プロローグ・3 『廃城にて 上』
視界が揺れる。紫色の宇宙のように見える。
高速でどこかへ向かっている。
宇宙に亀裂があった。強制的にそこへ吸い込まれるように、飛び込んで──
「──うあっ!」
目を開けるとそこは──緑の丘の上だった。
「どこだ。次は?」
ほとんど原野のような場所だ。周囲には、新緑の絨毯が続く。
「……どうするんだ。俺だって人の子だぞ? 両親もいるし生活もあるのに」
樹壱は嘆息するしかない。
……だがまあ、このままいても仕方がないのは、確かなようだった。
遠くに大きな建物のようなものが見えた。分からないが、樹壱は起きてそこへ向かってみることにした。
草を踏み、樹壱は歩き出す。
「わけが分からない……。ここは本当に異世界ってやつなのか?」
だとしたら帰れないのか、災難に頭が痛くなる。
今、樹壱の持ち物は何もない。食料すら持ってないのだ。
謎の建物へ向かう道すがら、樹壱は人魂の言葉を思い出していた。
「三つの能力と言っていた。結局何ができるんだ?」
他に頼れそうなものもない以上、あの早口で伝えられた神の恩寵とやらが、実際にどんなのものなのか把握しなければならなかった。
彼はとりあえず手を出して、言葉にしてみることにした。
「『インベントリ』。うおっ?」
すると樹壱の前に、摩訶不思議な『窓』が開いた。水色の板のようなものが空中に浮かんでいる。
指で突いてみると、触る(?)ことができた。指先が窓に触れるたびに、小さく波打った。
「ああ、なるほど。保管庫か。ここに物が入るということか?」
樹壱は足元にあった、たんぽぽに似た野の花を一輪摘むと、インベントリの窓に向かって突き出した。
すると花が窓に触れた瞬間、花がすうっと吸い込まれ、樹壱の手から消えた。
「触れさせると仕舞えるのか」
樹壱はさらにインベントリの他の挙動を試してみる。窓に触れ、花を取り出すイメージをすると、水色の窓から花が出てくる。
「俺の思考に反応するのか……。どういう原理でこんな事が実現しているのか、さっぱり分からないが今更だな」
自宅にいたら人魂に異世界へ拉致された事に比べたら、大した問題ではなかった。魔法的な何かなのだろう。
「魔法はいい。いいが、現代文明から隔絶されてまで欲しいかというとな……。とにかく次の能力だ。『過去再生』、それに『不老不死の強制労働者』とか言っていたか。
……不死? だと?」
不老というのは構わない。長寿というのもいいだろう。
それなら樹壱も歓迎するが、しかし不死というのは……?
しかも強制労働者だ。何を労働するのか分からないが。
字義どおりに捉えるとするなら、もし死にたくなったとしても。
どれだけ年月が経ったとしても……?
火の玉は絶対に逃げられない、気の毒に、とも言っていた。執拗な説明付きで。
「いや。嘘だろう? それは常に無事ということなのかも知れないが流石に嫌だぞ。……考えない事にしよう。そうだ、『過去再生』というのは何だ?」
嫌な予感を振り払い、樹壱は先ほどと同じように「『過去再生』」と唱えてみる。
だが何も起こらない。
インベントリのように、不思議な窓が現れるわけでもない。
「なんだ? 過去に実際に起こった事を、立体映像再生すると言っていたはずだが。──もしかして、何らかの指定が必要なのか?」
考えてみれば、過去を再生すると言っても、そのままでは有史以来の全てを映像再生して、有史と同じ時間そこで見つめていなければならないことになる。
それでは無意味だ。追跡に使える、という事なら、見たいものを指定できなければ成り立たない。
樹壱が周囲を調べると、地面に靴跡のようなものがあった。樹壱のものではない。
「誰かがここを歩いたわけだ。足跡のサイズからして男、か? じゃあ、ここにいた奴を……『過去再生』」
すると旅人らしき姿をした蒼白い幻影が、地から生えてくるように現れた。
息のリアルな音まで聞こえてくる、まるで本物がすぐ傍にいるかのようだった。樹壱が触れてみようとすると、実体は無く空を切った。
「こうなる訳か。触れないタイプのムー○ィブルー○みたいだな。うん、何だこの感覚……?」
未知の感覚が樹壱を襲った。頭の中に時計があるような、言い知れない感覚。
それは目の前の映像が何分前の出来事なのか、秒単位で正確に把握できるというものだった。
この旅人は72時間32分14秒前、こうしていた。
わずかな狂いなく、そうだと分かった。
「うっ、気持ちが悪い……慣れが必要そうだな。だがなるほど、時間が分からなきゃ追跡に使うもくそもないか。……」
樹壱が立ち止まった。
能力を把握しつつある中で、ある重大なことに気づいたからだった。
「この能力。俺に保管庫と、過去が見える力があったとしても、何もできない。食料もない現状ではそれ以前の問題だ。……だめじゃないか?」
軽く絶望的な気分になる。
残るは『不死』の能力(あるいは呪い)。ということらしいが。
この三つのチョイスで、論理的に考えると。
──『樹壱の受難が当たり前の前提』と、されている。
そうとしか思えなくなる。
「嘘だろう???」
直接的な攻撃能力は現地調達とのことだ。つまり、何が起きたとしても『調達するまでの身の安全と保障』が、存在していない。
それに樹壱はもちろん剣の扱いなど何も知らない──ただの一般人である。
今、何かに襲われれば詰みだ。そうなったら、リカバリが『不死』になる。
なので死と甦りのリトライが織り込まれた前提、ということになる。
「おい。『死を試す』のは嫌だぞ。いくら何でも」
暗澹たる気持ちで、樹壱はそれでも再び歩き出す。
目指していた建物に近づくと、それは思ったよりも大きいものだった。
到着して見上げると石造りだが、ボロボロの城か砦のようで。人間が住んでいるものには見えなかった。
「廃城というやつか? ここの時代背景も分からないが、中世や近世には不要な城を放棄することもあったと聞くが」
ここで食料を手に入れるのは無理そうだった。他に人里を探す必要があった。
「とすると、さっきの旅人の幻影か。旅をしている以上は目的地があり、ついていけば村か町に辿りつける可能性は高いはずだ。
よしんばなかったとしても、他に足跡を見つければいい。途中で生きた人間を見つければもっといい。危ない奴ではない限りだが……」
努めて冷静であれば、幾らか可能性はありそうだった。
樹壱も正直に言えば、焦りや恐怖もある。理不尽への怒りもある。が、今あわてても仕方なさそうな状況だった。
何やら白い石を集めろと言われたが、こんな目に合わされて付き合う気は出ない。
集めなければ帰れないなら、いずれやらなければならなくなるのかも、知れないが……。
「とにかく目の前のことだ。この廃城に、何か物資が残されているかもな。武器や靴や器だとか、ナップザック……は要らないのか。インベントリとやらを使えばいい」
まずは見てみようと、樹壱は中に入っていった。
────────────────
結論から言うと、無人の廃城ではなかった。
そして樹壱は今、棍棒を持った少女二人と多くの子供達に、壁際まで追い詰められていた。
「嘘だろ……!」
完全に予想外だった。
やはり、見知らぬ土地での予断はよろしいものではない……。樹壱はこの世界で初めての学びを得た。
「──*******!!」
少女が叫んでいる。何を言ってるか分からない。
当然のように、異世界で言葉は通じていなかった。
そして少女達は、明らかに普通の人間ではない──獣のような耳が生え、鼻の先が犬のように黒くなっていた。服こそワンピース、もとい荒布の貫頭衣を着ているが全身の体毛が濃く。
獣人……という風情だ。
樹壱が廃城に入ると、中庭のように開けた場所に、花畑が広がっていた。
そこに少女と子供達がいた。樹壱に気づくとパニックを起こし、半分ほどが逃げ、残りの半分が棒を持って襲い掛かってきた。
樹壱の方もあわてて離れようとして、柱の間を追い回されているうちに、壁の隅まで追い込まれてしまった……というわけだった。
「待ってくれ。もう殴るな。俺が悪かったから許してくれ」
樹壱は既に数発、棒でひっ叩かれている。
言葉も通じないので話のしようもなかった。降参を訴えても、分かってくれるかどうか。
「*******?」
少女のうち一人が、自分達よりずっと大柄なはずの体を縮こまらせている樹壱を見て、首を傾げた。
そろそろと近づき、樹壱のポケットや服をまさぐりだした。
何も持っていないのが分かると、武器を降ろす。様子を見るに、他の者にもそうするように促したようだった。
「……? 勘弁してくれたのか?」
樹壱は周囲を囲まれたまま、奥に連行されていく。
少女二人に子供達なら強引に逃げられなくもなさそうだが、不法侵入を働いたのは樹壱の方であり、おまけに相手は獣人で未知数だ。
鋭い爪でも出されたらたまらない。ひとまず黙って従うことにした。
奥まった場所にドアがあり、そこに押し込められた。
鍵をかけられてしまう。
「待ってくれ……。はあ、参ったな」
動転していたのもあるが、情けない結果だった。
頭を抱えたくなるが、言葉の通じない現地人とのファースト・インプレッションでは、こうなり得る気は十分していた。
むしろ、子供に少し殴られた程度で降参して済んだのはましかも知れない。大男達に囲まれて集団リンチを食らうよりは、いいはずだ。
ここは倉庫か土牢のようで、ドアを見ると、やはり廃城らしくボロボロの木製だった。いざとなれば蹴破って出ることもできるだろう。
牢のような格子窓があり、外を覗くことができた。
先ほど樹壱を囲んだ獣人のうち、年上の少女二人が、ドアの前で言い争っているようだった。相変わらず言葉は分からないが。
二人がこちらに気づいて振り返った。
樹壱はとりあえず手を振って、困った顔で笑いかけてみた。害意がないことを示すつもりだった。
一人は睨みつけてきて、もう一人は申し訳なさそうな顔をしたように見えた。二人が立ち去っていく。
「さて……どうするか」
期せず監禁状態になってしまったが。
とりあえず状況を考える。
閉じ込められたが、その気になれば脱走できる密室。土嚢でも積まれたら困るが、それは気づくことができる。
獣人少女達の腕力は、樹壱より強いようには思えない。というより、叩かれた感じでは思ったより力は弱かった。
刃物でも出されなければ、簡単に逃げ切れるだろう。
あの獣人の少女達は何者か──ここに居住、ないしは付近に住んでいると考えるのが妥当か。
「本当に異世界なんだな……。しかし、大人の家族がいるとまずいな。子供達は七、八人はいた。養うだけの大人がいると考えるべきで、囲まれたら危なくなりそうだが」
樹壱は大男で、背丈も185cmほどにもなるが、それでも複数で刃を向けられたりしたら戦う気は起きない。
やはり恭順の意思を示すべきか。少なくとも彼女達は、無抵抗の者をそれ以上攻撃しないような人間的な感情や感性があるようだが、言葉が通じないのが厄介だ。誤解が広がりかねない。
状況が悪化しそうなら、すぐ逃げる手を打てるようにしておくべきだろう。
若き日の樹壱は比較的、冷静で優しい性格の人間であった。乱暴な真似をするくらいなら、逃げる方を選ぶタイプの人種だ。
「保険が欲しいな。いや、未確認だが保険はあるのか?」
不老不死。『死んだら、必ずこの世界で蘇る力』──だそうだが。
インベントリと過去再生が唱えて作動したなら、当然それも動くと考えられるはずだ。そこで嘘をつく理由がない。
あの火の玉が愉快犯なら、別だが。
「やはり積極的に試す気は出ないけどな」
何かの間違いで、失敗してはたまらない。あれだけ念押しをされたからには、そうなる可能性も低い気はするが……。
樹壱は室内を調べた。
隅の方に、レンガが抜けて外から光が漏れていた。動物か何かが開けたのかも知れなかった。
「掘れば出れるな。地面の土質も固くない」
万が一の抜け穴も用意できた。本気で監禁する気があるのかとも思うが、向こうからすれば樹壱は突然やってきたはずで、子供の咄嗟の判断ではこんなものかも知れない。
武器を持って殺気だった大人が大勢来るか、もっと厳重な牢に入れられそうなら逃げよう、と樹壱は決めた。
武器と言えば、自分の方はまだいいだろう。見られれば、少女達の誤解が深まる。
そもそも花畑にいた子供達のところに乱入したのは樹壱なのだから、怖がらせるようなことは極力したくない。
「まあ仕方ないだろう。様子を見よう」
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