第3話 淑女に凶器を向ける時は、命の覚悟をなさいませ!!

 宮廷武闘大会。

 それは、ネオエルシア帝国において五年に一度開催される最強の淑女を決める戦いである。

 貴族令嬢の中でも選ばれた淑女だけが出場できる由緒正しい大会であるため、その参加権を得られただけでも大変名誉なことだ。


 特に、今回の大会は次期皇帝の妃を決めるための戦いであると社交界では秘かに噂になっていた。

 現皇帝ゲオルク=ヴァイスハイトの長男である第一皇子ルドルフは今年で18歳になる。一歳違いの第二皇子フランツも17歳だ。そろそろ婚約者を決めてもおかしくない。


 リディアは、先日のローズマリーとの戦いを思い出していた。

 ——思い返せば、ローズマリー様はずっと手加減していた。彼女が本気だったなら、私は最初の一撃で倒されていたはずだ。最後に大振りな攻撃をして隙を見せたのも、恐らくはわざと……。あの場面で私が一歩を踏み込める人間かどうか、試したのだろう。


 ——悔しい。もっと強くならなくては。

 幸い、武闘大会まではまだ少し時間がある。リディアは毎日のトレーニング量を増やし、朝の走り込みの距離も15kmに伸ばした。

ルートを変えて、いつもとは違う道を走っていたその時だった。


 朝の静けさを切り裂くように、甲高い悲鳴が聞こえた。

「た……、助けて下さい……!! 誰か……!!」

大通りの向こう側を、ボロ布をまとった一人の少女が走っている。その後ろを、黒服の男二人が追いかけていた。

少女はあっさりと男達に捕まり、ほろの付いたトラックの荷台に押し込まれる。


「…………!!」

 リディアは迷うことなく大通りを横切り、走り出したトラックの前に飛び出した。

「なっ……!?」

 運転手が驚いて咄嗟にブレーキを踏むのと、リディアが拳を繰り出すのはほぼ同時だった。


「————ハッ!!」

 リディアの拳がトラックの前面を大きく凹ませる。電柱にでもぶつかったかのような衝撃で、正面の窓ガラスは粉々に砕け散った。


「なっ、何だ!? 事故か……!?」

 突然の衝撃に驚いて、先ほどの男たちが荷台から降りてきた。

 リディアは一気に男の眼前に駆け寄ると、その勢いのまま男の顔面に容赦なく右ストレートを叩きこんだ。前歯を折られ、鼻から血を吹きながら男は数メートル吹き飛ばされる。


「く……、くそっ……!!」

 その間に、もう一人の男がナイフを取り出した。

だが、リディアはナイフを持った男の手を素早くひねり上げると同時に、みぞおちに膝蹴りを入れる。そして、とどめに右ストレートで顔面を潰した。鼻骨とその周辺の骨が砕ける感触が拳に伝わってくる。


「……馬鹿ですわね。淑女に凶器を向ける時は、命の覚悟をなさいませ」

 男の返り血を浴びて、リディアは凶悪な笑みを浮かべた。


 リディアがトラックの荷台を覗き込むと、少女は荷台の片隅で震えていた。

「あなた、大丈夫? 怪我はない……?」

 優しく声をかけると、少女はようやく顔を上げた。

「は……、はい……」


 リディアが手を差し伸べると、少女はおずおずとその手を取った。

「もう大丈夫ですわよ」

「あ……、ありがとうございます……」


 最初にリディアに殴り飛ばされた男は、まだ何とか生きていた。よろよろと立ちあがった男を、リディアは睨みつける。

 魔物にでも睨まれたかのように、男はすくみ上がった。


「……この子を置いて黙って立ち去るなら見逃してあげても良くってよ?」

「ひっ……、ひぃ……!!」

 情けない声を上げて男はガクガクと頷き、リディアに顔面を潰された男の体を引きずって荷台に乗せる。気絶していた運転手を叩き起こし、トラックは一目散に逃げ去っていった。


「何だったのかしら、あの連中……」

 ——治安の良いこの街で人さらいだなんて。


 助け出した少女の姿を、リディアは改めて見つめた。

 まだ12歳くらいの可愛らしい少女だ。淡い金髪で、横髪が肩くらいまで伸び、後ろ髪は短い。長い睫毛に縁取られた瞳は綺麗な碧色だった。


「あ……、あの、助けて下さってありがとうございます。リディア様……」

 か細い声で、少女はリディアに礼を言った。

「私の名前を知っておりますの?」

「え……、ええ、まあ……。有名人ですから……」


「あなた、どこから来ましたの? おうちの場所は?」

「そ、それは……」

 少し言いにくそうに口ごもった後、少女は突然リディアに向かって頭を下げた。

「あ、あの……、実は僕、行くところがないんです……!! 雑用でも何でもするので、リディア様のお家で働かせてもらえませんか……!?」

「ええ……?」

 突然の申し出に、リディアは困惑した。


「……残念だけど、使用人は間に合っておりますのよ」

「そ、そこを何とか……!! お給料もいりませんから……!!」

「こ……、困りましたわね……」


 ——この子、孤児なのかしら。着ている服もボロボロだし、もしかしたらどこかの孤児院から逃げ出してきたのかもしれない。

 リディアは何となく過去の自分と重ねてしまい、少女を放っておくことができなかった。


「……仕方ありませんわね。あなた、名前は?」

「フラムです……!!」

 ぱっと顔を輝かせ、少女はそう答えた。



 *****


「……それで、連れてきてしまったのか」

 朝食を食べながら、ジョセフは少々呆れたように言った。


「すみません、お爺様。どうしても放っておけなくて……」

「まあ、連れてきてしまったものは仕方ない。ちょうど住み込みのメイドがほしいと思っていたところだよ」

 ジョセフはそう言って、温和な微笑みを浮かべる。


 ちょうどそこへ、マイヤール家のメイドのエミルがフラムを着替えさせて戻ってきた。

 メイド服は成人女性用しかないため、フラムには少し丈が長くてブカブカだ。——後で裾上げが必要ですわね。

「こ、これからお世話になります!! フラムと申します……!! よ、よろしくお願い致します……!!」

 フラムは緊張気味に頭を下げる。


「あら、よく似合っているじゃない」

 リディアは言った。そこで、エミルが少し言いにくそうに口を開く。

「あのぅ……、この子、女の子じゃありませんよ……?」


「「え!?」」

 リディアとジョセフは同時に声を上げた。


「……あ、あなた、男の子でしたの……?」

「あっ、はい……。僕、女だとは一言も……」

 申し訳なさそうにフラムは言った。色白で華奢な手足、睫毛の長い瞳、——どこからどう見ても可憐な美少女にしか見えない。


「困りましたわね。うちには男の使用人がいないから、服は女物しかありませんのよ。……注文するしかないかしら」

「……私の昔の服でも着るかね?」

「い、いえいえ、それはさすがに恐れ多いです……!! あの、僕のためにお手を煩わせるのは申し訳ないので、これで大丈夫です……!!」

 二人の言葉に、フラムは慌ててそう言った。


「そ、そう……?」

 ——まあ、似合っているからいいか。その場にいた全員が満場一致でそう思った。

 こうして、男の娘フラムはマイヤール邸で働くことになった。

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