プロローグ・3 『廃城にて 下』
──それから、二日が過ぎた。
その間、樹壱は廃城で平和に──あるいは、平穏かつ無為に過ごしていた。
日々は農作業や力仕事などがあれば手伝い、労働の対価に食料と寝床を借り、夜は暇を持て余しただ寝るだけ。
他に行く当てがなかったからだ。
外へ向かおうにも、言葉が通じないことが分かり、地理も分からないと来た。
「どうしたものか」
と、独りごちてみても、打つ手もなかった。
畢竟、今やれることと言えば頼まれた仕事、空き時間で自分の能力の利用法の研究や、この廃城の探索、二人の少女と子供達の観察くらいだった。
「***ーっ!」
獣人少女の姉の方が階下で、樹壱に向かって手を振った。
「気をつけろ。落とすぞー!」
樹壱は廃城の二階から、腐った空の本棚を投げ下ろした。
窓から落ちた本棚は落下で砕け、離れた場所で見ていた少女と子供らがそれに群がって、引きずっていった。使える部材はリサイクルするのかも知れない。
今日、樹壱が頼まれたのは、部屋の片付けだった。
廃城内で放置されていた空き部屋を利用したいらしく、もう使い物にならない家具を始末する仕事だ。
「子供と女の子二人だけじゃ、引っ越しはきついよな。力仕事の需要があるのは、俺にとって食い扶持の保障にはなるのかも知れんが。
さて、あとはこの腐った本だ。インベントリを使えば楽だが……」
樹壱は、背後を振り返る。
ドアの前に、あの獣人少女の妹の方が、じっとこちらを窺っていた。
「……」
あからさまに不満な目だった。
あれからは樹壱に突然襲い掛かってくるようなことはなかったが、この子はまだ余所者を警戒する態度を崩していない。
監視のつもりか、離れたところで樹壱を見ていることが多かった。
「これを少しずつ下に運んで、裏のゴミ捨て場に捨ててきてくれないか?」
樹壱が本の束を指さすと、むすっとした顔のまま、少女は運びはじめた。仕事をする気はあるらしい。
「ふむ。警戒心が強いのは、昔、人間に嫌な思いでもしたのか。それとも他に理由があるのか。いずれにせよ俺には、あの子達の言葉が分からない」
ここ数日の間に、いくつか判明したことがあった。
あの少女達には、大人の保護者がいない。
事情は分からない。戦争か疫病か飢饉のせいか、彼女らはここに住み着き、花から取れるパンの元や、たまに雀に似た鳥などを捕まえて食べて暮らしていた。
一度、廃城内で、少女と子供が抱き合って泣いている姿を見た。やはり親と故郷を喪ったのかも知れない。
樹壱とて異世界へ急に飛ばされて、事情もよく知らない子供の面倒を見ていられる状況ではなかったが、放っておくのも寝覚めが悪い。
何が慰めになるかなど知るはずもなく、出会ったばかりでできることなど限られている。
それでも、飯と寝床の恩義くらいはあった。
「そろそろ言葉を教えてもらいたいな。コミュニケーションが取れない」
身振り手振りでは限界がある。樹壱はまだ、あの子達の名前も知らないのだから。
さて、割れたテーブルや足の折れた椅子など壊れた家具類を放りだした後、残る本の束を抱え、樹壱は階段から下に向かった。
この城内も二日間、畑仕事の休憩の合間に調べてみたが、旅に出るにまともに使えそうなものは何もなかった。
ずいぶん長い間、ここは無人だったようだ。
誰も見ていない時を見計らって、過去再生の能力を試した。
頭に浮かぶ体内時計によれば、ここは30年ほど前、獣人の軍隊が利用したきり放棄された砦らしい。
「映像を他人には任意で不可視にできるとは、思っていなかったが。この能力は目立たずに済む工夫がされているな……」
どうやるか言葉では説明しづらいが、過去再生は他人の目からは見せたり消したりと、意識的にオンオフする機能が備わっているようだった。
下へ向かう途中で妹獣人の姿が見えたが、樹壱の荷物を見て、仕事は終わったと思ったらしく無言で去っていった。樹壱は廃城の裏手のゴミ捨て場で、腐って文字も判別できない本の束を放った。
「少なくとも文字の文明はある、か」
一応、紙もあるようだ。植物の繊維を寄り合わせただけの、デコボコで低品質な代物だったが。
少女らが文字を知っているかはともかく、こういうところから世界の文明レベルのヒントはあった。
廃城の中庭へ戻ると、少女達は廃材で何かをやっていた。簡単な案山子を作っているようだった。
畑にでも設置するのだろう。
花畑が重要な食糧元なのだから、確かに鳥害への対策は必須だ。
……なのだが。
「********!!」
「*、*****ー。 ***、*******!」
また少女二人がささいな喧嘩を始めていた。
おそらく、廃材をどうするかという事で言い争っているようだ。
やはり何を言ってるか分からないが、ジェスチャー的に見て、妹の方は家具を修理したがっている、ように思えた。
この場合は、妹の方がワガママを言っているようだ。食べ物は命綱であるし、案山子を立てる方がやはり妥当だろう。
姉の態度は叱ったり、嗜めていた。他の年下達も、姉の方の味方をしていた。
「またか。やれやれ」
樹壱は建物入口の階段に腰かけた。頬杖をついて、騒がしい姉妹を眺めた。
樹壱に対する対応とは違い、興奮して暴力を振るうわけでもないので、とりたてて止める必要もなかった。何人かは慣れているのか、もはや喧嘩に構わずお喋りなどしていた。
見た目では15歳頃にも足りない少女二人と、さらに年下の子供が八人。
全部で十人。
これが廃城の住人達だった。
「俺も入れれば十一人目か? 異世界人の推定囚人が、数に入るか分からないけどな」
自嘲的に笑い、呟いた。
まあ、悪くない場所だった。
風呂がなくて代わりに汲んできた水浴びなのは勘弁だけどな。などと樹壱は思う。
花畑の広がる、どこか不思議な、懐かしいような気持ちになる廃城。
廃墟に光の射し込む、幻想的な中庭。十人の子供達。
樹壱にとって、ここは不幸な環境では決してなかったし、いずれ元の世界に戻る手立てを考えるにしても、今しばらくはここで過ごしてもいいという気分だった。
もう少し、孤児らしきこの子達と仲良くなって。みんな安心して暮らしていける程度になれば──。
「遊んでいる場合ではないと、分かってはいるんだが」
目的を棚上げして、目の前のことに流れてしまうのは人間よくあることだ。この子達の事情に知らんぷりをするつもりも今更ない。
何か出来るだろう。小さな助けであってもだ……。
樹壱がぼうっとしていると、子供のうち一番年少らしき小さな男の子が、一人寄ってきて見上げてきた。
姉妹の喧嘩を仲裁して欲しい。ということのようだ。
「おいおい。俺は言葉も知らないんだぞ?」
「*、****、*****……?」
「……まあいいか」
彼の頭を撫でてズボンの埃を払い、現場へ向かう。
すると樹壱に気づいた姉の子が、ぱあっと顔を輝かせた。最高の味方を見つけた、と言わんばかりだった。
樹壱の袖を引いて影に隠れ、妹を指さして何かを言った。樹壱にも言った。
この子を叱ってやってくれ……、と伝えたいのだろう。
「うーん……」
姉の子はこのところ、何かと樹壱に頼りたがる素振りを見せていた。
心情的には理解できた。この集団の事実上のリーダーをしているのは、この子である。
しかし年齢的には、分不相応の重圧のはずだった。
年上の男性、指示も聞いてくれて、体も大きく力も強い大人──言葉が通じなくても、子供が依存心を抱きはじめるのは自然なのかも知れない。
それは分かるが、だが……妹の方を見ると、目に涙をいっぱいに溜めて、拳を震わせていた。
悔しそうに。怯えの感情を、気丈に隠しながら。
その心理も樹壱は理解できた。
「まあ待ってくれ。みんなで責めたら、この子がかわいそうだろう?」
姉は見知らぬ余所者に頼り、年少者もほとんどあっちの味方で、誰も自分の意見に賛成してくれない。
自分に味方はいないのだ──そんな風に思いつめやすいのも、この年頃の子の特徴だろう。
樹壱は腰を落として目線を合わせ、涙を指で拭ってやって言った。
「悔しかったんだな。お姉ちゃんもみんなも、自分を悪者にしてるみたいに感じて。
だけど、そんな風に感じなくてもいいんだ。落ち着いて、もっとよく話し合ってみて、みんなが納得できる意見を探してみたらどうだ?」
優しく微笑んでみると、妹の子は驚いた顔をした。
言葉の内容は伝わらなくてもよかった。ここで大事なのは、疎外感をこの子に与えないことだ。
そのやり取りに、樹壱の後ろにいた姉の子も意外そうな顔をしたが、何かに気づいたのか。
少しバツが悪そうに前に出てきて、妹へぽつり、ぽつりと言った。
すると妹の子は、くしゃっと顔を歪めて……姉に抱きつき、ぶわっと泣き出してしまった。
……どうやら上手く行ったようだ。慌てる姉の子を眺めつつ、樹壱はふう、と息をついた。
樹壱を呼んだ男の子が、嬉しそうに笑って服を引っ張ってきた。
おそらく、よくやった、と。
「ああ、なんとかなったよ。頓珍漢な勘違いをしていたら、どうしようかと思った」
肩を竦めて、天を仰いだ。
空はよく晴れて、美しい青空が広がっていた。
地には花畑が広がり、抱き合う姉妹と、それを囲む子供達がいた。
悪くない場所だった。
いくつか手つかずの問題を抱えているにしても……。
突然。
背後で、物音がした。
楽園的な廃城と、外部とを繋ぐ、門の方からだった。
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