀閣寺へ突き当たる」にしても「突き当たりを右へ曲がる」にしても、その道を行きさえすれば、観光客も多いからその流れに従うだけで辿り着くはず。だから「断言できないけど、たぶんこのまま行けば大丈夫」と正直に答えておきました。


 私としては、進む道が一緒な限りは彼らに同行するつもりでしたが、途中、

「妻がゆっくり歩くので、ここまででいい」

 と言われたので、その地点で案内終了。見れば、奥さんの方は遊歩道で立ち止まり、そこに植えられた木を仰ぎ見ていました。哲学の道っぽいのを満喫していたのでしょうか。


 そこから先は私一人、自分のペースで歩き始めたのですが……。

 しばらくすると、また案内の立札が。地図で見ると、白川疏水通りの最後の辺りでしょうか。水路はグッと南へ曲がって、道路の方も二つに分岐しています。真っ直ぐ東へ行けば銀閣寺、水路に沿って曲がれば哲学の道へという分岐点であり、案内もその表示でした。

 立札の表記は相変わらず、銀閣寺や哲学の道など地名にだけ英語名が添えられています。「銀閣寺」の後ろにある「まっすぐ5分」の部分は日本語のみ。

 英語があるのは外国人向けかもしれませんが、これでは中途半端ですよね。だから一応、その場所で先ほどの二人を待って……。

「ここに『まっすぐ5分』と書いてあるから、こちらの道を直進。それで5分で着くよ」

 というのを告げて、今度こそ本当に外国人二人と別れて。

 さあ、本来の目的を思い出して、私は大文字山へ向かいます!

   

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