2 ネコタコーポレーション

 タケルは現在、高層ビルの豪華絢爛なエントランスの前に立っていた。


「うわあ、でっか……」


 長年父が勤め、これからタケルが入社することになる大手家庭用製品メーカー、ネコタコーポレーションの本社ビルだ。三十階建ての全面硝子張りになっており、陽光を全面に浴びてえげつないほどに光り輝いている。


 反射先にあるビルはえらい迷惑だろうな、と少し憐れに思った。


 いつまでも気後れしていても仕方がない。入社するにあたり、今日は事前説明が行なわれることになっていた。約束の時間までは多少余裕はあったが、中で迷う可能性も考えると早めに行動した方がいいだろう。


 ふう、とひとつ息を吐いた。顔を真っ直ぐ上げて中に入ると、先には広々とした吹き抜けのホールが広がっていた。


「……すっげ」


 まるでオペラホールのように、壁際に沿って上階の店が並んでいるのが見える。三階部分まではテナントなのだろう。コンビニ、薬局、中には眼科もある。


 マッサージ店まであるのには笑えたが、これも全てここに通う社員の為に誘致されたというならば、その会社で長年身を粉にして働いた末に命を落とした父はなんだったのか、と皮肉に受け止めてしまった。


「いや、駄目だ。しっかりしろタケル」


 元来独り言を言うたちではないが、緊張のせいか、今日はやたらと独り言が口から飛び出す。よくない傾向だ。


 社屋のでかさ程度で萎縮していては、この先の計画など遂行できやしない。しっかりしろと心の中で自分を鼓舞すると、ホールの最奥にある真っ白に光り輝く受付へ向かった。


 横長の受付には、白いスーツを清楚に着こなした美女が三人並んで座っている。清楚だが、どこか妖艶さも感じられた。


 本人たちは、自分が世間一般よりも美しいとちゃんと認識しているのだろう。作り込まれた笑顔で、恐らくは自分がどの角度から見られたら一番綺麗に見えるのかも研究し尽くされた小さめの会釈を披露すると、バスガイドのような声を出す。


「ようこそ、ネコタコーポレーションへ。どのようなご用件でしょうか」


 真ん中の正統派美人の前に立つ勇気はさすがになく、真ん中の美人よりは親しみが持てる少し垂れ目の右の美人の前に立った。


 女の目つきは、タケルを値踏みするものだった。あからさまではないが、分かる。理由は自分でも分かっていた。


 タケルの見た目は、幼い。下手をすると高校生と見間違われることも往々にしてある童顔の持ち主だ。全体的に色素も薄く中性的なこともあって、七五三の子供のようにスーツに着られている感が満載な自覚は十分にあった。


「あ、あの、新規事業開発統括本部の沢渡さんとの約束で!」

「お名前を頂戴してもよろしいでしょうか」


 垂れ目美女は、笑顔を一切崩さない。毎日表情筋を鍛えているんだろうか、と鉛筆が乗りそうに長いつけまつ毛を眺めながら考えた。


 自分はつくづく男に生まれてよかったと思う。こんなに着飾らなければならない毎日なんて、どれだけ窮屈だろう。タケルはそんなのは真っ平御免だった。


 お前はもう少しお洒落をしなさいと母には言われるが、Tシャツにジーンズで全ては事足りると思っている。それがタケルの見た目に関する認識だった。


「田中武です!」


 自分で予想していたよりも、随分と元気な声が出てしまう。それを聞いた真ん中の美女が、可笑しそうに目元を緩ませた。笑うと、思ったよりも怖くない。


「少々お待ち下さいませ」


 垂れ目美人が、どこかに内線をかける。口元を手で隠し、電話の向こうの誰かと話し終えると、相手には見えないのに、会釈をして電話を切った。


 これが社会人のマナーなのか。まだ社会人ではないので分からない。あまり染まりたくはない慣習だなと思うのは、甘いだろうか。


「確認が取れましたので、こちらのビジターカードをエレベーターホール前の認証ゲートにかざして下さい。奥にございます右手のエレベーターが、十六階から三十階までのエレベーターとなります。そちらから二十五階まで昇っていただきましたら、降りた所でお待ちいただけますでしょうか」

「は、はい!」


 またもや恥ずかしいほど元気のいい返事をしてしまった。すると、真ん中の美人が堪え切れないといった様子で顔を伏せ、肩を小刻みに揺らし始める。


 顔から火が出そうになったタケルは、半ば奪うようにビジターカードを受け取ると、足早に認証ゲートに向かった。

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