異世界転生トラックにひとめ惚れされた件
昨日の嵐が嘘のように、青く澄んだ空が広がっていた。俺は期待と緊張が混じり合ったような、こそばゆい感情を胸に秘めて、自宅への帰路を歩んでいた。
5年つき合った彼女との結婚式が、明日に控えていた。市役所が開くと同時に籍を入れて、そのまま会場へ向かう。目まぐるしい祝宴を終えた後、俺たちは夫婦になっているのだ。
彼女の笑顔が浮かぶ。
とても美しい女性だ。見た目だけでなく、心も。
公園の前を通りかかる。
女の子が遊具の前で、ゴムボールを投げたり転がしたりして遊んでいた。
あれで、何歳くらいなのだろうか。4歳? 5歳? まだ見当もつかない。俺たちにもいずれ、あんな子どもができるのだろうか。
などと、妄想していると、不意に女の子の手元からボールがはずんで、公園を飛び出した。
ボールは勢いを弱めつつ、道路へと転がっていく。
慌てて追いかける、女の子。
そこへ、1台のトラックが、猛スピードで……
危ないっ!
考えるよりも先に、体が動いた。
とっさに飛び込んで、手を伸ばす。間に合った。女の子の体を、歩道の方へ突き飛ばす。
よろめいて、こけて、女の子は歩道の上で、大泣きをしはじめた。
よかった、間に合った。
ほっと息をつく、俺の鼓膜を、クラクションがつんざく。
眼前に迫る、凶悪な車体。 銀色のバンパーが、俺を喰おうと口を開いているように、見えた。
ごめん。
急速に近づく死をまえにして、俺は。 目を閉じて、心の中で、彼女に謝った。
「あのー」
声をかけられ、じわじわと目を開ける。 トラックの車体は、鼻先すれすれのところで停止している。
生きている……? 途端、心臓が早鐘を鳴らしはじめる。涙が溢れ出てくる。
完全に死んだと思った。
良かった。生きていた。
良かった。まだ生きられる。彼女との結婚を、迎えられる。
「あのー」
感涙にふけっているところに、また声をかけられた。
それで、俺は我に返る。周囲を見渡す。
誰もいない。歩道で泣いている女の子だけだ。
「いえ、こっちです。こっち」
声は、明らかに目の前から降り注いでいた。
凶悪な車体をひけらかす、トラックから。
「あ、ようやく気づいてくれた」
トラックが嬉しそうな声を上げる。
ウィンカーがちかちかと点滅する。
「わたしぃ、トラックですぅ。こう見えて、普通のトラックじゃなくてぇ、なんだと思いますぅ?」
若干、舌足らずな口調。甘えるような声で、トラックは尋ねてくる。
いや、こう見えても何も、でけートラックにしか見えませんけど。
「実はぁ……、じゃじゃーん! 異世界転生トラックなんですぅ」
じゃじゃーん、に合わせてクラクションを響かせ、トラックはひとりで盛り上がっている。
大音量に驚いて、落ち着きかけていた女の子が泣き声を強めた。
「普段はぁ、報われない不幸なひととかぁ、命をかけて他人を助けちゃうようなぁ、正義感に溢れた人にぃ、異世界転生するチャンスを配るお仕事をしているんですけどぉ」
ああ、なんか分かったかも。
最近WEB小説とか、WEB漫画とかで人気のあれか。
トラックに轢かれたり通り魔に刺されたりして、死んだかと思ったら異世界に転生して、第二の人生を謳歌する、的な。
「ぴんぽんぴんぽーん。でね、あなたもぉ、本当は異世界転生してもらう予定だったんだけどぉ。寸前で思いとどまっちゃいました」
トラックはワイパーとサイドミラーをぱたぱたさせながら、おしゃべりを続けている。
なにせ、思いとどまってくれて良かった。
異世界転生系主人公たちと違って、俺にはまだ、現世への名残りが山程ある。
「なぜならぁ……あなたのことが、とーってもタイプだったから!」
……は?
「もしよかったらぁ、異世界転生なんてやめてぇ、わたしとぉ、結婚を前提におつきあいしてもらえませんかぁ?」
俺の頭の中で、急ブレーキを踏んだかのように思考が停止した。
今、なんて言った?
結婚? トラックと、結婚?
意味不明すぎ。言葉も出てこない。人間とトラックが結婚って、そもそも法的に大丈夫なのか? いや、そういう問題じゃないだろう。
俺は混乱しながらも口を開く。
えっと、僕は人間で、あなたはトラックですよね?
どうやって結婚するんですか? てか、なぜ僕なんですか?
トラックは少し照れたように、エンジンを小さくふかした。
「そんなのぉ、愛があれば関係ないでしょぉ? それにぃ、あなたの勇気ある行動を見てぇ、一目惚れしちゃったんですぅ」
俺は頭を抱えた。これは夢か? それとも死んで、すでに異世界にいるのか? 現実感が完全に失われていた。トラックとの結婚生活なんて、想像もつかない。朝はオイル交換から始まるのか? デートはガソリンスタンド巡り?
…… 冗談?
半ば希望的観測で尋ねてみる。
「もぉ、失礼ですぅ。わたし、本気なんですからぁ」
トラックは不満げにウィンカーをちかちかさせている 。
ああ、いやもう、なんだこれ。あのまま轢かれてたほうがまだマシだったんじゃないか?
いやそれだと異世界転生してただけなのか。ちくしょう。誰か助けてくれ。
「ね、ね。このまま一緒に、ドライブに行かない? それともいきなりぃ、縦列駐車にチャレンジしちゃうぅ?」
え、遠慮しておきます! 俺、明日、結婚式だし。
「……え?」
エンジンが止まる。 ワイパーとサイドミラーが折りたたまれ、静かになる。
「結婚?」
そう、結婚。5年つきあった彼女との結婚式が、明日なんです。 だから、異世界転生を思いとどまってくれて助かった。ありがとう。
「い、いえいえ。そっか、そうよね……あなたみたいな素敵なひと、周りがほっとくわけないわよね」
トラックにお世辞を言われて、俺はなんだか不思議が気持ちになる。 試しに一歩、遠ざかってみるが、トラックはもう距離を縮めてくることはなかった。
それじゃ、行きますね。本当にありがとう。
「ええ、ええ。とんでもありませんわ。どうぞ……お幸せに」
トラックはピー、ピー、と悲しい音を響かせながら、道路をバックで遠ざかっていった。
翌日。 九死に一生を終えた俺は、メイク室でタキシードを身にまとっていた。 本番直前だ。こそばゆい感情は、昨日よりも更に増している。
異世界転生する運命を捻じ曲げて、俺はいまここに立っている。 きっと、神様が俺に、現世でとことん幸せになれと激励してくれているのだろう。
みたいな、ロマンチストをきどった妄想にふけっていると、ドアをノックする音が響いた。
入ってきたのは、中学時代からの親友だった。
「よう、似合うぜタキシード」
祝福を捧げにきたはずの親友の顔は、どこか浮かない。
どうした? 何かあったか?
「……いや、お前の結婚相手って、あの女だったんだな」
歯に物が挟まったような言い方で、親友は作り笑顔を浮かべている。
彼女とは、社会人になってから知り合った。 親友は今日が初対面のはずだ。なのに、まるで以前から知っていたかのような口調だ。
「実はさ、いや、こんな話、めでたい日の直前に言うことじゃないのかもしれないけど」
親友は迷っている。 決定的な一言を、言うべきかどうかを。 長年の付き合いが、それを予感させた。
「あの女は、やめておけ。よくない噂が……いや、噂じゃないな。俺の身近なやつも、被害にあっている。金にがめつくて、男癖も悪い。常に何人も股にかけていて、バツも4つくらいついている。結婚相手はみんな、金持ちで、別れるたびに膨大な慰謝料を請求している。きっと、お前のことも、金目当てだ」
友人はそれだけ言ってのけて、気まずそうに顔を伏せた。 俺が何も言えずにいると、そのまま「一応、おめでとう」とだけ残してメイク室を去っていった。
挙式の本番を迎える。 あでやかなゴスペル、祝福されながら、花嫁がバージンロードを歩んでくる。
親友から聞いた話のせいだろうか。 着慣れないはずのウェディングドレスを、苦労なく扱いこなしているように見える。 腕を組まれる義父の表情が、なんとも言えないやらしさに塗れて見える。
心当たりは、あった。
ドタキャンの相次ぐデート。
フリマアプリで見かけた誕生日プレゼントのアクセサリ。
やたらと高いレストランに行きたがる。
記憶にない旅行の思い出を語る。
義父から彼女の腕を受け取りながら、さっきまでのこそばゆい感情が、どんどん薄れていくのを感じていた。
神父が登壇して、誓いの言葉を述べる。
「その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも……」
もう、いいや。
俺は諦めの境地に至っていた。 たとえ、彼女に騙されていたとしても。
ここまで来て、誰が取りやめられるというのだろう。
「……ことを、誓いますか?」
誓います。
幸せの絶頂から絶望へと叩き落されながら、俺は、無感情に、反射的に、無思考に、俺は空虚な言葉を言い放った。
「ちょっと待ったーーーーーーっ!!」
その瞬間。 凄まじい轟音とともにステンドグラスを突き破り、巨大な陰が式場に降り立った。 いきり立つ、エンジン音。白く輝くバンパー。 昨日の、異世界転生トラックだった。
「あなた、それでいいの?」
トラックは言う。
式場は悲鳴と混乱で騒がしい。
俺は、何も言えず、トラックと対峙していた。
もはや、自分が何をしたいのかもわからなくなっていた。
妻になる予定だった女が、何かを叫んでいる。
恐怖でパニックになった彼女は、ひどく目がつり上がっていた。
トラックから、ばたん、と音がする。
運転席が開いていた。俺を、いざなうかのように。
吸い込まれるかのように、俺はトラックに乗り込んだ。ドアを閉め、シートベルトを装着。ギアを入れる。アクセルを踏み込む。
どこへ行く?
俺は花嫁になる予定だった女を跳ね飛ばしながら、トラックに尋ねる。
「どこへでも。あなたと一緒なら、どこだって大丈夫」
トラックを操縦し、砕けたステンドグラスをくぐり抜け、俺たちは遥か空の彼方へと飛び立っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます