第7話 束の間の休日 ~あなたに薔薇の髪飾りを~

 帝都の繁華街は今日もたくさんの人で賑わっていた。

 ブティックや雑貨屋、書店に小洒落たカフェなどが並び、道を歩いているだけで楽しい。


「すごい……、僕、こういう所に来るの初めてです……」

 リディアの従者としてついて来たフラムが目を輝かせる。

「そうですの……?」

 ——そんなに不自由な暮らしをしていたのかしら。

 リディアは少しフラムのことが不憫になった。フラムがマイヤール家で働き始めてからひと月ほど経ったが、彼はあまり自分のことを話さない。


 ——まあ、私も孤児院時代のことはあまり話したくないですし……

 そう思って、リディアはフラムの事情については敢えて聞かないでいた。必要になったら、きっと自分から話してくれるだろう。


「リディア様は、よく来られるんですか……?」

「そんなにしょっちゅうは来ませんわ。武闘大会の本戦まではまだ時間がありますし、今日は息抜きですわよ」

 リディアは答えた。たまには気分転換も必要だ。


「……それに、フラム。あなた、いつまでも女物のメイド服を着ているわけにもいかないでしょう? 何か好きな服を選びなさいませ」

「ええ!? 僕のためにそんな、十分ですよ、このままで……」

 フラムは恐縮して首を横に振る。


「そう……? 仮に仕事着はそのままでいいとしても、私服も必要でしょう?」

「そ……、それは……」

「——はい、これ」

 リディアはフラムに封筒に入ったお金を手渡した。


「えっ……?」

 フラムは驚いた顔をする。

「一ヶ月分のお給料ですわ。これで好きなものを買いなさい」

「そ、そんな、住む場所と食事を頂いているだけで十分なのに、こんなに頂けません……!!」

 フラムは更に恐縮して首を振った。


「あなたはよく働いてくれているし、遠慮する必要なんてありませんのよ。今欲しいものがなければ、使わずに貯めておいてもいいんですし」

「あ……、ありがとうございます……」

 フラムは複雑な表情をしながら、おずおずと封筒を受け取った。




 店のショーウィンドウには着飾ったマネキンや物珍しい雑貨や絵画などが並び、まるで色彩の洪水のようだった。その全てが、フラムにはキラキラして見えた。

 つい目を奪われてぼんやり歩いていると、いつの間にかリディアとはぐれてしまっていた。


 フラムが慌ててリディアを追いかけようとしたその時、うっかり通りすがりの男性とぶつかってしまう。

 男は露骨に舌打ちした。

「気をつけろ、クソガキ」

「……す、すみません……」


 フラムとはぐれたことに気づいて、リディアが戻ってきた。その間に、男は足早に人混みの中へと消える。

「……フラム、大丈夫?」

「だ、大丈夫です……、すみません、ぼんやりしていて……」

 その時、フラムはようやく違和感に気づいた。スカートのポケットに入れておいたはずの封筒が、なくなっている。

 フラムの顔が真っ青になった。


「フラム? ……どうしましたの?」

「さ、さっきもらった封筒が……、た、多分さっきの男に盗られて……」

 フラムは泣きそうな顔をする。

「ご……、ごめんなさい……、せっかく頂いたのに……」


「あなたは何も悪くありませんわよ、フラム」

 ——不注意だったのは私の方ですわ。フラムは人混みに慣れていないのに。

 リディアは、フラムから目を離したことを後悔した。


「……少し、ここで待っていて下さいまし」

「えっ……?」

 先ほどフラムにぶつかった男なら、リディアも一瞬だけ見た。黒服に茶色の帽子を被った中肉中背の男だ。——今追い駆ければ、まだ間に合う。

 リディアは人混みの中を駆け出した。




「何だあのガキ、けっこう持ってるじゃねぇか」

 フラムから盗った封筒の中身を確認して、男はニヤニヤと笑った。

 その時、背後から人々がざわめく声が聞こえた。


 何事かと思って男が振り返ると、一人の女がこちらに向かって猛ダッシュしてくるのが見えた。ハイヒールを履いているとは思えない速度で走ってくる。その勢いに恐れをなして、道行く人々は自ら道を開けた。

 美しい銀髪と、特徴的な深紅の瞳。目の覚めるような美人だが、その表情には気迫があった。

 彼女の顔を、男は知っていた。


「せ……、鮮血令嬢……!?」

 その気迫に震えあがって、男は思わず逃げ出した。


「待ちなさい……!!」

 リディアは男を追い駆ける。——死なない程度に一発殴って動きを止めるか。

 そんなことを考えた、次の瞬間。


 長身の青年が、逃げる男の横を偶然通りがかった。

 青年は、何気ない動作で男の手首をつかむと、ぐるんと捻った。

 ただ無造作に捻っただけのように見えたのに、その手首を支点として男の体はぐるっと宙を一回転し、背中から地面に叩きつけられた。

「ぐはっ……!?」

 何が起こったのかも分からず、突然の衝撃に男の呼吸が一瞬止まる。

 その間に、リディアは男に追い付いた。


 捕まえられた男は、リディアに睨みつけられて情けないほど縮み上がった。その場で地面に額を擦りつけ、全力で土下座する。

「す、すみませんでした!! つい出来心で……!! ど、ど、どうか命だけは……!!」

「……別に命まで取るつもりはありませんわ。お金を返してくれるなら、今日の所は見逃してあげますわよ。……でも、今度やったら前歯全部折りますから覚悟なさい」

「は、はい……!! ありがとうございます……!!!」

 フラムから盗ったお金を置いて、男はほうほうのていで逃げて行った。



「……あの男を捕まえてくれてありがとう。助かりましたわ」

 リディアは、男を捕まえてくれた青年に礼を言った。

「礼には及ばないよ、当然のことをしたまでさ」

 柔らかく波打つ赤毛をかき上げて、青年は微笑んだ。どんなご婦人も一瞬で恋に落ちそうな笑顔だった。


 だが、リディアは気がついた。彼、——いや、彼女は女性だった。

 リディアは172cmで女性としては身長が高い方だが、彼女はもっと背が高かった。恐らく180cmはあるだろう。着ている服も男物で、まさに「男装の麗人」という言葉がよく似合う。


「あの……、失礼ですが、あなたのお名前は……?」

 リディアは彼女に尋ねた。

「ああ、申し遅れて済まなかった。私はエーデルワイス=フォルンシュタイン。エーデルと呼んでくれて構わないよ」

「まあ……、あのフォルンシュタイン家の……? これはご無礼を致しましたわ」


 ネオエルシア帝国には、「御三家」と呼ばれる名門家系がある。

 フォルンシュタイン家は、その一つだった。


「構わないよ。君とは一度会ってみたいと思っていたんだ、リディア。今度は是非、うちのお茶会に来てくれたまえ」

 優雅に微笑んで、エーデルは言った。


「私の名前をご存じですの……? 光栄ですわ」

「もちろん。君は有名人だからね。……宮廷武闘大会の本戦に出るなら、君とはいずれ戦うことになるだろう。その時を楽しみにしているよ」

 そう言って、エーデルはわずかに目を細める。一瞬だけ緊張した空気が流れて、リディアは思わず本能的に間合いを測った。

 だが、戦意がないことを示すようにエーデルはすぐに表情をやわらげる。そして、優雅な微笑みを残して颯爽とその場を去っていった。


「……私も、あなたと戦う時を楽しみにしておりますわ」

 呟くように、リディアは言った。



 *****


 元いた場所に戻ると、フラムがぽつんと立って大人しく待っていた。

「フラム、一人にしてごめんなさいね。……はい、これ」

 リディアが男から取り返した封筒を手渡すと、フラムはまた泣きそうな顔をした。

「……すみません、僕……、ご迷惑ばかりおかけして……」

「いいんですのよ。フラムは何も悪くありませんわ。……ほら、買い物に行きますわよ?」

「はい……!!」

 フラムはようやく笑顔を見せた。



 気分を変えて何件か店を回り、休憩がてらカフェに入った。——フラムがあまりにも興味深々で特性ジャンボフルーツパフェを眺めていたからだ。

 二人の前に運ばれてきた特性ジャンボフルーツパフェ(二名様以上でご注文下さい)を見て、フラムは目を輝かせる。

「すごい……、僕こんなの見るの初めてです……!!」

「そ、そう……。良かったですわね……」


 ——まあ、たまにはこういうのも悪くないですわね。

 生クリームを幸せそうに口に運ぶフラムを見て、リディアは思わず顔をほころばせる。


「す、すみません。何だか僕ばかり楽しんでしまって……。リディア様、もしかして甘い物はお嫌いでしたか……?」

「そんなことありませんわ。普段は体を絞るために我慢しているだけで、本当は大好きですのよ」

「そうですか……、良かった……」


 リディアも久しぶりのスイーツを楽しんでいると、ふと視線に気づいて顔を上げた。

 正面に座ったフラムが、リディアの顔をうっとりと見つめている。その頬はほんのり赤くなっていた。


「どうしましたの?」

「な……、何でもないです……!!」

 フラムは慌ててリディアの顔から視線をそらした。


「あの……、リディア様。実は欲しいものがあるので、この後ちょっといいですか……?」

 おずおずと、フラムは尋ねる。

「ええ、もちろんですわ」

 リディアは笑顔で頷いた。




 フラムが向かったのは、先ほども通りがかった雑貨屋だった。品揃えには装飾品の類が多く、どちらかというと女性向けの店だ。

 ——フラム、女装も嫌がらないし、こういうのに興味があるのかしら……


 リディアが店の外で待っていると、フラムが何かを買っていそいそと出てきた。

「何を買ってきましたの?」

 その問いに答える代わりに、フラムは言った。


「リディア様、……少し屈んでください」

「何かしら……?」

 リディアは屈んでフラムに顔を近づける。フラムは、リディアの銀色の髪にそっと何かを差した。

 ——それは、深紅の薔薇の髪飾りだった。


「これを私に……?」

「……はい。さっき見つけて、リディア様に似合いそうだなって思ったんです」


「まあ、……せっかくのお給料なのだから、自分の欲しいものを買えばよかったのに」

「いいんです。これが僕の欲しいものです」

「……ありがとう、フラム。大切にしますわね」

「はい……!!」

 心底嬉しそうに、フラムは微笑んだ。

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