第19話
「だから、それは前に断っただろう!」
鳳亭の屋敷から戻って中庭を通っていると、鋭い口調の燈夏の声が響いて、藍は飛び上がった。隣の菊花と顔を見合わせる。「燈夏の声?」「確か、客人が来るとは聞いてましたが」
二人で示し合わせて、扉をわずかに押し開く。こっそりと燈夏の部屋を覗き込んだ。
「……しかし、何分、時間は限られていまして……」
「そう言われても……困る」
渋い顔をして腕を組む燈夏の向かいには、城で見た役人の衣を纏う男がいた。
「あれ誰」
「礼祭吏の方だと思います。多分、祭りのことで訪れたのではないかと」
客人というのは、依頼者ではなく礼祭吏のことだったか。しかし、前回は完全無視を決め込んでいた燈夏の元へ一体何の用だろうか。
聞き耳を立てていると、
「……気になるならさっさと入れ」
呆れたような顔で燈夏がこちらを向いた。
「よ、よく気づいたな」
二人で気まずそうにしながら、そろりと扉を開けて滑り込んだ。居たたまれなくて廊下で立っている子どものように壁際に並んで立つ。
「ただいま帰りました。師匠。……あの、そちらの方は」
菊花がおずおずと言うと、役人は立ち上がって、頭を下げた。藍たちも自然とぺこりと頭を下げる。
「品評会の役人だよ。俺に審査員をやってほしいと頼みにきたらしい」
燈夏は不機嫌な態度を隠さずに言い放った。
「え、でもそれはお断りしたはずでは?」
「それが、そうもいっていられず……」
と疲れたように役人は言った。
「別で審査員を依頼していた方がいらっしゃるのですが、その……殺されてしまって」
「え!」
藍が声をあげる。
「もしかして、巷を騒がせている、例の事件ですか?」
役人は頷いた。
「ええ。そうなんです。権威のある調色師の方だったのですが……夜道を歩いていたところを殺されたようです」
「もしかして、その人も」
「目玉を盗まれていました」
役人は思いだしたのか恐怖するように身体を震わせた。
「それは気の毒だが……しかし」
燈夏は後宮に行きたくないのだろう。
視線を彷徨わせた末に藍を見た。すると、菊花が拳を握り締めて、緊張気味に叫んだ。
「あの! 私は! 品評会に行ってみたいです!」
「な――」
燈夏は菊花の声量か、はたまたその訴え自体に目を丸くしていた。驚いているようだが、藍はそうだろうなと納得する。有名調色師の登竜門と言われているくらいだ。本来であれば調色師であれば誰だって行きたいだろう。燈夏が特殊なだけで。
しかし、品評会の観覧には審査員や参加者の関係者、来賓のみが招待される。そのため、一般の調色師が品評会をお目にかかれることはほとんどない。調色師たちにとって、品評会の観覧はかなりのプレミアムチケットだった。
燈夏は藍を見た。反対してほしいと視線が訴えている。
――ここはごめん。燈夏。
「あー、俺も行ってみたい、カモ」
「な――」
菊花はパァっと顔を輝かせ、燈夏は頭を抱えた。
実はこの前の藍が攫われた事件のことで、清霞にまだお礼を言っていなかったことを藍は気にしていた。あの時は藍もいっぱいいっぱいだったから仕方ないとはいえ、体調が戻った今となっては言わなくてはならない。
だが、皇子である清霞に直接会う手段を持っていない。城に忍び込むわけにもいかないし、こうして待っていれば待っているほど、お礼を言うときに気まずくなる。
品評会は藍が城に行ける絶好のチャンスだった。
「お願いします! 師匠」
菊花は頭を下げた。
燈夏は味方がいなくなったせいか、長考した末に、項垂れながら白旗をあげた。
「わかった……審査員を引き受けよう」
「え! ほんとですか!」
「いいのか? 燈夏。無理なら別に」
「いや、いいんだ。実は前代未聞のことだったしな。普通は前回開催時の優秀者が審査員をするのが一般的なんだが、俺は前回の時に無視を決め込んでいたからな。どのみちいつかはやらねばとは思っていたから」
飛び上がって喜ぶ菊花に、まぁいいかと燈夏はため息をついた。
「ええ。どうしよう。何着て行こう……!」
涎が垂れそうな顔をしながら、菊花は部屋へすっとんでいった。
「ありがとうございます! 助かりました。なんとお礼を言ったらいいか」と役人もほくほく顔で礼を言った。
「いや。礼はいい。それより、その連続殺人事件の犯人は捕まりそうなのか?」
「いえ、それが。どの被害者も暗がりの中、襲われているみたいで……刑吏も戸惑っています」
「そういう状況でも、品評会自体は開催されるんですね。なんか犯人が品評会に対する声明を抱えているとか、あるんじゃ?」
「はっきりとした関係性がわからない限りは……多くの国内の来賓もいらっしゃいますし……」
役人は額を拭いながら力無くそう言った。
調色師というその一点で皆が殺されている。市井でも、調色師というだけで殺されてしまう無差別殺人なのではないかという噂が流れているというのに、品評会を敢行したい役人の上の人物たちはそれ以外の共通点を見出そうと躍起になっているという。
しかし年代も性別も、能力もバラバラで何も見つからずに、ずるずると品評会開催日が近づいているというのが本当のところらしい。
役人が帰ったあと、燈夏は相当に疲れたらし姿勢を崩して、背もたれに沈んだ。
「疲れた……」
藍は後ろから覗き込んで、げっそりとやつれた燈夏の顔に苦笑する。
「大丈夫か? 今からでも断る?」
「……一番弟子があれだけ喜んでいるんだ。今更そういうわけにはいかない。俺にもさすがに、師としての矜持はある」
燈夏に手招きされて、藍はきゅっと唇を引き結んで気まずそうな顔をしながらも、渋々と膝の上に座った。ぬいぐるみを抱きしめるように、燈夏は肩口に顔を埋める。
「さっき、鳳亭さんに会ってきた。元気そうだったよ」
燈夏は安心したように目を細めた。
「調色師としてのもう力がないと言ってた。……いつか、燈夏もそうなるのかな。お前の鮮やかな視界もいつかは、色褪せるのかな」
ぽつりと呟いた言葉は存外、寂しそうに響いた。
藍は燈夏の調色が好きだった。こちらの世界に来てから随分とたっているが、初めて燈夏に見せてもらった芙蓉の花の調色を、藍は忘れたことはない。
色自体に価値を見出し、色がこんなにも世界を鮮やかにさせているのだと、まるごと藍の視界を洗われた清々しい気持ちになった。
それがいつかは老いと共に失われていくことが、寂しい。
燈夏はその意味を勘違いしたらしい。
「忘れない」
「え?」
燈夏はやけに確信めいたように藍を見つめていた。
「この青色を俺は命尽きるまで忘れることはない。何年焦がれていたと思っている。お前の青色は俺の中にすでに焼き付いている」
「燈夏」
「それに。お前が宿す色が綺麗なんだ。たとえ、どんな風に俺が変わっていくとしても。その時この目に映るお前の青色が世界で一番美しいよ」
――そういうこと、言いたいのではないんだが。
しかし、燈夏が満足げにしているので藍は訂正する気も失せて、思い切り燈夏にもたれてやった。
くすぐったい。誰かに想われていることがこんなにも、鬱陶しくて、でも離せなくて、浮足立つものだって藍はこれまで知らなかった。
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