第8話 やり取り


「では、陽午さんのスマートフォンを、こちらに」


 日川ドリルの圧倒的な威力に二分とたず膝を折った私に向かって。

 日川さんはさらりとした前髪を指で持ち上げ、真っ白な額を指し示した。


「えぇと……そこに、ですか」

「はい。メッセージアプリなどを起動する必要はありません。ただ、スマートフォンを額に当ててください」


 言われるがまま、スマホの裏面を日川さんの額にそっと触れさせる。電子決済をしているような格好だ。他人が見たら新手の虐めだと思うだろうか。

 日川さんが目を閉じ、こめかみをカチッと押し込む。


「『まとめてらくらく交換ちゃん』を起動します。接触中の端末から二件の交換対象アプリを検知。連絡先を交換しています……完了」


 ものの数秒で日川さんは目を開いた。


「もう終わったのですか」

「はい。『WINEワイン』及び『サンペタグラム』において規定の処理を行いました。ご確認ください」


 言われた通りにWINEを開いてみると、新しい『友だち』が追加されていた。『Hikawa_01』と銘打たれた、初期アイコンのアカウント。

『陽午です』とメッセージを送ると同時に既読が付き、一瞬遅れて『日川です。よろしくお願いします』と返信が来る。


「おぉ……」


 私は素直に感心した。つまり日川さんにはこのアプリが内臓されていて、脳内で打ち込んだメッセージがそのままこちらに送られてきているのだろう。スマホいらずという訳だ。

 つくづく未来的というか、進みすぎというか……日川さんの生みの親は、一体どこの何者なのか。


「……」


 日川さんは、ほぅ、と一仕事終えたような調子で息を吐いた。

 今日の振る舞いは昨日以上に強引、強情な印象を受けたが。ひょっとしてこれも、日川さんの考える『恋人らしさ』の一端なのだろうか。


「では、今晩から。よろしくお願いします」

「あ、はい……」


 またしても日川さんの勢いに流されてしまった。今更にその事を思い出した私は暗澹あんたんたる気持ちになりつつも、一方で日川さんとのやり取りを心の何処かで楽しみにしている自分を否定できなかった。




 ★




「うぅん……現代文の成績だけで私という人間を評価してほしい」


 その晩、馬鹿を言いながら自室で理系科目と格闘していると、机の脇に置いたスマホが震えた。WINEの通話機能に着信が来ている。画面一杯に映し出された、殺風景な初期アイコンのアカウント――『Hikawa_01』。


『こんばんは。日川です』

「あ、ど、どうも。こんばんは、日川さん」


 慌てて応対しながら私は内心「マジか」と思った。『やり取り』とは文面ではなく、肉声でのそれを指していたのか。毎晩異性と通話をするなんて、それはもう完全に……。


『アポイントメントも無しに通話を掛けてしまい、申し訳ありません。お取込み中ではありませんでしたか』

「いえ、大丈夫ですよ。ただ机に向かっていただけで……」


 聞き慣れた抑揚のない声も電波を介すと違って聞こえる。柄にもなくそわそわと浮足立つ。考えてみれば、一対一で女子と通話するなど、初めてのことだ。


「日川さんも、今はご自宅ですか」

『はい。こうぼ……自宅で、充電をしています』


 息抜きをしています、とも取れる発言だが、恐らく、というかほぼ間違いなく、日川さんは実際に己が身に電力を充填しているのだろう。


『陽午さんは、もう夕食は……』

「食べました。今日は私が台所当番でして」


 日川さんの中では『充電』と『食事』は同じ領域に属する話題なのだな、と思いながら話を続ける。


「何の工夫もないカレーをやりましたが、まぁ、不可もなく……といった感触でしたね。家族には」

『陽午さんの手料理ですか。ご家族の方が羨ましいです』

「ははは、ご冗談を。日川さんの腕前にはいささかも及びませんよ」


 そうして話し始めてしまえば、何のことはない。


「日川さんも確か帰宅部でしたね。高等部でも部活はやらないのですか?」

『やはり、ロボットとバレる危険が高くなりますから。特に運動部などは』

「なるほど……」


 勝手知ったる仲でなくとも、いや、そうでないが故に、話題は無数にある。


『あの方の担任するクラスに入るのは今年が初めてですが、お若い先生ですね』

うめちゃん先生ですか。ああ見えて怖い人ですよ。生徒をおしなべてしつけの足りない猿か何かだと思っています」

『陽午さんもご冗談を仰ることがあるのですね』

「これが冗談ではないのですよ、今に分かりますから……」


 画面の向こうで時々日川さんが笑う。笑い声を上げている訳ではないが、声色で何となく笑っていると分かる。その度にこちらも少し頬が緩む。


『こちらは雨が降ってきました』

「私の方もです。花散らしというやつでしょうか」

『桜の時期も終わりですね』


 窓の外、雲の向こうで薄明りを放つ月を一瞥いちべつし、カーテンを閉める。雨音が消えた部屋に私と日川さんの声だけが再び転がる。


 或いはの恋人もこんな風に、夜毎よごともたらされる静寂を二人掛かりで少しずつ埋めたりしているのだろうか――――



「おい、やかましいぞ、兄者!」


 ――――鍵を、掛け忘れた――――。

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