哲学好きな男子高校生が悩める美少女を口説く話

広沢 長政

第1話 始まり

「以上により『遠藤絵美は幸福な人生に相応しい』」


 そう言って、絵美に微笑みかけた。できる限り優しげに、できる限り楽しげに。

 最も大事なことを伝えるために。




 四月二十一日火曜日。本日最後の授業であるホームルーム。

 二年生に進級してすぐ行われた実力テストの結果が配布され、春休み中の過ごし方がどうとか二年生は中だるみの年だとかとテンプレ通りのお説教を下さる。

 俺――安居敦(やすいあつし)――は流れゆく雲を窓越しに眺めながら、担任である女教師岡田が垂れ流すありがたいお言葉を聞き流す。


「以上だ。聞き逃したやつは何とかするように。なあ、安居」


 唐突に名前を呼ばれた。

 文脈を全く理解できていないが、とりあえず返答する。


「大丈夫です」

「……何が大丈夫なんだ」

「何が大丈夫なのか悠永に確認するので大丈夫です」


 教室中で笑いが起こると同時にチャイムが鳴った。


「よし、今日はここまで。帰りのホームルームは省略するけど、他のクラスに迷惑かけないように。じゃあ号令よろしく」

「起立、礼」


 俺は岡田が立ち去るのを見届けてから、後ろに振り向いて尋ねる。


「で、悠永。俺は何を聞き逃したんだ?」

「は?」


 我らがクラス委員にして美貌の才媛、優木悠永(ゆうきはるな)がいつも通りの冷たい目つきで歓待してくれる。


「何で私があんたに教えなければならないの?」

「君と俺の仲じゃないか。理由なんていらないだろ?」


 悠永が無言でもう一度にらんでくる。

 端正な顔立ちは信心深くない人でも神の思し召しを感じそうなほど精緻で完成されている。

 その顔が俺をにらむためだけに形を変えてくれるなんて、サービスでしかないね。


「いけずなんだから。クラス委員として哀れなクラスメイトを救ってやってくれよ。岡田さんも俺が悠永に聞くことを否定しなかっただろ?」

「……」


 わずかに逡巡したようだが、諦めたのか大きくため息をついた。


「委員会」

「なるほど、了解。そういえば今日の放課後に委員会の集まりがあるって昨日も言ってたな。で、万事合点がいった。今年は俺と一緒にクラス委員ができないからそんなにご機嫌斜めなわけね」


 俺たちは昨年度の一年間、クラス委員で苦楽をともにした仲だ。委員会の話だから、それを思い出して寂しくなった、ということだといいな。


「そう見えるなら目か頭に異常があるから医者にかかるべきね」


 目と頭両方と言わないあたりに優しさが見えるなとか、委員会より医院かいとか、返答を考えている間に悠永は身を翻していた。

 飾り気のないポニーテールが揺れる。


「ありがと悠永。また明日」


 大げさに手を振りながら悠永の背中を見送る。

 悠永は一切反応を見せることなく、すらりと伸びた肢体をきびきびと動かして教室を出ていった。


「本当お前懲りないな」

「よくやる。俺ならビビッて声かけらんねえよ」


 男連中が群がってきた。

 悠永は大部分の生徒から恐れられている。

 凄絶な美しさには得も言われぬ迫力があり、絶対零度の視線と無慈悲な言葉を浴びれば全身が縮み上がってしまうらしい。


「可愛いもんさ。今だってからかわれたのが照れくさくて逃げ出してるんだから」

「どっからどう見ても呆れて会話を放棄しただけだろ」


 皆が口々に「そうだそうだ」と言いながら頷く。悠永を恐れる人にはそう見えるのだろう。

 けれど悠永は恐れるべき相手ではないと俺は思っているから、そう見えないのだ。

 今は相応しいときではないから悠永について考えるのは一旦やめておこう。


「君たちがそう思うならそれでいいよ。で、お集りの皆さんは何の用かな? 俺はこれから委員会で忙しいんだが」

「それだよ、それ。お前委員会ってことはあれだろ?」

「熟年夫婦じゃないんだから指示対象を明らかにしてもらえる?」

「安居って新聞委員だろ。だから相方は……」

「遠藤だね」


 連中の視線を追って廊下側の席を見やると、遠藤絵美(えんどうえみ)が黙々と荷物を整えていた。

 大粒の宝石のように美しい目は憂いを帯びていて、一点の曇りもない白磁のような肌とハーフアップにした長く艶やかな黒髪の対比が眩しい。

 百人に聞けば百人が絵美を美少女だと認めるだろう。万人が魅了される最大公約数的な美少女の極み。

 幾何学的に美を突き詰めたような悠永とタイプは違えど並び称される、本校きっての美少女だ。


「だよな。お前大丈夫か?」

「何が?」

「考えなしな言動で問題起こさないか心配してんの」

「優木相手ならキレられるだけで済んでるけどさ。遠藤は……色々あるかもだろ?」


 そして理由は違えど、悠永と同様ほとんどの生徒から距離を置かれている娘でもある。


「そういうことね。なら心配ご無用。繊細な思春期女子の扱いは慣れてるから」

「その自信どこから来るのやら」

「でも正直当たったのが安居でよかったよ。もし俺が当たってたらと思うとね……」


 先日のホームルームで委員会決めをした際、最後の最後まで立候補者が現れなかったのが新聞委員らしい。ノルマさえこなせば自由の身になれる委員会だが、皆がそのノルマを負担に感じたのだろう。

 話が進まず業を煮やした岡田がパソコンを使って抽選した結果、俺と絵美が選出されたとのことだ。

 俺は睡眠不足が祟って夢と現の狭間を彷徨っていたので、全てが終わってからその事実を知らされた。

 本意でなくともやると決まったからには徹底的にやるのが俺の性分だ。

 そして仕事をきっちりこなすのは当然として、孤立する絵美と交流を深める契機にしようと決意した。


「まあ俺に任せろって。上手くやるよ」

「無理はすんなよ」

「安全第一ね」

「どうも。じゃあぼちぼち行くよ。また明日な」


 鞄を持って絵美の席へと向かう。


「遠藤。一緒に行こう」

「ええと……」


 絵美は目を伏せ気味に困惑の表情を浮かべる。


「俺、安居敦。君と同じ新聞委員」

「……はい、承知してます」

「委員会の集まりがあるのは聞けたんだけど、どこに行けばいいのかはさっぱりでさ。だから一緒に行こう。てか連れてってくれ」


 そう言って頭を下げる。

 集会がある教室を俺に伝えて別行動を選ぶことも絵美には可能だが、ただ一緒に廊下を歩いて移動するだけなのだから断られることはないと思いたい。


「……わかりました」

「よかった。ありがとう」


 ファーストコンタクトはこんなところだろう。一緒にいたくないほどに絵美から嫌われているということはなさそうだ。


「はい。では、ええと……向かいましょう」

「ああ、よろしくね」


 絵美がおもむろに立ち上がり歩き出す。

 俺はそのまっすぐに伸びた背中を追った。

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