流れるぷうる
いやあ、風流ですな。
やはり夏は、流れるぷうるに限ります。
えっ、プール?
とんでもない、あんなはしたない物と一緒にしないでください。
プールでなくて、ぷうるです。文字のほうですよ。
なんですって、ご存じない? 遅れてますなぁ。
ぷうる、とは漢字で”文宇流”と書きます。そう、御覧のとおり、水ではなく文字が流れているのです。入ってご覧なさい、気持ちいいですよ。
プールとは違って、濡れることもないし、冷えることもない。
ただ流れに従って、文字を読んでいくだけです。いろんな文字があります。
ひらがなに、カタカナ、アルファベッドに漢字に、注音符号、ハングル、デーヴァナーガリーに、アムハラ文字、それからポラード音標文字なんてマニアックなものも流れていますよ。
いえいえ、必ずしも理解する必要はありません。
わからない文字は、読み流してしまえばいいのです。文字が体の表面を滑っていく快感もまた、たまらないものですよ。
ほら、あそこの御老体を見てみなさい。
このへんじゃ有名な人です。
もう認知症で日本語すら怪しい方ですが、どうです。なんとも恍惚とした顔で、文字に流されているでしょう。あれくらいまで行くと、もはや達人ですな。
申し遅れました、私、流れるぷうるの普及活動をしております、こういう者で……。
おや?
ここには名刺を入れておいたはずなんだが。
なぜ、こんな真っ白の厚紙が……。
あっ! しまったっ!
さっき、在庫の文字をぷうるに流したとき、私の名前までいっしょに流してしまったんだ!
だから、名刺からも私の名前が消えているんだな。
これはいけない、緊急事態だ。
このままでは私は、名無しさんとして生涯を終えることになる。急いで私の名前を見つけなければ。
いえいえ、いけません。
急ぐことと慌てることは別物です。
ぷうるに飛び込む前は準備体操。これは絶対です。
いきなり文字に浸かると、心臓がびっくりしちゃいますからね。
しっかりと慣らしてから入りますよ。
はい、眼球運動、上、下、左、右、前、後ろ、前、後ろ、くるっと回って白目をぎょろん!
よし、体操おわり。
飛び込むぞーっ、ざっぱーん。
むっ、今日はやけに水深……じゃないな、文字深が深いぞ。
それに、流れも早い。
さてはまた、どこぞの読書アカが大量の積読本を勝手に流したな。やつら、程度というものを知らんから。
ひどいやつだと、一日に数百冊ぶんの文字を流しますからな。そんな日はぷうるから文字が溢れかえってしまって、読むどころじゃありません。
今日はまだマシなほうです。
これくらいなら、なんとかなるでしょう。
大丈夫、こう見えて私、流れに逆らって歩きながら読む、という健康法を普段から実践しておりますので。俗に言う、キンジロウ・スタイルですな。
さあ、名前を探すぞ。
おーい、名前ー。どこだー、怒ってないから出ておいでー。
むう、ルーペでぷかぷか浮きながら流されていく連中が邪魔だなぁ。
今日みたいに流れの早い日は自重してもらいたいものです。
あっ、ありましたよ。
私の名前。いやあ、良かった。
すみません、自己紹介はちょっと、ぷうるを出てからでもいいですか。
何せ、流れが急なもので。また失くしてしまうと大変ですから、しおりにしまっておきます。
さて、流れるぷうるの出口を探し……。
あいたっ。ちょっ、あいたたたた。
やばいやばい、つった! 足じゃない! 目が! 目がつった!
まずい、まずい。流される。
流れが早いぞ、出られない。
あっ、そこの坊や。
ちょっとこっちへおいで。いい子だから。
そのルーペをおじさんに貸しておくれ。つべこべ言わずに。さあ、早く。
なんだと、生意気な!
小僧、こちとら貴様の何倍も文字読んできてんだぞ!
偉そうな口は、旧仮名遣いで泉鏡花をスラスラ読めるようになってから言え!
折口信夫もな! 『死者の書』は帰ったらすぐに読め! それで夏休みの読書感想文も書け! わかったか!!
……はい、穏便な話し合いの末、優しいお坊ちゃんからルーペを借りることができました。
これで、文字を拡大しながらぷかぷかと出口までたどり着くことができます。
はい、出れました。
いやあ、ひと騒動でしたね。
まさか、名前をぷうるの中に落っことすような事態になるとは。
人間、いつ何があるかわからないもんですなぁ。
あ、そうそう。
私の名前でしたね。
アップライトそうめんトントン拍子吾郎と申します。
……。
……。
なんか、違うな。
あーっ、この名刺!
すり替えられている! さては、さっきのガキ!
あ、こら、やめろ、鼻くそつけるな! 舐めるな! 破るなーっ!
待てーーーーっ、クソガキーーーーーーっ!!
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