#35−②「記念日でもないのにごめん」

***


まどかは、企画開発と営業、広報の社内飲み会に参加していた。


一般的な社内恋愛は、隠すものなのだろうか。

いや、隠し切れるものなのだろうか。


まどかは絢斗と同じ飲み会に参加する度に、ひやひやとして落ち着かなくて、いっそのこと、広めてしまいたいとも思う。


ただ、冷静になって、事実が広まったら仕事に影響すると思うと、踏み切れなかった。


しかし、結婚を決めた今は、いずれ話すのであれば、いつバレてもいいというスタンスを取っている。


それは、とても気が楽だった。

バレてもいいと思っていても、意外とバレることもなく、過ごしやすかった。


とは言え、仕事ではなく、飲み会の場は、プライベートな話も多く、落ち着かないのは変わらなかった。


しかも、今回は大平を挟むだけで、かなり近くの席に座っている。加えて、向かいにはおしゃべりな宇代がいて、何か起こりそうな気がして、酔うに酔えないでいた。


「飲み会で2人が並んでるの、珍しいですね」


ちょうどお手洗いに席を外した大平のせいで、人1人分の間隔を開けて、絢斗とまどかは並んでいた。


「そうかもね」


絢斗は軽い調子でいなすように答えながら、だし巻き卵を取って、まどかの取り皿に載せてくれる。


「たたききゅうりもいる?」


「うん。ありがとう」


宇代の視線が気になりながらも、絢斗の好意をありがたく受け止める。


「仲良しですね」


宇代は呟くようにしみじみと言う。


「そう言えば、あれ、いつでしたっけ? 休みの日にお二人でいたところで会ったじゃないですか」


「あー、会ったね……」


目が合ったまどかは反射的に答えた。


チラッと絢斗の顔を見上げれば、絢斗は平然としている。

これしきのことで、動揺するとは思わなかったが、どう思っているか、全く分からない。


「休みの日に2人って、デート?」


近くにいた先輩が、聞き流しはしないとばかりに、食いついてきた。


「休日に一緒にいたらいけませんか?」


「いけないとは言ってないけど……ねぇ?」


絢斗の言葉に、先輩は宇代に同意を求める視線を投げる。


絢斗は逡巡しているように見えた。


――何をためらっているのだろう。


いつもはぽんぽんと言葉を返して、何事もなかったかのように振る舞うというのに、今回は言葉を選ぼうとしているように見える。


ハイボールを一口飲むと、まどかに一度視線を投げてきた。


まどかは息を呑んだ。

そのときの絢斗の顔は、決心した表情を浮かべていたから。


「僕ら結婚する予定なので、休日にデートもしますよ」


「えっ」


先輩は、冷やかしていたくせに、それが事実と知ると、驚愕の表情を浮かべる。


その周りの視線が、何事かと徐々に集まってくる。


「別の機会にちゃんと報告するつもりでしたが、この機会に伝えておきますね。僕たち、結婚を前提にお付き合いしてますので」


絢斗は、いつもの取り繕った笑みではなく、晴れやかな顔つきで言い切る。


各方向から、悲鳴に近い声が上がった。


そのざわめきの中に戻ってきた大平は、事態を飲み込めず、戸惑っている様子がおかしくて、まどかは何とか冷静になれたのだった。


***


「――あんなふうに言ってよかった?」


飲み会の帰り道、珍しく揺らいだ声色が問うた。


「後悔してるの?」


「後悔はしてない。けど、もっと言い方はあったかなって」


「いいよ。もう、色々となるようになれって感じ」


まどかは空に向かって大きく手を上げて伸びをする。

色々訊かれて面倒だったけれど、嫌な気分ではなかった。どこか爽快で、自然と笑えていた。


「なんか、投げやりじゃない?」


「違うよ。何でも受け入れるよってことだよ」


まどかがにっこりと笑って見せれば、絢斗の顔が歪んだ。


「……まどか、ちょっと俺みたいじゃない?」


「え? それは心外なんだけど……」


「え? 嫌がってんの?」


真顔を見合わせて数秒、お互いに噴き出した。


お腹と頬が痛くなるほど笑ってから、自然と手を繋いで歩く。


「今日、泊まる?」


「んー……」


乞うような眼差しをかわすように、空を仰ぐ。


夜空に月がくっきりと見える。

答えるのも忘れて見とれるほど、綺麗だった。


「――俺といて、俺以外に見とれてる?」


低い声がまどかの鼓膜を震わせた。

それでも、まどかは大きな月を見上げ続ける。


「そうだね。綺麗だから」


絢斗はまどかに顔をグッと寄せて、端正な顔を見せびらかしてくる。


「暗くて見えないから」


まどかは絢斗の肩を軽く押していなす。

暗くて見えにくいが、唇を尖らせているのは想像がつく。


「冷たいな」


繋がれていた手が離れた。


手のひらを刺すように冷たい空気が触れる。

寂しくなって、離れた手をまどかは捕まえにいくが、絢斗はひらりとかわして、ポケットを手に突っ込んだ。


――完全にわざとだ。


まどかは一瞬ムッとするも、自分のせいだと考え直す。


最初から素直になればいいのに、恥ずかしさからすぐに素直になれない。


逃げたらいけないのに。

絢斗と別れたくないのに。


絢斗はまどかの半歩先を歩いている。


顔が見えず、絢斗がどう思っているか、分からない。

怒ったのか、はたまた、からかっているのか。


もうそのまま家まで送ってもらう流れになるのだろうか。



「――で、泊まるの?」


「……え?」


前を向いたまま、絢斗は言うから――いや、もう一度、訊いてもらえるとも思っていなかったから、聞き間違いかと思った。


絢斗はまどかの前に回り込むと、もう一度、「泊まるの?」と訊いた。


「……うん」


俯いて、小さい声で頷いた。


絢斗の手がまどかの顎に添えられる。

くいっと持ち上げられて、不本意にも顔を見られた。


「なんて顔してんの」


絢斗はクックッと笑う。


「俺がまどかのこと、突き放せるわけないんだから」


泣きたくなるほど、胸が熱くなる。


絢斗の手は、まどかの顎から離れ、まどかの手を掴む。指を絡め合い、手を握った。


目的地は絢斗の家。足取りは軽い。



今まで、恋愛は思い通りにいかなかった。

恋愛が上手くいくような将来は、想像がつかなかった。


しかし、今は違う。

絢斗との未来が頭の中で描けている。


30歳になって、しかも、相手ありきでやっと及第点なんて、笑える。

完璧ではないけれど、恋の落ちこぼれにしては、合格ではないだろうか。


「何笑ってるの? そんなに嬉しい?」


「笑ってないよ」


唇を口の中に巻き込んで、笑いをこらえる。

こらえ切れず笑ったら、「笑ってるじゃん」と笑われた。


「俺は嬉しいよ? 今夜、まどかとずっといられるの」


絢斗は恥ずかしげもなく、キザな言葉を吐く。


いつまで経っても慣れそうにない。

――いや、慣れるなんて、贅沢か。


言葉に答える代わりに、絢斗の手をギュッと強く握った。



【完】

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恋の落ちこぼれたち 如月小雪 @musicalscale

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