異世界へ飛ばされ不死になった男が、滅びた女神復活の為、当て所なく旅をして悪を裁いて断罪する、哀しいお話。~Who he comes after the end.~
第三話 『白き鬣《たてがみ》のシンガ 下』
第三話 『白き鬣《たてがみ》のシンガ 下』
男は、森の中にいた。
正確に言えば森ではない。そこは数十年前に滅びた、とある村の外れだった。
過去を覆い隠すように、蔓延った木々が侵食し、もはや当時の情景は残されていない。
土の壁と思しきところを手で払ってみて、ようやく石垣だったのだと分かる。
以前に存在した家は土台の跡のみであり、続く道は消え去っている。
あるいはまた、人々の記憶も。
彼──アンバー、または葦原 樹壱は、廃屋の痕跡の前にしゃがみ込んでいた。
そこには以前、一家がいた。
過ぎ去った時間の中で、ある時点までは貧しくも幸福だった一家が。
二人の姉弟が。
樹壱はそれを知っていた。樹壱は知ることが出来た。
そして、静かに立ち上がった。
家の跡に背を向け、腰の剣を抜き、歩き出した。
石で作られた階段があり、そこを下っていく。
降りた先で、三叉路を左へ行く。
右に行けば、樹壱がやってきた村があった。三年ほど前に開拓された新しい村で、林業のために領主の命令で新設された土地だ。
以前に消滅した廃村とぶつかってしまった事が、近頃の被害の原因だった。
左へ進めば、彼に出会えるだろう。
彼はまだ、そこにいる。
樹壱は家以外にも周辺を歩いて過去再生を行い、最後は何が起こったのかも含め、全ての下調べを終えていた。
道はもはや道がなく、木立の中の下生えだが、広場のあった場所へ向かうのに迷うことはなかった。
やがて、『彼』が見えた。
彼もとい、今はシンガ……
シンガは巨体を縮め、土の上に伏せっていた。
シンガの背後に、白骨化した人骨があるのが見えた。白獣は、樹壱の存在をすでに感知しており、両眼でこちらを捉えていた。
樹壱は声をかけた。
「やあ」
シンガは黙っていた。
そもそも、彼が言葉を理解できるかは分からない。それでも。
「伝えることがあるんだ。今さら聞かされても、仕方ない事だが。あの日、村の作物がだめになったと聞かされただろう?
俺は畑の跡へ行って調べたんだが、枯れた理由は呪いなんかじゃない。鳥が媒介する、悪性のカビの一種だ。
ごく稀なことだが、春先に南から戻ってきた渡り鳥が元凶で、一斉に立ち枯れを起こすんだ。だから、お前達は何も悪くない。悪いとすれば村人達の無知が原因だ」
樹壱は言葉を続けていく。
返事がなくても。
もしかしたら届いているかも知れないという、彼自身の納得のためだった。
「それから、お前達姉弟が飲まず食わずで生き延びられたのは、体内にあった、ある白い石のためだ。
『ラァズーウル』、という山岳部族がいる。今から100年以上前に、そこの巫者が政争に破れ、亡命した。
巫者は代々、親から長子へ地位を譲り、その当主は『疑似的な不死』の能力を持っていたらしい──子供が生まれた時に、石と能力が超自然的な力で体内転移し、受け渡されたという。
原因は不明だがどういうわけか2つに別れたから、体が弱りはするが、命は延命する効果に弱化していたようだ」
「俺は巫者の血縁者を追っていたんだが、今日まで見つけることは出来なかった。少なくとも、あと数十年早く突き止めていれば。
ここまで待たす事は無かった。森の中に、お前だけ一人で──」
シンガがのそりと立ち上がった。
シンガは背後を振り返り、白い頭蓋骨を鼻先で押した。
大きな舌で頭蓋骨を愛おしそうに、ちろりと舐めた。
「そうか。寂しくなかったんだな。お姉ちゃんが、傍にいたもんな」
きっと伝わっていた。それが少しだけ嬉しかった。
樹壱は言葉を切り、俯いた。
沈黙が、一人と一頭の間に降りた。
やがて樹壱が俯いたまま剣を担ぎ、シンガはたてがみに聖火を静かに灯す。
「──だが、もう終わりにしよう。森の奥でその子を守っていても、宝を盗む者もいない。永遠にこのままにしかならないんだ。だから俺は、そのためにここに来た」
シンガが低く唸った。
彼の目が語っていた。
守るべき宝は、まだ背後にあると。
壊れていても。燃えがらの灰のようでも。彼女の魂は、もうそこにいないと本当は知っていても。
決して。
少女の遺体の守護神が、たてがみを朱く輝かせる。
燃え盛る紅蓮の球体が、樹壱に向かって放たれる。
樹壱は回転するステップでそれを躱した。
大人一人を易々と飲み込む巨大な炎の玉が、背後の大木にぶつかって炸裂する。
剣の軌跡が、空間を超えてシンガを斬りつけた。その胸元から鮮血が吹き出るが、白獣はひるまない。
シンガのたてがみから幾つも火球が生まれ、樹壱に殺到した。
それらを避け、屈み、インベントリ窓を通り抜ける瞬間移動で回避する。
回避行動の最中にも、樹壱の剣は振るわれた。躍動する動きの全てで、剣先は消えては現れ、刀身には血が滴っていた。
認識不可能の窓から出現する、距離を無視した刃がシンガを無数に傷つけ、獣は血だらけになった。
シンガはたたらを踏み、咆哮した。
熱線。
樹壱の反応が、速かった。
獅子のたてがみから、瞬くように発せられた超高熱のビームは、樹壱の目前で消滅し、獅子の真横の空間から飛び出した。シンガは炎上して吹き飛ばされ、たまらず地面に転がった。
樹壱が踏み込むと、次の瞬間にはインベントリの窓を通り、既にシンガに肉薄している。
刃が、獣の腹を貫く。
反撃の炎と爪は空を切り、後ろへ飛び退いたはずの樹壱が消え、シンガの背後に現れる。
振り返りざまの横一文字が、シンガの後ろ足の腿を斬る。
獅子の後ろ足が斬り放された。倒れつつも、たてがみの炎が渦巻きはじめた。
周囲ごと焼きつくす火のマント、樹壱はその攻撃をすでに知っている。
シンガを囲んで密閉するように、正十二面体のインベントリ窓が展開され、吹き出した炎が全て吸い込まれた。
もう一つ、放出面が内側に設定された十二面体が近くに作られ、その中でだけ閉じ込められた炎が荒れ狂った。
炎が終わり、窓が解除され。
そして──力を一旦吐き出し尽くしたシンガに、無防備な瞬間が訪れた。
あとは、一方的な『解体』に近かった。
目を斬り、両手足を切断し、組みついてたてがみを抉り取る。
わずかな時間に連続的な猛攻。
樹壱の攻撃に、容赦はなかった。
視認不能、行動不能、攻撃能力の喪失を確認してから、樹壱は剣を下ろし、もがくシンガに近づいた。
それでもシンガは諦めない。
嗅覚で相手の位置を探り、大きな顎で、敵を噛み砕かんとした。
「──もういいんだ。お前の宝物を奪う者は、もうどこにもいない。みんな殺してしまったのだから」
だが、牙は樹壱に届かず。
インベントリの窓によって、牙は、彼の顎自身を突き刺して止まっていた。
樹壱の手がシンガの額に触れた。
シンガの猛る声は、悲痛でさえあった。
彼は訴えていた──
決して姉を、これ以上傷つけさせはしないと……。
瞳から流れる血の朱い涙が、彼の白い毛皮を濡らしていた。
樹壱はシンガを横倒しにし、その腹を素早く割いた。内臓を引き出し、そこに埋め込まれていた白い石の欠片を二つ見つけ、もぎ取った。
断末魔的な咆哮。
力の源を失った獅子の体から、力が抜けていく。
だが。
「……ぐっ!?」
突如として再生したシンガの前足が、樹壱の革鎧を裂いた。樹壱は衝撃で吹き飛ばされ、叢に倒れた。
砕かれたはずのシンガの肉体が、めきめきと音を立て復活していく。
「ぐむ……『疑似的な不死』の一族か。そうだったな。ゴホッ」
革鎧を破壊され、胸から血を流しながら樹壱は言った。肺が傷ついたために血を咳き込み、胸骨が折れたらしく酷く痛んだ。
欠片を切り離されても、まだシンガの力は尽きていなかった。
その再生速度は速くはないものの、片目は見えるまでに戻っていた。
樹壱が剣を杖にして立ち上がり、シンガはその間に、身を引きずって距離を取った。
シンガの向かう先には、少女の頭蓋骨があった。シンガは前足で、縋るように頭蓋骨を抱き、舌で舐めた。
白い獅子は、弱弱しく鳴いた。
「……」
再生を続けているが、シンガの命がいつまでも続かない事は、明らかだった。
全身に負った傷は甚大で、力の源である欠片を抜かれた事で、塞ぎきる前に息絶えるように思われた。
樹壱は、所持している大きな石の欠片を使って、今もいだ石と融合させれば、魔力的な導線を完全に切ってシンガを強制的に消滅させることが出来ると分かっていた。
しかし、それをしたくなかった。
このまま彼を、寂しく逝かせたくないと思っていた。
確かに彼は、森に入った過去の侵入者を殺していた。不用意に彼の宝に近づいた悪意のない樵を、判断がつかず、その炎で焼いた事もあるのだろう。
樹壱が近くの開拓村に立ち寄った際、三人が行方不明になっていると聞いていた。
だが……害のある獣を退治するようにすべきではない。
彼も人だった。
彼も、悲劇の犠牲者だった。
出来るかは分からないがそれでも、ほんの少しでも、彼の心を納得させてからにしたかった。
この方法で良いのか。再びその光景を、彼に見せても良いのか──
少し迷ったが、樹壱はしゃがみ、地面に手を当てた。
『過去再生』の能力が、数十年前の悲劇の姿を蘇らせる。
シンガの残った片目が見開かれた。
生前の少女の顔が、その死の直前の彼女が、彼の網膜に映った。
『憎まないで。約束だよ。ヤルルカ』
彼の名前。
獣は、忘れてしまった己の名を聞いた。
死を迎える寸前の姉の顔にあったのは恐怖でなく、憎悪でもなく。
ただ弟を想う、慈愛と慈悲だった。
幻影はすぐに消え去った。
エスタおねえちゃん
少年を支えていた怒りが解け。
獅子の体は、融けて、崩れた。
─────────────────
残されていた二人分の白骨の埋葬を終えた墓の前に、墓標となる大石を置いた。
作業の間、手当した胸骨も痛んだが、これくらいはしてやりたかった。
二人の墓は一つにした。彼らの故郷の風習に従えば、この形が正しいはずだった。
樹壱は鑿と槌と取り出し、石に部族独自の簡単な文様と、名前を彫った。
姉の名はエスタ。
弟の名はヤルルカ……。
『エスタとヤルルカ』、それはラァズーウル山岳部族に伝わる神話だった。ずっと昔、樹壱は部族長からその話を聞き出していた。
森林を司る精霊ないし神格、姉弟神の名だ。
過酷な山の民にとって、高地の森林は希少であり、また恵みをもたらす重要な存在だった。
両親が彼らにその名を与えたのは、大きな意味があったはずだ。
作業を終え樹壱は立った。姉弟の墓を見下ろし、祈った。
二人が、この森の守護神となれるように。
いずれ森は切り開かれるかも知れない。それでも姉弟は一緒に、墓が壊されても、この土の下で眠り続けるだろう。
彼らを引き離す者は、もう誰もいない。
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