第四話 『緑の忠義の騎士、バシュルロ 3/5』




 公務が終わり、私はいつもの居室に帰ってきた。


 今日はこれから、私的な自由時間だった。私は趣味の魔法研究をするつもりで、彼の姿を探した。


「バシュルロ。どこへ行ったのでしょう?」


 いつも私の執務机と、本棚の間にいるはずの彼の姿が見えなかった。


 バシュルロは魔法に造詣が深く、魔術的な肉体も持っていて、よく研究を手伝ってもらっていた。彼の無数の蔦の触手は、つらつらと浮かぶ考えのメモを取るのにも、最適である。


 おかしいですね、ラットゥにせがまれて遊びに行ったのでしょうか。今日は精神に作用する魔法に関した研究を進めたかったのですが、困りました……。


 私の机の上に、小さめの箱が開いて置かれていた。


 ブローチだった。花様にあしらわれたブローチは、装飾の中心に透明なガラスがはめ込まれ、中にはほんの小さな、欠片のような白い石が入っていた。


「これは。──ああ、例のものですね。やはりすごい魔力を感じます……」


 ごくりと、つばを飲む。


 大陸南方から持ち込まれたという、不思議な魔石だった。


 通常は真っ黒なはずのそれは、大理石のような白さがあった。


 人より魔術に詳しい自負はある。


 を、初めて御用商人から見せられた時私は、無限とも思える尽きせぬ魔力量と、それ以上に恐ろしい禍々しさを感じ取った。


 人間がこれを使っては、いけない。という確信。


 魔石の保有する魔力量は、ほとんど石のサイズに比例するが、ほんの小石が1メダト(1.27m)の巨岩の魔石をも超える力を湛えて、内部で高速に循環……いえ、荒れ狂っている……。


 全てが正体不明だが、しかし逆に、これを徒に人の世に流通させてはいけないとも思った。私は買い取ることにした。


 商人はこのまま渡すのは王妃様に無礼にあたるとして、ブローチに仕立てて納品すると言った。


 それが今日、届いたのだろう。


「厳重に仕舞っておく必要がありますね。個人的な興味はありますが、おいそれと手を出していいものとも思えませんし」


 魔術的な封印を施して、頑丈な箱に入れて。二重の鍵くらいはつけましょう。


 それを宝物庫に、信頼できる門番に見張らせて。


「一応バシュルロにも見てもらった方がいいでしょう。あの子の魔法体質なら、もっと効果的な封印方法があるかも……。えっ?」


 背後で何かが聞こえた。


 振り返れば、ドアが開いていた。


 私の部屋の戸口には──


 真っ黒い『影』が立っていた。


「……え……!?」


 人の形をしているそれは、背の高い男性ほどの大きさ。手には黒い剣を持ち、黒い鎧をつけていて、私を見ていた。


 不明な『影』が、私の部屋に入ってくる。


 私は、部屋の奥へ後ずさる。手の中のブローチをポケットに入れた。執務机を盾にする。


「だ、誰!? 来ないでください!」


 突然現れた歪んだ『影』が、私に向かって、不気味に手を伸ばしてくる──。


「ひっ……! 誰かいないのですか!? 誰か、助けてっ!」


 私は悲鳴を上げた。怖いです、来ないで、メイドか誰か、衛兵はどうしたのですか。


 バシュルロ。ラットゥ。


 トールっ……!!


「──王妃っ!!」


 少年の声と緑色の太い蔦が、室内へ飛び込んできた。黒い影の男を触手が打ち払い、散々に壁に叩きつけた。


 ワッペンをぶら下げた薔薇が鉢を抱えて、あわてて部屋の中へ入ってくる。ワッペンの中の彼は泣きそうなくらい、真っ青になっていた。


「王妃、無事ですか!」


「バシュルロ! ええ、私は大丈夫……」


 だが、信頼する親友の顔を見た瞬間、私の腰は抜けてしまった。バシュルロの蔦が、素早く私の体を支えた。


「こちらへ早く。俺の後ろに隠れて」


「は、はい」


 バシュルロの棘を引っ込めた蔦が、私の手を握って引いた。自分の体で私をかばうようにして、部屋の外へ。


 黒い影の男はめり込むほどに叩きつけられていたのに、何事もなかったかのように起き上がってくる。暗くてよく見えないが、その目は確実に私達の姿を捉えていた。


 私達は館の回廊を逃げた。逃げ出した私達の後を、黒い影が追いかけてくる。


「バシュルロ、あれは一体何です? トールとラットゥは!?」


「王様と王子は無事です。メイドや、衛兵にも問題はない。まさかここまで易々と侵入されるとは……」


「何か知っているのですか?」


 後方を睨むバシュルロは質問に答えず、私達は角を曲がる。


 だがこちらは身重の女と、鈍足の薔薇の魔法生物。普通の人間でも走れば簡単に追いつかれてしまうだろう。


 時折、バシュルロが蔦を伸ばして回廊に緑の壁を作っていき、謎の影の足止めを図る。


 蔦の壁はあっという間に真っ白に染まり、頑丈そうに固まる。


 が、影は剣で軽々と、壁を斬って破壊してしまう。


「くそっ! なんなんだ、あいつは! 岩石なみの最高硬度にしてるんだぞ、魔法も使わずなぜ斬れる!」


「……こんなこと出来たのですか、あなた。てっきり歩くだけかと」


「今そんなのは──ああ、つまりだ。例えばいざという時、こんなことが出来れば、かっこいいだろ?」


 ワッペンの中のバシュルロが、引き攣りつつもいたずらっぽく笑った。


 回廊の終端に着く。そこの部屋のドアを、バシュルロの触手が開く。


「早く入って、王妃。王様達もここにいます」


 中へ飛び込むと、そこにはトールとラットゥの姿、メイド達もいた。館を守る衛兵も立ち並んでいる。


 ──ああ、よかった。みんな無事でした。


「バシュルロ。あなたも早く中へ避難して」


「いいえ。俺はここで、やつを迎え撃ちます」


「え?」


「この部屋には一歩も入れない。絶対に止める」


 ざわざわと、バシュルロの緑の体が大きく膨れ上がった。


 彼の鉢から無数の触手が飛び出し、それどころか壁や窓、柱の隙間からも、数え切れないほどの蔦が伸びてくる。


 薔薇の花弁の、彼の頭が振り向いて、ワッペンの中で彼が微笑んだ。


『青年』の男の子が、私を安心させるように笑っていた。


 ──あら? 何かが、おかしいような……。


「必ず貴女と、貴女の心を守る。拾ってもらった恩を、救ってくれた借りを。俺は返さなきゃいけなかったんだ」


「……バカなことを言わないで下さい、バシュルロ! やめて!」


 手を伸ばした私を、緑の触手が捕まえて奥へ押しやった。後ろにいたトールが私を優しく抱き止めた。


「王妃! しっかり」


「トール、彼を止めて下さい! いけません! 彼は……」


 ふと周囲を見て、私は異変に気付いた。部屋が真っ暗になっていた。


 窓の外には、月と夜空が浮かんでいた。ついさっきまで昼下がりの午後だったはずなのに。


「これは。トール、ラットゥ?」


「──ああ王妃、どうしたんだい。こんな夜更けに。眠れないことでも?」


「──おかあさま。ふあ~あ……ぼくねむいです。一緒に寝てくださいますか?」


「え、え……──」


 暗闇の中、衛兵達は固まって動かない。メイド達は壁に並んで、ただ控えている。


 バシュルロが毒づく声が聞こえた。部屋の前に立つ彼を見ると、申し訳なさそうな顔をして私を見ていた。


「すまない……だったんだ。『中』の暮らしが脅かされるほどの外敵が来るとは、思ってなかった。こういう場合のみんなの対応を、組み込んでいなかった」


「バシュルロ。あなたは何をして、うっ……!」


 バシュルロの蔦が私の口を塞ぐ。同時に甘い香りがして、目の前がふらついた。


 視界が回り、強い眠気が襲ってくる。


「大丈夫。俺がここを守るから。目が覚めたら、全部元通りだって約束するから……」


 私は、届かない手を伸ばす。


 道の向こうから、黒い影がやって来た。バシュルロの全身から、無限にも見える触手が伸びた。


 彼を通路に残したまま、扉が閉められて──






 ────────────────






 目を開くと、見慣れた天井があった。


 窓の外から小鳥のさえずりが聞こえてくる。


 肌触りの良いシーツが体に触れる。隣を見ると、愛しい夫、トールがまだ寝息を立てていた。


 ああ──そういえば昨日は、ずいぶん遅くまで起きていたんでした。


 二人で横になって長く話し込んで、彼は私を気遣ってくれて。


 起こしたら悪いですね──私はトールにこっそりキスをすると、静かにベッドから降りて私達の寝室を後にする。外に控えていたメイド達が、着替えを手に待っていた。


 隣室で着替えを終えると、私は自分の居室へ向かう。


 ドアを開けて中へ入るとそこにはバシュルロが、小さなラットゥを蔦で抱え上げてあやしている姿があった。


「ほれほれ高いぞぉー。おっ、おはようさん王妃。よく寝れました?」


「おかあさま! おはようございます!」


 朝から元気いっぱいの二人を見て、私は微笑みを返した。


「おはようございます二人とも。今日はいい天気ですね」


 さんさんと注ぐ太陽は窓から注ぎ、きらきらと二人を照らしていた。


 バシュルロから降りてきたラットゥが、私に抱きついた。


「ねえ、おかあさま。今日は城のおそとへ、ピクニックにいきませんか? らするろが、とってもいいばしょを教えてくれたんです。お花ばたけがあるそうです」


「あら、素敵ですね。お昼を作って行きましょうか」


 今日は公務もないはずだ。視界の端でやれやれと、バシュルロが肩を竦めていた。


 ピクニックに行っている間は花弁をむしられずに済む、ということだろう。


「あっ、ぼく朝ごはんがまだでした。食べてこなきゃ」


「じゃあ私と一緒に召し上がりましょうか? 御着替えをしていらっしゃい」


「はい!」


 まだ寝間着のラットゥが部屋を飛び出していく。見送るバシュルロが、子守に疲れたと言わんばかりだった。


「朝から押しかけてきて遊べと。あいつの元気はどこから出てくるんだ?」


「そういう盛りですよ。いつもあなたの話をするのですよ、あの子」


「未来の王様にモテモテってわけですか。そりゃ将来も大事にされそうで結構なことで。俺の頭を、むしる事以外はな」


 ワッペンの中の青年が、皮肉っぽく言う。


 大きく成長した彼は幼い少年の風貌から、立派な大人の顔になっていた。


 以前の雰囲気をよく残しつつも、美男子と言っていい姿がワッペンの中にいて、呆れた顔をしてドアを見ていた。


 私は彼の顔をじっと見つめた。視線に気づいたバシュルロが振り返った。


「どうしました、王妃? 何か付いてます?」


「いいえ。あなたもずいぶん生長したと思って。最初に会った時は、まだ幼い少年のようでしたのに」


「ああ──」


 ワッペンの魔道具は、持ち主の年齢を人間に変換して、表現する仕組みだ。


 見た目はどう変換すればいいのか分からなかったため、とりあえず薔薇の中で特に美しい花づきのものを、人間の美形として表現することにしていた。


 彼が王宮に来て、ずいぶん過ぎた気がする。私はまじまじと彼を見る。


「バシュルロ。あなた、好きな人……いいえ、好きなとかいます?」


「……は?」


「以前、雄しべと雌しべ、と言っていたような。あなたも年頃に見えますし、よければ私がよさそうな株を見繕っても?」


「大きなお世話ですよ! そりゃあ俺はそれで増えるけど!」


 バシュルロはもっと呆れた顔をした。私は笑った。


「まったくもう。下らない話はいいですから。王妃も早く朝食を……。──」


 バシュルロの表情が、急に変わった。


 険しい目をドアの先へ向けている。


「バシュルロ?」


「王妃。ここにいて。部屋から決して出ないで下さい。俺が戻ってくるまで」


 ──バシュルロの蔦がみなぎり、巻きあがった。彼が足を使って立ち上がる。


「どうしたのです。急に」


「すぐに戻ってきます。大丈夫です」


 止める間もなく、彼は部屋を出ていった。私は呆気に取られながら見送った。


 扉が閉められた。


 私はしばらく、立って待っていた。だが彼の音沙汰はなかった。


 一体どうしたのでしょうか? バシュルロは、何が気になって出ていったのでしょう。


 ただ立っていても仕方ないので、私は自分の居室のドアノブに手を伸ばす。だが、バシュルロの言葉が気になった。


 私の親友が決して出ないで、と言った。


 彼は、そんな変なイタズラをする子じゃない。


 判断がつかず、諦めて、椅子に座って待つことにした。いつもの私の執務机に腰を下ろす。


 ……。


「……あっ……?」


 前を向いた私の視界に、黒いものが、あった。


 黒い男の『影』──だった。


 気がつけばそれが、いつの間にか私の部屋に入り込んでいて、私の目の前に立っていた。


 私は、ひゅっと息を呑んだ。呼吸が止まる。


 顔から血の気が引いていくのが分かった。体が、恐怖で震え出した。


『影』の口が開いた。


 真っ黒い手が、私の顔に近づいてくる──金縛りにあったように体が動かなかった。


 嫌。来ないで。助けて。


 もう逃げられない。だめです、このままじゃ……!


 私は目をつぶった。声を出せない代わりに、お腹を守るように体を固くした。


 来ないで






「──目を覚ませ」






 ────────────────




 え?




 ────────────────



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る