第47話  友人Aと特訓、ときどき小悪魔


 まるで、ジェットコースターのようにボールは沈む。

 スライダー。その名の通り、まるで滑るような変化球だ。

 反射と読みによって、俺はその軌道の向かう先へとミットを向ける。


 しかし。


「うぐっ!」


 やはり、捉えきれない。ボールはミットの縁を掠めて、胸の防具へと飛んできた。

 一瞬、衝撃に息が詰まり、鈍い痛みが響く。


「……次。頼む」


「お、おい、本気か? 早見?」


 街灯が差し込む、夜と夕方の狭間。


 公園のグラウンドには、ミットの皮と硬い白球のぶつかる音だけが響いていた。

 サッカーコート一面分くらいの大きさのグラウンドも、そこに立っているのが二人では、かたなしだ。


「はやみん先輩。動画撮りましたけど、これでいいー?」


「ありがとう、小金井」


 俺はマスクを取って、フェンスと向こう側の小金井からスマホを受け取る。


「取れそー? あのボール」


「取る。じゃなきゃ、付き合ってもらってるお前らに申し訳が立たないからな」


「ふーん、なんか中学の時の先輩みたい」


「いやいや、それはない」


 あの時は、ほとんど周りが見えていなかった。黒歴史のようなものだ。


「でも、さ。そもそもここまでやる必要あるの?」


「なにが?」


「たかだか球技大会じゃん。優勝したって何かあるわけでもないし、そもそも蒼太先輩が野球を選ぶかだって、分からないでしょ?」


「……まあ、そうだな」


 蒼太なら、まずサッカーを選ぶだろう。

 そして、他のもう一つの競技に関しては、なんでも出来る奴なら、何を選んだって不思議じゃない。


「多分、蒼太が野球を選んだとして、俺たち緑が紅組に、当たるかも分からない」


「だよねー」


「でも、それがなんだ? 蒼太と戦う可能性がある、けど低いならなんの準備もいらない。なんて、俺は思わない」


 球技大会において、野球は時間の兼ね合いから、五回までに短縮されている。

 だから、試合で当たったとして、多くともたったの2打席だけだろう。


 けれど、そうなる可能性がある時点で、俺は何かをせずにはいられないのだ。


「今回、俺は本気で臨まなきゃいけないんだよ」


「……へ、へぇー」


「だから、そのための努力は惜しまない。さ、続けよう。板倉、いいか?」


 俺は再び、スマホを小金井へと預けて、グラウンドへと戻る。


「なあ、早見。お前、案外熱い奴なんだな」


「うーん、熱くはない、と思うけど……まあ、負けず嫌いではある」

 

「なんじゃそりゃ」


 そこから30分ほど練習した後で、俺達は解散した。

 単純に、夜が深くなってボールが見えにくくなったからだ。


「んじゃ! 俺は先帰るっ!」


 板倉は公園の端に停めていた自転車に跨ると、そのまま走り出した。


「俺たちも、帰るか」


「うん」


 俺と小金井は並んで公園を出た。そのまま、住宅街を進む。


「なんか、はやみん先輩。とっつきやすくなったよね」


「そうか?」


「そー。中学三年……キャプテンになった頃からどんどん態度とか柔らかくなってるし」


「うーむ。あんまり自覚ないな」


 今のようなチャーミングな魅力……いや、みなまで言うまい。恥ずかしい。


 まあ、なんにしても今のような雰囲気はなかったとしても、別に人に辛く接していたわけではないのだが。


「絶対変わった。……あーあ、中学の時の先輩、結構モテてたのにー」


「はぁ!?」


 嘘つけっ! そんなわけないだろっ! それならなんで誰にも告白されたことないんだ俺っ!


「でも、なんか今の方がいきいきしてる……かも?」


「……そう、見えるか?」


「まーね。なんか楽そう、付き物が落ちた? みたいな」


 やはり、小金井は凄いなと思わされる。

 いつだって、人をよく見ている。好きな人だけじゃなく、その周りまで本当によく。


「というか、俺に協力していいのか? 俺、蒼太に勝つ気でいるんだぞ?」


「ん? 別にいーけど? というかぁー」


 にたりと小馬鹿にするように笑う小金井。


「ほんとにはやみん先輩は、蒼太先輩に勝てると思ってんの?」


「……ぐぬぬ」


 こうも面と向かって言われると、如何ともしがたい。勝てる確証も、自信も本当はないから。


「ま、せいぜい蒼太先輩の引き立て役になってよね、はやみん先輩」


 くすくすと笑う小金井はそう言い残して、俺とは真反対の路地に入っていった。


「……はあ、努力、か。なんか久々にやってる気がする」


 友人Aを志すようになってから、いつも何かをセーブしていた。


 それは感情だったり、努力だったり。

 場合にもよるけれど、昔のように汗だくで体を動かしたり、死に物狂いで机に向かうことも無くなった。


「……なにやってんだろうな。俺」


 友人Aに徹するつもりが、こんな意味のない努力をして、らしくもなく燃えている。


「ださいな、俺……って、うわっ!?」


 突然、視界が真っ暗になる。後ろから伸びてきた、俺よりも一回り小さな手に覆われたのだと少し遅れて理解した。


「だーれだ?」


「……何してるの? 白峰さん」


「むぅ。早いですね」


 そっと手が離して、白峰は俺の前に回り込む。視界が真っ暗になったと思ったら、次の瞬間には目の前に超絶美少女が現れるなんて、魔法のようだ。


「どうしたの? こんなところで」


「美星に聞きました。野球の練習をしていたんですよね? なら、せめて美味しい晩御飯を作って先輩を待とうかと」


 言って、白峰は肘に引っ掛けていたエコバッグを小さく揺らした。


「はは……それはありがたい。けど、そこまでしなくても」


「いえいえ、これくらいお安い御用です。だって、先輩が頑張ってるのは、私があんなことを言ってしまったからで……」


 少しだけ、白峰の表情が曇る。


「迷惑、だったりしましたか? 本当は嫌だったり……」


 伺うような言葉に、胸の奥がきゅっとなった。


「白峰さん。俺は正直、蒼太に勝てる自信はない。だって、あいつは誰よりも凄いやつで、なんだって簡単にこなすから」


 でも、それでも。


「──俺は、頑張るよ。必死に、カッコ悪いかもしれないけど」


 そうしようと思った。

 そうしなければ、きっと友人Aですらもいられないから。


「連先輩」


「ひっ!?」


 突然、白峰の手が頬に触れてきた。俺は驚きのあまり、顔が引き攣ったようで変な声が出た。


「連先輩は──かっこいいですよ。いつだって」

 

「そ、そ、そんなわけ……」


 心臓が食道を駆け上がって、何処かへ飛んでいってしまいそうだった。

 

「ふふっ、顔真っ赤ですよ? 先輩も結構照れるんですね」


 そんな俺を見て、白峰はからかうように笑った。


「ま、まあ、そりゃ……」


 こんな美少女と至近距離で褒められれば、誰だって……。


「では、帰りましょうか。先輩。あ、手とか繋いでみます?」


「え、遠慮しておきます」


 そうして、俺達は並んで帰路についた。

 足取りは軽いのに歩幅は小さくて、心地良いような気恥ずかしいような、そんな空気感のままに。

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