第13話 雨
『
一件の新着メッセージ。送信元、『陽午仁』。
『メッセージリーダー』を起動。既読を付けず、メッセージ内容だけを確認する。
『体調は大丈夫ですか?』
文面の要素を分析。『心配』、『不審』。私が体調不良を口実に帰宅した事に起因すると推定。
『WINE』の通話機能にアクセス……中止。
返信用の文面を作成……『ご心配をおかけしました。私は大丈夫です』。送信。
『WINE』を終了。
「……」
雨が、工房のトタン屋根を叩く。叩き付ける。部屋の戸を叩かれているような感覚。
であれば、扉の向こうにいるのは、誰なのか。
「……」
心細い。
世界から、私一人が弾き出され。
世界から、私一人だけが、咎められているような。
彼と話がしたい。
彼の声が聞きたい。
彼の声が聞けたなら。
『WINE』を起動……中止。
でも、私にその資格はない。
私は嘘をついている。
私は彼に嘘をついて、彼を騙して、彼を脅して、優しさに付け込んで、周囲の人々さえも利用して、そうして恋人のフリをしている、人間ですらないなにか。
そうしていればいつか振り向いてもらえると、そんな愚かな思い込みだけを燃料に動いている、嘘つきの人形。
スクリーンに投射された映像が、頭から離れない。
嘘の代償として粉々に砕かれ、表情を失って墜ちてゆく人形の欠片。
私に生命を与え、感情すらも与えた『神様』がいるのなら。
今の私の行いを見て、何を思い、何をするのだろうか。
雨が降り続いている。
★
例年であれば鬱陶しく感じられる、連休に風穴を開ける登校日。
私は早朝に目を覚まし、普段の通学より一時間以上も早い時刻に家を出た。
連休初日、映画館を出た所で「体調が優れない」とこぼした日川さんを家の最寄りだというバス停まで送り届けて以来、毎晩続いていた日川さんとの通話が何の前触れもなくぱったりと途絶えた。WINEのメッセージにも最初のやり取り以降、返信がない。
何かあったのかもしれない。それだけ深刻な体調不良か、はたまた……『恋人のフリ』もこれで終わりよ、という事なのか。
いずれにせよ日川さんの顔を見ないことには安心できない。
逸る気持ちを抑えながら小走りをしていた私の眼前に、突如としてゴーグルを着けた
「え……」
「『陽午』てぇのは、てめぇだな?」
「は、はぁ。そうですが……どちら様ですか」
穏やかでない雰囲気。警戒する私の前で、老人は自身に親指を突き付けて言った。
「オヤジだよ」
「オヤジ?」
「父親だ。日川一号の」
「……え。えぇっ?」
予想だにしない一言にたじろぐ私にずい、と一歩近付き、老人はゴーグルの向こうから凶悪な視線を送ってきた。
「てめぇ、あの
「え……ひ、日川さんの事ですか」
「とぼけんじゃあねぇよ。てめぇがあの娘と付き合ってることぐらい分かってんだ。オヤジだからなぁ。土曜日に『でぇと』したろ、あの娘と」
「でっ……デート、というか、遊びには行きましたが……あの、日川さん、どうかされたのですか」
「けっ。白々しい野郎だぜ」
更に一歩、老人が近付く。明らかな敵意を感じる……が、ここは私も引けない。
「ウチの娘、すっかり塞ぎ込んじまった。帰ってきてからずっとだ。あの娘を作って以来、こんな事、一度だって無かった。『でぇと』の最中にてめぇが何かしやがったに違いねぇ。そう思って俺ぁここに来た」
「そんな、日川さんが……い、いや、待って下さい。誤解です。私は誓って日川さんを傷付けるような真似は……」
「大体なぁ!」
老人のボルテージが上がる。筋肉質な手に胸倉を掴まれ、「ぐっ」と息が詰まる。
「てめぇみてぇな童貞丸出しのうすらでっかちに、ウチの娘が惚れる訳ぁ無ぇんだ! そっからが既におかしいんだ! てめぇ、どんなインチキ使いやがった!!」
「そ……れ、は……」
「ほぉ、やっぱり心当たりがあるみてぇだな。来いや。ちょっとばかし痛めつけて、洗いざらい吐かせてや――」
その瞬間、老人の姿が目の前から消えた。
否、それは一瞬の錯覚で、老人は真横に吹っ飛んで脇の空き地に突っ込んだのだ。
現れたその人の、強烈な
「ひ――日川、さん……」
ゆらりと立ち上がった部屋着姿の日川さんはつかつかと倒れている老人の元へ歩み寄り、赤く腫れた頬を押さえて半身を起こした老人を見下ろした。
「い、一号……お前、ど、どうしたんだ、こんな所まで……」
「……馬鹿」
「えっ」
「馬鹿。阿呆。最低。最悪。信じられない。クソ親父」
「な……な、なっ」
顔面蒼白になって口をぱくぱくさせる老人の胸倉を掴んで引っ立たせ、日川さんは老人を私から引き離すように突き飛ばした。
「お、おぉい。そんな怒るこたぁねぇじゃねぇか。俺ぁ、大事な一人娘のお前を心配して……」
「帰って。今すぐ。帰って。二度と彼に近付かないで。……帰って!」
「――――」
老人はしばらくの間、私と日川さんの顔を交互に見ては金魚のように目と口を閉じたり開いたりしていたが。
やがて、諦めたように
その背が見えなくなった頃、日川さんは珍しく伏し目がちに私の方を見た。
「日川さん……」
「……陽午、さん……」
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