美しい青

第18話


「最近、この辺も物騒になったわね」

「何が?」

 隣を歩いていた菊花が壁に掲示された御触書を見上げて、ぽつりと呟いた。藍は抱えていた籠の中からすももが転げ落ちないように気を付けながら、触書に近づく。

「また出たみたいよ。ほら。連続殺人鬼」

「……なんか、最近多くなったな」

 少し前から騒がれていた夜半の事件はまだ、犯人は捕まっていないらしい。そこで立ち止まっていると、二人を呼ぶ声が通りの向こうから聞こえてきた。

「そこの怪しいお二人さん。ちょっといいかな?」

「な――誰が怪しいって……! あ」

 菊花が怒ったように振り向くと、そこには刑吏の朱嘉が、軽く手を振っていた。

 朱嘉は先日、藍が攫われた際に、ちょうど藍が襲われた場所で捨てられたサングラスを届けてくれた親切な刑吏だ。

 すっきり切られた短髪の黒髪が爽やかで、口元にほくろがひとつある。いかにも刑吏のらしいカラスのような漆黒の袍を纏う彼は、いつもならば目立っているはずだが、今日は異なる。往来を行く人々の中にぽつぽつと同じ刑吏の制服を着た青年たちが混じっていた。

「今、この辺りの道の見回りを強化してるんだよ。二人とも、それからは大事にない?」

「はい! おかげさまで。元気です!」

 菊花が元気よく答えた。

「朱嘉。見回りの強化って、やっぱりこの事件のことか?」

 藍は壁に張られた御触書を指さした。

「ああ。そうそう。ここを見てくれよ。これまで殺された人は男女問わず。年齢も問わず。調色師だったんだ。しかも、調色師の目が両方ともくりぬかれてた」

 おどろおどろしくて、菊花は口元を手で押さえた。

「菊花。調色師の目って、やっぱり特別なの?」

「え? あ、まぁ、そうですね。総合的に見て、そう定説されています」

「どういうこと?」

「古くから調色の力を持つ人間の目には、その物の色を最も引き出すための特別な力が備わってる、とは言われているけど、実際は個人差が大きくて、その人の視界の中で起こる話だから比較が難しいんです。ただ、調色師は年老いていくと、だんだん調色ができなくなっていく場合が多くて。そういう人たちの証言から、調色師の目は特別って言われてます」

 多少はオカルトじみてるということか。

「それとは別で、ほら金糸雀妃のときみたいに、体内に入ってしまった色の量がどれくらいなのかといった見極めに関しては調色師しかできません。そういったことを総合して、調色師の目は特別だ、という定説になります」

 朱嘉は頷いて、話を引き取った。

「そういうこと。だけど、犯人の目的はまだわからず……まあ、まだ殺人鬼は捕まってないからさ、二人とも。特に菊花ちゃんは調色師なんだから出歩くときは気をつけるように」

「はい!」

 菊花がぺこりとお辞儀をした。

「じゃあ、俺は行くから!」

「仕事頑張ってな」

 藍が声をかけると、手を振って朱嘉は答えていた。


 表の賑やかな大通りから外れて、路地に近い、閑静な住宅街を歩いていくと、突き当たりに小さな屋敷が見えた。屋根はいくつか瓦が剝がれ、塀に蔦が絡みついている。田舎の家を思わせる、古風な佇まいの屋敷だ。表門をくぐって、菊花は扉を叩いた。

 中から妙齢の女性が現れた。

「はい。菊花さん。ようこそ。お待ちしておりました」

 彼女は菊花ににこりと笑いかけたあと、藍を見て不思議そうに首をかしげた。

「あら。初めていらっしゃる方ね」

「燈夏のところでお世話になってます。藍です」

 そういえば久しく白瀬の姓を名乗っていない。多少、名字の付け方が異なるのもあって、つっこまれたら面倒だから、必然的に使わなくなってしまった。

 女性はまあまあと驚いた様子で、二人を中へ招き入れた。

「私は竹子。鳳亭の親戚で、今はこちらで世話係をしています。どうぞよろしく」

 竹子はおっとりした温和な女性だ。丸みを帯びたふっくらした顔とふっくらした体型に、藍は饅頭を思い出す。

「竹子さんは、身体の上手く動かない鳳亭師匠の生活を支えているのよ」

 竹子が案内した部屋はこじんまりとしている、いわゆるワンルームの部屋だった。四方の柱は朱色だが、随分と色褪せていた。格子窓の近くで老爺が椅子に座っている。真っ白な口ひげを生やした、サンタクロースを思わせる風貌で、纏っている新緑色の袍が若々しさを与えている。しかし袖から覗く手には杖が握られており、腰は折れ曲がっていた。

「おやまあ。菊花じゃないか。最近、顔を見てないと思ったが、元気だったか?」

「ご無沙汰しております! 鳳亭師匠!」

 菊花はまるで孫のような顔つきになると、駆け寄って彼に抱き着いた。

「おお。おお。老体にそんな突進するな。あばらが折れるわ」

「元気そうで何よりです」

「まあ、まだまだわしも肉体自体は昔から丈夫だったからのお」

 遠慮気味に部屋の入口に立つ藍を見て、鳳亭はにこりと人の良さそうな笑顔を浮かべた。一気に、近所のお爺さんのような気安さを感じて、藍は安堵した。

「燈夏のところに住んでいる、藍です。お噂はかねがね。これ、手土産のすももです」

「わざわざありがとう。ほれ。そこの棚においとくれ」

 藍は籠を棚に置いた。

 鳳亭は燈夏の師匠で、元々調色師として、第一線で活躍していた人物だった。今は隠居して竹子と一緒に老後生活を満喫しているという。

 鳳亭はすももを一つ手に取ると、縋るように頬擦りした。

「すももの色はいいのお。いつ見ても濃くて甘そうじゃ」

「あの。鳳亭師匠は、もう調色師じゃないんですか」

 ふと、疑問に思っていたことを、藍は尋ねた。

「少なくとも、調色師として、もう客はとっておらんよ。調色師と一口に言っても、資格があるわけでもないからのう。自分から公に名乗らなくなったくらいじゃ。身体はまだましなのじゃが、やはり目が調色師としては使えなくなってのう。今はもうただの隠居ジジイじゃよ」

 菊花が自慢げに言った。

「とてもすごい先生だったんですよ! 何度見ても、師匠と鳳亭師匠の調色は一流で、今でももう一度見たいなぁって思ってますもん!」

 鳳亭は朗らかな笑い声をあげた。

「いやはや。まさかあの燈夏がこんなにも人を抱えるようになるなんてなぁ」

 藍と菊花を見て、鳳亭は昔を懐かしむように言った。

「昔、後宮を追い出されてばかりのあの子は荒んでいてね。確かに調色師としては類まれな才能があったが、あの時は、私もこりゃろくなことにならんだろうなって思っていたんじゃよ。だが、其方たちの顔を見るに、奴はそれなりにやっているようじゃのう」

 ――お前に会うために、生きてきた。

 燈夏の言葉を思いだして、藍は誇らしげに頷いた。

「……はい。あいつの調色は本当に、綺麗です」

「しっかし……あやつがそのまま皇帝やお役人には向いてるとは思えんし……好き勝手できる調色師は天職だったかもしれんなぁ」

 菊花ががっくりと肩を落とした。燈夏に後宮のことについて、秘密にされていたことがよっぽど堪えているらしい。

「私、知りませんでした。我ながら衝撃です」

「まぁ。後で面倒なことになるのが嫌だったんじゃろ。そう気を落とすな。誰にもひとつやふたつ、知られたくないことはある」

 鳳亭はそこで一度、記憶を掘り起こすように目を閉じた。

「私のところに燈夏を連れてきたのは、清霞じゃった。このままだと燈夏が野垂れ死ぬと思って、慌てて私に連絡を寄越したんじゃ」

 菊花が感心したように息をついた。

「あの二人って本当に、仲がいいんですね」

「境遇が似ている二人でもあるからな。当時、皇帝が皇太后の言いなりだったことは二人とも知っているな?」

 二人は頷いた。

「皇太后に命じられて皇帝に用意された明確な政略結婚。その相手が清霞の母親である翠峰宮の妃、翡翠じゃった。燈夏の母の元へ皇帝が足繫く通う傍ら、皇后になったはずの翡翠の元へはほとんどお渡りがなかった。子を成したときの一度だけとも聞いておる。そして清霞ができても、尚二人の距離が近づくことはなく……奴もまた、冷たい子ども時代を過ごしていたと言っていた」

「……そうだったんですか」

 仄暗い、心がずうんと沈むような話だった。

 藍は格子窓から城を方を見つめる。

「そういえば最近、清霞ってうちの屋敷に来ないよな」

「ああ。それなら品評会の準備なんかで忙しいんじゃないでしょうか」

 そうか。品評会は四年に一度で、前回は四年前だったから。ちょうど今年が品評会の年になることを、すっかり失念していた。

「燈夏は何かするの?」

 菊花は顎に手を当てて唸った。

「師匠、品評会嫌いだから、しないんじゃないでしょうか……前回のときも、結局完全無視でしたし」


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