第四話 『緑の忠義の騎士、バシュルロ 2/5』




「またですか? いいかげんにして下さいよ、!」


 の頼みに、植木から延びたいくつもの緑の蔦が、怒りを表現してくしゃくしゃにうねった。


 咲き誇る薔薇のまんなかのワッペンに、少年の顔があり、それが赤くなって、お目目をぎゅっとつぶって叫んでいた。


 怒ってもかわいい彼だった。


「ラットゥはあなたが大好きなのですよ。ですから、お願いです!」


「はあぁぁ。あなたには分かりませんよ。毎度大事な花弁を、子供に無遠慮にむしられる側の気持ちはね」


「それはだめってよく教えておきましたから。あとで、魔力たっぷりの栄養剤あげますから。あの子と遊んであげて、ね?」


 頼み込む私に、ものすごく迷惑そうな表情を浮かべつつも、やがて彼は言った。


「……三本。栄養剤三本で手を打ちましょう」


「ほんとう!?」


「昼までですよ。さっさと連れてきてください、ドアの向こうにもういるんでしょ」


 お見通しだったようだ。私は居室のドアを開ける。


 栗色の髪の小さな男の子が立っていて、外から中を覗いていた。


 くりっとした愛らしい青い目が、期待と不安でどきどきして、私を見上げる。


「おかあさま? いいって?」


「ええ、ラットゥ。お昼まであなたと遊んでくれますって」


「やったぁ!」


 男の子、ラットゥ──ラットゥ=イルベルト第一王子は笑って飛び上がり、いちもくさんに居室に飛び込んだ。


ー! あそぼ!!」


「待て待て待て!? 今、棘を仕舞うから待て!」


 彼が触手のような緑の蔦から、薔薇の棘を体内に引っ込める。無防備に突っ込んできたラットゥの体を受け止めた。


「危ないだろ! まったく、こいつめ。それに俺の名前はバシュルロだって言ってるだろ、ラスルロじゃない」


「あはは! あははっ!」


 笑う王子の体を、緑の触手が軽々と持ちあげていた。


『緑』のバシュルロ。


 薔薇の体に、意思を持つ魔法生物。


 公的には私直属の従騎士、私的には私が一番信頼する友達。そして私の大切な家族の一人。


 緑色の触手に抱えられたラットゥが、花弁につけられたワッペン状の布に向かって言った。


「ね、らするろ。変な顔して?」


「だから……にらめっこか? ほれどうだ」


「ぷーっ!」


 革のワッペンに描かれた少年が変顔すると、ラットゥが吹き出す。


 この表情を現すワッペンは、私が作ってバシュルロに与えた魔道具だった。


 人間と違って、感情を表現しにくい薔薇の魔法生物であるバシュルロは昔、人々に不気味がられ敬遠され、虐げられていた。


 表情と音声機能をつけることで、人と変わらない意思疎通ができるようになった。


 ある日、王宮の御用達商人が、見世物のバケモノとして、彼を連れてきた。


『手を叩けば動きます。面白いおもちゃでしょう? いかがですか』金欲を瞳に浮かべた商人は言った。


 私には、違和感があった。小さな植木鉢に植えられたその薔薇には、ちゃんと意思があるように見えた。


 持ち主がいつ手を叩くのか、怯えながら注意深く見ている、小さな動物のようだった。


 狭い鉢に押し込められ、弱ったように首を垂れる小さな赤い薔薇が、まるで声も出さずに泣いているように……。


 私はすぐに薔薇を買い上げた。


 深く大きな鉢をメイドに用意させ、土には私の魔力をよく流し込んで馴染ませた。私に魔法の知識が豊富だったのが、幸いした。


 植え替えられ適切な栄養と日光を与えられた薔薇は、みるみるうちに体を伸ばし、小さな株がわずかな間に私の背丈を超えるほどになった。


 緑の蔦の触手が水を使って、机の上に文字を書いた。


『名はバシュルロ』 『助けてくれてありがとう』 『本当に』……。


 彼は確かに意思があり、想像以上に知恵があった。


 ──ラットゥを抱えたバシュルロが、自分の触手を足にして『立ち上がった』。


 彼が植えられた鉢は前よりさらに大きくなっているが、今のバシュルロは子供を抱えた上で自分の鉢の重さなどものともしない力があった。


 植物だからか走ったりはできず、持久力もないけれど、庭先まで出歩けるくらいはできた。


「王妃、中庭に出てきますよ。天気もいいし」


「いってらっしゃい。あ、でも気をつけて」


「はいはい、『いつもの』ね。土がこぼれるから隅を歩くこと、他の部屋は立ち入り禁止・特に厨房付近──メイドと料理長がまじでキレるから」


 笑ってバシュルロとラットゥが、ドアへ向かう。


 その時、ノックの音が響いた。


 キィと開けて入ってきたのは、栗色の髪の成人男性。


 美しい顔立ち、だがどこか優しげ。そして、ラットゥと同じ青い瞳。


 キャメル色のウェストコートに、ボトムには白いブリーチを履いた、若い貴公子だった。


 王国を治める若き王。トーラスターク=イルベルト・ラ・アーコン三世、その人。


「あっ」


「やあ。王妃。ラットゥ」


「おとうさま!」


 私は顔が上気しそうになるのを抑え、恭しく礼をする。ラットゥは嬉しそうな声を上げた。


「陛下。ようこそおいで下さいました」


「あ、いや、王妃。私たちの仲だ、礼はしなくとも……」


 暖かに微笑み言いかけた彼の言葉が止まり、その眉がぴくっと動いた。バシュルロに気づいたからだろう。


「……」


「なんでしょう? 王様」


 バシュルロにつけられたワッペンの中の少年が、じとっとした目を彼に向けていた。


「礼の一つもできない観葉植物を、寛大にも許す余に感謝すべきだな。お前は」


「植物に封建制持ち込まれても困るんですよ。ウチはそういうのやってませんので」


 二人がバチバチと視線を戦わせる……。


 この二人はあまり仲がよろしくない。顔を合わせるたび、いつもこの調子だった。


「はあ……。やはり余としては、王妃の居室にお前がいるべきではないと思うのだ。どうだ? 庭を貸してやるから、植木鉢などやめて、そこに植え替わっては。いくら広く取っても構わないから」


「いや王妃の魔法研究の補助やってるんですから、庭に植わるわけにはいきませんて」


「しかしだな。やはりだな。その、お前は少年でも男で……いや正しくはそうではないのだろうが」


「あーまたこれだ。王様ちょっと、こっちこっち」


 二人が隅に行き、ごそごそ内緒の話を始める。


「彼女は余の……なぜお前などが寝室近くに……!!」「……言ってるでしょ、俺は植物で……あのねぇ、薔薇はそもそも受粉や株分けで、対象として……」「なんだと! 対象外だと、侮辱するか!」「王様、声、声!」


「……ゴホン。これだから見る目のない植物……」「そういう問題でなく……そりゃ人間の感覚じゃとびきり綺麗なんだろうけど……」「今なんだと貴様、やはりっ!」「どうしろってんだよこの王様。だから俺は性別がさ……」


 わちゃわちゃしている。二人の仲が悪いのかいいのか、私は少し分からなくなる時がある。


 ……まあ漏れ聞こえてくるだけでも、何の話をしているのかは、だいたい分かるのですが。


 私とバシュルロは親友ですが、彼は雌雄同体の植物ですし。種族も違いますし。彼はまだ子供ですし。私は既婚者ですし。そういうのじゃないんですよ。


 ですが陛下は内心、納得していただけていないようでして。


 ワッペンに表示される顔を、男の子型にしたのが失敗だったかも知れません。


 ……実を言えば、嫉妬してくれる夫の姿を見たくて、私はつい知らない振りを続けているんですが。


 年端もいかない男の子相手にも嫉妬して、でもそんな自分を恥じらって隠そうとするあの人が、なんとも可愛くて愛おしくて……!


 ええ、私の悪い癖です。反省はできていません。淑女らしからぬ姿です。ごめんなさい陛下。


 ですが陛下は隠そうとしているのに、私から指摘してしまうのも悪いですし、ね? 陛下のプライドのためにも、正直になって仰って下さるのを待ちましょう、と。それまでは楽しみましょう、と。


 ──気づけばラットゥが私の隣にいた。バシュルロから降りていたらしい。


「おかあさま。らするろ、おとうさまに取られちゃいました。遊んでください」


「あら、かわいそうに。おいで」


「はいっ!」


 花が咲いたように、ラットゥが笑う。そして、私の少し大きくなったお腹に優しく抱きついた。


 そう。私は今、妊娠している。


 夫であるトーラスターク王陛下との子。第二子だった。


「えへへ、おかあさま。今、ここに赤ちゃんいるんですよね」


「ええ。これからお兄ちゃんになるのですよ。ラットゥ」


「どんな子かな。男の子、女の子? でもどっちでもきっと、とてもかわいいですよね。ぼくが守ってあげます」


 そう言って私の天使が愛らしく微笑む。ああ、なんて可愛いのでしょうか……!


「そういえば、朝に新しい製法でクッキーを焼いたのでした。ラットゥ、いただきますか?」


「ほんとですか!? おかあさまのクッキー、食べたいです!」


 私が手を上げると、部屋の外で待機していた専属メイドがクッキーのお皿を持ってくる。色とりどりのクッキーを見たラットゥが嬉しそうに声を上げて、一枚齧りついた。


「あらあら零れてしまいますよ」


「えへへ、ごめんなさい。おかあさまのお菓子おいしくて」


 ラットゥが笑う。


 私も笑う。


 ここはとても暖かい場所。


「雄しべと雌しべが……ああもう、ラットゥが飽きてお菓子食べてるじゃないか。勘弁してくださいよ、王様」


「口の利き方のなっていない魔法生物め。──こほん、王妃。体調はどうだ?」


 トーラスターク王。この国の王、そして私の夫、同時にラットゥとお腹の子の父親──彼が柔らかに微笑んで私に言った。


 精悍な顔立ちだが、どこか大型犬のような優しげな笑顔。気づかいの言葉に、私は嬉しくなる。


「ありがとうございます。近頃は落ち着いてきて食欲も出てきました」


「食べられるか? わかった。何が食べたい? 今すぐ持ってこさせる。飲み物はどうだい」


「い、いえ、あの」


「寒くないか? 次の子には暖房用に、専用の魔導士を雇うことも考えているんだ。前は初めてで失敗したと思ったからな。温風で室内を温めて、ああ、暑くなりすぎた時の為にもう一人必要かも知れないな?

 そもそも服に工夫があるといい。体温調節できる機能をつけた魔道具の服だよ。デザインは君が気に入る形になるよう留意してだね、いっそのこと君の服全部をその仕様で新調して。取り急ぎ100着ほど」


「……」


 本気で言っている目だ。


 心配のあまり、トーラスタークは少し暴走していた。ラットゥの時もそうだったが。


 そんな魔道具の服は恐ろしく高値になるし、100着も揃えたら国の財政すら傾きかねない。


「陛下。私は大丈夫ですから。そんなにいりません」


「だが……!」


 少し潤んだ垂れ目の瞳が私のそばにあった。私の手を取り、大きく暖かな掌で包んだ。


 結婚して何年過ぎても、彼は私を大切にしてくれる。


 何年過ぎても、私は本当に嬉しい。


 綺麗な青い瞳の……愛しいひと。私をこんなに心配して下さるなんて。動悸を理性で抑えつつ、私は彼の頬に手を伸ばした。


「大丈夫ですよ、トール。安心して。愛するあなたのおかげで私もラットゥも、お腹の子も……。あっ」


 はっと口を押さえた。


 つい立場を忘れ、『トール』と、トーラスタークを愛称で呼んでしまっていた。


 これは、二人きりでいる時だけのものだ。王と王妃という立場上、人前で公的な尊称を忘れてはいけない。


 メイド達が後ろを向いた。バシュルロは窓を眺めて良い天気だなー、とごまかしていた。ラットゥだけは特に気にしたふうもなかった。


「おとうさまとおかあさま、いつもなか、いいですね!」


「ら、ラットゥ」


 当のトーラスタークは──頬を赤らめて微笑んでいた。が、すぐに気づいた。


 私とトールの二人はわざとらしく咳払いする。


 そして目が合って。


 二人とも笑った。


 ここは幸せの場所。


 きっと、私の理想郷だった。


 私の名前はサーラーシュ=ワッツナーグ・イルベルト。この国の王妃。


 きっと今だけは、世界で一番、幸せな王妃。



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