第7話 男子の会話 / ワガママ


「そ。ワガママ。要は尽くすだけの女になっちゃ駄目ってことよ」


 ブレザーの胸元のリボンに手を当て、演説するような調子で江崎は語る。

 細かく頷きながら聞き入っている日川は興味津々といった様子だ。


「『あれがしたい』『これは嫌』『今は独りにしろ』『もっと私に時間を割け』……あれこれワガママ言って男を従わせるくらいじゃなきゃ、対等な関係とは言えないってワケ」


 言い切って胸を張った江崎に、望月が「わー」と拍手を送った。


「なんか、かっこいいねぇ、真珠しずくちゃん。彼氏なんていたことないのに」

良子よしこ? なんで今刺したの?」


 不意打ちを喰らい左胸を押さえた江崎をよそに、日川は考え込むような姿勢で呟いた。


「ワガママ……昨日、猫カフェには付き合っていただきましたが」

「それはどーせ、お弁当のお礼とかでしょ? そういうのじゃなくて、もっとこう……なんか……や、具体例ってなると、ちょっと、あんま、出てこないけど……」


 言い淀んだ江崎をすかさず望月がフォローする。


「しょうがないよぉ、ふわふわした恋愛論しか語れないのも。経験がないんだから」

「良子? 私何かした? 気付いてないだけでどっかで怒らせてたかな?」

「……」

「あっ怖っ。無言の笑顔やめて?」


 押し問答する二人を尻目に、日川は教室の反対側の隅で談笑している陽午の背をじっと見つめた。


「……ワガママ……」




 ★




「おい。もうヤったのか」

「何が」


 何が、と、分かってはいるが、不機嫌にシラを切る。

 池園いけぞのは折れず、あろう事か当人の方を見ながら繰り返した。


「日川さんとはもうヤったのか、って」

「馬鹿。やめろ。聞こえたらどうするんだ」


 普通であれば聞こえようもない距離と喧騒が間に挟まっているが、日川さんはロボットだ。集音性は人間より高いと考える方が自然だ。


「アホやな、ゾノ」


 近畿出身のべしゃり好き、山森やまもりがあたかも場を収めるかのように口を挟んでくる。が、三年も付き合っていればそうではない事ぐらい私にも分かる。


「ヤるワケないやろ。昨日の今日で。ひまじんは一本筋の通ったチキンどうて……とり紳士やから。なぁ?」

「『なぁ』じゃあない。人を居酒屋チェーンのパチモンみたいに呼ぶのはやめろ。日川さんのいる所でそういう話をするのも」


 睨み、威嚇するように総菜パンの端に齧り付く。

 つい先日まで中学生だった野郎どもの野次馬根性は、そんな事では揺るがない。


「ま、ゆうて、キスぐらいしたんやろ?」

「していない」

「じゃあ、ハグは」

「していない」

「手は繋いだんだろうな?」

「繋いでいない」


 瞬間、池園が業を煮やしたように立ち上がり、私を糾弾した。


「金玉付いてんのか、おめぇはよぉ!」

めしどきに金玉とか言うな! うわっ、このパン、中にうずらが……なんて間の悪い」


 顔をしかめた私のパンを山森が呆れた目で見る。


「そもそも何やねん、その『中華丼フランス』て。中華なんかフランスなんか、丼なんかパンなんかはっきりせぇ」

「仕方ないだろう。今日は購買にこれしか売っていなかったんだから」

「未曾有の食糧危機かよ」

「知らんだけで外では核戦争が始まっとるんか」


 やいのやいの言われるほど味は悪くないが、やはり日川さんのお弁当ほどの満足感は……。

 そこまで考え、私はぞくりとした。日川さんに胃袋を掴まれかけている自分を客観視した為だ。昨日の帰り道で感じた鼓動といい、ひょっとして私は既に、日川さんのまっているのか。


 唐突に背中に視線を感じ、振り返る。


「う」


 目が合った。何故か私をじっと見つめている日川さん。

 藍色のガラス玉。吸い込まれそうなその奥行き。

 逸らせないまま、十数秒……永遠にも思える時間が経ち。


「……はっ」


 知らず息を止めていた私は、慌てて正面に向き直り、荒く呼吸を繰り返す。

 息を落ち着かせて目線を上げると、にやにやと笑っている二人が視界に入った。


「……何か?」

「視線でキスしてんなぁ、と思って」

「やめろ。何だその気持ち悪い概念は」

「いや、あれはもうヤっとったな。視線で」

他人ひとの視線を隠喩メタファーみたいに扱うんじゃない!」


 含蓄も、得るものも、品も無い。ごく一般的な昼休みの男子の会話であった。




 ★




「日川さん」


 何だか恒例の場所になってしまった高等部の校舎裏。

 掃除当番を終えて向かうと、日川さんは既に校舎の外壁に背を預けて待っていた。


「すみません、お待たせしました。ゴミ捨てじゃんけんに敗けてしまって」

「いえ……問題ありません」

「それで、ご用向きは……」


 日川さんは昼休みと同じように、私の目を真っ直ぐに見た。

 気圧けおされて思わず半歩、後ずさる。紺のスカートが風にはためき、日川さんが重々しく口を開く。


「陽午さん」

「は、はい」

「私は、陽午さんと連絡先を交換したいです」

「レンラクサキ」


 虚を突かれ、知らない花の名を聞かされたような反応をしてしまった。

 きり、と唇を引き結んで返答を待っている日川さんは、これがれられなければ自刃も辞さぬかのような面持ち。流されやすい私は慌てて応える。


「あ、え、えぇ。分かりました。交換しましょうか」


 思えば、以前から交換していてもおかしくない程度の交流はあったのだ。

 故にこれは自然な行動。決して、日川さんの『芝居』に手を貸すような行いではない。

 言い聞かせるように思考しながらスマートフォンを取り出した私に、日川さんは更に続けた。


「それと、私は学校にいない時でも、陽午さんとやり取りがしたいです」

「な、何だか今日は英語の教科書のような話しぶりですね……それは勿論、構いませんよ」

「毎晩」

「毎晩!?」


 それは流石に話が変わってくる。私はスマホを持った右手をぶら下げたまま左手で頬を掻いた。


「毎晩……というのは、流石に、ちょっと……どうでしょうか……意味合いが出てきてしまうというか……」

「……」


 急に日川さんは首を九十度前に折り曲げ、小さなつむじをこちらに向けた。髪の色が天の川なら、つむじは銀河のように見える。


「日川さん?」

「毎晩やり取りがしたいです」

「ですから、それは……あうっ」


 胸板に衝撃。何と日川さんはその体勢のまま、私に突進してきたのだ。

 頭頂部をぐりぐりと押し付けられ、接触部から生物感のない不思議で透明な香りが立ち上る。


「ひ、日川さん! 何を」


 赤面して狼狽うろたえる私の胸元で、日川さんはぐりぐりしながら繰り返す。


「毎晩やり取りがしたいです。毎晩やり取りがしたいです。毎晩やり取りがしたいです」

「い、いや、だから、そういう訳には……あっ、怖い! やめてください! 頭を三百六十度回さないでください! 往年の手品みたいになっています!」


 日川さんの胸板ドリルを喰らいながら、私は自分が五分とたずに降参している未来をはっきりと予見した。

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