第二話 『死者の復讐 中』




 翌朝。


 早朝の野鳥の声が聞こえてくる。


 樹壱は出立の準備を整えていた。


 あの後、一晩ゆっくり眠ったお陰で体調はすこぶる良い。樹壱は手甲の紐を固定し、腰に剣を差した。


 窓から見える空は曇天で、霧も濃く出ていたが、これ以上村に逗留する気はなかった。


 全ての荷物をまとめ、樹壱は宿の家を出た。


「もう行かれるのですか?」


 ──外にオリゴが立っていた事に、樹壱はすでに気配で気づいていた。老いて足の悪い村長は、宿の前で樹壱を待ち構えていた。


「ああ、世話になった。十分に休息を取ることが出来た。値は少々高くついたが、まあ言うまい」


「まことありがとうございました。必ず村の助けに使わせていただきます」


「俺の姿が盗賊に見られても、要らぬ厄介を村に持ち込みかねんな。早く行った方がよさそうだ」


 それではな、そう言って樹壱は去ろうとした。


 しかしオリゴは樹壱の手を取って、呼び止めてきた。


「お待ち下さい! 少しばかり儂の話を聞いて下さいませぬか?」


「……なんだ」


 樹壱が振り返ると、オリゴは縋るような眼を向けてきて言った。


「お客人。どうか少しの間、この村の『用心棒』をして頂けませぬでしょうか」


「何だと?」


「不躾な願いなのは分かっております。しかし、今どき珍しい心根を持つ御方と見込んで、どうかお願い致す。むろん、払える限りの報酬をお支払いします」


 樹壱は、少々呆れた目でオリゴを見た。


 こちらの善意につけ込むにしても、無茶に過ぎる願いである。


「何を言っている。この村は今、盗賊に脅されているのだろう。ただ行きずりの俺に、大勢の盗賊どもの相手をしろとでも?」


 盗賊団をなんとかすることなど、通常は軍隊のやる仕事だ。


 個人に頼むようなものではなかった。オリゴの依頼は、図々しいを飛び越えている。


「もちろん、お客人一人にお任せする訳ではありません。まずは儂について来て下され。どうかこちらへ」


 オリゴは樹壱を促して、足を引きずりながら村の外れに向かって歩き出した。


 樹壱は仕方なく、老人の後を追った。


「こちらへ、こちらへ。そのような無理は申しません。村の者達と共同して、盗賊どもをここから追い払いたいのです。

 王は助けてくれません、しかし農民といえど少しは戦力になるはずです。何人かは、戦へ従軍した経験もあります。お客人さえ参加していただければ」


「……。村人の数は全部で何人だ? 女子供も含めてだ」


「全員で50人ほどです。戦いの専門家であるお客人が指導していただければ、と。武器は農具になってしまいますが」


「盗賊は?」


「そ、そちらも50人ほど」


「無理だな。不可能だ」


 樹壱は切り捨てた。聞いただけでも、戦力差は明白であった。


 相手は人殺しに慣れた連中で、農民に毛の生えたような兵など大して使い物にならない上、女子供も頭数に入れてそれでは、話にならない。


 この村に要害らしい場所もなく、戦ったところですぐ全滅するのが目に見えていた。


「し、しかし」


「止めておけ。皆殺しにされたくなければな」


 樹壱は一般論を言ったが、オリゴは黙ったまま歩き続けた。


 やがて村の外れにたどり着く。


 そこには──


「……これは」


 霧が立つ村外れの一角には、焼け落ちた家が建っていた。


 そして近くの木に、縄で首を吊るされた、人間の遺骸。半ば白骨化している。


 肉は鳥に喰われ、腐りかけた腱でようやく形を保っているに過ぎない。


 それが五つ。


 成人のものらしき二つの白骨死体。その脇に明らかに二回りほど小さく、華奢な白骨体が二つ。……乳飲み子のものと思われるものが一つ──


 樹壱は極力、感情を表さない声で言った。


「誰だ?」


「前村長と、その一家です。前々村長である父親が亡くなり、跡を継いだばかりでした」


「なぜ?」


「件の盗賊によって。勇敢にも、金も食料も渡すつもりはないと言いました。真面目で村人の生活を想う若者でした。

 あるいは、父に恥じない村長になろうと、意気込み過ぎていた。儂にとっては、前々村長は従弟で、彼らはその子供と家族でもありました」


 老人の肩は静かに震えていた。


「彼らが吊るされた時、儂は近くの町に住んでおりました。知らせを聞いて飛んできたときには、もう。

 儂らの家系は代々この村の村長をしていたため、代わって儂が村長となりました。この遺骸はそのままにしておけと、奴らに命令されました。見せしめのつもりなのでしょう……」


 オリゴが樹壱の手を取った。


 村長の目は、血走っていた──


 命を奪った残酷な悪漢どもに対する、どこまでも深い憎悪が宿っていた。


「奴らに神の裁きを。お願い申し上げる。どうか、お客人」


「……」


 どうすべきか。樹壱としては、これほどの悪を行う盗賊どもの退治なら、乗ってやっても構わない。


 しかし……。


「断る」


 敢えて、首を振る。


 絶望的な眼で見上げる老人に、樹壱は言った。


「憎しみは当然だ。だが、本当はお前は、奴らを追い払いたいのではなく、奴らに復讐をしたいのだろう。お前のための復讐に、村人達を付き合わせるべきではない」


 うっ、とオリゴが言葉に詰まった。


 それでは間接的に、村人らを死に追いやるのと同じだった。


「傭兵一人に出来ることなど、高が知れていると分かっているはずだ。にも関わらず、村の者らに死ねと言うのか。

 女達も子供も巻き込んで、復讐のための犠牲になれと命令する気だったのか」


 樹壱は、オリゴの魂胆が気に入らなかった。


 成功失敗に関わらず、山のような死者と怪我人が出るはずで、そんな無謀で破綻した計画に乗ることはできない。


 その後の生活も崩壊するだろう。親を亡くした子供が、子を亡くした親が大勢出るだろう。


 復讐心に逸るあまり、村長の立場にあることも忘れ、仲間の犠牲も軽視する男に協力する気は起きなかった。


 オリゴは図星を突かれたように黙っていた。


 が、やがてうなだれて言った。


「それは。いえ……そうなのでしょう。本当は分かっておりました……。そも、立ち寄っただけの旅の御方に、無理難題を申す儂こそが無礼でした。申し訳ない」


 意気消沈するオリゴに、樹壱はもう何も言わなかった。


 彼に背を向け、樹壱は村の外へ向かって歩き出した。






 街道へ戻る道すがら。樹壱は、土の地面を見つめていた。


 馬の蹄の跡。


 過去再生を使うまでもなく、その乾いた跡はすぐに分かった。駆け足で五頭はいただろうか。


 この辺鄙な村への道にそれだけの数が乗り込んできたのは、その主達が何者なのか、容易に推測できることだった。


 痕跡を追っていけば、奴らの根城にたどりつくであろうことも。


 樹壱は懐から、自分の地図を取り出して広げた。


 付近に放棄された軍の古い砦があったはずだ、と覚えていた。そこなら50人程度が屯しても、屋根と寝床の用意ができただろう。


 確かに樹壱は、オリゴからの依頼を断った。


 だがそれはオリゴの復讐に加担し、村人達と一緒に戦うことを断っただけだ。


 樹壱自身が戦うことを拒否したつもりはない。


 一人でやる。


 人間の屑どもをこのままのうのうと、のさばらせておくわけが無かった。


「……間違った判断をしているな」


 それは理解していた。あの村にはおそらくまだ何か隠されているだろうし、下調べのないまま下手に関わるべきではない。


 原則を崩して、ろくなことにならなかった事は多い。


 しかし、あの50名の素朴な村民達。


 彼らの命と生活は今、危機にあった。


 彼らを守ってくれるはずの、王の軍隊は来ないだろう。国軍という治安維持機関が機能していないなら、盗賊達を留める要素は一つもない。


 樹壱が村の情報を集めている間にも、新たに吊るされる村人が出るかも知れなかった。明日にでもそうなるかも知れない。


 あるいは次は愉しみのための殺しをやるか。女は欲望のはけ口に、老人子供は労働奴隷にして売り飛ばすか──と言ったところか。


 樹壱は今、天秤の上に、命の価値を計ることができた。


 50名の村人と、50名の盗賊。


 どちらの命が重いのか──


 それは恐ろしく傲慢な行為ではあった。だが、試すまでもない事だった。


 乳児をも吊るす酷薄な殺人者に、容赦が要らないことだけは、間違いなかった。


 樹壱の足は森の坂道を抜け、横道から石で舗装された街道へと戻っていた。


「ここから北に4リグル足らずの、林の中だったか。結局助けるとは俺もよくよく甘すぎる……いや、逆だな。大量殺戮の算段を練っているのだから」


 とにかく樹壱は、『より生きるべきと樹壱が考える命』、の取捨選択をした。


 それは樹壱の価値観の押し付けという、エゴイズムでもあった。


 この究極的な選択は、本来、樹壱が決める事ではない。


 神のような者しかやれないことだ。


 神が何もしない以上、政を行う者が代わりにしなければならないことだが、それが王権にせよ民主的な共和制であるにせよ、いずれにしても樹壱ではない。


 ただでさえ本質的にこの世界のよそ者である樹壱に、この世界の悪を、勝手に裁く権利などない。


 それでも彼は、その選択をした。


 そうしたかったからだった。


 もちろんただの剣士1人に、50人からなる盗賊団を、相手取ることなど出来ない。


 圧倒的な多勢に無勢で、寄って集って殺されて終わりだろう。正面から挑んで勝てるわけがない。


 普通では。






 ──樹壱は、普通の剣士ではない。



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