筋肉令嬢〜魔法に頼り切ったモヤシ貴族とはかくも無力〜

雀内一

第1話

 バリィッ!


 ドレスの縫製が勢いよく破れた。

 私の三角筋、広背筋、それに連なる肩周りの筋肉たちが、生地の締め付けから開放され、自由を謳歌する。


 私は頭を抱えた。

 頭を抱えながら大胸筋に力を込めると、乳まで一緒に揺れるから面白い。

 

 これから王宮で晩餐会があるが、私のドレスはこれ1着しか無い。

 我が家が貧乏なのかと聞かれればイエスと答えるしかないのだが、それが主な理由ではない。


 理由はそう、16歳にして成人男性と同等の身長を持ち、そして彼らを凌ぐほどの強靭な筋肉を持っていることが理由だ。

 こんな身体の女が着るドレスなど既製品には存在せず、オーダーメイドをしようにも作れる職人自体が希少だ。

 そのために私の服を1着仕立てるには妹の既製品のドレス5着分以上の金が掛かるのだ。


「パトラお姉様〜?さっき残念な音が聞こえましたけど、大丈夫ですかあ?」


 そう言って部屋に入ってきたのは3歳年下の妹、ミトリだ。

 私と同じ両親から生まれたのに、ミトリは小柄で身体の線も全体的に丸みを帯びており、”ザ・女の子”という感じで量産品のドレスも試着モデルのように着こなしている。


「ミトリ、部屋に入る時はノックしてって言ってるでしょ」

「あら失礼しましたわお姉様。いきなり入っては今のようにお姉様のお恥ずかしい姿を見てしまうかもしれませんからね」

「いや、見られて恥ずかしいことはないって言うか、むしろ鍛えた身体を見られるのは嬉しいんだけど、私にも身体の準備があるというか、パンプアップする時間が欲しいと言うか……」


 私は今日1日、毎日の日課のである農作業を一切せず、なるべく筋肉を小さく大人しくさせるように過ごしてきた。

 そのため軽く負荷を掛けてパンプアップし、いつもの元気な筋肉になるまで人前で身体を晒したくは無かったのだ。


「はあ……なにバカなこと言ってるんですか。お姉様が醜態を晒して笑われるのは何とも思って無いですが、父上や時期当主である私が恥ずかしいんですから!さっさと脱いで手直ししてください。もう馬車も待たせてるんですよ!」


 そう。我がアンティリオン家の次期当主は長女である私ではなく、妹のミトリなのだ。

 と言うのも、アンティリオン家は王族の警護を担当する王宮魔法隊の家系なのだ。普通の貴族は領地に対して爵位を与えられるが、魔法隊の者たちは職務に対して爵位が与えられる。

 そのため強力な魔法を操るものは高位の爵位と昇給が与えられるし、魔法の才能が無ければ格下げ。下手したら解雇されて平民という厳しい世界だ。


 そして私には身体強化魔法の、そして妹には土魔法の適性があった。


 身体強化魔法とは、文字通り身体能力を強化する魔法だ。

 その効果はというと、5キロの荷物を運べる人間が使えば20キロの荷物が持てるようになるとかそういった程度の魔法で、せいぜい農作業くらいにしか役立たないということで『農民魔法』と言われている。

 貴族に対して『農民』などと言うのだから、当然バカにしているのである。


 一方でミトリの使える土魔法は多くの属性の中でも防御に非常に特化している属性であり、要人警護では非常に重宝されるため、家の将来のことを考えれば2人のうちどちらが家を継ぐべきかは明白であった。


 そのため妹は幼い頃から次期当主としての教育を受け、私は領民に混じって肉体労働をしたりと自由にやらせてもらっている。

 妹が当主になれば私は家から出ていくことになっているが、将来の心配は全く無い。

 なにせ見た目や魔法の才能で嫁選びをする貴族と違い、身体の丈夫さが嫁選びの最重要項目になっている平民から私はめちゃくちゃモテているのだから。


「そのことなんだけどねミトリ……今脱いだらもっと破けちゃいそうで、このまま直してくれない?」


 はあぁぁ。とミトリは盛大に溜息をつく。


「なんで次期当主の私がお姉様なんかのドレスを直す必要があるんですか?バカなんですか?筋肉ダルマに興味のある殿方なんていらっしゃいませんし、臭い毛皮でも肩に掛けておけばいいんじゃないですか?」


 なるほど、その手があったか。


「ミトリ天才!さすが時期当主!」


「嫌味で言ってんだよ脳みそまで筋肉詰まってんじゃねえのか?」などと汚い言葉が聞こえた気がしたが、この場には私と上品な我が妹しか居ないので、どうやら空耳だったようだ。


 毛皮ならばたくさんある。

 冬物衣類を漁ると、シカやオオカミなど、色々な毛皮が出てきた。

 自作したリスのコートは3着あるが、見比べると1着作るごとに仕立て技術が向上しているのがよく分かる。

 クマの毛皮も出てきたが、臭いがキツすぎてこれはNGだ。


「お嬢様、出発のお時間ですよ」


 この家唯一のメイドであるカーヤが迎えに来て、ミトリはそそくさと玄関に向かっていった。

 私も両親を待たせる訳には行かない。お気に入りのオオカミの毛皮を掴んで部屋を出た。



 *



〜王宮魔法隊を束ねる隊長 ラフネイカ伯爵の視点〜

 

 王宮は華やかでいて、同時にピリピリとした空気も張り詰めていた。


 それは一般人には、王家や上級貴族の子息に自分の娘を気に入らせようという、蹴落とし合いの空気に感じられただろう。


 しかし警護の任務に就いている魔法隊の者たちは全く異なる空気を感じ取っていた。

 それは人を殺すものが醸し出す空気、つまり殺気である。


 今日は10歳になる王太子が初めて公式の場で貴族たちの前に顔を出す日であり、このように大勢が集まる場には必ず不審な輩も忍び込んでくる。

 つまることろ、王家に恨みがある他国や、反乱を企てている裏切り者にとって今日は格好のチャンスだ。


 魔術師が魔法を使う時、魔石と呼ばれる特殊な宝石で魔力を何倍にも増幅して発動させる。

 それはあるものは腕輪に、あるものはペンダントにして身に付けているが、王宮魔法隊の者たちは護衛という任務上、小手や短剣にして持ち歩いている者が多い。


 その魔法隊を束ねている隊長、ラフネイカ侯爵は自らに向けられている殺気を感じ取った。


 獲物を狙う目つき、血に植えた野獣のような気配。


「そこかっ!」


 ラフネイカが視線を向けると、そこには飢えたオオカミのような目をした、飢えたオオカミの目があった。


「隊長、敵ですか」


 配下の1人が懐に忍ばせた短剣を握りしめながら、ラフネイカに耳打ちをする。


「いいや、気のせいだったようだ」


 そう、その視線の持ち主はオオカミ……いや、パトラの肩に掛けられたオオカミの毛皮だった。


 紛らわしいんだよクソが。ラフネイカは心の中で毒づいた。

 ここは猟師の集う山小屋じゃなくて王家の晩餐会なんだぞ。頭部の付いた毛皮を着てくるんじゃない。


「おい誰か、あの女に毛皮を脱げと伝えてこい。血の穢れが連想されるものは王家の行事に持ち込み禁止だ」

「はっ!かしこまりました」


 どこのアホ貴族か知らないが、もしあれの親が自分の部下だったら張り倒してやったのに。とラフネイカは思った。


 しかし、あの娘は女の癖にずいぶんと背が高く、筋肉も付いている。

 一瞬暗殺者の手先の者かと疑ったが、魔法使い同士の戦いにおいて身体の大きさは的が大きくなるだけの不利だし、わざわざ目立つ刺客を送り込む必要もないか。とその考えを排除した。



 *



 さすが王宮で出る食事は美味い。どれも絶品ばかりだ。


 父上は警護の仕事をしているし、母は付き合いのある貴族家のご夫人方と談笑中だ。

 そしてミトリは大勢の青年たちに囲まれている。

 妹の魔法の才能の事は周知の事実なので、魔法隊で同僚になる予定の者からも、強い魔法使いを嫁に迎えたい貴族からも言い寄られ、ミトリから言い寄っている上級貴族子息にも好感触らしい。

 こうなると、我が一家ではミトリが一番忙しそうだった。


「まったく……一番若いのに難儀なことだな」

 

 育ち盛りのミトリがせっかくのご馳走を食べる暇が無いのは可哀相だから、私はいくつか料理を持ってってやることにした。

 

「ミトリ、この肉は美味いぞ。果実ジュースも新鮮でオススメだ。なにか欲しいものはあるか?」


 ミトリを囲む集団の後ろから声を掛ける。私は同年代の男子とは頭1つ分以上の身長差があるので、特に邪魔にもならない。

 私を見て何人かが「でっか」とか「ひっ」とかって言いながら怯えて後退りしたが、自分よりデカいものに恐怖するのは生き物として当然なので特に悪い気もしない。

 私だってクマの隣で寝ろと言われたら絶対に断るし、断れなければ必死で組み付いて目を潰し、首の骨を折るまで安心して眠れないだろう。


「あらお姉様。空腹を忘れるほど楽しいお話をしているので、お気遣いは無用ですのに」


 そう言いつつもミトリは私の手から皿とグラスをサッと受け取って肉を頬張った。

 毎度のことながら、妹の『外面モード』には関心させられる。

 腹が減れば食い、のどが渇けば飲む私にはとても無理な芸当だ。


 あ、ちなみにこれは私が意地汚いという訳ではなく、我慢するのは筋肉に良くないからだぞ?

 農作業や筋トレで鍛え上げた筋肉を維持するには相応のカロリーとタンパク質の摂取も欠かせないのだ。


「とても美味しい鴨肉ですね。鴨肉と言えばランビア卿の領内で捕れたものが絶品と聞きますが、やはり豊かな自然がなせるものなのでしょうか」


 ミトリはすかさず外面モードで、私にビビって後退りした少年に話し掛ける。

 わざわざ引き止めて会話を続けると言う事は、なるほどこの子はミトリから声を掛けた相手だったのか。


 ミトリの外面モードは十分に素晴らしいのだが、実は黙っているだけでもミトリはモテる。

 そして同じ両親から生まれた私も、顔の作りだけならばミトリに引けは取らないと思う。

 

 それなのに、こうも一切の声が掛からないというのはどうなんだろうか……。

 同世代の男たちより体格が良いという事実はそこまでマイナス要素なのか。それともミトリの言う通りガサツなのがいけないのか。

 力仕事で活躍できる農家の息子あたりと結婚する予定なので貴族にモテなくても困る訳では無いが、全く声を掛けられないというのも女として悲しい。


「お嬢さん、よろしいですか」


 ――はっ!

 これは来た。

 私にも春が来た。


 まあやはり私くらい顔が良いとガサツでデカ女でも声くらいは掛けられるのだ。


「はひ《はい》。パトラほ《と》申ひまふ《します》」


 左手は食事を乗せた皿を持っているので、右手だけでドレスのスカートを摘んで会釈する。

 口の中にはまだ肉が残っているが、相手を待たせる方が失礼だろうから咀嚼しながら喋った。

 声を掛けてきた男は王宮魔法隊の制服を着ており、私よりだいぶ年上だったが、まだ30代だろう。貴族同士の結婚においては20歳くらいの年の差など珍しい話でもなく、相手の年齢に問題はない。


「すまないが、その毛皮を脱いでもらいたい」

「そ、それはできません」


 駄目だ。それだけは駄目だ。このオオカミちゃんの頭の下のドレスは肩の所が大きく破けており、こんなものを周囲に晒してしまったら両親の立場やミトリの将来が危ない。


「いいから脱げ」

「こんな所で脱げません!皆さんが見ているのに!こんなみっともないものを!」

「みっともないことは無いだろう!十分に綺麗じゃないか!」(※ドレスの話)


 綺麗?綺麗と言ったのかこの男は。

 つまり毛皮を脱いで私の鍛え上げた肉体を晒していいと言うことか?

 個人的には願ってもない機会だが、私は今は家族の名誉を守らなければいけないのだ。


「駄目です!私の身体を見たい気持ちは分かりますが、今は駄目なのです」

「何を勘違いしている!いい加減にしろ」


 男は強引に……強引だろうか?

 顔を真っ赤にして引っ張ってるからたぶん強引なんだろうなあ。

 とりあえず男は強引っぽく私の毛皮を引っ張るが、私の鍛え上げられた筋肉の前には無力にも等しかった。


 ひとしきり頑張ってゼエハアしながら、男は引っ張るのを諦めた。


「おい……お前…………ここは王宮だから……頭の、付いた毛皮は…禁止なんだ……頼むから取ってくれ……俺が叱られる」

 

 なんだ、そういう理由があったのなら最初から言ってくれれば良いのに。

 

「それは申し訳ないことをしました。でも実はドレスに裂け目がありまして、それを隠すためにこれを羽織ってるのですよ」

「そうならば……最初からそう言ってくれ……代わりの布を用意するから、少し待ってろ」


 男はそう言って離れていった。

 取るに足らない一悶着で全く疲れていないが、私の肉体は何もしなくてもエネルギーを消費する。

 魔法もロクに使えず、かといって今日は畑仕事を休んでいると言うのに、食うものはしっかりと食う。私は罪な女だ。


 私が罪の深さと料理の美味しさに挟み撃ちにされていると、何やら会場が少し騒がしくなる。

 皆の視線が上座の方へ行くのを見て私も視線をやると、国王陛下の息子、つまりこの国の王子が紹介を受けていた。


 12歳ということはミトリの1つ下か。

 紹介が終わって有力貴族から順に挨拶回りの行列が出来ているが、しっかりとした立ち居振る舞いが身についているようだった。

 我が妹も、我が国の王子も、皆小さいのに立派なものだ。きっとこの国の将来は明るいだろう。

 次世代の優秀な若者たちを見ながら料理を食べていたら、先ほどの警護隊員が戻ってきた。


「お嬢さんほら。これを羽織っておけ」


 そう言って渡されたのは薄緑色で少し丈の長いケープだった。

 羽織ってみると前腕の半ばくらいまでがすっぽりと隠れ、私のゴツい腕の筋肉はすっかり隠れてしまう。

 素晴らしい服選びのセンスだ。警護より服飾師の方が向いているのではないだろうか。


「なるほどこれは良いですね。この長さなら私の体型も隠せて、ただ背が高いだけの美少女に見えます」

「はあ……ん?……まあ、そう思って選んだんだが、想像以上に綺麗に仕上がったな。……パトラだっけ?歳はいくつだ」

「16です」

「実は俺、魔法隊所属だが領地も持ってる男爵でな。うちに17の娘が居て身体が弱くてあまり外に出られないんだが、嬢ちゃん面白いしそのうち遊びに来てくれないか?モライって小さい村で、王宮から馬車で2時間くらいの所にあるんだが」


 軍人上がりで礼儀より連帯感を重視する王宮貴族と違い、領主貴族は礼儀にうるさい。

 それに金を持ってるから、たとえ男爵だとしても経済規模によっては平気で王宮貴族の伯爵をこき下ろしたりすることもある。

 ……つまり、私が失礼すると父の立場が危ない!

 

「だ、だんしゃくですか。しつれいしました。わ、私は王宮貴族アンティリオン子爵家が娘、パトラ・アンティリオンでございますの。たいへん御免あそばせましたわ!」 

「はっはっは!なんだその変な喋り方は。カストール・モライ。俺も王宮貴族寄りの人間だから気にしなくて良い」


 笑い方に演技が無い、確かに父上と似た雰囲気の人だった。

 

「ありがとうございますモライ卿。ちょっとドキッとしました」

「『卿』なんぞ付けんで『さん』で良い。アンティリオンさんの娘か、彼とは仕事でも話したことは無いが顔は知ってるから、後で今日のことを言ってみるよ」


 そう言えば平民とばかり過ごしていたから、貴族の友人というのは初めてだ。

 ミトリはお茶会などをしていたから、私もしてみようか。

 手土産にカモかウサギでも狩っていけばきっと喜ばれるだろうな。


 

 そしてモライさんが「じゃあそろそろ持ち場に戻るよ」と離れようとした時、会場から悲鳴が上がった。

 その悲鳴の中で野太い声が通る


「お前ら動くんじゃあねえよ!」




 声の方を見ると1人の男が王子の首に短剣を当て、その後ろにもう1人の男が立っている。


「逆らうとこうだ!」


 後ろに立っていた男の腹が赤く光り、男は口から炎を吹き出す。

 その炎は天井まで大きく立ち上がり、会場の照明を焼き熔かした。

 照明はガラスで出来ており、この一瞬でそれらを熔かす温度を作れるのは魔法しか無い。

 熔けたガラスが滴り落ちて来るが、警護隊の者が水魔法の膜を人々の頭上に展開する。

 赤々としていたガラスは水の膜に飲み込まれ、急速に冷却されてから床に落ちる。火傷を負ったものは居なかった。


「モライさん、この場では魔石の所持は禁止されているはずでは」

「入場前にそれは厳しくチェックしている。ただ、腹に飲み込んじまえばこちらで探すことはできないんだ……もっとも、そいつらに対処するために配置されているのが俺達なんだが」

「でしたら早く対処してください」

「そう簡単に言ってくれるな。単純な戦いであれば俺達が負けることは無いが、王太子殿下を傷付けず、かつあの男がナイフを持った手を引くよりも早く発動できる魔法は存在しない」


 なるほど。だから警護隊は何も対応策が無く、手をこまねいている訳か。

 男たちはそれを分かっているのか何も考えてないのか、ナイフは緩めないものの圧倒的な有利な立場としての油断が見て取れる。


「お前らに恨みは無いが依頼主様のお願いでよお。このガキは攫って行くぜ。安心しろ。王がきっちり俺達の言う事を聞けば誰の血も流れない。俺だって人を殺すのは心が痛むんだあよ」


 男はそう言ってナイフの切っ先を少し引く。

 よく研がれた刃先は滑るように肉に食い込み、王子の首から流れた血が照明を反射させ、てらてらと光る。

 痛みからか恐怖からか、王子の目には涙が浮かんでいるが、少しでも動けば更にナイフが食い込む状況下ではすすり泣くことすらできず、必死で堪えている様子だった。


 私は皿の上でソーセージに突き刺さっているフォークを握りしめ、パリッと小気味の良い音を立てて噛む。

 咀嚼するたびに肉汁とハーブが口に広がり、とても美味しい。

 皿をテーブルに置き、フォークの先端を曲げて”返し”を作る。


「おいパトラ、こんな時に呑気に飯食ってんじゃねえよ」

「モライさん、私に魔石を貸してください」

「はあ!?何をするつもりか知らんが、そんな事はできない。この状況で魔法を発動しようものなら、その瞬間に会場が王太子殿下の血で染まるぞ」


 そう言ってモライさんはマントの下から腰に手を当てる。なるほど分かりやすい。

 私はモライさんの右腰から鞘ごと短刀を奪い取った。


「何をする!返せ!」

「まあまあ。すぐ返すので安心してください」


 警護隊に配属されるくらいだから優秀な魔法使いなのだろうが、魔石を取られた魔法使いはただの貧弱な人だ。この私から取り返せるはずがない。


 あとはナイフの向きだけだ。


「モライさん、裏に回って男たちの注意を引き付けてくれませんか?」

「いいからまず魔石を返してくれ!絶対に何かするつもりだろう!王太子殿下にもしものことがあったら」

「あ」

「え?」


 男たちの向こう側で、護衛の静止を振り切って王妃が床にヒザを付いた。


「お願いです!その子を助けてください!代わりにこの身を差し出します!」


 王妃の懇願に、ナイフの男はそちらに向き直る。


「王妃が身代わりねえ。そりゃあどうも熱い親子愛だこと。良いぜ、その親子愛に免じて認めてやろう」

「ほ、本当ですかっ」

「まずは脱げ。武器を隠し持たれては敵わないからな。服を全部脱ぎ捨てて武器を持っていないことを証明しろ。そうしたらお前を代わりにしてやる」


 王妃の顔が絶望に染まる。

 この衆目に晒されている場で、王妃という立場の者が全裸になるということがどれほどの屈辱か。

 しかし王妃の決意は固かった。


「……分かりました」


 王妃はゆっくりと、まず靴を、そしてドレスを脱いで下着姿になる。

 会場内の貴族たちは多くが目を伏せたり背を向けているが、警護隊の者たちは目を離さず隙を伺っていた。


「王子様よお、お前のかーちゃんは良い奴だなあ?かーちゃんの勇気をちゃんと目に焼き付けておけよ」


 そう言って男が王子に母親の脱衣を見せつけるために立ち位置を変えた。


「よくやった王妃様。貴女の覚悟が王子を救うのだ」

 私は小さく呟いた。


「ん?パトラお前何か言ったか」


 モライさんを軽く小突いて私の身体から引き剥がす。彼は2メートルほど後ずさって尻もちをついた。

 

 私は王子の方を見据え、左足を大きく踏み出して肩を開く。そして右足から左足に重心を移動するのと同時に突き出した左肘を絞める。

 全体重を掛けた運動エネルギーが左半身から腰、背骨、背中を経由して右肩に集まる。

 あとは簡単な話で、腕の力を抜き、自然体で振り下ろす。余計な力を入れないと言う事はつまり、この右肩に溜まった爆発力を減衰させること無く伝えるということ。

 そしてその力は右手に掴んだ1本のフォークへと全て注がれ、身体強化魔法により強化された私の身体が放ったフォークは、マスケット銃やロングボウよりも速い初速で飛んでいく。


 その行き先は王子の首の向こう側に5センチくらい見えるナイフの刃。

 まるで糸を付けて引っ張られているかのようにフォークは狙った位置に吸い込まれる。

 まずは柄がナイフの刃すれすれを掠め、”返し”を付けた先端の部分がナイフの刃にガッチリと噛み合って男の手から離れ、向こう側の石壁にざっくりと突き刺さった。



 ――バンッ!


 瞬間、音速を超えたフォークが破裂音を轟かせる。

 貴族も警護隊も、一部始終を見ていたモライさん以外の全員が一瞬は身を縮こまらせたが、警護隊や襲撃者の復帰は早かった。


「なんで俺の手からナイフが消えてるんだよおおおおおおお!」


 ナイフを失った襲撃者は叫ぶと同時に、王子の服の襟を掴んだまま大窓に突っ込んだ。

 ガラスが割れて階下に落ちていくが、襲撃者と王子は階下には落ちず、逆に夜空へ上昇して行った。


「くっ……やはり飛行魔法の使い手が居たか!パトラがナイフを落とさせた時はやったかと思ったが」 

「大丈夫ですよ」


 もう一人の炎を吐いた魔法使いを確認すると、既に警護隊に制圧されるところだった。やはり精鋭ぞろいという事か。


 ならば私のやることは1つだ。

 男と王子は既に王宮から200メートルは離れている。飛行魔法の移動速度は速い。

 ナイフを投げたりすれば貫通して殺してしまうかもしれない。情報を引き出せないとなれば国王や王妃に顔向けができないだろう。私は燭台を掴み、空を飛んでいる男に向けてやり投げの要領で飛ばした。

 燭台は男の背骨のど真ん中に直撃し、男は猟銃で撃ち抜かれた鳥のように地面に落下していく。


 

 ……もちろん、王子も。


「きゃあああああああ!」


 その場に居たご夫人方から悲鳴が上がる。

 ある者は視線を釘付けにされ、またある者は目を伏せる。


「誰か!息子を助けてくれ!」


 王と王妃の悲痛な叫びが王宮内に響く。

 警護隊の数名も飛行魔法で王子の元へ飛んでいるが、あの速度では間に合わない可能性の方が高いだろう。


 当然、このまま見過ごす道理なんて無い。


 私が1歩床を蹴ると、滑らかな大理石が砕け散って床に穴を穿つ。

 また1歩床を蹴ると、砕けた石の破片が榴弾のように飛び散って食卓上のワイングラスを割る。

 そして王宮の壁を蹴り出すと、大砲でも直撃したかのような衝撃が王宮を震わせる。



 ――もっとも、空中に居る私にはそんな衝撃など伝わらないのだが。



 ……つまるところ、作用・反作用の法則というやつだ。



 私が宮殿に与えたエネルギー。それと私の身体に加わるエネルギーは等しくなる。


 当然、私の身体は大砲の砲弾に比べればずっと軽いので、そんなエネルギーを持てばとんでもない速度で移動することになる。


 文字通り”弾丸のように”私は空を飛んでいた。

 まあ飛行魔法が使えないので飛ぶというより跳ぶなのだが、ともかく警護隊を追い越して、突風のように王子の軽い身体を攫った。


 なんと軽い、矮小で、か弱い命なのだろうか。


 落下の恐怖に怯えて目をぎゅっと瞑り、反射的に小さな手で必死にしがみついてくる。

 

 ミトリも背丈は変わらないので同じくらいの体重のはずだが、反抗期の妹が私に抱っこをさせてくれるはずもない。

 

 そんな訳で、私の中に王子に対する謎の母性めいた何かが芽吹いてきた。


「殿下、もう大丈夫ですよ。目を開けてください」


 まるで騎士に抱かれる姫のように。はたまた母に抱かれる子のように。私の腕の中で小さくなっている王子は目を開けた。


「お前は……誰だ?」

 

 王子の純粋無垢な瞳がまず私の顔に向けられる。フッ……可愛いな。


「そんなことはどうでも良いでしょう。しかし見てくださいこの国を。これが貴方様が将来治める民の街ですよ」


 直線軌道を描いていた私の身体は、王子を捉えたこと、また風の抵抗と重力により速度を落として放物線に変わる。

 やがて上昇が止まり、放物線の頂点に達する一瞬、ふわっとした無重力の瞬間が訪れる。


 

 煩わしい重力から解放された、何よりも自由な瞬間。



 照明魔法で夜も感じさせないほど輝いている露店街、ロウソクの仄かな明かりが漏れる民家の窓、篝火かがりびを焚いて警備に当たる衛兵。

 私たちの眼下には、何時間見たって見飽きることが無いくらいに多種多様な人の暮らしが広がっていた。


 それを見下ろす王子の目には、王都の明かりが反射した以上もの輝きが宿っている。


「……すごい。すごいすごいすごい!」


 しかし私たちの身体はすぐに重力に捕まり、加速しながら地面に引き戻される。

 大地に近づくにつれ、俯瞰して見えていた景色は徐々に街の喧騒や食べ物の匂い、人々の創る空気など、この国の民の息遣いを浮かび上がらせる。


 そして私たちは教会の時計塔の上に降り立った。


 抱きかかえていた王子の身体を下ろす。


「余は今まで王宮から出たことは無かったが、この国はこんなにも素晴らしいのだな」

「そうでしょう。私も他の国を知っている訳ではありませんが、大陸でも随一だと思っていますよ」

「お前はまた、余にこのような光景を見せてくれるか?」


  王子は期待に満ちた目で私を見上げる。

 私は王子の肩に手を置いて答えた。


「王子がこの国のために生きて、私がこの国のために生きれば、きっといつか会えますよ」

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