第4話 心と体を鍛えるのは、淑女として当然の務めですわ!!
マイヤール家の屋敷の門の前で、メイド姿の小柄な少女が掃き掃除をしていた。
朝の光を受けて、少女の金髪が淡く輝く。——どこからどう見てもたおやかな美少女である彼は、しかし男だった。
フラムは真面目でよく働く少年だった。
リディアによって拾われた彼は、先輩メイドのエミルに教わりながら少しずつメイドの仕事を覚えている。掃除は不慣れだが料理は得意なようで、調理場の仕事は楽しそうにしていた。
庭掃除をしていたフラムは、ゴロゴロと何か重そうな物を転がす音に気付いて顔を上げる。
トレーニングウェアを着たリディアが、半径一メートルほどはある巨大なローラーを引いてフラムの目の前を全力で駆け抜けて行った。
「ひぇ……」
フラムは思わず小さく声を上げる。
マイヤール家の門を出てあっという間に遠ざかっていく巨大ローラーをフラムが呆然と眺めていると、エミルがスクーターに乗って現れた。
「エ、エミルさん……、あれは一体……」
「お嬢様のトレーニングよ。ああやって筋力と持久力を鍛えているんですって」
エミルは答えた。どうやらマイヤール家ではいつもの光景らしい。
「そ……、そんな無茶苦茶な……」
「フラム君、お嬢様のトレーニングの様子を見てみたいって言ったでしょ? 後ろに乗って」
「あっ、はい……」
エミルに促されて、フラムは彼女のスクーターの後ろに乗った。
スクーターで追い駆けて、ようやく二人は前を走るリディアに追いついた。
——こんな重そうなローラーを引っ張ってどうしてこんな速度で走れるんだろう……
「お嬢様~!!」
リディアの横を並走しながら、エミルが声をかける。
「あら、エミル。……フラムまで。ついてきましたの?」
「はい。フラム君が見学したいらしいので……」
「そう……。別に構わないけど、危険ですわよ?」
——き、危険なトレーニングって何……!?
フラムは内心でツッコミを入れる。
しかし、もし誤ってこのローラーに轢かれれば多分ふつうに死ぬ。——確かに、危険なのは間違いない。
リディアは、ローラーを引いたまま山道を軽々と登っていく。
何度も上り下りを繰り返しているのだろう、山道はローラーによって綺麗に整地されていた。
ある程度まで山を登ったところで、リディアはようやく足を止めた。
——休憩かな? とフラムは思ったが、そうではなかった。ここまで引っ張ってきたローラーを一旦道端に置くと、リディアはおもむろに森の中へと入っていく。
エミルもスクーターを止めて、二人でリディアの後を追った。
静かな森の中に、打撃音が響き渡る。
一本の木の幹に向かって、リディアは黙々と正拳突きを繰り返していた。
「————ハッ!!」
気合の声とともに、リディアの拳が幹に突き刺さる。メリメリと音を立てて木の幹が裂け、大きな音を立てて地面に倒れた。
「す、すごい……」
フラムは思わず感嘆の声を上げる。
「一本倒すのにこんなに時間がかかっているようではまだまだですわ。一撃で倒せるようにならないと」
周囲には同じように折れた木が何本もある。
それを見るだけでも、彼女のこれまでの努力が伺えた。
「……リディア様は、毎日こんな努力をなさっているんですね」
「ええ、もちろん。心と体を鍛えるのは、淑女として当然の務めですわ。宮廷武闘大会までの残り少ない時間を無駄にはできませんもの」
さも当然というように、リディアは言った。
決闘は淑女の嗜み。
強さと美しさを兼ね備えた者こそ本物の淑女である。肉体と精神を鍛えるのは、貴族令嬢としての務めであった。
「あの……、リディア様は次期皇帝の妃になるためにこんなに頑張っているんですよね。ルドルフ殿下にお会いしたことはあるんですか……?」
フラムは尋ねた。
「いえ、直接お会いしたことはまだありませんわ」
「……会ったこともない方の妃になりたいんですか?」
「結婚は家同士の繋がりですもの。貴族社会では、時として個人の感情よりも家柄の方が大切ですわ。マイヤール家の存続は私にかかっておりますの。……私は、私を育ててくれたお爺様に恩返しがしたいんですのよ」
「そう……ですか……」
フラムはどこか釈然としないような顔で頷いた。
「もしかして心配してくれておりますの? 大丈夫、ルドルフ殿下はきっと素敵な方ですわよ」
「そ、……そうですね。……僕も、リディア様を応援しています。微力ですけど、僕にできることがあればお手伝いさせて下さい」
「ありがとう、フラム」
リディアは、そう言って微笑んだ。
*****
その頃、ローズマリーは皇帝の居城であるフォルス城に足を運んでいた。
——最近、第一皇子ルドルフが病気がちであるという噂を耳にしたからだ。
「やあ、ローズマリー。よく来てくれたね」
ローズマリーを出迎えたのは、ルドルフではなく弟のフランツだった。金髪碧眼の美青年で、顔は兄とよく似ている。
「フランツ殿下、お久しぶりでございます」
ローズマリーは礼儀正しく頭を下げて挨拶する。
「そんなに堅苦しくしないでくれ。……昔は三人でよく遊んだ仲じゃないか」
フランツは言った。
「ええ……、そうでしたわね」
ローズマリーは、第一皇子ルドルフとも弟のフランツとも幼なじみだった。
幼少期には、フォルス城の庭園でよく一緒に遊んだものだ。——もっとも、成長するに従って、身分の違いで自由に会うことはできなくなってしまった。
「ルドルフ殿下はお元気かしら? できたら、お顔を拝見したいのだけど……」
「……残念だが、兄は今日も体調が悪くて臥せっている。申し訳ないが、また後日にしてもらえるかな」
「そう……、分かりましたわ。お大事になさって下さいとお伝えくださいまし」
踵を返そうとしたローズマリーを、フランツは呼び止めた。
「せっかく来たんだ、夕飯でも食べていかないか?」
「……申し訳ないけれど、辞退させて頂きますわ。武闘大会も近いので、食事はコーチの指導に従わなくてはなりませんの」
ローズマリーはそのお誘いを丁重にお断りする。
「そうか……、残念だよ。……君はやっぱり、兄さんの方が好きなんだね」
「あら、そんなことはございませんわ。……それに、私個人の感情なんて関係ないのではなくて? ルドルフ殿下の婚約相手は、今回の武闘大会の結果も加味して皇帝陛下がお決めになることですわ」
「……では、もし仮に僕が皇位継承者になったとしたら?」
フランツの発言に、ローズマリーは眉をひそめた。
「まあ……、その発言は皇帝陛下の耳に入ったらただでは済まなくてよ?」
「もし仮に、だよ……」
「意味のない話ですわね……。ご自分の婚約相手については、自分でよく考えてお決めになるといいですわ。フランツ殿下」
ローズマリーはフランツを冷たく突き放した。フランツは不満げに眉根を寄せる。
「……僕と兄さんに、どんな違いがあるって言うんだ」
第一皇子ルドルフの婚約者は、即ち次期皇后となる。ルドルフやローズマリーがどう思っていようと、個人の感情で決めることなどできない。
——だから、私は実力でルドルフの婚約者の座を勝ち取ってみせますわ。リディアにも、他の令嬢たちにも負けるわけにはいかない。
それが、ローズマリーの戦う理由だった。
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