3
大量の色とりどりな和傘で飾られ、ライトアップされた山車のパレードを見た帰り道――泥と草の香りが膨らんだ田んぼの小道を、僕と二絵は祭りの感想を言い合いながら進んでいた。
会話が途切れ、しん、とした時に二絵は静かに言った。
「俺、二絵のことを愛してる。めっちゃ好き」
推しのアイドルが結婚を電撃発表した時のような、がつんとした衝撃が頭を殴った。
「本当に、世界で一番、夏目が好きなんだ。俺」
僕は歩く速度を変えずに「そうなんだ」と明るく言った。横目で、二絵が期待するような瞳でこちらを見ているのが分かった。あえて二絵の顔を見ずに言った。
「僕も二絵のこと、最高の友人だって思ってるよ」
「そっか」
二絵はそれ以上、何も言わなかった。僕も何も言わなかった。時折、ちらちらと二絵が僕を見る。
一方、僕はわざと月を見上げて「綺麗だね」と言っていた。そのことを思い出して、急に喉が渇いていくような気がした。
玄関から流れ込んでくる夏の熱気が、皮膚にへばりついてくるような心地がする。
「早く入りなよ」
早く玄関を閉めたくて急かしたように言うと、二絵は頬を染めたまま「うん」と子供のように頷き、靴を揃えてから二階に上がった。
引き締まった白い背中を途中で見届けてから、冷蔵庫に入っていた紙パックのグレープジュースを二個取り出した。ついでに貰ったキュウリを袋ごと冷蔵庫に押し込み、二階に向かった。七畳の部屋に入ると、フローリングの床に二絵があぐらをかいて座っていた。二絵は僕の部屋に入ると、必ず床に座る。一度もベッドに腰掛けたり、勉強机の椅子に座ったりしない。
ふと、二絵の視線がエアコンに向けられていることに気づいた。
「どうしたの?」
ジュースを手渡しながら尋ねると「写真を見てた」と二絵は目を細めた。エアコンの下には、僕が趣味で撮った猫の写真が飾られている。他にも、去年に家族と訪れたコスモス園や、鮮やかな夕やけ雲の写真がある。
「夏目ってさ、昔から写真撮影が好きだよな。俺さ、自分に植物とか空とか、美しいって思える感性がないから。正直この写真を見ても何も感じないんだけど。でも、この写真がお前の好きなものなんだよな」
「そう。でも写真撮影が趣味とか、女っぽいって物凄くからかわれて、中学生の時はクラスメイトにいじられたな」
自虐したように言うと、二絵は眉間にしわを寄せた。
「何それ、初耳なんだけど?」
「言ってなかったからね。言う必要もないと思ったし」
「何だよそれ、言ってくれればそいつぶっ飛ばしに行ったのに」
紙パックを潰しながら、二絵は一気にジュースを飲んだ。僕はあぐらをかいて座った。
「ところでさ、二絵。またバイト変えるの?」
「あぁ、うん。あそこのコンビニ、三ヶ月ぐらい経ったし。もうそろそろ辞める予定。俺さ、誰かに好意を寄せられるのが苦手なんだよね。バイト先の先輩が連絡交換しようとか言ってくるし。まじ萎える」
「なんで好きになられると嫌なの?」
二絵は不思議そうに口角を上げた。
「俺さ、基本的に人に興味がないんだよね。そりゃ話を聞くぐらいはするけど、内容なんて覚えてないし。だけどさ、それを何度か繰り返してると、相手が俺のことをなんでか友達認定してくんの。それが面倒」
「友達になれば良いだろ?」
むっと二絵は僕を睨んだ。
「そう言うこと俺に言う? 俺は夏目がいればそれでいい」
僕と二絵は同じ高校に通っている。そして二絵は――僕以外の人とはほとんど関わらずに過ごして生活している。小学校も中学校も僕と二絵は一緒のクラスだったが、二絵の交友関係の狭さは変わらない。一匹狼みたいだとか、変な奴と陰口を言われても、二絵は頑なに僕以外の友人を作らない。
「俺は夏目で充分だ。この先もずっと」
エアコンの作動する音が、やけに大きく聞こえた。二絵の汗の匂いと、僕の身体から漂う匂いが混ざりあって、僕の鼻の奥に侵入してくるような気がした。尋ねたい言葉が食道を這い上がってくる。
聞くな、聞いてどうすると理性が訴えてくるが――感情を理性が殴った。静かな口調で言う。
「なんで二絵って僕のことを好きになったの。昨日のあの言葉ってやっぱりそういう意味だよね」
二絵は顔をみるみると真っ赤にさせて、瞳を潤ませた。
「うん、そういう意味」
「どうして?」
耳まで赤くなった二絵は小声で「言わせるのずるくない?」と言った。何も言わない僕に、二絵はちらりとこちらを見てから、恥ずかしそうに視線を下に向ける。
「お前、覚えてる? 初めてお前がスマホを手にした時」
「小学三年ぐらいだよね?」
「そうだよ。お前、スマホを持つ前から写真撮影が好きだったろ。そんなお前がさ、俺に新品のスマホを見せてくれた時。俺と一緒に写真を撮ろうって言ってくれただろ」
僕は頷いた。
「写真を撮ってからお前が言ったんだ。僕の一番好きな友達の写真を最初の一枚にしたかったんだ、ってさ」
二絵は僕の腕を優しく掴んだ。縋るような手つきだった。僕は振り払わなかった。二絵の掴む手が、僅かに強くなる。
「小学校に入ってつるんでたのは、夏目だけだった。なんて言うか、お前は惹かれる存在だった。一緒に居て苦にならないっていうか、安心するみたいなさ。俺はお前の友達で居られることがいつも誇らしかった」
「だったら友達のままでも――」
「最後まで聞けよ。夏目にとっては俺は、その他大勢の友人の一人、みたいな感覚かもしれないけど。俺にとっては夏目はただ一人の友人だ。それだけでも物凄く特別だったんだけど」
二絵は口を閉ざした。僕は、二絵の言葉を待った。
「お前とスマホで写真を撮った後。お前から好きって言葉を聞いたら凄く胸が苦しくなったんだ。好きって言葉にして言われるのがこんなにも嬉しいなんて、今まで思ったことがなくて。生まれて初めて心から幸せな気持ちになった。どうしてなんだろうって考えたら、答えは簡単で。それはお前だから、俺にとって特別な存在だから嬉しいんだって。だからその日から俺は夏目が、好きで、好きで、好きで… …」
「僕、本当に気が付かなかったよ。昨日、二絵に言われるまで」と言った。
違う。僕は嘘を吐いた。
本当は、二絵の想いを感じ取る瞬間が何度もあった。直接、言葉で想いを受け取らなくても、二絵の態度を見て『もしや』と勘ぐることがあった。僕を見つめる眼差しや視線、僕に触れた時の照れ、頬の赤み。僕はあえて見知らぬ振りをしていた。二絵は小さな声を漏らす。
「怖かったんだよ。言って縁が切れたらどうしようって」
分かるよ、と心の中で答える。僕もそうだ。友人関係が切れたら、僕は友人を失うことになる。それがたまらなく恐ろしかった。
「でも、昨日は気持ちが高ぶってつい」
熱い視線に思わず顔を逸らした。僕は彼が抱いている想いを断ち切らせる為に、本心を言わねばならない。彼を本当に親友と思っているなら正直に答えるべきだ。震えそうになる唇で勇気を振り絞る。心臓が痛い。
「ごめん。僕は気持ちに応えられないよ」
二絵はそっと腕を離した。静寂が耳の奥に突き刺さる。悪い、と二絵は苦く笑った。
「別に夏目が俺のことをそういう意味で好きになってくれるかも、なんて期待してないって。両思いになりたいとも思ってない。ただ知って欲しかっただけで。でもごめん、びびるよな。本当ごめん… …」
切ない声色を聞いた僕は、何も言えなくなってしまった。
「こういう俺だけど、ずっと友達でいてくれねぇかな」
懇願するような声に、僕は頷いて彼の腕を軽く叩いた。
「もちろん。だけど僕以外の友達は作れよ」「だから俺は夏目で充分だっての」
二絵は眉をひそめた。僕も眉をひそめた。「それじゃ困るんだって」
「俺は困らねぇ。他の奴に興味ねぇし」
心がざわつく。僕は口調を荒くした。
「興味なくても作れって」
「お前今日なんだよ。いつも俺に質問なんかしないくせに質問するし、急に友達作れとか言うし。今まで言わなかったのに。俺が告白したせい?」
口調と目付きが厳しくなる二絵に、なんと説明しようか戸惑った。二絵はいらいらと表情を険しくさせる。
「俺、さっき言ったよな。俺の気持ち知って欲しかっただけって! もしかして俺を遠ざけようとしてる? そうならまじやめて欲しいんだけど」
「そうじゃないって」
「じゃあ何!」
僕は額に触れた。しまった、と思ったが自分を止められなかった。前髪をかきあげて怒鳴る。
「僕は明日、死ぬんだって! 今日、傘神様が迎えに来る! 僕が死んだらお前、この先どうするんだよ! 僕はお前が心配なんだって!」
ぐわりと二絵の目が大きくなる。食い入るように額を見つめてから、二絵は呆然と僕の目を見た。
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