プロローグ・5 『十字路の死神 上』
──ガダリッタ地方、ルニィの街。
獣人の国ブルウズ、サドーリ村が戦乱に巻き込まれ、住民もろとも全滅したというある悲劇から、五年後。
ルニィの街は、傭兵・流れ者・前科者、あるいは現役の盗賊……
そういった、社会の裏側に棲む者どもの街だ。
他国の禁制品が流通し、毎日のように殺人が起き、路傍には弱者の死体が打ち捨てられている、腐敗を極めた小さな拠点である。
外は宵闇の広がる夕べ、汚れた明かりの灯された酒場で、荒くれた盗賊どもが下品に酒を呑んでいた。
「おう、どんどん持ってこい。ガハハ」
テーブルの一つを占めた三人組が、特に景気がいい。
彼らは傭兵、あるいは時に残虐な犯罪行為も兼業で働く、この街にふさわしい者達だった。
この世界において、傭兵と盗賊の区別は難しい──金になるなら、武力でなんでもするのが彼らだからだ。
三人のリーダー格、ダリドは額の古傷をさすり、混ざりものの酒をやりながら言った。
「今回は大儲けだ。戦場の給金に略奪品、途中で寄った村での『収入』も良かった」
片目の潰れた男、仲間のジェッテが笑って頷く。
「しばらくは遊んで暮らせそうだぜ」
残る一人、片耳のアバラズは少し悔しそうだ。
「もっと女がいりゃな。田舎女をちょっと攫って、奴隷商に売ったくらいじゃもったいねえ」
「まあいいじゃねえか。そいつは欲張りすぎだ。殺した村長の家にあった宝石だって、十分大金になった」
「俺達がここで呑みまくっても、ちっとも減らねえぐらいにな。ガッハッハ!」
下劣な話を聞きとがめる者は、この街には存在しない。誰もが似たような人間の屑であり、そうした者らが酒と女と宿を求めて集うのが、このルニィだ。
アバラズが、ふと思い出したように言った。
「しかし……昔、どっかの砦で、獣人のガキどもがいたろ。あれはもったいなかった。特に姉妹がガキのくせに美人でよ。皆殺しにしちまわず奴隷商に売ってりゃ、いい金になったはずだぜ」
「またその話かよ。あの時は、戦で大負けしてそれどこじゃなかったって、何度も言っただろ」
「あの頃は奴隷女を売るツテもなかったしな。それに……」
ダリドが額を掻いて言った。
「……思い出しても、不気味な野郎だった。ありゃ双子だったのか? 殺した奴がそっくりそのまま同じ格好でやってきて、ビビったもんだ」
「チッ。こうなるから嫌なんだよ」
ジェッテが失った目に触れ、忌々しそうに毒づく。
「手に入らなかった金の話も、この目の話もつまんねえんだ。儲けのチャンスは最初からなかった。この話は終わりだ」
「ああ……。ま、今日はあれより、比べ物にならねえくらいの大金が入ったんだ。久々の大成功だ、乾杯しようぜ」
男達は盃を鳴らす。
すると、近くにいた別のならず者が、ダリド達に話しかけてきた。
片目に大きなできもののある小男だった。
「ヒヒヒ、今日は景気いいなダリドぉ。ちょいと俺にも、一杯くれねえか?」
「ああん?」
ダリドは、目の前の醜い小男を思い出そうとする。
同じ傭兵で知っているが名前を思い出せない……まあ、その程度の仲だ。しかし。
「前に戦場で、お前らを泥から引っ張り上げてやったよな? 一杯くらいの貸しは、あるだろうが」
「あー、そうだったな。しょうがねえ」
「わりいな。ヒッヒッヒ」
木の杯に注がれたエールが、小男に渡される。小男は無遠慮に席の一つに座り、酒をやってつまみまでかじった。
「そういや、ベニーの野郎はどうした。ついに死にやがったか?」
ダリド達はいつも四人組だ。小男がこの場にいない一人を尋ねると、アバラズが答えた。
「ベニーは別行動中だ。奴隷商から金を受け取って、ついでに次の儲け話のアテがあるらしい。話をつけに行った」
「まだ稼ぐ気かよ! お前ら貯め込みやがって」
「へっ、デカいヤマだそうだぜ。上手くいきゃ、クソみてえな傭兵稼業ともおさらばかもなぁ?」
ジェッテのいい気な言葉に、小男は忌々しそうだった。
「不公平だぜ! どうせ飲み代で使い切って、全員出戻りに決まってら……。まあ、それよりよ。お前ら最近の噂を聞いたか?」
小男が指を立て、神妙そうな顔をした。アバラズが言う。
「なんだよ。何かあったのか」
「【十字路】だ。【十字路の男】が、近頃またこのへんに出やがったらしい」
「「「はあ……?」」」
初耳の話に、三人ともが怪訝な声を出した。
「お前ら、まさか【十字路】を知らねえのか? ……あー、もう一杯呑みたくなってきた」
「もったいぶんじゃねえよ。ほら」
小男は注がれた二杯目に破顔し、語り始める。
「ヒヒヒ。俺ら無法者をつけ狙う、不気味な凄腕暗殺者がいるんだよ。一度狙われたら終わり、絶対に殺されるっていう、とびきりやべえ奴さ。
そいつは、【十字路の男】って呼ばれてる。
特にでけえ悪事をやらかした外道が、標的にされるらしい。正体は誰にも分からねえ、黒髪の男で、同じ傭兵の一人と言われているが……なんたって生き延びて語れる奴は、一人もいないっていうからな」
「初めて聞いたが。つまらねえ嘘の噂じゃねえのか?」
「お前ら、しばらく他の地方にいたからな。この街に住むやつは、皆知ってるぜ。シズルの五人組いるだろ、半年前に全員やつに殺られた。誰も知らないうちに全滅」
「シズル? 有名な手練れのグループだぞ」
シズルの五人組とは、東方からやってきたという触れ込みの、腕利きの傭兵グループだ。
ダリド達も、戦場で少しも死を恐れないという奴らの勇名は聞いている。
「あいつらが誰にも気づかれず。そんなことできる奴いるか? 他に、マリーテとカンバラのコンビも殺されたって話だ。あの無敵の殺戮夫婦がだぞ。ヒヒヒ」
「嘘だろ……。なんで十字路なんだよ?」
アバラズは当然の疑問を聞いた。
【十字路の男】とは、ずいぶん妙なあだ名だ。
「ああ、ああ、そいつはな。夜の十字路に現れるんだ。亡霊のように。道端でも家の中でも、道が四つある場所ならどこにでも。
まずは予兆がある。戸口に、そいつが立つんだ。影を見たらもう終わり……。どこまで逃げても、必ず追いつかれて、どこかの十字路に現れる。
そしてそいつは真っ黒な死神の顔をして、哀れな魂にこう囁いてくる。「道を選べ」ってな。だが、もし道を間違えていたら、命は……!」
小男が、にちゃあっと粘着質に笑った。
気味の悪い怪談に、三人の男達が顔をしかめた。
「やめろバカ野郎! 酒がまずくなる」
怒声を上げるジェッテに、下卑た小男だけが一人で笑っていると。
酒場のドアが突然、開いた。
怪談のせいで男達は、一斉にびくりと震えた。入口を見ると、他の傭兵が酒場に入ってきた。
ダリド達もいくらか見知った顔の傭兵達で、特に変哲もなかった。
「ヒ、ヒッヒッヒ。怖い怖い。俺らも狙われないよう、せいぜい祈らなきゃなぁ。外道さで言っちゃ、俺もお前らもここらの有名人だからなぁ……」
「くだらねえ話しやがって、くそちびが。ったく」
男達がほっと息をつく。
だが、店に入ってきたその傭兵の一団は、ダリド達に気づくと近づいてきて言った。
「おい、ダリド? お前ら助かったのか?」
「はあ? なんだお前」
「……まだだったか。ベニーが死んだぞ」
テーブルを囲んでいた者達が固まった。知り合いの傭兵は、男達に言った。
「奴隷商の街で、あいつの死体が見つかった。ひでえ有様だったぞ……。切り取られた頭が、ポールに突き立てられていた」
「ベニーが? なんでだ」
「なんでって。そりゃお前」
傭兵達が顔を見合わせる。小男が震えた声で、聞いた。
「し、死体の場所は。まさか」
「あ、ああ。『辻』に置かれてた。いつもの手口だ」
「……【十字路】だぁっ……!!」
小男の醜い顔面が蒼白になった。そして逃げるように、テーブルから離れていった。「俺は関係ない。俺は違う」と青い顔で呟きながら。
「あのやろ……! いや、ベニーのことは本当なのかよ!? あいつがそんな簡単に!」
「シズルの五人が、何もできずに殺られたんだぞ。まだ会ってないなら、お前ら早く逃げた方がいい。死神からは逃げられねえって話だがな」
「いるわけねえだろ、死神なんて! おいお前ら、ベニーを確認して、犯人をぶっ殺しに……」
ダリドが振り返ると、ジェッテは呆然と、酒場のドアを見つめていた。
真っ青な顔で。震えていた。
「……今、戸口に。『影』が。すぐ消えて」
「お前まで何言って」
「あ、あり得ねえ……! クソ、クソ、あいつは。そんなわけがねえっ!!」
「おい!?」
ジェッテが席を蹴り、剣を抜いて、酒場を飛び出していった。
「アバラズ! 追うぞ!」
あわてて二人が追いかけるが、酒場の外へ出ると、そこにはもうジェッテの姿は見えなかった。
夜の暗闇は落ち窪んで、静かに横たわり、男達を見つめていた。
風の音もなく。
「早く探せ! お前はあっちだ!」
彼らは手分けして、街を走り出した。
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