第四話 『緑の忠義の騎士、バシュルロ 1/5』




「あんた、なに考えてんだ? そんなところに行っちゃいけない!」


 峠道。


 通りすがった、獣人のゴミ拾いの男だった。人と狼との混合と思われるはぐれ者の彼は、立ち去ろうとした樹壱の肩を掴み、包帯を巻いて隠した口元から警告を発した。


 樹壱は言う。


「そこに用がある」


 道の向こうからやってきた、スクラップでいっぱいの荷車を曳く男とすれ違い、少しばかり会話しただけだった。


 挨拶して、この先に何があるのかを聞き、そこへ向かうと行って、すぐに別れていくだけのはずだった。


 互いに名前も知らない。道端で、偶然すれ違っただけの間柄。


「まさか死のうとしているのか? あんたの事情は知らないが、何も怪物に喰われて死ぬことはないだろう?」


「そのつもりはない。気にしなくていい」


 丘というよりも屹立した山岳に近い場所、古いその廃街道は、岩石的な土質のせいで視界を遮る草木もまばらだ。


 高台より望む、眼下には──朽ちた古城の姿があった。


 過去に栄華を究めたであろう城下はほとんど崩れ去り、尖塔は折れ。


 人々の声で溢れたはずの表通りは無人で。植物に呑み込まれ、もはや当時の輝きは失せて。


 全てが灰の中に静かに横たわっていた。


 滅び。


 瓦礫の山……──


「……」


 樹壱は己の中で、小さく自問した。


 何を言おうが思おうが、過ぎたものを変えられないことだけは、確かだった。


「旅人さん。俺はせいぜいあの町の入口で、汚いスクラップを拾っているだけだが、それだってずいぶん危険なんだ。緑の触手のバケモノに遭遇して逃げたことは、一度や二度じゃない。悪いことは言わないから考え直すべきだ」


 廃材商人の言葉は、純粋な親切心からだろう。だが樹壱はやんわりと肩の手を払った。


 必要ない。そうだった。


 終われるものなら終わりたいのだから……。


 そしてそれは、だった。


 成し遂げることだけが、だった。


「あんたはこの古い道で一人の傭兵と偶然会い、世間話を交わした。そして、互いに去って行った」


「ああもう、俺は知らないぞ。止めたからな、勝手にしろ……!」


「さようなら」


 樹壱は、珍しい純粋な善意に感謝して、笑った。歪んでいても笑ったと思う。本当に笑えたかは分からない。


 ただ足は、滅びたそこへ向かっていた。






『フラーメニア王国』という、昔の国があった。


 現在より、100年ほど前に滅びた国だ。


 大陸中央、中央諸国と言われる国家群にほど近いこの辺りには、隣接する三つの古の国があり、他の北方諸邦の小国家よりずっと大きく、強かった。


 地域の覇権を巡り、争っていた歴史があった。その一つが、この国だ。


 ある日、全てが消えた──


 北より膨大な数の怪異、いわゆる魔物の大群が現れたからだ。


 大暴走スタンピートと言われる現象が、三つの国の人々も歴史も、全て飲み込んでしまった。


 中でも南に位置するこの国は、最後の犠牲者だった。


 樹壱は、旧市街を歩く。


 レンガの道は、往時にはよく整備されていたであろう、永き年月を経てもしっかりした通りが遺っていた。


 靴底の固い音が、無人の路、ただ一人自分の耳に帰ってきた。


 横を見ると、ひしゃげた民家があった。


 大きい家だった。太い木の幹のような、白く枯れた巨大な植物が、壁に這っていた。


 樹壱は足を止め、その民家に近づいた。


 触れる。硬化したそれが遺跡を覆っていた。


「──か」


 信じられないほど肥大した薔薇の蔦が、廃屋に巻き付いたまま、白くなって枯れていた。


 死に絶えた薔薇の棘は、触ると簡単に砕けた。砂のように崩れていった。


 中に目を向ければ、年月の中で潰れた家には扉もなく、屋根の崩れた瓦礫の中に、壊れた暖炉があった。もう火を灯すことはない暖炉はいつかの日には、一家を温めたであろう。


 今はもう、そこにいた人々はいなかった。誰も。


 樹壱の目が細められた。──最近、感情が以前より大きく動く気がしていた。


 以前はもっと機械的だったはずだ。無数に見る悲劇に心を閉じて、目の前の仕事を事務的に処理し、人間的な感覚はいつか消え果てたはずだった。


 掌を見る。老いのない変わらない肉体があった。


 300年過ぎても逃れられない、時間に取り残された罪深い肉だった。目を背けた。


 目的地を目指すことにした。


 歩く、ただ歩く。どこに行くかは分かっている。


 中心部へ。


 城跡──それはフラーメニアを治めた歴代の王が、居城としていた城だった。ここが王国の王都だった。


 軍事施設としての城は崩れ果てて草むし、その機能を失っていた。


 脇を通り、敷地内へ入っていく。


 樹壱が足を止めたのは、居館と呼ばれる住居施設。居館は、茂った薔薇の蔦にびっしりと支えられ、ほとんど当時の形をそのままに残していた。


 遠見で見たのは、これだ──


 城に住んだほとんどの人々が主に過ごした、その場所だった。


 そして静かに、剣を抜いた。重い金属の音が響いた。


 そこに何がいるのかを、樹壱はもう知っていたからだった。


 居館は100の年月を過ごしたにも関わらず、まだ風化せずしっかりと形を保っていたし、城下町も不自然なくらいに往時の姿を遺していた。


 滅びた無人の遺跡のあり得ない現状には、理由があった。


 きっと、『その者』が、自身の体でもってずっと支えていたから。


 崩れ行く石壁も、家々も。過ぎし日の証を。


 もう誰もいなくとも。


 ──ゴウンと、地面が大きく揺れた。


 その老いた身を、バキバキと自ら破壊し軋ませながら、己の痛みも省みず、その者は立ち上がった。


 それは、巨大な『薔薇』の怪物だった。


 無数の棘を生やした緑の触手。


 人間よりも、ずっと大きい──滅亡の居館の守護者は、全長数十mはあろう巨躯をたゆませ、樹壱の前に立ち塞がっていた。


 居館を中心として深く根を伸ばし、滅び切った城下をもはや身を収める鉢として成長し、いつ日か街一つを自分の住処をした……


 大いなる生命。


 薔薇は歳老いて、すでに枯れかけていた。部分は赤茶けて、ぼろぼろの肉体は、寿命を迎えた限界を超えていた。それでも。


 古びて枯れた、以前は鮮明な赤さを誇ったはずの大きな花弁の、たった一つ残った萎びたものに、襤褸雑巾のような革の布が引っついているのが見えた。


 老いた声が、樹壱に聞こえてきた。


『──去れ』


『ここを静かにしておいてくれ──』


 侵入者への怒りで地面を震わせつつも、絞り出すような声だった。


 追い詰められているようにも聞こえた。


 泣いているようにも聞こえた。


 彼が『墓守』だった。


 樹壱は……剣を担いだ。


 それが返答だった。






 ──────────────────






 樹壱は今、居館の入口にいた。


 扉を覆っていた蔦はほとんど枯れていて、剣で切り開く必要もなく、力で引くだけで砕けて開いた。


 入ってすぐの内部は、広いホールになっていた。


 荒廃した床は、当時には美麗な細工の石畳であっただろうが、隙間から入った風雨の泥に汚れ、隅には絨毯の残骸らしきものが見られた。


 落ちて砕けたシャンデリアが散らばり、足の折れたピアノが、壊れて鎮座していた。木の本棚が腐って潰れていた。ここには楽譜を入れていたのかも知れない。


 本棚から選ばれた楽譜が譜面台に置かれて、ピアノの奏でた旋律が、ホールにいた人々を楽しませたこともあったのかも知れない。


 今は、ガラスの抜けた格子窓から陽光が差し込み、空気中にたゆたう埃が、光線の中で伴奏もなく踊っていた。優雅に。


 樹壱は背後を見る。


 居館の外は、凄まじい戦いの跡が広がっていた。


 館の周囲の城壁はことごとく倒壊し、尖塔は破壊されて倒れていた。規格外の薔薇の質量は、一撃ごとに建造物をなぎ倒し、居館以外は無事では済まなかった。


 退けた薔薇の怪物の、大きな触手が切り落とされ、いくつか転がっていた。


 完全に倒したわけではない。ある程度痛手を与えた時点で、奴は撤退していった。おそらく機を見て、またこちらに襲い掛かってくるだろう。


 植物型の敵を葬るのは、尋常の手段では容易ではない。いくら触手を切っても、その根を破壊しなければ倒しきるのは難しかった。


 樹壱の見立てでは、あの薔薇は、一種の魔法生物だ。


 ただのトレントではない、トレントは木だ。そして精霊だ。


 言葉すら操る巨大な薔薇の類型と言える怪物は、少ない。


「聞いたことがあるな。似ている。少し前──……いや、だいぶ昔だ。植物に魂を宿らせるという魔法研究が、大陸中央の方で流行ったことがあったはず」


 なるほど……、と樹壱は呟く。


 花に人格を持たせ、従者として使役するというその研究は、ほとんどが失敗だったという。目も耳も口もない植物を魔獣のように調教するのには、コミュニケーションの面で大きな困難があったためだ。


 だが、その中に幾つかの、部分的な成功例があったと聞く。


 貴族はそういった『珍品』を好むものだ。


 無数の蔦の中心地はこの場所に思えた。ここが王族のいた居館であり、あの薔薇がを本拠としているのならば……。


 薔薇の主は、ここに住んでいた何者かと推測できた。


 だとすればあの者は、主人の為にか。


 古い記憶と約束の思い出の為か。過去に置いてきた、大事な何かの為か。


 忠誠か、使命か、追憶か……。


「とは言え、奴は『女神の欠片』を持っていない。あの巨体は単純に生長しただけだろう。ここまで大きくなるものとはな」


 樹壱は懐から、チェーンのついた黒水晶を取り出した。


 この黒水晶のアーティファクト、正式名称『想念の水晶』の機能は、対象の『主観的な視覚・聴覚と思考を、断片的に読み取る』というものだ。


 魔力を多く注ぐと、魔力量に比例して、距離の離れた人物を読み取り対象に指定することができる。


 さらに樹壱の能力と組み合わせると、その人物の『過去の想念』を見ることができる。


 なお人物指定は非常におおざっぱでもいい。地図などに使うと、その場にいた何者かをランダムに拾って映し出す。


 人間以外の対象でもよく、動物などの視覚/聴覚を映す場合もある。逆に対象に取りたい人物が分かっているなら、その者の想念を指定的に拾える。


 つまり、占い師の便利な水晶玉みたいなものだった。


 ここを尋ねる前、これを使って峠の方で見たのは──この地を守護する巨大な薔薇と、それ以外の『誰か』のわずかな想念。


 動物ではなく、人間だった。


 それによれば、薔薇の守護者は欠片の持ち主ではない。


 持ち主は他にいた。おそらく、この居館の中に。


「奴と、欠片の持ち主は関係している可能性がある。可能性はとても高いな……自らの体で館を倒壊させず、維持しているくらいだ」


 居館の内部、壁のそこら中には、枯死した薔薇の蔦が這い回っていた。柱が倒れて崩れないように、だが張りすぎないようにと、その支え方は慎重さすらあるように思えた。


 できる限り壊さないように、そのままに……。


 そんな意思が見えた。


「そうか。ふむ……」


 樹壱は少し考える。


 この場所を、『暴く』べきか、否か。


 全ての欠片を集める必要は、たぶん無かった。女神が復活できる分だけあればいいのだ。背を向けてここから立ち去れば、樹壱は何も見なかったことにすることは出来た。


 薔薇の守護者は、静かにしておいてくれ、と言っていた。


 樹壱はしばらく逡巡し。


 目の前に見える、二階へ続く階段に向かって歩き出した。


 勘だった。今は行くべきである、と。


 こういう勘はだいたい当たる。


 一段目を登ると同時に、壊れかけた手すりに触れた。同時にそこから、蒼白い幻影の光が伝っていき、居館の中全体に広がっていった。


『過去再生』の青い光が、古い想い出の日々を、蘇らせていく。



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