第20話
夜更け、夕食を取り終わったころに、藍は菊花が出かけようとしているところに遭遇した。理由を聞くと、今日中に近くの工房に届け物をしなければならないことを忘れていたらしい。調色師の連続殺人事件が起こっている以上、彼女に行かせるのは危険だった。菊花を説得して、藍が代わりに向かうことになった。
「じゃあ行ってくる」
「すみません。こんな夜更けに」
「大丈夫だろ。菊花が行く方が十分に危ないし。それにすぐそこじゃん。平気平気」
場所は少し路地を曲がったところにある別の調色師の工房。調色師たちは色瓶の交換や売買をすることもしばしばあった。
「じゃあ、これ、よろしくお願いします」
「はいよー」
工房までの距離は短く、ものの数分もかからずに到着した。菊花からの色瓶を渡して、受取書にサインをもらう。工房の青年は藍に礼を言った。
「ありがとうございます。助かりました。ちょうどこの色瓶が必要だったんです」
「全然いいですよ。これからもよろしくお願いします」
「連続殺人事件とかも起こっていますから、帰りもお気を付けください」
工房を後にして、藍は帰路を急ぐ。
――どんだけ時間がたっても、これだけは慣れそうにないな。
絶えず視線を動かして、周囲を見渡す。屋敷の立ち並ぶ住宅街はどこも塀に囲まれていて、通りに街灯もない。頼りになるのは手の中の提灯と月明かりだけだ。
通りの角を曲がったとき、誰かのざり、と砂を擦るような声が聞こえた。次いで空気が刃で切れる音。
「――っ!」
藍は咄嗟に前に転がりこむ。その瞬間、藍の頭上を刃が通り過ぎていった。
「誰だ!」
体勢を立て直して、前方を睨んだ。
暗闇の中にいたのは、全身を真っ黒な装束に身を包んだ男だった。頭を布でくるんでいて、目元も墨か何かで塗り潰しており顔がわからない。闇夜に浮かび上がるように光る双眸が不気味だった。手には短剣を握りしめている。
「……!!」
ぞっと悪寒が背中を駆け巡った。藍は咄嗟に首元から警笛を取り出して、勢いよく吹き込んだ。ピーっと甲高い音が昇り、路地の方から見回りの刑吏が駆けつけてくる音が聞こえた。
男はそれに気づいて、翻って逃げていく。すぐに男は闇に溶けて姿が見えなくなった。
――今の男、確実に俺を狙っていた。
恐らくは今までの連続殺人犯と同じ男に違いなかった。しかし藍が狙われる理由がわからない。だって藍は調色師じゃない。
藍が狙われる理由がないはずなのに、藍は襲われた。
それに、男が逃げる一瞬の隙に、右耳を覆っていた布から飛び出したものがあったのを藍は見逃さなかった。それは清霞の耳元で輝いていた、四角柱の翡翠の耳飾り。
「なんで……」
困惑を含んだ声は天に吸われていった。
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