第一話 『終わりの後に来《きた》る者 下』




 フシュウ、フシュウと血腥い息を吐く骸骨が、目の前に来た樹壱を見つめていた。


 唐突に。


 動いた。


 巨大な腕が残像を残し、樹壱のいた場所を襲った。


 だが──そこに樹壱の姿は、もうなかった。人間など軽々と砕くであろう一撃は空を切り、石階段の半分を砕いていた。


 混乱した怪異が、体のバランスを急に崩して、よろめいた。


 どういうわけか。


 樹壱が、怪物の背後にいた。


 その手の剣には血が滴り、後ろからの斬撃が、怪異の右足の大部分を大きく抉り切り裂いていた。


「!?」


 聖堂の入り口にいたジェンスが、何が起きたか分からず呆然としていた。


 片足の破壊。二足歩行型の機動力を、ほぼ奪っていた。


 聞いた限りでは、この怪異の重要な能力は素早いという速度だけだった。樹壱は、その機動力を先制的に喪失させる事に成功した。


 従って、樹壱にとっては、もはや脅威ではない。


 ギャアアアア──金切り声と共に怪異が反撃する。


 振り回した両腕は当たらず、樹壱は素早く後ろに飛び退っていた。


 対峙する。


「悪いが、遺体を傷つけないなどという上品な事はできない。我慢してくれ──」


 樹壱は離れた怪異を前にして、何もない所で、届きようもない剣を振るった。


 その剣の軌跡は、魔法のごとく。飛ぶ斬撃のごとく、怪異を切り裂いた。


 骸骨は、首と腹と両腕から血を吹き出し、ぐらりと揺らいだ。


 それは、『インベントリ』を利用した斬撃だ。


 インベントリの窓を開き、そこに剣先を突っ込んで、敵の近くに別に開いた二つ目三つ目の窓から刃を出して、攻撃する仕組みだ。


 目を窓に入れて偵察に使った時のように、インベントリは離れた場所に、手に持った物の先端だけを出すことができる。


 これによって斬撃を、剣の間合いのはるか射程外から、自由に『飛ばす』ことができた。


 またインベントリの窓は樹壱以外には不可視であり、どこから斬られるか察知するのは不可能だ。


 攻撃的な特殊能力を持たない樹壱が編み出した、の技だった。


 怪異が夥しい血を流し、ごぽごぽと異音を発した。


 いずれも、直撃した深手。


 魔力で表面がコーティングされているわけでもなく、肉には十分に刃物が通じていた。


 両腕が満足に使えなくなったことで、怪異の接近戦の能力は大幅に減退した。首と腹からの大量出血は、活動限界時間の制約を与えるものだった。熟練のハンターである樹壱の攻撃には意図がある。


 怪異が、血の水音を混じらせて獣のように吠えた。


 残る片足で地面を蹴り、一本足とは思えない速度で飛び込んできた。


 迎え撃つ樹壱の姿が、消えた。


 怪異の視界から突然消失して、怪異は敵を見失って転んだ。


 転んだ骸骨の頭に、勢いよく刃が突き刺さった──気づけば、樹壱の姿は怪異のすぐ前にあった。


 それは、樹壱が消えたのではなかった。


 怪異の方が、『目の前に張られた、不可視のインベントリ窓に飛び込み』。


もう一つ開いて置かれていた窓から、『隙だらけのまま樹壱の前に転がって』、現れたのだ。


 窓は見えない。


 音も気配も感触もない。


 よほど特殊な魔術的感覚がなければ、認知できない。


 インベントリは生き物、意思と知能を持つものを内部に監禁したりすることはできないし、入れようとしてもすぐ外へ弾かれてしまうが、窓から窓へ通過させることは可能だ。


 敢えて残した片足は、敵に飛び込ませるための誘いだった。


 突き刺さった刃が引き上げられ、ばきり、と骸骨を割った。


だろうな。人体から頭蓋骨を引き出して、わざわざ貌を造るくらいだ。保護されたコアも、ここにある」


 果たしてそこには脳の代わりに、白い石の欠片が肉に包まれて存在していた。樹壱は素早く手を伸ばし、石をもぎ取った。


 手のひらに乗る程度の、大理石に似た小さな石だった。


「こいつが、だ」


 樹壱はインベントリを開き、そこからまた別の白い石を取り出した。


 もぎ取った石よりは二回りほど大きい、これも『女神の欠片』の一つだ。


 手のひらの小石に、引き出した石を触れさせる。


 すると小石は、液体のように境界が不確かになる。大きい方の石にくっつき、その一部になってしまった。


 バチリと微かな稲妻が走り、ぶつん、という切断音がした。


 ──オオオオオオオオ──


 怪異が咆哮をあげ、そして……液体を撒き散らしてばらばらと、その体が崩れていった。




 ────────────────




 血みどろの、哀れな小さい遺骸が、山になっていた。


 女神の欠片はその特性に、近づけると一つにまとまる性質があった。


 その時、何らかの魔術の媒体となっている場合は、動力としての魔力的な導線が切断され、発動していた効果を発揮しなくなる。


 つまり。


 子供達を怪物と化して動かしていた魔術は今、消滅した。


 そのために怪異は崩れ、が、目の前に散らばっていた。


「……」


 想定よりは脅威ではなかった。神の一部分である、白い欠片を使った怪異の割には、易しい相手だった。


 失敗作の古代魔術など、そんなものかも知れないが。


 戸口で戦いを目撃していたジェンスが、喜色を浮かべて飛び出してきた。


「やった、やったぞ! 化け物を倒した!」


 樹壱は、何も言わなかった。


 哀れな犠牲者達を見つめていた。


 樹壱には、彼らを救うことは出来なかった。その事をわざわざ考えて苦しむことはない程度に、長い月日の中で、人間性は乾燥し枯れていた。


 枯れていたはずだ。


 もう。


 もう何も感じないはずだった。あの子らは、すでに死んでいた。


 だから……


 生き延びたと飛び上がって喜ぶジェンスの姿が、樹壱の視界にあった。


 その姿に突き上げる感情があった。それは、この手でという義務感か、個人的な怒りだったのか、その混合か。


 こちらの感情が枯れたつもりはなかった。


 この男には、最初から。


 いずれにせよ──


「さて。ジェンス=アミューよ」


「あんた、よくやってくれた! ははは、よくやってくれたよ、私は生き残ったぞ、ははは……!」


「裁きの時間だ」




 ────────────────




「……は? 裁き、とは」


 破滅的光景の広がる教会の前で、剣を持った一人の男が、もう一人の老いた男を静かに見ていた。


「お前の罪の裁きだ。ジェンス」


「な、何を言い出す。アンバーさん」


「お前の旅装。ずいぶん妙だな。まるで倉庫の奥から、ついさっき引っ張り出してきたばかりのようだ──埃の跡が残り、使われたほつれ方ではない」


 ゆっくりと近づいていく。


 一歩、また一歩と。


 血に濡れた、つるぎを手に。


 ジェンスが後ずさる。


「りょ、旅装がどうしたと言うのだ。突然あんたは」


「『アミュー』という姓を、俺は知っている。およそ200年前、この地にはマタリクス魔法国という古王国が存在した。その滅びた王家の名が、アミュー家だった──」


 樹壱の言葉に、ジェンスの目が見開いた。


「歴史には詳しくてな……。直系王族は全員討たれたはずだが、分家が逃れていたにしろ、勝手に僭称したにしろ、お前がマタリクスの縁の者であることは分かる。

 そして、本当はただの旅人ではない。この村の『村長本人』であり、怪異を生み出した張本人──ということも」


 ジェンスが踵を返し、逃げ出した。


 だが、ジェンスの目の前に突然、教会の石段が現れ、転んで倒れた。


「!?」


 無駄だ。


 逃さない──樹壱の能力。


「お前には、清算しなければならない大きな罪が、あるはずだ」


 子供達の死。逃し屋の死。


 他にも多くの罪があるだろう。憑依させる『魔』を呼び寄せるために、地下で行われたはずの拷問と殺人。


 全ては清算し切れない。命をもってしても足りない。


「ひいっ、ひいいっ!」


 追い詰める樹壱に、ジェンスが石段を這いずって上がっていく。


 だが石段に手をついた手が、突然つっかえを無くした。まるで体重をかけた場所が、急に消えてなくなったかのように手が滑り、ジェンスは石段に顎を強打した。


「がっ!?」


 歯が飛び、血を流してうずくまる。


 これも樹壱のインベントリ能力の応用だ。


 そこに『落とし穴』として開き、相手を転ばせる。


 インベントリは樹壱にしか見えないため、相手は何故自分が転んだのかすら分からない。


「諦めろ。お前を逃がさない。ここで起きた全てをごまかして一人逃げ切ることなど、到底許されるわけがない」


 冷たく感情のない樹壱の言葉に、ジェンスが振り返って喚いた。


「一体なんのことだっ!! 突然襲い掛かってきて、あらぬ疑いをかけおって! 私は何も知らんぞ!」


「ではなぜ逃げる」


「あんたがおかしくなったからだろう! 何の証拠があると言うのだっ!?」


「これが証拠だ」


 樹壱が、地面に手を触れた。


 青い幻影が大地から湧き出してくる。


 樹壱の『過去再生』の能力が、発動した。


 ──多くの村人達が、十人ほどの子供を囲んでいた。


 怯えて震える子供達に、人々が狂喜していた。不気味な祈りの文言を唱え、怪しい薬草を燃やし、酒を飲み、あるいは外聞もなく交合する者さえ居た。


 囃し立てる民衆は、誰もが常軌を逸した目で、慶びを叫んでいた。


 それは……あの日、ここで行われた『結婚式』の姿だった。


 教会を調べる前、樹壱が見たもの。


「っ……!?」


「俺は過去を見ることができる。お前達が、のか。のか。俺は知っている。隠し事をすることは、決してできない」


 教会の門が開かれた。うずくまるジェンスは、それを見た。


 独自の教服らしきものを身に纏った、一人の老人の幻影──


 それは紛れもなく、この日のジェンス=アミュー本人だった。


『皆の者、この日がついに来た。子らの血の生贄を捧げ、我らの王国が蘇る時が来た! 悲願の日、寿ぎの日が来た』


『おお村長!』『マタリクス万歳!』狂った村民の声が上がる。


 その近くには、不意打ちで両足を折られて引き出された者がいた、逃し屋だった。


 彼は上に乗られて押さえつけられ、声をあげていた。


 やめろ。やめてくれ、と。


 必死に。


 数人のお付きを従えたジェンスが、今のジェンスを跨ぐように石段を降りていき、子供らの前に立った。


 恐怖に震えて泣く子供のうち、一番背の低い少女の手を取り、腰のナイフを抜くと、サディスティックな笑みを浮かべた。


『さあ、仕上げの時だ──』


 刃を握り直し、子供達を拘束させ、『ウェディングドレス』をめくり上げる。


 悲鳴が上がる。


 助けを求める、悲痛な声が……。


『ああ、綺麗な肌だ。私も地下でよく愉しんだ。きっと父祖も、この肉を悦んで下さるだろうとも』


 邪悪に笑うジェンスのナイフが、恐ろしく振り上げられ──


 そこで、蒼白い幻影の全てが消え去った。


 滅んだ村に、俯く樹壱と、震えるジェンスの姿だけが残されていた。


 樹壱が石段を登る。


 男のすぐ傍に立つ。


 見下ろし、刃の切っ先を向けて。


「ジェンス=アミュー。


 死神の、声。


 機械のような冷徹な瞳が、邪悪な罪人を射抜いていた。


 その罪科の全てを白日の下に晒し、一つの抗弁すら認めない上で、裁く。


「被害者の恐怖は察するに余りある。子らの苦しみを思えば、命だけでは贖えないほどだ。だがそれでも、他の死んだ村人の屑どもと同じように、誰かがお前をしなければならない」


「ちが、ちがう。ああ、そんな」


「絶対に逃さない──俺がお前に何者か聞いた時、せめて正直に言ったならば、その場ですぐに殺してやってもいいと思った。お前は嘘をついた。よくもまあ、作り話の止まらないことだ、呆れるほどに。

 あの子達を化け物だと? お前こそが、本物の醜いバケモノだ……!」


 個人的な心情としては、この外道を、一度助かったと思わせてから足を掴んで地獄に引きずり込んでやって構わない、とさえ思っていた。


 樹壱は背後を振り返った。


 そこには、血に沈む子供達がいた。


「哀れなあの子達の前で、お前を殺すべきだ。お前にお前の罪を見せて、行いをかみ締めさせた上で──卑劣にも逃げ延びようとした、お前を。

 最期に、せめて懺悔の言葉はあるか」


「助けてっ! たすけてくれぇ! いやだ、頼むぅっ!」


「屑め」


 吐き捨て。無様な男を、踏みつけ。


 樹壱の剣が無慈悲に、振り上げられた。




 ────────────────




 ──土を掘る。


 教会の裏手、簡素な墓の並ぶ墓地。


 大きな樫の木の下にした。


 全部で十一。最後の一つは、大きめに掘り出した。


 汗を拭うと樹壱は、そばに並べられた遺体を一人ずつ両手で丁寧に抱え上げ、墓穴に横たえていった。


 子供達のぶんが終わると、最後は丸鼻の男。


 逃し屋の遺体を同じように墓に収めた。


 土をかけていく。全員の埋葬を終える。


「最後まで味方だった、唯一の大人だ……。お前達を助けてやることは叶わなかったが、やつなりに努力はしていた。

お前もここでいいだろう。俺は僧侶ではないが、俺が冥福を祈ってやるしか出来ない」


 小さく祈る。


 他の村人どもの墓まで掘るつもりはなかった。打ち捨てておけば鳥獣に喰い荒らされていずれ消えるだろう。行いからすれば十分だ。


 死と廃墟によって幾らかの怪異が出現するかも知れないが、どうせ住む人間はもう一人もいない。


 日が暮れようとしていた。さすがに時間がかかってしまった。


 全てが終わると樹壱はしゃがみ、地面の丸い膨らみに向けて言った。


「……墓標もないんだ。お前達の名前も分からなくて。ごめんな」


 過去再生を使って、覗き見をするのはやめておいた。誰にも聞かれない声が風に流れていく。


 土まみれの手で、夕暮れの空を見る。


 ──いつからか、樹壱は笑う事があまりなくなった。こうした哀しみを、悲惨を、終焉を、見つめ続けたせいだと分かっていた。


 今日まで、嫌なものを見てきた。


 この世界に来てから、取り返しのつかないものばかり、永い時の中で。


 300年。


 遠い追憶の彼方にある、あの廃城。


 あの日の後悔から、それほどの年月が過ぎていた。


 永い、永い時が過ぎた……。


「ユニ。パイリ。ディーン。オルト。エイミ。クルーン。ティントリ。ラティス。サルカ。アストン……」


 いまだ忘れられない、古い名前。


 彼の脳は永遠に若いままで、物忘れなど起きない。


 今にして思えば、名を知るべきではなかったのかも知れない。


 人間にとって老いて死ぬことが出来れば、どれほど救済になるのか。


 あの日、あの人魂の天使が与えた不死とは、確かに『呪い』だった。


 樹壱は立ち上がり、インベントリから水の入れ物を出して手を拭うと、墓に背を向けて歩き出した。


 教会の前まで来ると、樹壱は、そこに落ちていたものを見つけた。


 赤い帽子。


 それは誰かを救おうとして叶わなかった男が遺した、最後のものだった。


 樹壱はそれを拾い上げた。


「せめてこれを、『母親』の元へ届けておこう。男が死んだ顛末も」


 呟き、そうして樹壱は滅びた村を去っていく。


自らの手で、残された全てを終わらせた村を。


 終わりの後に、終わりが来て、去っていく──



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