第2話 高貴さとは、魂の気高さですわ!!!

 伯爵令嬢リディア=マイヤールの朝は早い。

 毎朝日が昇る前には身支度を整えて、10kmの走り込みを行うのが彼女の日課であった。


 決闘は淑女の嗜み。

 このネオエルシア帝国において、肉体を鍛えるのは貴族令嬢として当然の務めだ。


 リディアの長い髪が朝日を浴びて輝き、銀色の軌跡を描く。

市街地に入ると道は石畳で舗装され、家々からは朝食の準備をする良い匂いが漂ってくる。時折、家の窓から住民がリディアに手を振った。リディアはそれに微笑みで応える。


『決闘』の様子は市民たちに生中継されるため、リディアの顔を知る者は多かった。

現在のところ連戦無敗を誇るリディアにはファンも多く、グッズの売り上げも好調のようだ。


 走り込みを終えてマイヤール邸に戻ると、祖父のジョセフが出迎えてくれた。

「リディア……!! お前にローズマリー様から招待状が届いているぞ」

「まあ、ローズマリー様から……?」


 メイドがうやうやしく持ってきたポータブルデバイスから、空中に文字が投影される。

 美しい筆記体で記されたその内容は、お茶会への招待状であった。


 ローズマリー=エレンガーデン侯爵令嬢。

 この国において御三家と呼ばれる名門貴族の一つ、エレンガーデン家の令嬢である。聞くところによると、第一皇子ルドルフの妃候補の一人であるという噂だ。

 舞踏会などで何度か姿を拝見したことはあるが、直接言葉を交わしたことはまだ一度もない。

 同じ貴族とはいえ、格下のリディアが軽々しく声をかけられる相手ではないのだ。


 ——そんなローズマリー様がわざわざ私に招待状だなんて、一体どういう事かしら。

 怪訝に思ったものの、御三家とお近づきになれるこのチャンスを逃す手はない。リディアはすぐに招待を受ける旨の返事を送信した。



 *****


 エレンガーデン家は白亜の豪邸であった。

 大きな噴水を備えた広い庭園には、色とりどりの薔薇の花が咲き乱れている。


「本日はお招き下さってありがとうございます、ローズマリー様」

 ドレスの裾を広げ、リディアは礼儀正しく挨拶をした。


「来て下さって嬉しいですわ。初めまして、リディア。今日はどうぞ楽しんでいって」

 そう言ってリディアに微笑みかけるローズマリーは、絵に描いたような上流貴族の姫君だった。

 結い上げたブロンドヘアをきっちりと縦ロールにして、レースをふんだんにあしらった丈の長いドレスを身にまとっている。その気品ある立ち居振る舞いは、背景に薔薇が舞っているように錯覚するほどであった。

 ——この方が、ローズマリー=エレンガーデン侯爵令嬢。


 彼女のサロンに集まっているのは、いずれも上流貴族のご令嬢ばかりだ。皆、身のこなしが優雅で隙がない。——恐らく全員、強い。

 ローズマリーの実力も果たしていかほどのものか、リディアは測りかねた。


「ふふ……、そんなに怖い顔をなさらないで。まずはお茶を楽しみましょう? 良い茶葉を用意しましたのよ」

 リディアのそんな視線に気づいたのか、ローズマリーは柔らかく微笑む。


 薔薇の園に置かれた白いテーブルの上に、お茶の用意が整えられていた。食器はさりげなく高価なものが取り揃えられ、茶葉の香りも格調高い。

 しばらく当たり障りのない会話を楽しんだ後で、リディアはおもむろに切り出した。

「……あの、今日はどうして私のような者をお招き下さったのですか?」


「実は、以前から貴方のお噂はよく聞いておりましたのよ。——相当、お強いらしいですわね」

 優雅にカップを傾けながら、ローズマリーは言った。


「まあ、恐縮ですわ。ローズマリー様にそんなこと……」

 リディアはとりあえず無難に謙遜しておく。


「聞きましたわよ。次期皇帝陛下の妃になると宣言したそうですわね」

 不意に、ローズマリーが刺すような視線でリディアを見据えた。なごやかなお茶の席に、にわかに緊張が走る。

 ——なるほど、その件か。

妃候補の一人としては、その発言は聞き捨てならないということだろう。


「はい」

 リディアは素直に頷いた。周囲で談笑していた他の令嬢たちから小さなざわめきが漏れる。

「あなた、それがどういう意味か分かっておりますの? これまでのように格下の娘ばかり相手にしているわけにはいきませんのよ?」

「もちろん、分かっておりますわ」

 はっきりと、リディアは答えた。


「——実は、あなたのことは少し調べさせて頂きましたの」

 おもむろにローズマリーは言う。

「えっ……」


「あなた、ジョセフ=マイヤール伯爵と血の繋がりはないらしいですわね」

「ど……、どうしてそのことを……」

 リディアは動揺した。——彼女は、マイヤール伯爵家の養女だった。


「ふふ、我が家の情報網を舐めないで下さいまし。あなた、本当は貴族などではなく、どこぞの卑賎の生まれなんですってね? そんな者が、次期皇后の座を狙おうだなんておこがましいとは思いませんの?」

 ローズマリーは意地悪く嗤う。

 しかしリディアは一切ひるまなかった。


「……確かに、私は孤児院育ちですわ。本当の両親の顔も知りません。でも、お爺様はそんな私を引き取って貴族としての教育を施して下さいましたの。——生まれなんて関係ありませんわ。高貴さとは、魂の気高さですわ……!!」

 毅然と、そう言い放つ。


「なるほど……、あなたの気持ちは分かりましたわ。では、その決意が口先だけのものでないか、私が確かめて差し上げますわ」

 ローズマリーが、スッと椅子から立ち上がった。

「ええ、望むところですわ」

 リディアも立ち上がり、そして、


「「——決闘よ!!」」


 二人で同時に決闘を宣言した。

『決闘を受理いたしました』

 機械音声と共に、薔薇の庭園に四本の円柱が出現する。二人が円柱で囲われた空間に移動すると、円柱から円柱へとレーザー光が照射された。これによって、決着がつくまで誰も外部から二人の戦いに干渉できなくなる。


『——さあ今日も始まりました!! 舞台はエレンガーデン邸薔薇庭園!! 対戦者は御三家の一角、麗しき薔薇の姫君ローズマリー=エレンガーデン侯爵令嬢!! そして我らが『鮮血令嬢』リディア=マイヤール伯爵令嬢だ~~!!!』

 ホログラムで出現した実況者がマイクを持って元気よく対戦者の紹介を行った。

『実況のシトリンっス!!』

『……解説の神崎です』


 決闘開始のゴングが鳴っても、ローズマリーはそこに悠然と立っていた。

 ドレスを脱ぎ捨てる気配はない。


「どうぞ、どこからでもかかって来なさいまし」

 余裕の口調で、ローズマリーは言った。


「では、……お言葉に甘えさせて頂きますわ!!」

 リディアは床を蹴って一気にローズマリーと距離を詰める。——様子を見るなんて生ぬるいことはしない。最初から全力の右ストレートだ。

 確実にローズマリーの顔面を捉えたはずだったが、リディアの拳は空を切った。

 ——残像!? ……避けられた!!


「悪くないスピードですわ……!!」

 ガラ空きになったリディアの脇腹を狙って、ローズマリーの中段蹴りが飛んでくる。

「くっ……!!」

 ギリギリで何とかガードしたものの、防ぎきれずにダメージが入る。


「ふふ、反射神経も悪くありませんわね。……行きますわよ!!」

 ローズマリーは長いスカートをひるがえし、次々と蹴りを繰り出してくる。その動きに合わせて、ボリュームのあるレースの下地が華やかに舞い踊る。


『ローズマリー様、重そうなスカートをものともしない連続攻撃!! リディア様が押されている!!!』

『あのスカートのせいで蹴りの軌道が読みにくくなっていますね。それも計算でしょうか』


 ——まずい、どこから蹴りが飛んでくるか分からない。

 長いスカートに邪魔をされて蹴りのモーションが見えにくく、軌道が読みにくいためどうしても対応が後手に回る。ガードはしているものの、少しずつダメージが蓄積されていく。

近づくことすらままならず、リディアは少しずつ後退させられていた。気が付くと、リングの際であるレーザー光がすぐ近くにある。


『リディア様、ついに追い詰められてしまった~~!!!』

『ちなみに、あのレーザー光に触れるとダメージが入ります。……気絶しない程度に痛いですよ』


 ローズマリーはニヤリと笑い、とどめとばかりに蹴りを放ってきた。

 リディアはしかし、ガードではなく前に踏み込んだ。


「…………!?」

 ローズマリーは一瞬困惑の表情を見せる。


 ——ローズマリーの攻撃を見てから動いたのでは間に合わない。だから、リディアは賭けたのだ。

 とどめを刺す瞬間というのは最も隙が生まれやすい。——恐らく次に来る攻撃は大振りの上段蹴り。

 リディアはその予想に賭けて前に踏み込み、必殺の右ストレートを放つ。


 リディアの拳は、今度こそローズマリーの顔面を捉えた。

 ——しかし。


 ローズマリーは膝を返して蹴りの軌道を変えた。避けたはずの上段蹴りが回し蹴りのような軌道に変化し、リディアの側頭部にヒットする。

 その結果——


『あ……、相打ちだ~~~!!!!』

 二人は互いの攻撃を受けて、同時に倒れた。


『さ、最後何が起こったんスか!?』

『ローズマリー様が蹴りの途中で攻撃の軌道を変えたんですね……。右ストレートがヒットする直前にその判断ができるのは、さすが御三家の令嬢と言えるでしょう。しかし、ローズマリー様の攻撃を恐れず前に踏み込んだリディア様の度胸も見事でした』


『最後まで目が離せない戦いでした……!! お二人の今後の戦いが楽しみっスね!! ではまた次の決闘でお会いしましょう~!!』

 ホログラムが消えると同時に、レーザー光も消えて円柱が格納されていく。


 ——勝てたと思ったのに。

 地面に手をついて、リディアは悔しさを噛みしめていた。——これが、御三家の実力。これまで戦ってきた娘達とは格が違う。


「あなたの右ストレート、見事でしたわ」

 レースのハンカチで鼻血を拭きながら、ローズマリーが立ち上がる。そして、倒れたリディアに向かって右手を差し出した。


「ローズマリー様……」

 リディアはその手を取って立ち上がる。

 固唾を飲んで見守っていた周囲の令嬢や使用人たちから拍手が起こった。


「認めますわ、あなたには次期皇帝の妃候補となる資格があると。——これを」

 ローズマリーは、リディアに一通の封書を手渡す。

「これは……?」


「今度開催される宮廷武闘大会への参加権ですわ。——この国で最強の淑女を決める戦いですわよ」

「最強の淑女……」

「ええ。この大会で勝ち残れば、皇族へのお目通りが叶いますわ。そこでもし殿下に気に入られることがあれば、……妃となることも夢ではないかもしれませんわね」


「…………!!」

「勝ち上がって来なさいませ、私の所まで。——あなたとの再戦を、楽しみにしておりますわよ」

「はい。……ありがとうございます、ローズマリー様」

 互いをライバルと認め合った二人は、もう一度固い握手を交わした。


 ——私は絶対に勝ち抜いてみせる。孤児だった私を引き取って育ててくれたお爺様のためにも、次期皇后になってみせますわ……!!


 ジョセフ=マイヤール伯爵はすでに老齢であり、実子は不慮の事故で亡くなっている。

 マイヤール家の存続は、リディアの肩にかかっていた。

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