第14話 涙
「大変……申し訳、ありませんでした。父が、大変なご迷惑を」
朝日が差し込む近隣の公園にて。
深々と頭を下げた部屋着姿の日川さんに、私は慌てて声を掛けた。
「あ、頭を上げてください。日川さんが謝る事ではありませんよ。それに、その……お父様も、日川さんを心配する一心で……」
日川さんのお父さん、という概念が未だよく分からない為に、途中で言葉が詰まる。
それを察してか、頭を上げた日川さんは視線を伏せたまま、ぽつりぽつりと喋り始めた。
「……あれは、日川
「日川重工……」
日川さんの脇腹に刻まれていた文字が脳裏をよぎる。
てっきり企業の名前だと思っていたが、人名だったとは。
たった独りの力で、日川さんを……発明おじいさん、という括りにしておくにはあまりにも凄すぎる。
「発明の腕は確かですが、少々思い込みが激しく、気性が荒い部分がありまして。ここ数日、私が工房の私室から出てこないのを不審に思って、それで陽午さんに……本当に、申し訳ありません」
日川さんは再び頭を下げた。
私は……何と声を掛けてよいものか分からず、立ち尽くす。
考えてみれば、重工さんの怒りももっともではないか。
そんなつもりは無かったとはいえ、私は日川さんの秘密に軽々しく立ち入り、そのせいで日川さんは私の恋人のフリを続ける羽目に……。
「……ま、まぁ、とにかく、日川さんが……身体的には……お元気そうで、そこは安心しました。ずっと心配していたので……」
「陽午さん……」
「何か、お悩みであるとか……困った事があるのですか。私でよければ、聞かせてもらえませんか」
「……」
「……ひょっとして、私のせい……なのでしょうか」
日川さんが弾かれたように目線を上げ、私を見た。
私は、胸が少しずつ痛み始めたのを自覚しながら、続けた。
「私が日川さんの秘密を知ってしまったせいで、日川さんは……やりたくもない、私の恋人役を……そのせいで、ずっと、苦しんでいたのではありませんか」
嫌な痛みがせり上がってくる。
自分で自分の心臓を押し潰しているような。
「そうだったとしたら、もう、やめにしませんか。……私の方から、もっと早く言うべきだったのかもしれませんが……今なら、お互い、『合わなかった』……そう理由付けて破局した事にすれば、周りにも不自然には映らないと思います」
「……ち……う……」
「最初に言った通り、私はそんな交換条件がなくとも、誓って日川さんの秘密を言い触らすような真似はしません。もう、日川さんが苦しむ必要は」
「違う!!」
初めて聞いた、日川さんの大声。
驚く私の前で、日川さんは続けて何かを言いかけ――それは言葉にならない。
「……わ……私は……」
藍色のガラス玉が震える。
震えて、滲んで、何かがそこからこぼれ落ちた。こぼれるはずのないものが。
「……っ」
「あっ――日川さ――」
日川さんは背を向けて走り去った。
体力測定で世界記録を大幅に上回り、計測ミスと判定された脚力。
目で追う事も、叶わない。
その日、日川さんが学校に姿を見せる事はなかった。
ただ、その夜、一件のメッセージがぽつん、と届いた。
『明日の朝、校舎裏に来ていただけませんか。大事なお話があります』
それはちょうど、私があの日に日川さんに書いた手紙と同じような文面だった。
★
「……」
次の日も、私はいつもより一時間以上早く家を出て。
「……ど、どうも……おはようございます……」
またしても、あの老人……日川重工に、行く手を塞がれた。
「……」
重工さんは喋らない。今日は表情も
真一文字に結んだ口が、ややあって静かに開いた。
「……こいつを」
それだけ言って、押し付けるように。
重工さんは、使い込まれた一冊のノートを渡してきた。
「こ……これは……?」
その問いには答えず、代わりに重工さんはどこか遠くを見ながら語り始めた。
「……あの娘は元々、家事をさせるつもりで作った、感情も生命もない人形だった。少なくとも設計図の段階ではそうなっていた」
「……」
「それが、完成した瞬間に目を開き、人間みてぇに喋り始めた。たまげたさ。こちとら何のタネも仕掛けも施しちゃいねぇ。心臓が止まるかと思ったね。……だが、神が与えた偶然の産物にせよ、あの娘は俺の最高傑作だ。だから俺の名字を与えた。娘のように扱うと決めた」
ゴーグルの向こうの目が、僅かに細められる。
「あの娘は、目覚めてから程なくして『日記』を書き始めた。『読むな』と言われたから、今日の今日まで読んでなかった。俺ぁあの娘の父親だからな。……だが、昨日の晩、あの娘の目を盗んで読んだ」
そこで言葉を切って、重工さんは私に押し付けたオレンジ色のノートを指差した。
「読め。そいつぁ、てめぇが……てめぇだけが読むべきモンだ」
「私が……?」
何かを質問する間もなく、重工さんはのしのしと私の前から去ってしまう。
私はよれよれになったノートを抱え、昨日と同じ公園に駆け込んだ。
ベンチに座り、改めてノートの表紙を見る。
そこには、タイトルらしき文字列が小さく記されていた。
『ある歯車の記憶』。
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