プロローグ・3 『廃城にて 中』
……結局、懸念は実現しなかった。
しばらくすると獣人の少女の一人が、食べ物と水を持ってきてくれた。
「*********」
「ありがとう。助かる」
言葉は通じないが、樹壱は礼を言った。どうやら理解してくれたようで、少女は微笑んでくれた。
食べ物は……毒のつもりではないだろう。
が、異世界人で獣人でもない自分が食べられるのかが、心配だった。しかし差し入れられて手をつけないのも警戒される。
パンのようなもので齧ってみると、塩気はないが食用にできた。
少女は樹壱が食べ終わるのを見て、満足そうに出ていった。
「思ったより待遇がいいな」
こうなってくると、ボロ牢の囚人とはいえ、樹壱は屋根と休める場所を得たことになる。楽観的すぎる気もするが。
窓から外を見る。子供達は落ち着きを取り戻し、再び花畑の中にいた。
どうやら遊んでいるだけではないらしく、花から何かを収穫しているようだった。
「花は食べ物だったのか?」
穏やかな風景を横目に、ともかく樹壱は暇を持て余した。この間に、自分の能力をもう少し試してみることにした。
心の中でインベントリを唱えてみる。水色の窓が開く。
口で言わなくても、インベントリは開けるようだった。取り出す時に思考に反応していたため思いついたが、成功した。
過去再生も試してみる。レンガの穴から大きなタヌキのようなものの幻影が入ってくる。やはり唱える必要はなく、頭で考えるだけでいいらしい。
やめ、と思うと幻影が消える。
「このインベントリの窓? は、窓より大きいものはどうやって入れるのか。おお、広がった。形は自由に変えられるのか」
頭の中でイメージすると、窓は拡大や縮小や回転、形や位置も変化させられるようだ。水色の窓は、自由自在にぐにゃぐにゃと曲がりながら、周囲を旋回した。
格子窓から手を伸ばし、牢の外でも広げてみる。
「広げられる大きさは……縦横5m四方ってところか。縮めるのは、どこまでもいける感じではある」
室内に落ちていた棒切れを拾う。
棒を、インベントリ窓に半ばまで突っ込み、窓を縮めて切断してみようとした。窓の縁のところで引っ掛かり、止まってしまった。
このインベントリの窓には、枝を切るほどのパワーもないらしい。左右に振ってみたりもしたが、無駄だった。広げる方向にも大した力はない。
「だめか。簡単に悪用も難しそうだな」
ただの保管庫と言っていたし、それ以外の能力はないのかも知れない。もう少しサービスしてくれよ……と、樹壱は心の中で文句を言った。
悪ふざけの気分で、二つ、三つと窓を増やせるか試す。
しかし意外にそれは指定した通りに、複数の窓が空中に開いた。
「こういう事は出来るのか。サイズは足して5m四方の、総面積は変わらないようだ。しかしこれに使い道が何かあるか……」
「──**、**********?」
「っ!」
気づけば、先ほどの少女が戸口に立って見ていた。
見られたかと、樹壱は少し焦る。魔法のようなものが使えるのは、武器とみなされかねない。
だが、
「?」
「……見えてないのか?」
ただ首を傾げているだけだ。どうやらこのインベントリの窓は、他の人間には不可視であることに樹壱は気づいた。
少女は、毛布と敷き布を持っていた。
「これは布団か? いいのか」
少女がにこっと笑い、渡してきた。純粋な親切のようだ。
樹壱は、少し申し訳なくなってきた。自分は侵入者のはずなのに、ここまでしてもらえるとは思わなかった。
「逆に世話になっているな……。対価を渡せなくてすまない」
「*****、********?」
「うん? なんだろうか」
少女が身振り手振りを交えつつ、樹壱に何かを伝えようとしていた。説明か、説得のように思えた。
最後には頭まで下げてくる。
「おい謝るな。本当は怖がらせた俺の方が謝るべきで……」
少女は樹壱の手を取り、外へ引っ張っていく。牢から出てしまった。
「釈放か?」
そのまま花畑の方へ連れて行かれる。少女が畑を指さし、手振りをして言った。
「……労働ということか。子供達と同じようにしろと」
花畑で作業をしていた他の子供達は、牢から出てきた樹壱を見上げて、少し怯えていた。
とりあえず腰を下ろし、頭の位置を大きく下げる。初対面の子供に対応する鉄板だ。
じろじろと視線が来るなか、樹壱は微笑んで言った。
「よろしく、囚人にして新入りの葦原くんです。先輩の皆さんに追いつけるようがんばります」
やはり言葉は伝わっていないが、態度や笑顔は伝わるだろう。とにかく、この子らの害にならない事だ。
子供達の作業を見ると、花から果肉のようなものを取っていたらしい。
これを集めればいいのだろう。樹壱は黙々と作業を始める。
紆余曲折はあったが……食べて宿を貸してもらえる以上、仕事で返すのがいい。
連れてきた少女は樹壱の様子に満足したようで、木の器を渡してきた。ここに果肉を入れればいいようだった。示された通りにする。
少女は笑顔になる。樹壱と並んで、作業しはじめた。
「さっき食べたパンが、これを焼いたものなのかも知れないな……」
この子達は、狩猟採集で生活しているのかも知れない。少々失礼かも知れないが、機械などを扱う高度な文明の担い手には思えなかった。
手を動かしつつ、時に子供のうち男の子に枝でぺしぺしと後頭部を叩かれるのを放置しながら、樹壱は彼らをそんなふうに推測した。
やがて花畑の果肉をほぼ取り終えた頃、少女が立ち上がった。
腰から下げた杖を掲げ、唱え始めた。
「──***。********──」
杖から光が放たれる。
雨のように光が降り注ぐと、果肉を除かれた花が蠢き、蔓が伸びて再び中の果肉が盛り上がってきた。
少女が誇らしげに胸を張った。子供達が少女を褒めた。そしてまた子供達と共に、果肉を取る作業を始める。
「魔法だ……! 花を成長させて、何度も収穫しているのか」
大した量にならないと樹壱は思っていたが、これなら幾らでも採取できるだろう。他に目を向けると、この花と同じものと思われる若芽の畑も作られていた。
「たっぷりと取れそうだ。よし、俺も頑張ってみるか」
腕まくりをし、樹壱も作業を再開した。
──ところで、廃城の建物へ続く古びたドアから、あわてた人影が飛び出してきた。
樹壱が捕らえられた時にいた、もう一人の獣人の少女だった。
「シャアアアアッ」
怒った猫のような警戒音を上げ、樹壱に向かって突進してきた。
手は棒を持っていた。
「うお……!」
一目散に襲い掛かってくる。
避け……
なくても、いいか。
咄嗟に判断し、樹壱はその場で頭を抱えて、うずくまった。
そのもう一人の少女は怒りの声を上げながら、樹壱を何度も棒で打ち据えてくる。
痛いが、思った通り耐えられないほどではなかった。
やはり彼女達はあまり力が強くない。
手足は長いが体の線が細く、人間の同年齢の女の子より腕力がないかも知れなかった。獣人の年齢はよく分からないが。
なら、ここで慌てる必要もなかった。少しばかり我慢しておけばいいはずで……
「***!!」
樹壱と共にいた方の少女が、かばって乱暴を止めてくれた。
ほら、上手くいった。ほっとする。
先ほど樹壱の牢の前で言い争っていたり、片方の態度や親切さから見て、あれは自分に対する扱いの意見対立かと踏んでいたのだが、当たったようだった。
一人は樹壱に対して親身で、融和的らしい。樹壱としては、善良な囚人の立場を守れるし、彼女が止めてくれる形が一番丸い。
子供相手に善意を利用しているようで、大人げないし少し悪い気はしたが……。
問題なのはより年少の、周囲の他の子達だ。
樹壱が下手に抵抗すると、この子達を怖がらせてしまう懸念があった。樹壱は体が大きいため、正当防衛の状況でも、よく知らない大きいものが暴れたら子供には相当怖いはずだった。
この子らの害にならないようにと、もう決めていた。
「**! ********!?」
「******、*******!!」
二人がさっきのように言い争う。その顔立ちはよく似ていた、姉妹なのかも知れなかった。
乱暴をした方の少女が、腰の杖を抜いた。
先端から、ボウッと火が出た。樹壱の方へ杖を向けてくる。
「待て、それはまずい! 想定外だ!」
さすがに逃げると、かばってくれた方の少女が乱暴少女を力ずくで取り押さえた。子供達も協力して、杖を取り上げる。
「ほっ。危ないな……。こっちの子はこんな魔法が使えるのか」
棒と違って、炎はさすがに耐えられない。
取り押さえられた少女は癇癪を起こしすぎて、少し泣いていた。縄が持ってこられ、縛られてしまった。
「***、****! *************……!!」
「****」
一人が、取り押さえられたもう一人を縛りつけて溜め息をつき、そして樹壱に向かって何かを言う。何が言いたいのかはもちろん分かった。
樹壱は問題ない、と笑って手を振った。
「なに、無事だ。怒ってないよ、俺は警戒されても仕方ない立場だからな。見た感じ、君がお姉ちゃんかな?」
少し背が高く大人びているため、おそらくそうだろう。姉少女は樹壱の体を改め、大きな怪我がないことに安堵した様子だった。
トラブルがあったためか、その後、樹壱はボロ牢に戻された。暴れた妹少女も、縛られたまま連れて行かれてしまった。
姉少女の方は、夕食の時に花を持って樹壱を訪ねてきた。謝罪の意を示したいのだろう。
本当に優しい子のようだった。樹壱は、にこやかに応対して感謝した。
夜は問題なく眠れた。特に異変もなく、これからどうするかについて考える必要はあったが、静かな夜だった。
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