第一話 『終わりの後に来《きた》る者 中』



『過去再生』の幻影は、既に消え失せていた。


 樹壱は心中、どす黒い気分になりつつも、しかし頭だけは冷静だった。


 ここで起こった、あるいは起きていたことが見えてきていた。


 もはや語るべき言葉はなかった。


 樹壱は立ち上がり、すぐ傍に建つ教会へ向かった。この村で最も大きく、重要である施設。


 寒村に似つかわしくない立派な扉を開き、ゆっくりと足を踏み入れる。


 そこは聖堂だ。


 正面に、祭壇で飾り立てられた黄金の牛の像が安置されていた。その前には祝い事の供え物として、料理や酒、花束などが捧げられている。


 この辺りの地方で、ごく稀に見られる信仰対象の像だ。いわゆる──


 邪教カルトである。


 人身御供を司る、古い神。


「……」


 聖堂の中は他に、壁にも床にも。


 ──凄惨な血の跡が広がっていた。


 そして折り重なり、無残に『喰い残された』村人どもの屍体──半ば腐りかけ、虫がたかり悪臭を放つそれが、山となって積まれていた。


 どの顔も恐怖に引き攣れていた。


 全てが成人男女か老人らの死体であり、子供のものは一つもない。


 牛像だけが無傷で、ステンドグラスから差す陽光を映し、輝かしき黄金の輝きを惜しげもなく恥もなく、石畳に撒き散らしていた。


 命を吸い上げるが如きその残酷な光景は、だが、樹壱には違った。


 樹壱はもう、犠牲者に心が動かなかった。そう思うだけの理由はあった。


 樹壱は奥に進み、教会内の部屋を一つずつ調べていく。当然のように生き残りの人間は見つからなかった。


 一番奥まで行くと、上階と地下へ向かう二つの階段があった。


 まずは地下へ降りてみる。


 降りる階段の突き当りに扉があった。開いてみると、黴臭い空気と、古い体液の匂いが漂った──そこは教会の地下に相応しくない、異様な部屋だ。


 幾つもの拷問器具。


 大人が入るには小さめの檻や張りつけ台が、室内にひしめいて置かれていた。


 血糊のついた鞭、刃物が壁に立てかけられている。端には人間の骨が転がっていた。


 土壁に手で引っかいたような跡。


 下の方に集まっている……。


 おそらく逃し屋が見た部屋だった。何かの動く気配はない。もはや特に調べるものもないと見て、樹壱はすぐに階段に戻った。


 二階へ上がると、少し長い廊下の先にまた扉があった。


 ゆっくりと押し開いて中へ入る。


 執務室にも似た小奇麗な空間で、正面には宗教的な台座と、脇には机と椅子があった。


 絨毯の先には、寂れた農村には似つかわしくない本棚がいくつか。


 少し見てみると宗教の経典らしきもの、そして歴史書があった。


 樹壱は本の幾つかを手に取って、ざっと眺めた。古代語の文献も混じっていたが、内容はすぐに分かった。


 見覚えがあった。


『マタリクス魔法国』という、約200年前までに、このあたりの地域にあった古い小王国の史書だった。


 魔術、特に黒魔術が盛んだった国であり、周辺の隣国全てに攻められて滅亡した。その隣国らも、50年しない間に全て滅びた。


 本を戻し、樹壱は振り返って、改めて室内を眺めた。


「……」


 木の床には血で描かれた、黒い魔法陣があった──


 魔法陣の周りには、脱ぎ捨てられた純白のウェディングドレスが、何着も落ちていた。


 そしてそれは大人が着るにはサイズが小さすぎた。


 どうやら『結婚式』は、ある意味、事実だった。


 ドレスは二種類あり胸当てがされているものと、されていないものがあった。『花嫁』に、性別は関係なかったようだ。


 樹壱は紙片を取り出し、魔法陣に近づいて触れさせた。紙片はすぐに真っ黒に染まった。


「……これが魔力の発生源だ。魔法陣そのものは既に停止している。しかし魔術の核である、『動力』がない」


 樹壱は魔法陣の内容を読み解くが、そこには魔術を動かすエネルギー源である動力的存在は見受けられなかった。


 この世界における魔法とは、一種法則によって動く。


 動力があり、機構があり、魔法的効果という出力がある。


 これら三つを満たさなければ、どんな魔法も発動しない。


 魔力を有する人間ないし何らかの魔力源を、外部から接続していた必要があった。


「このために白い石を買ったわけだ。ただの魔石では動力源として足りんだろう、強大な魔力を発する女神の欠片でもなければ。

 大枚叩いてでも必要だった。古代の、呪われた召喚黒魔術……」


 地下の部屋は、儀式のための下準備に使ったと考えられた。樹壱はこの魔術の存在も、古い文献から知っていた。


『同胞の血を流し、穢して呪いをかける』。


 年月をかけて折り重なった人間の悲嘆は、この地に大きなを引き寄せる。


 贄は長く残酷に苦しめるほど、大人とは違い感情の動きが大きい者ほど、その効果は大きくなる……。というものだ。


 反吐が出る。


 もはや現物は書籍にも残されていない、滅びた古王国の遺した黒魔術。おそらく完全に再現されていた。


 その内容は、憑依に近い。


 引き寄せられた魔を現実世界に呼び出し、犠牲者を捧げて、怪物の肉体とする。


 その際に、陣に入った者を『一つ』にまとめ、憑依先を構成するようだ。


 ──そしてこの黒魔術は、完全な失敗作でもある。


 例の古王国を書いた史書の中でも、入手困難な稀覯本。そこには、この魔術の顛末が書かれている。


 これを生み出した古王国は、同時に酷く迷信深く宗教的で、独自の信仰を持っていた。


『同胞の苦しみに耳を傾けてくれるのは同胞のみ。我らが祖霊だけである』、と確信していた。


 陰惨な儀式で呼び出す対象は魔ではなく、同胞の悲鳴を聞いた自分達の祖先の霊以外あり得ないとしか、彼らには考えられなかった。


 肉体を持った魔を制御する術式に、致命的な欠陥があった。


 制御術式は、召喚者の血族の魂を指定していた。ただ死の気配に引き寄せられただけの、通りすがりの魔を操ることはできない。


 結果、この魔術は彼らの終末戦争において、滅亡の一因になったという……。


「つまり、この魔法陣も結果は同じになる」


 階下の死体の山。その答えだろう。


 ただ愚かしいばかりの行為の動機も、ほとんど推察できる。この村は以前滅びた魔術古王国の領域内にある。


 彼らの祖先が誰なのか、容易に想像できた。


 王国復活のため200年かけ、待っていたのだ。


 村が歪な信仰に則っていたであろうことも、過去の影響かも知れない。人身御供の神。『花嫁』衣装。


 悍ましい呪術的な行為は、魔術そのものには関係ない。あるいは禁忌を行うにあたって、新しい信仰を必要とした結果かも知れない。


 樹壱は魔法陣から離れた。


 もう事件の全容が分かったと言っていいだろう。


 最後の目的は、『欠片』の回収だ。その目途もつけている……。


 部屋を出て、階段を降りることにした。






 階下のホールへ出る。変わらぬ惨劇の場だった。


 樹壱は立ち止まった。


 教会の外に、駆け足の音がしたからだ。少し遠くからここへ近づいてくる。


 やがて一人の男が飛び込んでくる……。


 それは、年老いた老人だった。


「はぁっ、はぁっ、うああっ……!!」


 息をひどく荒げ、恐怖で蒼白に染まったその者は旅装だった。少なくとも、ここに暮らしていた生き残りの村人の恰好には見えなかった。


 偶然迷い込んだ旅人か? こんな場所に間も悪く、と樹壱は思った。


 だが、その老人の顔を見た瞬間。


 ──樹壱の瞳は、恐ろしく冷たくなった。


 まるで機械の瞳のようだった。


 次の瞬間には心を閉じ、もう表情は戻っていた。


 息せき切って聖堂へ飛び込んだ老人は、慌てて周囲に転がっている死体をバリケード代わりに、扉の前につっかえにしていた。


「おい」


 かけた声に老人の体が跳ね上がる。ようやく樹壱の存在に気づき、振り返った。


「ひ……だ、誰だ!」


「俺は依頼を受けて、人探しにやってきた傭兵だ。お前は?」


 尋ねると、老人は荒い息に喉が詰まりつつも答えた。


「わ、私は、ただの旅の者だ」


「旅行者。この辺境の村に、わざわざ?」


「ああ、偶然立ち寄ったんだ。婚礼があると聞いて、観光に。もしかしたら食事にありつけるかと。金がなかったから」


「そうか……」


「ば、化け物が出たんだ! 村人を殺戮した巨大な人喰いの怪物だ! 私は森に隠れてなんとか逃げ延びたが、ここから去ろうとしたら見つかってしまった。逃げ回ってるうちに、ここへ戻ってきてしまったんだ!」


 樹壱は、背後のホール内を振り返る。


 散乱する死体を眺め、言った。


「これも、その化け物の仕業だと?」


「なんて事だ。結婚式の最中に突然現れ、奴はみんな殺してしまった……。こんな所に来るべきではなかった。私は」


「ふむ」


 樹壱は腰から下げていた水の入った革袋を取り出した。


「それは災難だったな。汗だくだ、水でも飲むか。周囲はこの有様だが落ち着くためには必要だろう」


 老人は少し躊躇していたが、押しつけると飲み口をくわえて、一気に飲み干してしまった。


 袋をおずおずと返してくる。


「すまない。つい全部」


「構わん。俺はアンバーという、さっきも言ったが傭兵だ。お前は誰だ?」


「私は……ジェンス=アミュー。大陸中央からやって来た。古代遺跡を巡るトレジャーハンターらに雇われて付いてきたんだ。

 古代魔術の知識があるゆえ、遺跡の魔術の解読者として呼ばれたのだ。まあその、帰る途中の宿場町で少々遊びすぎ、結局文無しで帰国する羽目になったが」


「ギャンブルか」


「サイコロでな。いやはや、遠征の儲けがパーだ! 私もいかん趣味とは分かっているが、ついつい。路銀まで全てかっぱがれてしまったよ」


「それで食事に困って、結婚式と聞いて漁りに来たと」


「その通り。いや恥ずかしいな、ははは」


 話を聞いてやると、ジェンスという男は少し安心したように笑った。


 樹壱は口だけの笑顔で返した。目は全く笑っていなかったが、ジェンスは気づかなかった。


 凄惨な場ではあるが、わずかに緊張の緩んだ後、樹壱は言った。


「さて……。ここを滅茶苦茶にしたその化け物とは、一体どういう奴だ。体格や形態、爪や牙はあるのか。足は速いのか」


「え?」


「放っておくわけにはいかん。人喰いなんだろう?」


 老人の目が見開かれ、信じられないとばかりに樹壱を見た。


「あんたまさか、あの化け物を? 無理だ。ただの人間にあれを倒せるわけがない」


「俺は聞いた。その化け物がここから主街道へ出て、隊商を襲えば大変だろう。たとえ俺一人では敵わなくとも、ここから離れた後には、情報を共有しておかねばならんだろう?

 それとも、教えたくない理由でもあるのか……」


「い、いや。そんなことは」


 ジェンスは少し考えるように沈黙し、顔を上げて言った。


「……人型の怪物だ。2メダト(約2.5m。1メダト1.27m)以上はあった。人間を繋げて作ったような、悍ましい姿だった。

 恐ろしい素早さで、次々に村人達を殺していた……。私以外、誰も逃れられなかった」


「四足歩行はしないか。人型と言ったが、知能はどうだ。奴はオーガやサイクロプスのように、何か武器を使っていたか?」


「素手で人間を殺していた。ほとんど獣のように見えた」


「飛び道具は使うか?」


「飛び道具……? いや、そういうものは無いはずだが」


「そうか。まあ実物の動き次第だが」


 遠距離攻撃手段はなく、老人の目でも追える程度の速度。人型の二足歩行なら、変則的な動きの警戒も薄い。


 聞いた限りではあるが、あまり問題ではない。


 ……樹壱にとっては、その体を形作っている『材料』の方が、ずっと問題だった。


 そして奴がこの老人を追ってきたなら、周辺の森を探し回る手間は省けた、ということだ。


「……」


「アンバーと言ったか。どうした?」


「お前が積んだ扉の前の死体をどけろ。すぐそばに来ている」


「い、いるのか!?」


 扉を見つめる樹壱の視線を追って、ジェンスが弾かれるように振り向いた。


 濃厚な気配があった。


 樹壱は、腰の剣を抜き放つ。


「お前を追ってきたというわけだ。こちらは他に逃げ場はない。窓を割れば、すぐ気づかれるな」


「本気で行く気か。私もお前も殺されるぞ!」


「迎え撃つしかない。2メダトの怪物が、死体のつっかえ程度で止まるとでも? それとも、俺が剣を置いて作業している間、戦える者が無防備でいいと言うことか」


 ジェンスが息を呑み、急いで積み上げた死体を除けた。


 樹壱は正面で剣を構えていたが、その化け物、怪異が飛び込んで来ることはなかった。


 ならばと、聖堂の扉を押し開く。


『それ』がそこに居た。


 こちらを向いて立っていた。


 いくつもの人間の肉体を捻じ曲げ繋ぎ合わせた、赤黒い姿の怪異だった。


 頭部は、肉が剥がれ落ちた二人分の頭を変形させ、強引に組み合わせ象られた歪な頭蓋骨。がらんどうの四つの眼窩から、紫色の液体を絶えず垂れ流している。


 両手足はそれぞれ一人分で造られ、『元となったもの』が、ほとんどそのままの形を保っていた。


 そのうちの一つ。


 もはや何も映さない白く濁った目と、樹壱の目が合った……。


「……」


 樹壱は、目を背けたくなった。


 それは醜悪さに対してではなく。痛ましさに、衝動が襲った。


 聖堂に転がっていた死体とは違った。


 目の前の『彼ら』は、抵抗する術もなく、生贄にされた無辜の犠牲者達だからだった。


「もう全員、死んでいる。ただ怪異の肉体のパーツとして、使われているだけだ」


 目の前の骸骨の空虚な視線の中、樹壱はゆっくりと、聖堂の短い石階段を降りていった。


 コツリ、コツリと。固いブーツ底が空しい音を立てた。


 ──誰も助けられなかった。誰も。


 死を覆すことはできない。この世界に、死者蘇生の魔法は存在しない。


 死の直前に死を回避し延命する手段はあるが、魂が一度離れ消えてしまえば、元に戻ることはない。


 周囲にいた大人の誰も、神々も、幸運も。


 誰も、この子らを助けなかった。


 誰も。


 樹壱も間に合うことはなかった。彼が間に合うことは少ない。彼はほとんどいつも、終わった後に現れるだけだ。


 終わりの後に来(きた)る者──


「……いや」


 いや。一人だけ。


 必死に手を伸ばそうとした者は、いたか。


 少し離れたところに転がる死体を見た。


 樹壱の知る『逃し屋』という男は、紛れもなく人間の屑だった。


 だが、最後の時だけは、人間的な何かをしようとしていた。希望を掴もうとして伸ばした右手が、大地に横たわっていた。


 それでも救いを求めた。自分の命ではなく、子らの救いを。


 誰か、と。


「いいだろう。せめてなら」


 終わらせてやることは、できるだろう──



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