第48話  夜明け前な友人A


 朝日が昇る。窓辺から差し込む眩しい光に瞼の裏が白く滲んだ。


「ぐぬぬぬ、筋肉痛が……」


 残念無念。体全身が軋むように痛い。なんか俺だけ、重力が二倍になっているような感覚だ。


「ぐわぁー」


 這うようにして、ベッドを出て、スウェットを脱ぐ。


「うわ、なんだこれ」


 すると、胸の辺りに幾つか紫色のあざが出来上がっていた。

 防具をつけていたとはいえ、石のように硬いボールを何度も受けていれば、あざにもなるか。


 なんで考えていると、扉が開いた。


「連先輩。そろそろ……」


 顔を出したのは、白峰だった。……なぜここに? というのは一旦考えないでおこう。うん。


「え、えーと、ごめんなさい? そういうお年頃ですもんね……」


 白峰はどこか気まずそうに、苦笑いした。

 なんか、凄い誤解をされていそうだ。

 そりゃ、まあ? 自分の部屋とはいえ、起きてすぐ、パンツ一丁になって自分の体をじっと見ているなんて、他人からすれば、奇妙な光景に他ならない。


「ち、違うよ? 白峰さん?」


 決して、自分の体に見惚れていたわけではない。そこまでナルシストじゃないし……。


「い、いえいえ。お気になさらないでください。そういう時期もありますよ。私は理解ある後輩ですので、その……えーと、はい。大丈夫です」


 間違いない。憐みの目だ。まるで、「いや、うん……分かる。そういうときもあるよね?」って感じだ。中二病を発症した息子に、母親が薄っぺらい理解を示すような。


「違うって、そんなんじゃないよ、ほんと」


「あ、はは。そ、そうなんですね。朝ごはん出来てますよ? 一緒に食べて学校に行きましょう」


 ぱたん、扉が閉まる。その後で、階段を下る音が聞こえてきた。


「……あれ、誤解が解けたのか、解けてないのかどっちなんだ?」


 どちらにしても、嫌なところを見られたことには変わらないな。


***


 服を着替えて、朝食を食べた後。俺と白峰は、家を出た。

 天気は、曇り空。じっとりとした暗い空は、今にも雨を降らしそうだった。


「連先輩は、結局なんの競技に出ることにしたんですか?」


 白峰はご機嫌な感じで尋ねてきた。そういえば、こうして二人で学校に向かうのも、もう慣れたものだなと思う。


「野球と……バレーかな」


 その二つなら、十分できるし、力になれる……と思う。


「サッカーは、しないんですね」


 少し、しょんぼりとした顔。


「うん。ごめん、でも、手を抜いてるからとかじゃないんだ。ただ……俺は、今したくても出来ないんだ」


「え?」


 驚いたというよりも、困惑したような顔を白峰は向けてきた。


「怪我してからかな。体が思ったように動かない、フィールドの外なら昔と変わらないんだけどね」


 何故かは自分でも分からない。勘が鈍っているとか、ブランクのせいで下手になったのだと最初は思っていた。

 けれど。


「足が……動かなくなるんだ」


 まるで、石になったかのように重く、ずっしりと地面から離れない。頭では何をするべきか分かっているはずなのに。


「そう……なんですね」


「うん。でも、本気で頑張ろうと思ってる」


「はい、分かりました。組は違いますけど、私は先輩の味方ですから……その、先輩の勇姿はとくと見届けます」


「ありがとう。力の限り、頑張るよ」


 俺はそう言った。けれど、白峰は足を止めて、目線を下へと向けた。


「どうしたの?」


「私の言葉、先輩の……負担になっていませんか?」


 難しい言葉だな。そう思った。


 もしも、白峰の言葉がなければ、俺は昨日のように努力はしなかっただろうし、友人Aとして、蒼太を際立たせるべく、いい感じに負けることばかり考えていたかもしれない。

 

 けれど、それでも。


「ありがとう。白峰さん。あの時、ああ言ってもらえて、多分俺は嬉しかったんだ」


「本当、ですか?」


「うん。ほんとだよ。多分俺は誰かに、言って欲しかったんだと思う」


 誰かに、俺は信じてもらいたかった。お前はこんな態度じゃないだろ? そんな風な自己顕示欲のようなものがきっとあったのだと思う。


 だから俺は、「本気でやってくれ」と言われた時、少しだけ嬉しかったんだ。


「本気で、今の俺のありったけで頑張る。そう決めたんだ。だから、負担になんてなってない」


 もう、これ以上、自分の無能を他人のせいになんてしたくない。たとえ何かが起こったとしても、苦しむのは俺だけで十分だ。


「……先輩はいつだって、そんな風に言ってくれるんですね」


 白峰はほんの少しだけ、不満そうだった。俺の言葉は信じるけれど、どうしても自分を責めてしまう。そんな風に思っているような気がした。


「まあ、当日を見てくれればきっと分かるよ。俺がどれだけ本気で頑張ってるか」


「……やけに、自信ありますね?」


「白峰さんがそこまで言ってくれたじゃん。なら、実は俺って凄いのかもってな」


 しばらくすれば、学校は見えてくる。校門を潜るなり、俺たちは他人のように振る舞う。

 何も関係がない、そう誇示するようにしている。


 間違えがあってはいけないからだ。俺のような友人Aと彼女のような人が付き合っているだなんて、噂が流れた日には、俺はきっと……。


「よっす、連。今日は早いな」


「おう、蒼太。いつも通りだけどな」


 下駄箱の前で、声をかけられる。相手は蒼太。


「あ、そういや球技大会ってなんの競技に出るんだ?」


 またか。先程白峰にも聞かれたが、そんなに気になることだろうか?


「俺は──」


***


「やあ。白峰 翡翠さん。今日もご機嫌麗しゅう……うーん。この挨拶は微妙だね」


 生徒会室にあったのは、二人。

 一人は、一年生の白峰 翡翠。

 そしてもう一人は。


「なんですか、私をわざわざ呼び出して何かお話があるとも思えませんが」


 白峰 翡翠の向かい合う先、黒い長髪がささやかに揺れる。


「球技大会の件だよ。君の要望通りの──羽瀬川 蒼太と早見 連を別の組にしたけど、これで本当に良かったのか、そう聞きたくてね?」


 それは、生徒会長である真田 椿希だった。

 



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